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幕間 其の弐

 大小2本を腰に佩いた袴姿で相志は芝生の上に立っていた。

 桜の花弁が風に流れるように舞う、若葉の隠れ里『3月8日の道』だ。


 腰の刀をすらり抜き放ち正眼。

 右足をすいと滑るように前へ――それが始まりであった。


 ひらり はらり

 しゃん はらり


 零れ桜の中を舞うが如く太刀を振るう相志。

 その()()は神楽舞の様に雅でもあり、だが一切の隙も無い。

 見る者が居ればそこに高天原の神々しさを思い浮かべることであろう。

 だが、美しく厳粛にして鋭い太刀を振るう相志の表情は暗く重かった。

 太刀筋が乱れている。

 新しい腕を得た事による肉体面(フィジカル)の強化に起因するものか。

 それとも――心が揺れ動いているからなのか。


 『百鬼夜行』の件以来、紫苑は以前よりはっきりと相志に甘えを見せてくるようになっていた。

 今回の入院に際し、紫苑には『相志の右腕が新しいものになる』事については伏せられていた。紫苑ならキワモノな腕を付けさせたがるだろうという皆の配慮からであったと相志は聞いていた。


 「日照院」を出ると紫苑が外で待って居た。

 若葉も傍に置かず、独りで。それだけでも相志にとっては驚嘆に値する出来事なのだが、若葉は相志の顔を見ると早足で駆け寄ってきたのだった。

「相志、手がある…」

無い筈の右腕が在る事に気付いて立ち止まる紫苑。

「はい、ご隠居が生やして下さいました」

紫苑は驚き固まっていた様子を見せていたが、それまで溜め込んでいた緊張が一気に解れるように顔を緩ませると、すがるように相志の懐へと飛び込み、その腕に額を預けた。

「どうしようと思ってたんだからね……」

これは今まで何も言わなかった我々に非があるだろう。帰ったら謝らなければ――と思っていた相志であったが、

「私も家事覚えなきゃなのかなって」

という紫苑の言葉に呆れる羽目になった。

「頭――撫でて」

胸に顔を埋めたまま紫苑がねだる。

「御望みとあらば」

腰までだった紫苑の髪が太腿の辺りにまで伸びている。

 それだけの月日が動いたという証なのだろう。

「手入れをするのは僕なんですけどね…」

「何か言った?」

胸の中で紫苑が呟く。

「いえ――暖かいな、と」

相志は静かに誤魔化した。

 紫苑が自立した生活を送れるようになるという夢はとうの昔に諦めていた。

 その所為なのだろうか。相志は若葉に『相志さんが甘やかしすぎるからですよ。責任取るんですよね?』と言われていた。だがその()()と言うのは何の事なのか、相志は今一つ理解していなかった。


 理解出来なかった――と言い換えるのが正解なのだろう。


 方相氏とは衛士の頂点にて陰陽師の鉾となり盾となる宿命。陰陽師の為に死兵となる事こそ誉れである。陰陽師とは生命の重さが違う。


 そう育てられ、そう教えられて生きてきたのだから。


 だが、紫苑は明らかに盾役以上の気持ちを相志に抱いている。それは理解出来る。二人とも同じ7歳の頃に陰陽師と方相氏として出会い、共に暮らし、共に生きてきたのだ。

 守護対象――紫苑は自分にとってもそれ以上の存在であるのは明白だ。

 共に生きる――それが紫苑の望みならば叶えたいと思う。それが相志の考えである。

 だがそれではいざという場面で紫苑の為に命を捨てる事が出来なくなってしまう。

 生きたいと願ってしまえば迷いが生じる。足が鈍る。方相氏たるもの、刃先は此岸に、魂は彼岸になければ必殺の刃は振るえない。


 どうするべきなのか――分からなくなった。


 相志は太刀筋の乱れを正すために修練をしたいと紫苑に申し出た――勿論、自分が入院している間、若葉に任せていた家事を()()()片付け終えた後での事だ。

「これで安心して眠れます」

紫苑は今まで通りそう言うと、布団の中へと潜り込んでいった。

 相志は若葉にも同様の説明をし、修練の場として『3月8日への道』を使いたい、と申し出た。


 体の動かし方を確認するかのようにゆっくりと演武を終えた相志。それだけで長着にまで汗が滲んでいた。顔を拭った袖もぐっしょりと濡れている。

 長着と襦袢から袖を抜き、諸肌を晒す。そのまま胡坐をかいて座り目を瞑り、型のセルフチェックを脳内で行う。そしてしばらくすると立ち上がり、再び刀を抜き放ち舞い始めた。今度は動きが先程よりも早く力強い。

 そして相志は、奥州の地で己が身と魂に刻み込んだ刃の軌跡をなぞり始めた。 


 不来方流は巫力を持たない侍が妖を斬る為に編み出された流派である。

 だがその剣技は足の運びから歩幅、距離、手の位置から指先の僅かな角度全てが決められており、それが寸分でも狂えば刃は退魔の力を失ってしまうという非常に繊細な技である。

 『人が祈祷で魔を払えるならば刀で魔を斬れぬ道理はない』と、陰陽師の反閇や道教の兎歩、巫女の奉納舞や神楽等による呪術舞踏を武術へ組み込んだ剣術であり、事細かに指定された体捌きは神秘の力を刃先に体現させるのだ。

 だがいざ命の遣り取りと言う場面で一寸の狂いも無く演舞を再現できる程の丈夫(ますらお)は殆ど居ない。

 それならば妖刀や神剣、呪符を貼った刀を使う方が確実に魔を斬り伏せられるからだ。


 相志は陰陽師を守る武人を輩出する家系の末弟として生まれた。だが刃に乗せる巫力にも恵まれず、方相氏どころかただの衛士にもなれぬと落胆され、だが武術の素養においては他の候補生たちより抜きん出ていた為、余計に残念だと周囲から諦めの目で見られていた。

 そんな相志に目を付けたのが、かつて奥州に栄華を築いた“藤原一族”の末裔だった。


 藤原一族には、初代清衡公の時代から代々伝わる巻物と舞があった。

 それこそが“ここから先は一歩も踏み入る事を許さぬ”と陸奥の地から土蜘蛛の一族を追い払ったと言われる剣術――不来方流の剣術だった。

 藤原一族の末裔は、その流派の復活を幼き相志に賭けたのだった。

 優秀な剣士と剣術を復活させ、日本を操る陰陽師との繋がりを取り戻したいという野望もあったのだろう。

 そして相志は齢阿7歳にして見事にそれを成し遂げ、藤原一族より不来方の姓を名乗る事を許されたのだった。

 伝説の剣技を復活させ、最年少で認可を受けた最強の方相氏として命ぜられた任務は、四方院西の司、葛葉の令嬢――自分と年齢の変わらぬ女の子、紫苑の方相氏だった。

 葛葉――暗殺や謀略、陰陽師としての裏の仕事、所謂汚れ仕事全般を引き受ける一族。陰陽師としての畏怖の象徴にして邪道を扱う“祟り屋”。

 周囲からの評判は最悪だった。

 だが、守護対象となる娘を一目見て、そのような考えは何処かへ吹き飛んでいた。

 美しいと思った。

 同時に寂しそうにも見えた。

 周囲からは崇拝にも似た恐れを抱かれ敬遠され、話し相手は小さな金魚の式神一匹だけ。

 だから。傍に居たいと思った。命を懸けて守るに値するお方だと思った。


「わたしが怖くないの?」

それが相志の聞いた紫苑の初めての言葉。

「怖くないよ」

「ウソよ。誰もわたしの周りには居てくれないもの。私が怖いのよ」

「ボクはずっと傍に居るよ」

「ホント?」

「ホント。ボクは君の方相氏だから」

「包み込むだなんて歳の割に凄い口説き文句」

「それ包装紙ね。君って実は結構おしゃべりなんだね」

「だって嬉しいんだもん!傍に人がこんなに長く居てくれるって初めて!」

幼い紫苑はそう言って相志に笑顔を見せたのだった。


 その時に相志は誓ったのだ。自分という存在全てを賭けてこの子を守る、と。


 一切の無駄が省かれしなやかに引き締まった、野生の狼を彷彿とさせる相志の肉体。

 だがこの男は狼に非ず。

 主人の為に全てを捧げ、全身全霊で主人に尽くし主人を守る――犬である。


 型が一巡すれば速度を上げてもう一度――それを6度ほど繰り返し、相志はようやく動きを停めた。

 小さく呼気。肺腑の練気を絞り出すようにゆっくりと長く息を吐き――正眼。

 刀の鍔から手を伝う汗が滴っている。

「不来方流、これに納め奉る」

 相志は口から零れるように呟き、地面に刀を無造作に突き立てた。

 汗で柄も、おそらくは刀身も濡れている。このまま鞘に納める訳にはいかない。

 上半身には汗が流れ、脱いだ長着も袴も重く濡れていた。


 大きく息を吐き芝生の上に腰を下ろすと、芝生を軽やかに蹴り分ける足音が近付いてきた。

「お疲れ様です、相志さん」

修練を終えたのを見計らい駆け寄ってきたのは若葉の式神、サンだった。

「サンか。どうしたんだい?」

「汗を流すのに丁度いい湖があるのでご案内しようかと思いまして」

この世界はサンの主人である若葉が作り出した『隠れ里』だ。ならばサンであれば相志の動きは捉えていて当然だろう。

「それは助かる。この格好で『タタリアン』に戻る訳にもいかなかったからね」

相志は濡れて重くなった長着を指で摘みながら言った。


 隠れ里とはいえ、濡れた長着に袖を通すと風邪を引きそうなので、相志は上半身裸のままでサンの案内を受け、草原の中を歩いていた。

「新しい腕はいかがですか?」

不意にサンが聞いてきた。

「悪くないよ。違和感も無い」

「後悔は無いんですか?」

前を歩くサンの表情こそ読み取れないが、きっとサン――若葉も心配なのだろう。妖怪の能力を持つ腕を付ける、という事が相志にどう影響を与えるのか。

「犬如きに後れを取った自分に与えられた機会だからね。後悔の暇なんて無いさ」

相志は迷わず答えた。それ以外に無いと伝える為に。

 サンもそれを理解したようで、そうですかと答えると後は何も聞かなかった。


 ほんの少し歩いただけなのに、相志の目の前には大きな湖面が映っていた。

 水の匂いも、波打つ音も聞こえなかった――きっとサンが湖を招き寄せてくれたのだろう。

 湖の水面間際まで桜が咲き誇っている。が、湖面には花びらの一つも浮いていない。波打つ事も無い湖面には桜が映り込み、まるで湖の水が桜色に染め抜かれたようだった。

「素晴らしい眺めだね。湖に入るのが躊躇われる位だ。ありがとう、サン」

「ゆっくり汗を流して下さいね」

軽やかな足音を残し、サンが離れていった。


 重く纏わりつく長着と袴を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で鏡のような湖へとゆっくり足を踏み入れる相志。心地良い水の冷たさが肌から浸み込んで内側をクールダウンさせてくれる。

 両手で水を掬い取る。潜ってしまえば一気に顔も洗えると思ったが、何故か躊躇われたのだ。そして概ね隠れ里においてはそういった直感は大切にした方が良い事を相志は知っていた。

 水を掬い、髪と顔を洗い流すと、岸から声が聞こえた。

「相志様」

女性の声――この隠れ里の住人である妖怪、お歯黒べったりの羽黒だった。

「新しいお着替え、こちらに準備させて頂いたので御座います」

いつも通りの妙に丁寧な言葉遣いで声を掛けてくる羽黒。

「ご苦労様、羽黒」

「――っ」

相志が礼を言うと羽黒は不快感を露わにし不機嫌そうに帰っていった。丁度水から上がろうと思っていた所だったので助かると思っての発言だったのだが、と首を傾げていると足元から別の可愛い声が聞こえた。

「風呂上がりのビールとマッサージ、くらい言わないとまぐろは喜ばないにゃ」

若葉が作った猫のぬいぐるみの付喪神、クロだ。

「そうだった」

そういえば羽黒は無謀な命令をされる程喜ぶ変態だというのを失念していた。

「というか何でクロまで?」

羽黒の用意したタオルで体を拭きながらクロに尋ねる相志。

「イケメン全裸というサービス回にも出番が欲しいにゃ」

クロはこうして時々理解に苦しむ発言をしてくる時がある。

「というのは冗談で、今までサンとまぐろと一緒に遊んでたにゃ」

「そうか――ってちょっと待て。羽黒も?」

クロがサンと遊んでいたというのは容易に想像できる――だが羽黒が一緒に遊んでいる、という絵面は想像がつかなかった。

 だがクロの答えは至極単純かつ納得のいくものだった。

「鬼ごっこの鬼とかだるまさんが転んだの鬼とか喜んで引き受けてくれるにゃ」

「あぁ……」


 濡れた長着と袴は羽黒が片付けたようだ。代わりに置いてある衣服は『タタリアン』での仕事着だった――帰って働けという事なのだろう。


 ゆっくり悩んでいる暇など無いようだ。

次回からは夕闇カフェ初の長編になります。

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