4-4 縊れ鬼
「怖かったんだからねすっごい怖かったんだからねっ!」
閉店間際の『タタリアン』で情けない声を上げながら3個目のケーキ『キャラメル・サレ』にフォークを突き刺しているお露さんです。今日は苺系の売れ残りが無かったんです。
「もおぉぉ今回ばかりは本気で異動願い出そうかと思ったわ」
今にもテーブルに突っ伏しそうな姿勢でもケーキを口へと運ぶ手を止めないお露さん。
「今回はしょうがないですよ。『お前の仕事の不幸を呪うがいい』って奴です」
「なんかどっかの名ゼリフっぽいけど、ホントそれな」
国会議員である菅田義偉。その秘書数人と家族全員が相次いで縊死するという今回の事件。その担当になったのが誰であろうこのお露さんこと小鳥遊露草刑事だったのです。
「だからボクが頑張ったんでぷー」
そんな弱音吐きまくりのお露さんの頭の上でエッヘンと胸を張る、コツメカワウソの姿をしたお露さんの式神、天色君。
「頑張ったって言うけどさー、お前後ろから頭をグリっとやって『見ちゃダメでぷー!』ってやってたダケじゃん」
「ぷっぷっぷー!」
お露さんの感想が不満なのだろう。頭の上で尻尾をビッタンビッタンさせながら抗議しています。
「でもそれで良かったと思いますよ?召来の時も相志さんだって背を向ける程に凶悪な祟りだったんですから。お露さんも天色くんが居たから“顔を背ける程度”で済んだんだと思います…なんせ通常の工程に加え瘴気も吸収し尽くして作られた、桁違いの祟りですから」
お露さんにその辺りの事情を説明し、天色の援護に回る。
「なにその瘴気って…いやいい。言わなくていいや――そっか。ありがとね天色」
天色の顎の下を指でカリカリと掻いてあげるお露さん。天色も気持ち良さそうに目を細めています。なんか猫みたい。
「でも祟りのあの人もすっごい気を遣ってくれてたんでぷー。ワザワザ『ご迷惑をおかけしております』なんて断り入れてくれるなんて、きっとすっごいデキた社会人だったんでぷ」
顎の下をカリカリされながら天色くんがうにゃうにゃと語ります。
「その丁寧さが逆にすっごい怖かったんだってーのっ!死ぬかと思ったわ!2回目に会った時なんていきなりフッと背後を取られたかと思ったら『失礼致します。誠に恐縮で御座いますが一時その体、貸して頂きます』って…んでアタシの知らない話を語りだすしさぁ…ホント生きた心地しなかったわ」
「あぁ…それはちょっと同情します」
「ちょっとなの?」
「逆に考えるんです。体ぐらい貸してやるさ、とね」
「何処の英国紳士のセリフよ、若葉ちゃん」
そこまで言って二人で顔を見合わせて笑いあう。
「でも正直ね、その後しばらくの間、寒気が取れなかったの」
思い出してもまだガクブルするわ、と自分で肩を抱いて体を震わせていますが、その間もフォークを口から離さないのがお露さんらしいです。しかもガクブルとか微妙に古い。
「強力な祟りでしたからね…で、結局警察の扱いはどうなったんですか?」
「菅田の方は家族を巻き込んだ無理心中、事務員の方は痴情の縺れって事で処理されるわ。特殊案件として処理されるには死に方が普通だったからね」
と言った後、それに、と付け加えてきた。
「一応、同じ政党の議員さんや閣僚達にも話を聞いたんだけれど『彼は政治家としての才はあったが、人として上に立ってはいけない男だった』って言われてたし…好都合だったんじゃない?」
実際、菅田はカネを党内有力者達へとバラ蒔いており、そのおかげで高ポストを買い取ったと噂されていた様で、政治家の中には菅田の不審死に怯える人も多いようだった。
それからお露さんと二人で何気ない会話を楽しんでいると、遅い時間にも関わらず店のドアベルが来客を告げました。
「失礼致します。頭首様より葛葉への言伝をお届けに参りました」
声がした方へ目を向けると、男性とも女性とも取れない中世的な顔つきをした、薄っぺらい印象を受ける、違和感を感じる人がそこに立って居ました。
よーく見てみると実体が存在していません。
「あ…物部さんの式ですね?」
私がそう声を掛けると無言で頷きます。使い捨ての簡易的な式神のようでした。
その式神は私に向けて厚い和紙に包まれた――よく時代劇で“上”とか“下”と書いてあるような封書を両手で差し出しました。
過分に勿体ぶっているけれど多分、手紙なんだろうな。
いつもと違う空気を読んだのか、厨房から相志さんが店先へと出てきました。
「えっと、これ私が受け取っても…大丈夫なんですか?」
対応に困って相志さんへ声を掛けると、
「問題ありませんよ」
と笑顔で答えてくれました――きっと声を掛けても紫苑さんは起きて来ないだろうというのは容易に想像できますけれど。
「では飯綱様、この札に触れて『葛葉が開封する』と唱えて下さい」
式神が厚手の和紙を開くと、中にはとても達筆に書かれたお札…らしきものが一枚。私はその札に指先で触れ『葛葉が開封する』と唱えました。
すると――
「――うん、大丈夫のようだね」
札の辺りから物部さんの声が聞こえてきました。電話みたい。
「あれ、かっちゃんの声だ」
ふと零したお露さんのセリフに相志さんとこんぺいさんが目を真ん丸にしています。
「か、かっちゃん…?」
相志さん驚きの表情。こいつぁレアですね。
「えっ…お露さん?!」
呪符電話の向こうで物部さんが慌てていますね。
「勝比呼さんだからかっちゃん。呼び難いしね」
しかし対照的にケロリとしているお露さん。物部さん、振り回されてそうだなぁ…
「おつ…露草さんも居たのなら都合が良いネ。ついでに相志も呼んで貰えると助かる」
こちらの空気を察したのだろう。物部さんの口調にいつもの余裕が感じられない。しかもお露さんから露草さんって言い直してる。
「もういらしてます。ついでに言えば“かっちゃん”にどよめいています」
「………」
物部さんが無言です。きっと海老反りで頭を抱えているのでしょう。総裁の面目丸潰れなのでしょう。
「お気になさらずに――かっちゃん」
相志さんが援護するように見せて物部さんの脇腹を刺しています。イケメンな笑みが邪です。
「もう本題に入りたい…」
散々な様子の物部さんです。一方のお露さんといえば何も気にする様子なく5つ目のケーキ、白桃タルトにフォークを突き刺して満面の笑顔でした。
「で、何かあったんですか?」
そろそろ話を進めてあげなければ可哀想である。
「…ウチの陰陽師が第三勢力からの攻撃を受けた」
物部さんもスイッチを切り替えて真面目な口調です。
「第三帝国?」
「いやライヒのほうじゃなくて。謎の勢力って事サ」
「四方院に喧嘩を売る組織がある事自体が驚きです」
私がそう応じると、
「やり方が『長髄彦』とは異なるし気配も違う。全く未確認の系統だ。それにより物部の陰陽師が3人殺された」
…そんなに重い話だったのに遊び過ぎて申し訳御座いません。
「方法は?」
真面目な顔でおふざけを一切排除した極上イケメン相志さんが聞きました。
「獣に引き裂かれ噛み砕かれた。そんな感じだネ」
それを聞いたお露さんがケーキを目の前にしてフォークを置きました。
「獣にって、まさか――」
「そう。君が前に話してくれたロシアンマフィアが惨殺された手口と同じだろう。現場では不浄の存在も確認されているヨ」
ロシアンマフィアの次は物部の陰陽師?何が狙いなのだろう。
「紫苑ちゃんに『手出しは無用』って言われたけど、僕も一門の人間を殺されて黙ってはいられなくなった。場合によっては秘伝の式神を動かす事もあり得る――まずは一言入れておかないと、紫苑ちゃんに恨まれたくないからネ」
あくまで軽い口調だけれども、その声色には強い意志が感じられます。そして物部さんはそのまま優しい口調になり、
「お露さん、もし身の危険を感じたらすぐに逃げてくれ。タタリアンに駆け込むのが一番だけど、難しかったら手近な神社でもいい。俺の名前を出せば便宜を図ってくれる筈だ」
と言いました。本当に心配している様子が感じ取れます。そして、
「ウチの陰陽師より天色の方が余程役に立ちそうだけどネ」
とおちゃらけました。
「お任せするのでぷー」
それを受けてお露さんの肩の上で、短い腕で仁王立ちしている天色くん。
いつの間にやら良い関係になっていたようで驚きですが、お似合いなのかもしれない――などとホクホクしていると。
ふと物部の式神から別のモノの気配がした。
これはなんと説明すれば分かりやすいでしょう…
コンビニのコーヒーメーカーでミルクを注いでいたら、最後に一滴だけコーヒーがポトリと落ちたのを発見したような――とでも言えばいいのでしょうか。
そんな“違和感”としか例え様のない、小さな汚れのような気配に気が付いたのです。
「物部さん…」
どうしたものかと物部さんへ声をかけてみる。
「ん?どうしたの若葉ちゃん。怖くなっちゃった?」
「いえ、それより…」
私が言葉に出すより早く、こんぺいさんが動いていました。
こんぺいさんは、その体形からは想像もつかない程の素早さで物部の式の横に現れると、
「――潰すぜ、勝比呼」
物部の式神をその尾びれで一撃――首を飛ばしたのです。人間の姿は一瞬で消え、人の形に切り抜かれた札がはらり、と宙に舞う――それに追い打ちをかけてサンが尾から炎を飛ばしました。
一瞬で人形が炎に包まれ燃え上がり――黒いどろりとした雫が床にぽたりと落ちた。
「しまった!」
それを見て声を上げるこんぺいさん。
床に落ちた雫は青緑色の燐光を放ちながら、よくマンガで見るような直径20センチ程度の魔法陣を店の床に展開しました――が、それもほんの一瞬。サンが床の魔法陣に青い炎を飛ばし、魔法陣を焼き払いました。
「油断しました。申し訳ありません、こんぺいさん」
サンがこんぺいさんに謝っている。
「いや、予見出来なかった俺のミスだ。相志、姐さんの身支度を頼む」
こんぺいさんの声が緊張感を纏っています。というか何が起きたのだろう。
「分かった。急いで紫苑様を連れて戻る」
緊張感を携えたまま、相志さんが2階へと上がっていきました。
「…何があったんですか?こんぺいさん」
私が尋ねると、こんぺいさんはその独眼で床の焦げ跡を睨みつけながら言いました。
「西洋黒魔術系の魔法陣だ――敵に俺達の居所がバレた」
「どうやって気付いたんですか?」
「若葉ちゃんだよ、最初に気付いたのは」
「へっ?」
「黒魔術の痕跡に気付いた若葉ちゃんの感覚がサンから俺に通じたんだ。それでようやく俺も気が付いた。で、後は見ての通り、俺が潰してサンが滅した」
とこんぺいさんの説明の後、
「そうしたら、まさかの滅したら発動するタイプだったという訳なんです」
残念そうにサンが教えてくれました。
「物部が利用されたんだ」
いつになく悔しそうなこんぺいさん。
「利用された?」
「俺達の居所を掴む為に物部の陰陽師を襲い、俺達に向けた伝書鳩に横から細工を施したって訳さ」
「その為に…3人も殺したっていうんですか?」
「そういう相手がこの店にご用事って事だ。姐さんはもうちょいかかる。それまでは俺達で踏ん張るぞ」
許せない。
ただ利用するためだけに人の命を奪える。そのような人間が力を持った術師であるという事が許せない。
私は相志さんのように武術に長けている訳ではないけれど、そんな私でも出来ることがきっとある。
力もある、意思もある。ならば――この場から退いてはいけない。
それが私の陰陽師としての矜持。
「はい――やっと新人らしい仕事が来ましたね」
いつ開くとも分からないドアの向こうを見つめる私に、こんぺいさんが声を掛けてくれました。
「若葉ちゃん…」
「どうしました?」
「いや。葛葉らしくなったと思ってな」
その時の言葉の意味を後で確認したところ、私は――
笑っていたのだと聞きました。
楽しそうに。けれど眼光だけは鋭くしながら。
私、笑っていたのだそうです。
そしていつものようにドアベルがからりんと鳴り、招かれざる来客を知らせてくれました。