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6-1 しょうけら

 病気だもの。誰かを怨めるものじゃないからね。


 貴女は本音が喉につかえて苦しむような顔で笑って。

 夫の亡骸が積まれた葬儀屋の車に乗り込んでいった。


 違うんです。

 怨んでいいんです。

 怨む相手は居るんです。

 私はそれを知っているのです。

 知りつつ黙って見送っているのです。


 遺体を積んだ車が病院の敷地を出るまで頭を下げて見送る。

 目を閉じた闇の中を声に出せない贖罪が暴れ回る。目玉の内側を引搔いては涙に紛れて外へ出ようと足掻いている。

 表へ出してしまえば楽になれるというのなら良いのだけれど。表へ出してしまえばより辛い制裁が与えられるのは目に見えている。


 だから言えない。だから逆らえない。だから――

 怨むしか出来ない。


 同僚に「戻ろう」と背中を叩かれ、このまま息の根を止めてしまいたい気持ちを抑えて頭を上げると滲む視界の中を明瞭と――虹色の蝶が飛んでいた。


――――――――


9月14日


「介護北病棟から熱発で1階西に転棟した患者、救急搬送された先でコロナ陽性出たってよ」

更衣室のロッカールームで隣に居た別病棟の看護師、野崎さんが話しかけてきた。

「マジで!?…でもそれってヤバくない?介護北って確か今熱発――」

「うん。ゴロゴロ出てるって聞いてる」

コロナ陽性。そのフレーズに反応した他の病棟の看護師たちも、着替えの手を停めて私達の会話に混ざってきた。

「北でしょ?今職員2人休んでるって言ってなかったっけ?」

「そそ、その人達がコロナ陽性だったって」

「でも一人出勤してたんでしょ?」

「うん。婆の介護さんなんだけどね。『何にも症状無いし大丈夫よ』って」

「いや熱出てんじゃん」

「だからそう言って帰したんだって」

「年寄りとかって大概そうだよね。『ワクチン2回打ったから大丈夫』って」

「大丈夫じゃねぇよお前が良くてもこっちにゃ子供が居んだけどってのよ」

「つーかさ、なんでこの状況下で転棟させたの?院長バカじゃないの?」

「危機感無いんじゃない?医者なのに」


――この病院にある介護北と介護南の2病棟は病院の中にありながら医療病棟ではない。所謂“介護療養病棟”という介護の施設という扱いなので医療行為ができない。


 なので()()()()()()治療の為に医療病棟へ転棟させるのが()()()()()()()()なのだがこのご時世に、しかもコロナ陽性の職員が出勤していた事実を無視したこの転棟は、職員の間で問題視されていた。

「ロクに診察してないからでしょ」

「しかもその患者がコロナ陽性でしょ?ヤバくね?絶対広がるべ」

「でも病棟の移動って全部院長指示じゃん」

「…なんか隠蔽しそうだよね」

「田舎の成金って変なプライドあるからね」


 …お互い気を付けないとね。


 誰かの一言でその場は自然と解散になったが『この中の誰かが感染していたら』といういつもより身近に圧し掛かる不安を、私はいつもより多めの消毒液で消し去るしか出来なかった。


9月15日


 介護北病棟の全職員と全患者に対するPCR検査が行われた。

 また1階西病棟では、コロナ陽性と診断された患者と同室だった2名が熱発。

 SpO2(経皮的動脈血酸素飽和濃度。血液がどれだけ酸素を取り込めているかの目安になる)が低下し、どうすればよいかと院長へ指示を仰いでいるが、当の院長はブチギレて自分の部屋で備品に当たり散らし、正常な判断が不可能な状態だという。

 また介護北病棟の職員がビニールのガウンを着て院内を歩いている。病棟を出る時も外すなと言われた、との事。余計危険な気がするのだけれど。


9月17日


 介護北病棟職員のPCR検査の結果、職員6人が陽性、と院内で噂が広まっていた。

 医療従事者は優先的にワクチン接種を受けている。2回目の接種も終了しているのに感染している現実に、安心感は脆くも崩れ去る。

 そして介護北病棟でコロナ陽性と診断された入院患者は50人中32名に及んでいた。

 そのような状況下でも外来は満員御礼だ。だがこの状況でも平然と外来患者を受け入れているという事に驚きと不安を禁じ得ない。外来ロビーには送風機が設置されていたが、窓も締め切っている状況で空気を回して何がしたいのだろう。

 そしてこの日、保健所が病院に来るという噂を聞いたが、その噂と同じ速度で院長からの指示が口頭にて(点)広められた。

「介護北病棟から熱発患者を他の病棟へ転棟させていたことは保健所に口外しないように」

との事だった。

 当然の事ながら、熱発患者を受け入れていた病棟の看護師達が憤慨し「絶対チクる」と息巻いているらしい。

 だが保健所の職員は介護北病棟にしか立ち寄らなかった。保健所の職員達5人に対しては看護師長2人と総務の部長が対応し、他の病棟の熱発患者については隠匿しきったようである。


9月19日


 介護北病棟にて全職員のPCR検査が行われた。土曜日であったが、休みの職員も全員呼び出された様である。

 そして夕方のTVのニュースで、医療機関で41名のクラスター発生と報道された。だが医療機関名は報道されていない。はいはいそれウチです(挙手)

 この医療機関では今後、関係者を含め220人の検査を予定している、と報道されたが本当なのだろうか不安になる。私の病棟はPCR検査を受けさせて貰えるのだろうかと。


9月21日


 事務所には『コロナが出たって聞いたけど説明を聞きたい』という電話が殺到しているという。

 4階病棟にも直通の電話番号で入院患者の家族から、

「コロナが出たって聞いたんですけど説明を聞きたい」

と電話がかかってきた。

 ――全部ブチ撒けていいですか?

 とりあえず師長に相談し、MSW(医療ソーシャルワーカー)預かりとなった。

 そしてまた介護北病棟でコロナ陽性の患者が急変。救急搬送されたが市民病院での受け入れを拒否されたらしく、4階病棟へ転棟させろと院長からの指示が出た。

 コロナ疑惑じゃなく確定の患者を受け入れるとの事で、急遽4階病棟にもN95医療用マスクが配備されるようになった。 分厚いマスクの裏には、皮膚に接触する部位を隙間なくカバー出来るようシリコンが貼られている特別なマスクだ。1日1枚使用で、()()に入る際は更にこの上へもう一枚マスクを付けるとの事。

 既に何人も“ただの熱発”患者を受け入れているこの病棟だけど、コロナ確定の患者を受け入れる事でようやくPCR検査を受けられるようになるかもしれない。


 自宅アパートへ帰ると、丁度上の階のおばあちゃんと鉢合わせした。夫が私の勤めている病院に長年入院しているという事を知ってからは、自然と互いに交流する機会も増えている。

「どっかの病院でコロナが出たんだってね」

軽い挨拶の後で何気なく言われた一言。けれどその言葉は現在の私の胸にはクリティカルヒットでした。そうみたいですね、と思わず言葉を濁してしまう。

「ウチのお父さんは大丈夫かねぇ」

「多分…大丈夫だと思うよ」

何一つ根拠のない一言。

 けれど言う訳にはいかない。言えない。

 ウチの病院でコロナが広がり始めています。などと言える訳が無い。

 コロナ拡大初期に医療従事者が受けてきた差別的なな扱いを考えると言える訳が無い。


9月22日


 今日は休みだったが午前中のうちに職場から電話が来た。何事だと思い応答すると病棟の師長からだった。

「4階病棟の全職員がPCR検査の対象になったから、今すぐ来てくれる?」

という思いがけない内容だった。

 ようやくまともに検査が受けられる――その事に安堵すると共に“もし自分が陽性だったら”という不安が沸き起こる。居ても立っても居られず急いで病院へ向かうと、職員駐車場には同じ4階病棟の職員が数名たむろして居た。皆一様に早く来すぎて時間を持て余していたらしい。せっかくなのでとその輪の中に入る。

 看護師も介護士も皆それぞれが「陽性だったらごめんね」と言い合っている。今はまだ、お互い様だからと皆で返して居られるが、もしこの中で陽性者が出てもその姿勢を貫けるかは分からない。

 時間になり病院へと向かう。そしてPCR検査が始まった。検体採取はウチの職員(何故か外部の系列施設の看護師達。この人達の危険性は考慮されていないようである)だったので一抹の不安を覚えたが、BML(民間の検査会社)ではなく保健所による公的な検査だとの事で隠蔽される事は無さそうだと安心する。

 長い綿棒を鼻の奥に突っ込まれグリグリされた。痛ぇ。

 結果は2日後に分かるらしい。日曜を挟んで月曜日には判明するという事か。


9月24日


 出勤すると、病院に対し4階病棟職員のPCR検査結果が伝えられた。

 全員陰性――その結果にそれぞれが安堵の溜息を漏らしていた。 

 しかし4階の職員に対しPCR検査が行われた日、4階病棟の入院患者全員にもPCR検査が行われていたらしく、その結果は、全30人中10名、3分の1が陽性との結果だった。

 予想していた通りだ。自分たちが陰性だったからと言って気は抜けない――そう考えていた所へナースステーションの扉が乱暴に叩き開けられた。

 そこには両サイドに残った頭髪を逆立てる様に乱した院長が立って居た。眉根をギリギリと寄せたその目は今にも火を噴きだしそうなほどの眼光を迸らせている。

「馬鹿っ正直に全員採ったのか」

大地震前の地響きのような低い、不吉な声色で誰とは無しにぼそりと呟いた。

 突然の非常事態に対応したのは病棟の師長だった。

「はい、保健所の指示だったので患者と職員全員に」

その返答が終わるのも待たず、院長は横にあった冷蔵庫を蹴り飛ばしていた。

「だからお前は馬鹿なんだよ!」

そして怒声を上げる院長。他の職員や入院患者への配慮も無い、感情の爆発だった。

「これでどれだけの損害が出るか考えた事無ぇだろお前!」


 この時現場にいた職員(わたしたち)は院長の言う『損害』の意味が理解出来なかった。

 院内へのコロナウイルス感染拡大、職員への感染拡大。それによる業務の停滞。陽性患者への対応もそれ以上の『損害』があるのだろうか。

 だが黙っている訳にもいかず、看護師長はただ「申し訳ありません」と言うしか出来なかった。

「保健所の言う事は聞く癖に院長である俺の言う事は聞かねぇのか。お前は保健所の回し者か!」


 ――えっ?

 PCR検査を受けたらいけなかったの?回し者ってどういう意味?

「申し訳ありません」

師長が頭を下げている。

「熱出たら有休で休ませてやってんだろ。これ以上勝手に検査とか受けるんじゃねぇぞ!」

 熱発や咳などの風邪症状がある場合は、その旨を病院に連絡し休みを取る。看護師として当然の義務なのだが、この病院が行っているコロナ対策として、風邪の症状が数日間続く場合は、2週間の出勤停止と健康観察が義務付けられている――のだが、この出勤停止の期間は個人の有休が充てられることになっている。当然、給与補填などといった医療業界へのコロナ支援策などは利用していない。

 ――つまりコロナに関わっていないと言い張りたいが為に有休を消費させられているのに、それを“休ませてやってる”だと?

「申し訳ありません」

「またこんなことしてみやがれ、二度とこの業界で働けないようにしてやるからな!」

――なんで。

「申し訳ありません」

「お前らは馬鹿なんだから黙って俺の言う事を聞いてりゃいいんだよ!」

――なんでこんな奴が。

「申し訳ありません」

「お前らがコロナに罹ったら給料下げてやるからな。覚えとけ!」

――わたしたちの命を握った気になっているんだろう。

「申し訳、ありません」


 そう答える事でしか嵐を乗り切れない。

 頭では理解をしているのだが感情が追い付かなかった。

 ガラスが割れそうな勢いで乱暴にドアを閉め、院長が病棟を去った後も、現場に居た看護師たちはしばらくその場を動けなかった。

 現場では自分や家族の命を危険の淵に晒しながらも、信じて治療を続けているというのに。まさか上の方はそんな事より外聞を気にしていただけだったとは。

「何、今の…」

「…我慢できなかったんでしょ」

嵐の過ぎ去った後に立って居た看護師たちがようやく動き出した。

「保健所の指導でPCR検査する事の何が不満なの?」

「これ以上コロナ患者を出したくないから検査したくないんでしょ」

「マトモに叱られないで育ったから保健所に命令されるのが死ぬほど癪に障るんでしょ」

「お前も鉄火場に立ってみやがれってぇの、このハゲ」

それぞれに愚痴を言いあいながらも手を、足を止め続ける訳にはいかない事が分かっている。

 不満を抱えながらも、それぞれの仕事に戻るしかなかった。


9月26日


 その日、熱発が続いている介護南病棟の入所者10名に対し、PCR検査をするように保健所から指導が入った。

 だが連絡を受けたのが午後遅くになってからであった為、採取した検体は院内で保管し翌日提出することになった。


9月27日


 介護南病棟の看護師長が院長からの電話で呼び出されていった。

 勝手にPCR検査をした、とブチ切れて4階病棟で冷蔵庫を蹴り飛ばした件については既に広まっていたので焦る職員達。  

 しばらくして後、どんよりとした様子で戻ってきた看護師長の震える手には、PCR検査キットが握られていた。

 握った検査キットをデスクに叩き付け、身を震わせながら抑揚の無い声で呟くように師長が言う。

「絶対陽性にならない患者から検体を取り直して、日曜に取った検体をスリ替えろ。ですって…」

その言葉にナースステーション内が凍り付いていた。

「絶対に出た事にするんじゃねぇぞ…って言ってた」

先日遅くに介護南病棟の患者10人に対するPCR検査が行われ、検体がまだ院内で保管されている事を知った院長が頭に血を登らせながら師長を呼び出し、そう命令したのだという。

「いくらなんでも非道くないですか?」

「申し訳ないけど、加担できません」

「だって、コロナじゃないって事にされたら、もし急変しても…」

「納得がいきません!」

到底受け入れられない指示へ不満を露わにする看護師達。

「だよね…でも、指示された以上やらないわけにはいかないよ」

そう言って、悲しそうに、悔しそうに検査キットを握りしめると、独りナースステーションを出て行った。

 独り黙々と防護具を着けている姿を見て、他の看護師達も思う所はあるものの、偽の検体の採取を手伝い始めたのだった。


9月29日


 そして今日も保健所が病院内各所を指導に来ている。

 介護南病棟にて『検体の差し替え』を行った件について「俺は指示していないからな。職員の方で勝手にやったことにしろ」と言っていた、と総務課の職員よりリークが入った。

 それを聞いた介護南病棟の看護師達は激怒していたという。

 しかし、そこまでして“新型コロナウイルス陽性患者”を出したくない理由が分からない。分かったとしても理解できるとは思えない。


 そして恐れていたことがとうとう起きてしまった。


 先日PCR検査をした――検体を差し替えられた患者さんのうち、ひとりの容態が急変し、4階病棟へと運ばれてきたのだ。

 そしてその患者は、私が個人的によく知っている、同じアパートの老婦人の夫だった。

 午後2時の時点で39、6℃の熱発。SpO2は80%。

 その前々からずっと熱発は続いていたのだ。看護師達は何度も転棟の指示を求め上申していたのだが、それを無視するかのように内服の解熱鎮痛薬の処方のみで今日まで経過。点滴すら出してもらえず、看護師達も悔しい思いをしていたという。

 問い質したい事が山ほどあるが、今は目の前で苦しんでいる人を救うのが最優先だ。

 大至急酸素5リットルが開始され、点滴の準備も始められたが見る間にSpO2は低下してゆき、1時間と立たずに呼吸は停止していた。


 別の看護師が妻に連絡している間に死後処置(エンゼルケア)が進められてゆく。

 喉、鼻、肛門といった身体の穴に綿を詰め込んでゆく。だがどうしても目が閉じない。

「お母さんの顔、見たいのかな」

「どのみち遺体袋に入れなきゃないから見れないと思うけどね」

通常の死後処置であればこの後に死化粧を施し、ストレッチャーに乗せて顔に白い布を掛けるだけで良いのだが、この状況下での熱発による呼吸困難での死亡――コロナ陽性の診断が出て居なくても疑いがあるのなら、ご遺体は専用の袋に入れ、外界と遮断された状態で送り出さねばならない。

「そう…だよね」

 濃緑の納体袋に入れられた遺体をストレッチャーに乗せ、すっかり暗くなった院内の廊下を外へと運ぶ。

「はい診断書」

別の看護師から物凄く不満そうに死亡診断書を手渡された。

「肺炎だって」

直ぐに『死因』の事だと気が付いた。

「コロナでなく?ただの肺炎?」

「コロナ疑陽性って『付言する事柄』って所には書いてあるけどね。疑陽性だよ?意地でもコロナにしたくないみたいよ、先生」

「…そんなにしてまで隠したい理由って何?」

「知らないし、聞いても納得できないと思うけどね」

そして、片付けしとくねと言って去っていった。


 搬出口では白いツナギタイプの防護具とマスク、ゴーグルを着用した葬儀屋の職員が棺を準備して待っていた。

 遺体は納体袋ごと棺桶に入れられた。コロナだろうし、診断書にも疑陽性と記入されているのだから当然なのだが。そこから更に蓋の隙間がガムテープで目張りされた上で、鮮やかな布が被せられる。

 葬儀屋の車の前では死亡した男性の奥さんが待っていた。

 奥さんはストレッチャーに乗せられた白い棺を見て、

「顔も見られないんですか」

と寂しそうに言った。

「コロナウイルスの疑いがありますのでこのような対応をさせて頂いております」

淀み無く葬儀屋の職員が答える。


 全員そのまま無言で、車の中に収納される棺を見守っていた。

 後部ドアが閉められ、葬儀屋の職員が軽く手を合わせる。

「それでは移動します」

それだけ言って白ずくめの防護具を着た葬儀屋の職員が車へと乗り込む。それを横目に見ながら、

「お世話になりました」

私達に頭を下げる奥さん。

 この時、見送りに出た看護師や職員達は何も言わずに頭を下げるのだけれど――

 だけど、その奥さんが頭を上げた時の、今にも泣き崩れそうな笑みを見て。

 その悲しそうな笑みを見てしまい。

「――ごめんなさい」

もう止まらなかった。何度も何度も謝った。堰を切ったように溢れ出て止まらなかった。下を向きながら何度も謝った。地面に涙をボタボタ落としながら謝り続けた。

 その背中に、小さいけれど温かい手が置かれた。

「ありがとね。貴女にはいっぱい良くして貰ったもんね。長い付き合いだもんね」

奥さんだった。言葉と涙の止まらない私の背中を優しく叩いてくれていた。

 やめてください。わたしはそんなことをしてもらえる立場じゃあ――


「病気だもの――誰かを怨める訳じゃないからね」


 ――やめて

 違うんです。

 怨んでいいんです。

 怨む相手は居るんです。


「いいのよ。しょうがないのよ。病気なんだもん」

もうどうしようも出来なかった。もう止められなかった。

「ありがとうね。ありがとうね。もういいから。ありがとうね」

泣いた子をあやす様に背中をトントンと叩いてくれる。


 もうよくなんてない。よくなんてないんです。

 実際に診察もせずデータだけを見ての転棟による院内クラスター。

 その事実を隠蔽するための検査拒否、検体すり替え。指示の放棄――見殺し。

 これ以上この病院から感染者が出ていない事にする為に。ただそれだけの為に。

 新型コロナウイルス陽性だ、と診断を受けてまともな病院へ転院出来てさえいれば、死ななかったかも知れない。

 そんな人達が毎日搬出口から梱包されて退院してゆく。

 けれど――

 きっとこの騒動が落ち着いたら、院長は何事も無かったかのように強権を振るい続けるのだろう。誰に咎められる事も。お叱りを受ける事も無く。所轄は厚生労働省なのか分からないけれど、お上もそれを許してしまうだろう。

 声を上げない、密告しない私達にも問題はある。

 それでも隠蔽したことで拡大する被害を更に隠蔽する。それが許せない。

 職員の――患者の命を何だと思っているのだ。

 それなのに私は。

 何も言わず見送るだけ。言えばきっと制裁を受けるから。だから私は。私には――

 怨むしか出来ない。

 胸の中で硫酸をひっくり返した様に胸から上が熱い。けれどその奥底は氷の様にズドンと冷えている。

 従業員はお前の駒じゃないんだ。入院患者はお前の家畜じゃないんだ。

 お前こそ感染して死ぬべきなんだ。それだけで何十、何百という職員、患者が危険に晒されずに済むのだから。

 喜びなさいよ。アンタの死は価値が高いみたいだからさ

 ――院長。


 葬儀屋の車が走り去り、漸く顔を上げた私は、相当酷い目つきをしていたのだろう。まるで酸欠状態に陥った時の様に視界がキラキラと輝いていた。

「大丈夫ですか?ボーっとしちゃってましたよ」

一緒に見送った事務の女の子が心配そうに声を掛けてくれた。

「うん。少し新鮮な空気吸って戻るから。気にしないで先に戻ってて」

「じゃ、お疲れ様です」

私へ軽く会釈をして、普通に去って行く事務員さん。


 つまり私は幻覚が見えているという事なのだろうか。

 顔を上げた時から私の周りを蝶が飛んでいるのだ。

 玉虫色、というのだろうか。光の当たり具合で色を変えながら、光の粒を振り撒きながら私の周りを飛んでいる。酸欠でキラキラして見えると思ったのはこの蝶が飛んでいたせいだったのだ。

 見えないものが見えるというのは恐ろしい事だと思っていたのだけれど、こんな美しい幻覚ならばむしろ見続けても良いくらいだ。

 ならばこの声も幻聴なのだろうか。


 怨む相手が居るのなら

 殺したい程に

 死んでしまいたい程に


 赦せぬ相手が居るのなら


 しるし一つだけ持ち来たれ


 汝が怨みは祟りへと変じ

 祟りは相手を滅ぼすだろう


 怨みひとつだけ持ち来たれ


 声が運んできたかのように、ある映像が飛び込んできた。

 いつもの視界とは違うもう一つの視点で見ているような。まるで脳の中に映写されているような不思議な感覚だった。

 そして何故か直感した。これは幻覚なんかじゃあない。

 だって。

 このお店って前に――

 そうだ。脇にテーブル席があって――

 そこに。これは――

 花。紫の花。それがしるしなのね。


 私が――みんなの怨みを届ければいいのね。

取材に時間が掛かってしまいました。


 多少の誇張も無く、全て現実に病院内で行われていた事です。


 上手く出来ているものですよね。検査さえしなければコロナではないし、例えそれで患者が死んだとしても“コロナによる死亡者数”は変わり様が無いのですから。


 本当に皆様ご注意くださいね。


 納体袋に包まれて退院する人が1日に何人出ても、『今日のコロナ感染者数』はおろか『コロナによる死亡者数』が増える事は無いのですから。


 落ち着いたように見えても、見えない所で戦っている人たちは居るのですから。 


 ちなみに小説内で描かれている葬儀屋の処理方法も実際に行われている“コロナ患者の遺体処理方法”です。

 本来、葬儀屋さんではコロナ患者のご遺体でも安全に取り扱う事が可能となっており、やり方しだいによって、故、志村けん氏の様に『顔もみられないまま骨になって帰ってきた』というような事も無く(ビニール越しではありますが)個人の顔を拝見することも可能になっているようです。(この辺りは業界の研鑽に感謝です)


 なのでそれを理由に仕事を拒否しないように。と業界にお触れが出ているようなのですが、町村の小さな葬儀屋だと『コロナを扱った』というだけで今後の営業が続けられなくなってしまう、という死活問題になってしまうらしく、扱いを断られたりすることもあったようです。

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