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6-2 しょうけら(前)

 体調不良という事でそのまま早退し、その足で件の店へと向かった。ケーキが美味しいと評判を聞いて足を運び、男性店員のあまりのイケメンぶりに陶然としたあの店だ。まさか再来店がこんな理由になろうとは。


 店舗前の小さな駐車場に車を停める。

 若者向けに寄せた華やかな感じではなく、だが決して敷居を高く見せない落ち着いた雰囲気を感じさせる外見。入口の引き戸の両横にはプランターが置かれ、紫苑の花が季節を問わず咲いている。今まで気にも留めなかったが、その理由を知った今ではその不思議に驚く。

 少しだけ屈んで花壇に咲く紫色の花達に目を向けると、ぽつぽつと花弁が切り取られている痕があるのを発見し、背筋が粟立った。

 ――間違いない、本物だ。

 先客に倣い、適当な一本を選んでぷつんと摘み取る。それを掌で包み込むように持ち、私は『タタリアン』の扉を開いた。


 店の中には私と可愛らしい女性店員さんの2名だけしかおらず、美形と評判の高い男性店員の姿は見えなかった。

「いらっしゃいませ」

私を見た店員さんが一瞬だけ驚いた様子を見せた。顔に出ていたのだろうか。

 それも仕方のない事だとは思う。なんせ私はこれから自分の職場のトップを呪おうとしているのだから。

 この年齢になって“祟り”など馬鹿げている――あの時までの私ならそう言って笑っただろう。

 しかしあの七色の蝶々。ささくれ立った胸に染みる声。幻視としか表現できそうに無い映像。そして紫苑の花を手折った先客の存在。

 祟りは存在するのだ。

 そして私はこれからそれを行おうとしている。私の意思で他人に死を告げようとしている――戻っても進んでも笑えないのだけは確実だ。

 ならば。今の私はどんな顔をしているのだろう。もし引き返したのなら、この肩に負うと誓った無念の怨みはどうなってしまうのだろう。

 

考えても仕方がない事を思考から引き剝がし、席に座る。

 持ってきた紫苑の花をテーブルの正面に置こうとしたところで店員さんが静かにやって来た。

「いらっしゃいませ。ご注文をお伺い致します」

声に驚き、ビクリと声の方へ注意が向く。その所為で花を置いた手を下げるタイミングを逸してしまった。伏せたまま揃えてテーブルに置かれた両掌。その指先には手折られた紫苑の花。

 手際は悪かったかもしれないけど、これでOKじゃないの?この先があるの?注文って何?

 視て知っているのはここまでだ。ここからどうすれば良いのかは知らない。

「あ、あの…」

言葉にも詰まりオロオロしていると店員さんが言った。

「承りました。それでは何かご注文されてお待ち頂けますか?この店は一応カフェですので」

 ……そうよね。カフェだもの。注文しないとだよね。

唾を飲み込もうとして、口の中がカラカラな事に気が付いた。しかしこの店はケーキの他に紅茶も美味しいと聞いているがあれこれと選んでいる心の余裕は無い。

「あっ、で、ではオススメのセットで…」

とりあえず一番上にあるオススメケーキと紅茶のセットを頼む。

「畏まりました」

店員さんは静かに頭を下げると店の奥へ引っ込んでいった。


 会話が止んで、一人になった――そう感じた所でようやく店内に流れているオルゴールの優しい音楽が漸く耳に入ってきた。

承った、と言った。確かに言った。本当に。本当にあるのだ。この先に祟りが在るのだ。

 柔らかい音楽に包まれながら、波紋の様に仄暗い興奮が全身に広がってゆく。

 するとさほど時間もかからずに、2種類の素敵な香りが運ばれてきた。

「お待たせ致しました。こちら本日のオススメ、洋梨とアーモンドクリームを焼き上げたタルト、タルトポワールと紅茶のセットでございます」

さて何が起きるのか。運ばれてきた紅茶とタルトを口に運んでいると、目の奥に僅かなピリリとした感覚が走った。思わず目を閉じ――疲れでも出たのかと思って目を開けると、テーブルの上が変に見えた。

 変と言うか――何かが見えだしているとでもいうべきか。

 よくテレビである『だんだん画像が変化して何かが現れます』的なものが目の前で。肉眼で起きているのだ。次第にテーブルの上へ明瞭と姿を現し始めたそれは、やがてフサフサとした尻尾を持ち、シャープな輪郭を持った――小さな狐の姿を現した。


「初めまして。七色の蝶に導かれた方ですね」

「えっ?!喋った?!」

幼い男の子みたいな声で。しかも日本語で。思わず声をあげてしまい、ハッとして店内を見廻すが、店員の女の子は見当たらなかった。きっと奥の厨房に居るのだろう。

「貴女がご覧になったのは、激しい怨み、強い怒りや悲しみを抱え、その者の死を強く願う方の前に現れる審判の蝶――ボクはその蝶に導かれ、ここへ辿り着いた方の案内役です」

幼い声に似合わぬ大人びた口調で説明を続ける子狐。

「法では裁けない、強く死を願う相手がいらっしゃいますね?」

私は無言で頷いた。すると子狐も穏やかに頷いた。

「畏まりました。これから貴女を我らがあるじの元へご案内致します。っと、その前に…」

まだ何かあるのか。思わず身を硬くすると、

「この店のケーキと紅茶はいかがでしたか?」

まさか味の感想を求められるとは思わなかった。

「へっ?えっ…あ、美味しかったです。本当に」

素直にそう答えると、

「ありがとうございますっ」

子狐は本当に嬉しそうに笑っていた。

「それではお会計の後、そのまま店を出て下さい。“店の外”で案内の者がお待ちしております」

「君じゃあないんだね」

ほんの少しだけ残念に思いながら席を立つ。

「僕の先輩がご案内致しますので」

この子の先輩――大人の狐だろうか。

「あと何か必要な事は在る?」

その問いに子狐は首を横に振った。

「怨みだけで十分です」

怨みだけ、か。それなら――

「それなら大丈夫よ。何十人分も背負っているから」

「そのようですね」

店の外では一体何が待っているのだろうか。ほんの少しの不安と暗い興奮の中、私は店の外に出て――そんな思いは些末な事であると痛感させられた。


 空が違う。『タタリアン』に来たのはお昼過ぎだった。けれどこの空は朱と藍色に染め上げられている。

 建物が違う。駐車場も無ければ私の車も見当たらない。足元は踏み固められた土の道。それを黒い板塀が覆っている。道は私の前に真っ直ぐ続いており、振り返ると背後には板塀があるのみ。

 きっと()()()()()()()()()()

 ドアを開けたら異世界。空想の世界ではよくあるネタだ。けれどこれは現実に、私を中心に起きている。

 前に進むしか道が無い。靴の裏から伝わる、アスファルトとは違う柔らかい感触にほんの少し懐かしさを感じながら歩いていると、道の先で揺れる灯りが目に入った。

 闇を払う人工的な灯りではない。どことなく柔らかで――きっと火だ。

 けれど燃え上がって爆ぜて揺れる様子も無い。篝火とも松明とも違う気がする。

 そして大分近付いてから、それは火の玉が浮いているのだと気が付いた。

 これって人魂…?だよね。支柱も吊ってる糸も見えないし。けど道の真ん中で?

 流石に人魂程度じゃあ驚かなくなってきた。


「ようこそ、昼と夜が交わる黄昏の世界へ」


 その時、声が聞こえた。渋い男性の声だ。しかし辺りを見回すが目に入るのは黒い板塀と道ばかりだ。

 もしかして――

 おもむろに空を見上げると。

 夕焼け雲を背負って紅の龍が私を見下ろしていた。しかも一つ目の龍だ。

「うっそ…もしかしてあの子の先輩って、龍なの?――きゃっ」

見上げた勢いと驚きでそのまま後ろへ尻餅を突きそうになったが、紅の龍がその尾をしゅっと振って私の腰を支えてくれた。

「おっと…驚かせるつもりは無かったんだが。済まなかった」

「い、いいえ…」

「俺がこちら側の案内役を仰せ付かっている。宜しく頼む」

「あ、はい…」

アニメで見たような巨大さではないが、それでも全長25メートル、胴回りは60センチ程はあるだろう。若い龍なのかなと勝手な想像を膨らませていると、空からスルリと降りてきて私の腰の高さへと並んできた。

「さぁ、乗りな。目的地まで送り届けてやる」

案内されるだけかと思ったけれど、見た目に反して優しい龍のようだ。

 丸太の様な胴体に腰を下ろす。そこでようやく気付いたのだけれど、龍ってウロコじゃなくフサフサの毛が生えているのか。これならお尻も痛くなさそうだし座り心地も柔らかい。

 思わぬモフモフに喜んでいると、龍が声を掛けてきた。

「お客を乗せて高くは飛ばないんだ。曲がる所も多いから…ま、跨ってくれるか?」

跨るの?まぁいいけど。座り直すために一度龍の背から降りると再び龍が声を掛けてきた。

「俺も気を付けるが万が一って事もある。落ちないようにあ、脚でぎゅっと締め付けるように乗ってくれ」

「あ…はいっ」

背中に乗せ慣れていないのだろうか。少し説明が丁寧過ぎるな。と思いながらも言われた通りに跨り、太腿をきゅっと閉じた。

「おぅっふ」

「えっ?あ、あの大丈夫ですか?」

龍の口から吐きだすような声が出た。強く締め過ぎただろうかと不安になって思わず声を掛けた。

「いや大丈夫だ。ただあの、そのままで頼むぜ」

何か慌てている。恰好付けている割に慣れていない感が漏れ出ている気がして――可愛いく思えてきた。

「はい。ではお願いしますね」

「あぁ。この世界では“道順”ってのが決まっていてな。曲がり角ひとつ間違うと目的地には付けないんだ。じゃあ――いくぜ」

 赤い龍はふわりと浮き上がり、だが決して塀を超えて高く飛び上がることをせず、程良く心地良い速度で滑るように進み始めた。

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