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1-2 犬神

 それはちょうどお店を閉めようとした時の事でした。


 店先で犬の吠える声が聞こえたんです。

 お店の接客からご主人様のお世話や護衛まで何でも出来るイケメン執事(と私が勝手に呼んでいる)不来方(こずかた)相志(そうし)さんは、店の二階でケーキ作りと『仕事』の時以外はいつも寝ている、最強最悪の(と私が勝手に呼んでいる)陰陽師であり私の師匠、葛葉(くずのは)紫苑(しおん)さんに『お腹が減った』と呼びだされて飛んで行ったので店先には居らず、不在のときでした。

 今時野良犬もないだろうと思ったのですが、吠える声はいまだに続いています。どうしたものかと私が困っていると、

「ママ、あれお客さんだよ。『誰か居ませんか?』って言ってる」

テーブルの上でお煎餅を抱えてカリカリと食べている手を止め、私の式神である三つ目の小狐、サンが教えてくれました。

「サン、言ってる事…分かるの?」

「うん。でも…命の灯がかなり小さくなってる。危ないかも…」

扉の外に目を向けながら心配そうに話すサン。その隣で口の回りを食べかすだらけにしながらお煎餅を抱えて食べている猫のぬいぐるみの付喪神、クロちゃんが、いつも通り呑気に言いました。

「クロには『わんわん』ってしか聞こえないのにゃ。きっとこのおいしいカリカリをもらいに来たのにゃ」

「ワンちゃんはお煎餅食べないと思うけどな…でも危ないって…?」

サンの言葉にある予感を感じながらドアを開けてみると、フサフサの毛を雨でぐっしょり濡らしたゴールデンレトリバーが、首から女性もののバッグを提げて座っていました。その足元には、おそらくこの犬のものであろう、雨に混じった血溜まりと、常に店先で咲いている紫苑の花が置いてありました。

 ――祟りの依頼。その目印となる紫の花が。

「サン!お話聞いてくれる?私、タオル取ってくるね!クロちゃんは紫苑さん達に声かけてきて!」

「分かりました!」

私の呼びかけにテーブルを飛び降り、犬の方へ駆け寄るサン。

「分かったにゃ。久々のお仕事ですにゃー」

そして前足で煎餅を抱えたまま、店の二階住居部分に向かって二本足でトコトコと歩き出すクロちゃん。

 私が厚手のタオルを持って戻ると、先程の犬はまだ店内に入らず、シェードの下で雨宿りするように座っていました。店内が濡れない様に気を遣ったのか。お利口だなと思いながらタオルで身体を拭いてあげようと正面にしゃがみ込むと、女性用のハンドバッグを首から提げていることに気がつきました。大事なものなのだろうと思い、バッグはそのままにして身体を拭いてあげると、タオルのあちこちに結構な量の血が付いた。何処かで怪我を負いながら、このバッグを守ってここまで来たのだろうと頬を撫でてあげると、気持ち良さそうに目を閉じていました。

 身体が冷たかったので店内に入るよう促すと素直に従ってくれたので店内でもう少し丁寧に拭いていあげていると、頭の上から紫苑さんの式神である空飛ぶ一つ目金魚、こんぺいさんの声がしました。

「結婚詐欺から主人を守りたくて、金を奪って逃げてきたみてぇだな」

感心するように言うこんぺいさん。早々にこの犬が持つ『怨みの記憶』を覗いたらしい。サンはこの犬と話し込んでいるようなのでナイスタイミングでの登場である。

「こんぺいさん、助かります…でも結婚詐欺?」

「あぁ…んで金を奪い返したのはいいが、飼い主には褒めて貰えず逆に怖がられ、相手の男には刃物で刺されて、漸くここに辿り着いたみてぇだな」

そう言って首のバッグに顔を向けるこんぺい。話を聞くにおそらく被害に遭った女性は、自分が詐欺に遭っている事も分かっていないのだろう。

「そりゃそうだろうな…女からしてみりゃあ、惚れた相手に噛み付くバカ犬だ」

「ちょっとこんぺいさん!非道いですよ!そんな言い方…」

犬に人の言葉は話せなくても、これだけ利口な犬ならば内容ぐらい理解できるかもしれない。そう思いこんぺいさんを注意したが、それでもこんぺいさんは話を続けました。

「勿論、本当はそうじゃねぇ。でも騙されている女にとってみりゃあそんな事ぁ関係無ぇのさ」

そう言われてはっとした。確かにそう――なのかもしれない。いくら愛犬が主人を思い止まらせようとしても、受け入れる気が無ければ気付かないだろう。ましてや、襲われたのが愛する男ならば…

「男の事を信じたい。()()()()()()()()。けどこいつがそれを邪魔した。飼い主の気持ちはそんな所だろうよ。どっちにしろ」

そう言うと悲しそうな視線を犬に向け、こんぺいさんは

「――真実はいつだって冷酷なもんだ」

そう言うとくるりと輪を描いて宙を泳ぎ、

「祟りの依頼で確定だ。ちなみに『夕鈴見の粉』は食わせなくていいぜ。動物ってのぁ元来そういう力を持っているからな。俺ぁ姐さんを呼んでくる。もう着替えも出来た頃合いだろ」

そう言って、さっさと二階へと泳いで行ってしまった。


 心なしかほんの少し気落ちしているように見える犬。新しいタオルで身体を包んであげても、そのタオルにみるみる血が滲み出してくる。

「…頑張ったね。もう少しだからね?」

首元を撫でると気持ち良さそうに目を瞑るレトリバー。

 本当は飼い主にこうして欲しくて頑張ったのだろう。けれどそれも叶わず、死を迎えようとしている。こうして目を閉じたまま倒れてしまうのではないかと不安に感じたその時でした。


 鈴の鳴るような可憐な声が聞こえてきました。


「お待たせ致しました、若葉さん」

薄紫色の狩衣に身を包み、腰までかかる髪を靡かせながら現れたのは、天女もかくやと言わんばかりの美貌の女性――私の師匠でもある葛葉流陰陽道の頭首、美しき最強最悪の陰陽師、葛葉紫苑さんその人です。

 紫苑さんは私に軽く会釈をし、その後血に濡れた犬の方へとその瞳を向けました。犬も雰囲気に気がついたのか、紫苑さんから目を離さない。

「忠義を振り払い、容易く愛を誓う男に付いてゆく愚かな主人――それでも守りたいと願いますか…」

レトリバーの前にすぅっと歩み寄る紫苑さん。私が数歩下がると、犬の前に膝を下ろし、数回犬を撫でるとその目を見ながら話し出しました。

「死を目前にしても忠義を果たそうとするその心…お見事です。貴方には行く末を――祟りを選ばせてあげましょう」

ですが、その後紫苑さんが話した内容に私は言葉を失いました。

「最早朽ちて捨てるだけとなった貴方の血と肉を贄とするのです。さすれば『祟り』はより強力なものとなるでしょう」

それを聞いた犬の眼が一瞬大きく見開きました。しかし紫苑さんは、さぁ選びなさい、と言葉を続けていました。

「大切な人を守護する神となるか、怨敵を地獄の底の更に底まで叩き落す祟りとなるか。選ぶのは貴方です」

そこまで言うと紫苑さんはレトリバーに頬を寄せ――

 笑っていました。


 拭いてあげた身体も、流れ出す血で再び濡れています。

 それでもこの子は、全てを理解したかのように紫苑さんをじっと見つめていました。動物達には、私達人間とは異なる意志疎通があるのでしょう。サンが「僕が通訳します」と訳してくれました。

「…紗亜弥の所へは戻れない。もし護ってもあの男の得に繋がる事になるのは許せない。僕はもう悪い犬だと思われてしまったけど、紗亜弥がもう一度笑ってくれるなら、僕は――」

そこまで言って、サンは少しだけ言葉に詰まると犬の方をチラリと見て、

「悪い犬のままでいい――カラダも全部あげます…だそうです」

と、少しだけ辛そうに言いました。

 分かっていた。どうせ死ぬというのなら、血肉を捧げろと言われても拒まないだろうという事は。飼い主の事が大好きなのであろう、この子の事を考えれば――贄を捧げる事を選ぶであろう事は。


 そして、それを知りながら紫苑さんは、贄を差し出すようにと囁いたことも分かっていた。


「では参りましょう。『鬼哭の辻』へ」




 永遠に終わらない夕焼け空の続く異世界『夕闇の境』。ここが私達、葛葉の陰陽師が『祟り』を成す時に使う場所『隠れ里』だ。


 身体の各所に刺し傷を負い、既に瀕死の体である『祟り』の依頼者、ゴールデンレトリバーは、子馬ほどに身体を大きく変化させたサンの背に運ばれての道行きです。

 沈む直前の真っ赤な夕焼け空。反対側は夜を迎えようとする紺色の空。そして左右に立ち並ぶ、黒い板塀がどこまでも続く路地。

 そんな薄気味悪い町並みを歩き続けると、周りはいつしか荒れ野といった体に変わっている。

 そして、名も知らぬ背の高い草に埋もれる、首の欠けた地蔵を通り過ぎるとやがて現れる、枯れてうねる松の立っている十字路が、私達葛葉の陰陽師が『祟り』を起こす為に使っている『鬼哭の辻』なのです。


「では――仕度を始めましょう」

紫苑さんの言葉に相志さんとこんぺいが頷いた。相志さんが辻の中央へ輪を描くように蝋燭を並べてゆく。

「『画図百鬼夜行 前篇 陰』を」

蝋燭を並べ終わる頃を見計らい、紫苑さんが相志さんへと声をかけた。

それに無言で頷き、蝋燭で作った円の中央へ『画図百鬼夜行 前篇 陰』を置く相志さん。

 こんぺいさんがふよふよと近付き、その口から細い炎を吐いて蝋燭に火を灯す。


「若葉さん、依頼者を円の前へ降ろしてください」

「はっ、はい!」

紫苑さんの言葉にサンが動き、背中に乗せたゴールデンレトリバーを優しく地面に降ろす。体中から出血しているレトリバーは、既に頭をあげる事も難しい程に弱りきっており、死はすぐそこという様子でした。何か言葉をかけてあげたかったけれどはたして何と言ってよいものか分からず、結局優しく頭を撫でるに留め、私は円の前から離れました。


「骨鈴を」

紫苑さんが伸ばした左腕に相志さんが、白く小さい骨が何個もぶら下がっている『辻神』を呼ぶ道具、骨鈴を恭しく手渡しました。

 一歩、蝋燭の輪に近付いて左手の骨鈴を軽く振る。カラカラと寂しげな音が周囲に響く中、右足の草履をたんたんと踏み鳴らす。右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ紫苑さん。


「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」

唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす紫苑さん。

右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。


「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」

その声を待っていたかのように、四辻の草むらから草履を履いた黒い足首だけの存在が現れる。足首達はざりざりと足音を立て、地面に立てられた蝋燭の前にそれぞれ足を揃えて並んでゆく。右足と左足の並びがそれぞれ反対――この世の者ならざる不吉なモノの標。凶事の塊、辻神である。


「若葉さん」

ふと紫苑さんが私の名を呼んだ。

「生贄を捧げる場合は呪文が僅かに変わります。若葉さんの使う『歳神』で贄を捧げるような祟りは殆ど無いと思いますが、覚えておいて損は無いでしょう」

「は、はい…」


 そして紫苑さんが呪文を唱える。


 逢魔が時より出るモノ

 誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ

 贄を食み闇に舞え 月を飲み牙を立て現れよ

 怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ


 風も無いのに、円の中に置いた『画図百鬼夜行 前篇 陰』の頁がパラパラとめくれ、やがて止まった。

 そこには狩衣に烏帽子姿という、平安貴族を思わせる衣装を身に付けた、犬の首を持つ何かが座している。

 そしてその傍らには、一見稚児のようにも見えるがどこか歪な顔をした童子が居り、寝転びながらも鼻を膨らませながら書き物をしている。

 犬の顔は怒りに歯を剥き出し、対して童子の顔は悪戯を待ちかねている様にもみえる。主人である犬神の主命を聞き漏らすまいとしながらも、これから自らが起こす悪戯が待ち遠しくて堪らない、と言った様子で。


 そんな絵が、描かれている。


 紫苑さんは狩衣の胸元に右手を差し込んだ。抜き出された指の間には依頼人の血を受けた形代があった

 「怪威招来――犬神!」


 その言葉と共に、紫苑は円の中に形代を飛ばし入れた。すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れてゆく。途端、黒い辻神達は水に溶けるように形を失い、蝋燭で囲まれた円の中は漆黒の水面を湛える沼の様になった。そう思ったとき――


 ぱかり、と漆黒の水面が開いた。


 黒い水面が二つにぱかりと開き、盛り上がり――真っ黒な唇となっていた。その唇が盛り上がり、ぞぞぞ、と音を立て始める。

 その時――『祟り』の依頼者であり、生贄となる事を選択した犬が、この世の物とは思えない程に、尋常じゃない叫び声をあげていた。

 漆黒の唇に吸われて――いや、啜られている。

 犬の描かれた布を縦に引き伸ばしたように、目の前で死を迎えようとしていた犬の体が伸び、細胞一つ一つが引き千切られて――ずるずると漆黒の唇の中に啜られている。

 表現するのも躊躇われる様な啜る音と犬の悲鳴に、私は思わず耳を塞ぎ目を堅く閉じてしゃがみ込んでいました。

 やがて犬の悲鳴が途絶え――


「若葉さん、終わりましたよ」

相志さんが肩をそっと叩いて教えてくれました。恐る恐る目を開く。

 あの優しい犬が伏せていた場所には、あの犬が付けていた首輪がポツンと落ちており、その上には淡く光を放つひとだまが浮かんでいた――あの犬の魂だ。

 その向こう――召来円の方へ目を向けると、


 ゴールデンレトリバーが一匹。そこに座っていた。

 身体や毛並みに血の付着は見当たらない。顔立ちもあの犬と変わらないけれど――大きい。

 猛獣を思わせるほどの巨躯を持つ犬が其処に居た。

 怒りに燃える赤い瞳から鬼炎をあげる犬が其処に居た。

 身体全体から黒い煙の様に瘴気をあげる犬が其処に居た。


 姿形は普通と変わりないのだけれど、その巨体と身に纏う黒い気配、赤く光る眼はまるで災厄そのものの様にみえました。

 凄いな…と思いその姿を眺めていると、私の横で相志さんが解説を始めてくれました。

「獲物を決して逃さずに狩り立て、主人の為に忠義を尽くすのが『犬神』の祟りです」

「…その忠義というのは…裏切られたと思っても消えないものなんですか?」

私がそう尋ねると、相志さんは優しい笑みを浮かべ、

「裏切られたとは思わないのですよ。信じているのです。何処までもひたすらに――大好きだから」

と、そう言いました。


「魂は使わなかったんですね」

私の問いかけに紫苑さんは『犬神』を見つめながらえぇ、と言い、

「血肉だけで十分強力な祟りです」

と続けた後、

「それに――輪廻に戻れば再び主人の下で暮らせるかもしれませんし」

と小さく微笑んだ。


 『犬神』の祟りはその鼻を何度かヒクつかせると道の向こうへと向き直り、大きな声で遠吠えを上げると、黒い嵐の如き速さで走り去った。

 その様子を見て満足したのか、犬の魂であるひとだまが、夕闇の空へと登っていきます。

 空を見上げてその様子を見送りながら、紫苑さんが呟きました。


「祟り――ここに成されたり」


 そして空へと登っていった魂は――いつの間にか見えなくなっていました。

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