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番外短編 付喪神クロの一日

 小さな目覚まし時計が電子音のアラームを鳴らす。

 目覚まし時計の示す時間は午前二時。

 だがそのすぐ傍で眠る美しき人影は身じろぎ一つせず静かな寝息を立てたまま微動だにしない。

 その暗闇の中で蠢く小さな黒い影一つ。

 カサカサと足音を立てて目覚まし時計に近付くと、その小さな腕で目覚まし時計のアラームを止めた。

「どうせ起きないんだから意味無いのにゃ」


 黒猫の付喪神(ぬいぐるみ)、クロである。

 以前、若葉が作り出した付喪神であり、現在は『タタリアン』の2階で紫苑のお世話などをしながら暮らしている。

 壁のスイッチに飛びつき部屋の明かりを灯すクロ。

 そこには“仕事”の時に見せる美しく気品がある様子とはかけ離れた、下着姿で布団を蹴り飛ばして眠る陰陽師、葛葉紫苑の姿があった。

「さて、おしごとなのにゃ」

紫苑の頭の方へぽてぽてと近付くクロ。

「紫苑ー、起きるにゃー」

足の先でほっぺをぎゅーっと押す。しかし紫苑は身じろぎ一つしない。

「このていどで起きたら世話無いのにゃー」

このくらい普通ですと言った様子で紫苑の裸体を横目に身体の下の方へと向かうクロ。腰の部分から紫苑の身体の上に登り、華奢でありながら美しい曲線を持つくびれを持つ腹部へと顔を向けて腰を下ろした。そして両方の前足をスッと掲げ、

「ぽんぽこりーん、ぽんぽこりーん、ぽんぽこりんのーぽんぽこりーん、紫苑のオナカをぽんぽこにゃー!」

歌いながらリズムに合わせ、紫苑のお腹をぽこぽこと叩きはじめた。

 けれど紫苑は相変わらず眠り続けている。

「これは楽しいのにゃーもっとぽこぽこするにゃー」

あるじを起こす、という本来の目的を忘れて紫苑のお腹をポコポコと叩くクロ。だが起こす筈の紫苑は未だに目を覚ましていない。

「あそんでる場合じゃないにゃ。でも今日はしぶといのにゃー」

運が良い時はこれで起きるようなのだが、今日はそうではないようだ。

「でもがんばるのにゃ。それがクロのにんむにゃ」

足先に詰まったペレットをならし、そのまま紫苑の裸体の上をぽてぽてと歩く。

「ぱいぱいぺったんこだにゃー。クロみたいに綿入れてふわふわにするといいのにゃ」

小さな丘を越え、寝顔の前に腰を下ろすと紫苑の鼻先へ腕を伸ばす。

「ちょっとキケンだけどやるのにゃ…このまえは掴まれて投げられたのにゃ」

さわさわと鼻先をくすぐる。

「うぅ…ん…」

紫苑の声に飛び跳ねるクロ。瞬間、紫苑の左腕がクロの居た場所を薙ぎ払っていった。

「おなじ手はくわないにゃ!」

腹部をポリポリと掻き、また静かな寝息を立て始める紫苑。

「クロは仮面にゃいだーになるネコなのにゃ。これしき負けないのにゃ」

妙なガッツで再び紫苑の腹部に飛び乗るクロ。

「こうなったら“ひっさつわざ”にゃ!」

そう言うと紫苑の臍に顔を近付けた。四本の足でぴったりと紫苑の身体にしがみつく。

「おヘソぺろぺろにゃー!」

そう言って臍の穴を舌で舐めはじめた。クロの“必殺技”に笑い声を上げて布団の上を転がりまわる紫苑。

「ごめんね!起きます!起きますからクロちゃん!」

のた打ち回りながら涙声でお腹にしがみつくクロに謝る紫苑。

「やっと起きたのにゃ。ケーキつくりのおしごとにゃ」

紫苑の腹部から飛び退き、改めて近付くと紫苑の顔に頬を擦り寄せるクロ。

「うん…ありがと…」

散々大笑いしたものの、落ち着きを取り戻すと再び睡魔に襲われる紫苑。やおら下着姿のままで立ち上がり、指を一つパチリと鳴らした。

 すると鏡台の上に散乱していた形代の束が3枚ふわりと浮き上がり、パティシエ姿をした紫苑の姿となった。寝惚け眼で3体の式を見つめ、

「ケーキ作り。レパートリーは昨日と同じ――かかれ」

そう命令を下す紫苑。無言で頭を下げ、部屋を出てゆく紫苑の姿をした3体の式。その様子を静かに見ていたクロがひと言。

「今日は行かないのかにゃ?」

「うん…眠いの…」

そう言って寝転がり、布団にくるまる紫苑。クロは反論することもなく、明かりのスイッチに飛びついて明かりを消すと、布団にくるまる紫苑の胸元へと潜り込んでいった。

「じゃあクロをだっこして寝るのにゃ。クロは紫苑だいすきなのにゃ」

「うん…ありがと…」


――――――


「抱っこされてたハズなのにゃ…なんで足が乗っかってるのにゃ」

部屋の明るさに目を覚まし、己の現状に困惑するクロ。んしょんしょ…とどうにか紫苑の足の下から逃れ出る。


 『祟り』の仕事が無ければ自由であるクロ。そのまま器用に障子を開けて廊下に出ると、一階のタタリアン店舗へと降りてゆく。

「あ、おはようクロちゃん!」

厨房で暇そうにしていた若葉がクロに気付き声を掛けた。

「わかばにゃー!」

駆け寄って飛びつくと若葉の頬をぺろぺろし始める。

「おはようのぺろぺろにゃ!」

頬を舐めて愛情を表現するクロ。

「喜んで頬を舐めるのは犬の行動だと思うんだけどな」

その様子を見て、帳簿をつけていた相志が軽く笑いながら言う。

「――どうしてにゃ?好きならぺろぺろするのはあたりまえにゃ」

若葉にじゃれるのを一時止め、若葉に抱かれながら相志の方を向いて逆に質問するクロ。

「あ…うん。そう…なのか。そうだな」

クロの純真な回答に返す言葉のない相志。

「…わかったにゃ。相志もぺろぺろしてほしいんだにゃ」

そう言うと若葉の肩によじ登り、ジャンプの姿勢を取るクロ。

「クロはもちろん相志も大好きなのにゃー」

「あ…ちょっ!待て!この辺りは今帳簿が」

それを見て大慌てでクロを制止しようとするが――

「ぺろぺろにゃー!」


――――――


 相志のイケメンフェイスを求めて押し寄せるランチタイムの客を捌き終わった午後。厨房で一息ついている相志と若葉にクロが声を掛けた。4本の足には相志が作ってくれた革靴を履いている。

「おさんぽしてくるのにゃー。ひなたぼっこでふわふわになってくるにゃ」

好奇心旺盛なクロ。最近はひとりでお出かけするようになっていた。

 ぬいぐるみだからといってあまり人の眼は気にしていないらしい。本人(クロ)曰く、案外誰にも気にされないのだという。

「気を付けるんだぞ」

相志が後ろから声をかける。

「いってらっしゃーい!」

「あまり遅くならないようにね」

サンと若葉が小さく手を振っていた。


 近所の猫に教えて貰った“隠し通路”を通り、お気に入りの小さな公園に辿り着いたクロ。

 あまり人も来ず、発見されてイタズラをされるような小さい子も居ない、付喪神にとって理想ののんびりスポットである。

 だが今日はベストポイントのベンチに人影が見えた。

 女の人だった。

 クロは人の年齢を“体が大きいか小さいか”でしか判別していなかった。なのでその女の人は“おっきい”大人と判断した。

「紫苑にはだいぶ負けるけどキレイな人にゃー」

女性の雰囲気に何処と無く懐かしさの様なものを感じ、その姿を呆と眺めていると、あるモノに気が付いた。

 ――霊体だ。

 ベンチに座り本を読む女性を見つめる男の霊。背後の地面から頭を出し、濁った瞳で女性を見上げている。

 それを見て『辻神』を見る時にも似た首筋のざわめきを感じたクロ。

「――あれはわるい奴なのにゃ」

そう言って静かに女性の――霊体の背後へと回り込む。

「わるい奴はこの“ぜろにゃん”がやっつけるのにゃ!」

そう言って二本足で立ち上がり「変身ポーズ」を決めるクロ。

 前足を振り回しながら女性を見つめる霊体へと駆け寄り、その頭をポコポコと叩き始めた。

 『歳神』から作られた付喪神であれば本来、悪意のある霊など鎧袖一触なのだが、それはあくまで付喪神の身体による直接攻撃であり、厚めの革靴を履いているクロはこの場合『聖剣の鞘で殴りつける』ようなものであった。

 だがそれを知りもせず気付く事も無かったクロは、ただ必死に霊の頭を殴り続けていた。

 ぽこぽこ。

 頑張ってぽこぽこ。

 “敵”をやっつけようと必死にぽこぽこ攻撃を続けるクロ。

 一方の霊はというと、初めて受ける打撃攻撃に驚きながらも“ただの打撃”であることに顔を顰めていたが、必死に殴り続けるクロの振り回す尻尾の思わぬ一撃を受け、あっさりと消滅した。

「にゃー!!」

敵を倒した事に興奮し思わずバンザイして声を上げるクロ。

「えっ?!」

女性の声がした。その声に全身の力を抜いてその場に転がるクロ。

(ヒャッハーしすぎてバレたのにゃ…でも勝ったのにゃー)

 地面に転がったまま全力で“ぬいぐるみ”アピールをしているクロ。女性はベンチを降りてその背後、芝生に転がるクロへと近付いた。

「ぬいぐるみ?――さっきの『にゃー』って…キミじゃないよね?」

声を掛けてクロを持ち上げる女性。クロはだらりんと“市販のぬいぐるみ”のままだ。

「来た時気付かなかったけど…誰かの忘れ物かな?」

女性はそう言って静かにクロを自分の膝の上に置き、優しく撫でながら声を掛けた。

「ご主人様がお迎えに来るまで一緒に待とっか」

そして女性は再び本を開き没頭しはじめた。

(なんか抱っこされたのにゃ。これでは動けないのにゃー)

そう思いながらも焦るとか慌てるといった様子の全く無いクロ。むしろ膝上の柔らかさと女性の香りに眠気を感じ始めていた。

(せっけんのにおい…ふわふわぽかぽか気持ちいいのにゃ…もえちゃんが生きてたら、きっとこんな感じだったのかにゃ…)

暖かい陽射しと柔らかな香りが誘う夢に微睡むクロだった。


 可愛い声が掛けられて気が付いた。

「ありがとなのにゃ。また来るにゃ」

「えっ…あっ…いえ…」

どうやら陽気に微睡んで居た様だ。低い所から小さな女の子の声が聞こえたので、ぬいぐるみの持ち主の子が来たのかと思い、女性は顔を上げた。

 だが辺りには誰の姿も無かった。

 声を掛けられてすぐ目が覚めた筈なのだけれど、と疑問に思ったが、膝の上に乗せていた黒猫のぬいぐるみは無くなっていた。

 眠った所為なのか陽気の所為か、身体が随分と楽になった気がした。


 クロが尻尾をフリフリ上機嫌で帰宅すると、相変わらず暇そうにしていた若葉が見つけ、抱きかかえてくれた。

「おかえりクロちゃん!なんだかゴキゲンだね」

クロはにゃーんと鳴き若葉の顔に頬を寄せた。 

「どうかにゃ?おひさまのにおいでふわふわかにゃ?」

そう言って若葉の頭によじ登り、その顔に自分のおなかをくっつける。その意図を理解した若葉はクロのお腹に顔をくっつけてもふもふしてくれた。

「クロちゃんホント、ふわふわになってるね」

若葉は“少し土の匂いがする”と思ったが笑顔でそれに応じ、聞いてみた。

「楽しかった?」


 クロは前足を上げて笑顔で応えた。

「今日もいい日だったのにゃ!」

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