血の呼び声 02
「――という訳なのよ」
署に戻り峰刑事と別れた後、同行しようとする相棒、ローランド西郡刑事をあしらって、小鳥遊露草は『タタリアン』へと向かい、ケーキを貪りながら若葉とこんぺいに事の次第を説明していた。
「で、その穢れたボトル、持ってきちゃったんですか?」
テーブルの上に置かれた「みりん風調味料」の小瓶を見ながら若葉が言う。
「容疑者の家にあったっていうのなら関連性を疑った方がいいし、かっちゃんにお願いしよっかなって思ったんだけど魚臭い格好で会いたくないし、そういうのってこっちが専門でしょ?」
「だからってケーキ屋さんの店内に匂いもの持ち込みますかね普通」
一般人には普通の液体に見えるのだろうが、陰陽師が見れば“穢れ”を湛えた青紫色の液体に見える。
だが小鳥遊も一般的な陰陽師並みの巫力は持っているという話なので、恐らくは巫力の高い人間でなければ外見での判断は難しい代物なのだろう。匂いとして判別できたのは恐らく小鳥遊の特性である、と若葉は見当をつけていたが、面白いので黙っている事にした。
「こっちで正解だ、お露。物部に頼んでいたら門前払いされてたぜ」
葛葉頭首であり『タタリアン』店長でもある葛葉紫苑の式神、一つ目金魚のこんぺいが興味津々と言った様子で応じる。
「かっちゃんはそんな冷たい事しないよ?」
こんぺいの冷たい言葉に小鳥遊が頬を膨らませている。だがこんぺいの答えは至極真っ当なものだった。
「するしか無ぇんだよ。神に仕える陰陽師、物部にとって“穢れ”は近付くのも禁忌だ。例え恋人だろうがな」
「そっかぁ。持ってかなくて良かった」
物部を心配する一言を漏らす小鳥遊に、二人の交際は順調なのだろうと察する若葉。
「で?これをどうしろと?」
若葉の素直な質問である。
「いや、どうしたらいいかなーって?」
小鳥遊の素直な回答であった。
「この液体がその『ブラッド』で間違い無ぇだろうな」
小瓶の周りで匂いを確認するようにクルクルと回りながらこんぺいが答えた。
「効き目の程は実際に味わってみねぇ事には詳しく分からねぇがな。それに…」
なかなか美味そうな穢れじゃねぇかとこんぺいは舌なめずりをしている。凶事の塊である“辻神”から作られた式神こんぺいは穢れを祓うのではなく餌として取り込む事が可能だ。
「こういうのを人間が摂取し続けたらどうなるの?」
身体によくないモノだという事は小鳥遊にも分かる。腹を壊すとか体に悪いレベルの話で済まない事も分かる。だがどうなってしまうのかは知らない。
「穢れを取り込み続けたら、最終的には穢れそのもの――鬼に成っちまう」
こんぺいがそれに応えると小鳥遊の眉が片方跳ね上がった。
「じゃあ、人並み外れた怪力って…」
「あぁ。人であることを捨てかけている事の証だ」
「マズいっ!」
その言葉に小鳥遊は小瓶を引っ掴むと『タタリアン』を飛び出した。
小鳥遊は署の2課に直行すると、峰刑事のデスクへと駆け寄った。
「どうしたの?」
割り箸を片手におにぎりを頬張る峰。デスクの上にはインスタントはるさめスープが湯気を上げている。
「これが『ブラッド』よ」
小鳥遊が調味料の小瓶を机の上に置く。
「だってこれ、もう検査してある筈の――それに赤くないわ」
「既存の麻薬じゃなかったのよ」
「どうやって…?」
「きっと成分を調べても普通の液体なんだと思う――でも信じて。これが真実よ」
「…そう言われても俄かには信じ難いわ」
小鳥遊は裏の世界――陰陽師が跋扈する闇の神秘が支配する世界を知っている。だが目の前にいる峰刑事はそれを知らない、知る事の無い一般人だ。陰陽師が穢れがと言ったところで信じてくれるわけがない。
「だったら本人に問い質してみましょう」
ならば、と小鳥遊は峰の腕を掴み、署を飛び出した。
到着したのは警察病院。いまだに拘束具を着せられたままの容疑者、駒田まさこの病室。
ドアを蹴破る勢いで乗り込んできた二人を、拘束具の駒田まさこは静かに見つめていた。一切の感情が伺えない、まるで出来の悪い仏像のような顔だった。
「お家の中、見させて貰ったわ」
小鳥遊の答えにも眉一つ動かさない。
「怪しいものは発見できなかった」
「当たり前でしょ。おかしなものなんて――」
感情の読み取れない眼差しで天井を見つめながら怠そうに答える駒田。
その目の前に小鳥遊は調味料の小瓶をチラつかせると――
病室がドンと揺れた。
駒田が跳ね起きようとしたが拘束具によって阻まれ、ベッドが大きく揺れたのだった。
「持ってきてくれたの!?お願い頂戴!」
餓える獣でなく、まるで怒れる神に赦しを求める信者の様に――切実に訴えている。
小鳥遊の答えに半信半疑だった峰だったが、その様子を見て考えを改めたようだった。
「…ビンゴね。どこから仕入れたの?」
「お願い!飲ませてくれたら教えるから!」
麻薬中毒の典型的パターン。クスリの為ならば犯罪も辞さない。しかもこの駒田という女は相当の常習者だったのだろう。これならば自白も取れる――小鳥遊から小瓶を受け取り、駒田との会話を強引に引き継ぐ峰。
「それは出来ない。これは貴女が思っている以上に危険な代物なの」
「お願い殺されそうなの!」
駒田は幻視――禁断症状が始まっているのか。こんな短時間で。
「安心して。あなたは警察が守るから。だから教えて」
「早く寄越せ!じゃないと沈んでゆく!引きずり込まれる!」
その様子に峰は違和感を覚えていた。薬物に飢えているのとは違う気がする。これは――いや。
「それはただの幻よ!」
声を上げる峰。違う――これは怯えている?――本当だというの?
「お願い頂戴!私が殺される!」
拘束具を着せられたまま暴れる駒田。ベッドが跳ねあがり床を踏みぬかんばかりの勢いで暴れている。
「治療を受けられるから安心して!」
必死に説得を続ける峰刑事。だが異常を察知して駆けつけた警官に止められて思うように近付けないでいた。
「言いなさい!何処で手に入れたっ!」
「はやぐよごぜぇぇぇぇ」
駒田はさらに大きく首を振り、身体をしならせて暴れている。目は狂気に見開かれ妖しい光を放っていた。
「はあああやあああぐうううう」
打ち上げられた魚の尾のように激しく頭を振り続けている駒田。
ぶち
ぶち
ぶち
音が響いた。
生肉を無理矢理引き裂く音が。
拘束された身体から、首が飛び出した。
首の肉を引き千切り、背骨と内臓をぶら下げたままの首がずるりと抜けて出た。
峰刑事と、駆けつけてきた警官の叫び声が病室の窓を震わせる。
「頂戴って言ってるでしょおおぉ!」
獲物へと飛び掛かる蛇が如く、抜け出た首が腰を抜かした峰刑事に躍りかかる。思わず目を瞑り――
「手遅れだったのね、もう……」
小鳥遊の呟きが聞こえた。
静寂に気が付いて目を開けると、抜け出た首はまるで食べ終えた魚の骨のように床に転がっていた。
「な…何が――」
ある者は床に伏せ、ある者は身を丸めていた病室に、歴戦の古強者が如く一人、小鳥遊だけが立っていた。峰刑事の声に気付き、振り返らず前を向いたまま小鳥遊が口を開いた。
「抜け出したところで力尽きたんでしょうね。ボトリと落ちたわ」
そう――なのだろう。いくら臓器をぶらさげていたとはいえ、身体から首が抜け出すなんて事が、そんな出来事が存在して良い訳が無いのだ。
いや。
「も、も」
もしかして。
峰刑事の脳裏にとある言葉が浮かび上がった。20年くらい前か。小夜鳴市に赴任が決まった時、先輩刑事に言われた、あの言葉。
『刑事課ってのは時々、まるで『Xファイル』のような事件が起こる。そんな時は――』
もしかして、これが――
言葉を失う峰刑事に、大きく溜息を吐いた小鳥遊刑事が慣れた口調で答えた。
「そう。これが特殊案件よ」
だから――
『そんな時は――』
「早く忘れる事ね」




