08.契約書に血判を
「クリフさん、これからどこに行くんですか」
「相談室、検査室から向こうに行けば着くから大丈夫だよ」
気が付けば、互いに無言になった。
……しまった、特に話す話題があまりない。
やっぱ天気とか? って、会話下手かって突っ込まれるよなー……うーん。
俺があの女性に殺した理由はまだ聞けてないけど、怒っていたってしかたないから、何か空気を変えられたら。
あ、こういう時はあの話題が一番いいよな。
「あ、あのクリフさん。クリフさんって漫画は読みますか?」
「あまり読んだことは多くないね、知り合いに勧められたストーリーのいい作品なら多少は読んだことがあるけど……」
翔太は心の中でガッツポーズする。
よし、掴みは上場。もっといけるか……?
翔太はクリフの横で思いつく限りの話題を振る。
「じゃあ、あんまりヒーロー漫画とか、特殊能力系の漫画とか読まない感じですか?」
「うーん。私はどっちかと言うとSF物の小説の方に憧れてたからなぁ」
「クリフさんの一番好きなSF小説って言えばなんなんですか?」
「そうだなー……それは説明が終わってから話すよ」
「そ、そうですか」
クリフさんは少し困った風に笑う。
後ろの方に顔を向いて、翔太は涙目になりながら拳を強く握る。
ちょっと乗ってくれたけど大人の対応されただけのヤツだ、これ!!
「どうかしたかい? 翔太君」
「な、なんでもないです。大丈夫ですので!」
俺は立ち止まって笑ってくれるクリフさんの後を追いかける。
相談室、というところは静かで学校の相談室より広い印象だ。
「それじゃあ、翔太君。まず座ってもらっていいかな」
「はい」
クリフさんは扉を閉めて、俺はクリフさんに指示されるままイスに座る。
なんか、進路希望を教師と話し合う時と似た感覚がするな。
「ある程度は上司のスヴェンが説明したけど、まず君のことについて話そうか」
「……まず、気になってることがあるんですけど、いいですか?」
「なんだい?」
「なんで、俺は生き返ったんですか? 一日目の夜に、死んでいたはずなんですよね」
「そうだね、君はあの時死んでいる。でもその処置を取った点については彼女の判断は正しいと言えるかな」
ごくり、と生唾を飲む。
真剣なクリフさんの表情に緊張は高まる。そう、俺は一番重要資するべき質問をしていなかった。それはタイミングを計っていたからだ。
スヴェンさんは課長って言ってたからある程度は説明してくれると思ったけど、おおざっぱなことしか言ってなかった。
だから、この質問は絶対最初にしようと思っていたんだ。
「……どうして、あの人が俺を殺したことが正しいんですか?」
「モネーレは知覚者にとっては毒だから、かな」
「毒?」
「そこの点については、彼女自身から聞いた方が一番いいんじゃないかな。本当は、私から話すべきだとは思うけど……それじゃ、君は納得しないんだろう?」
「……? わ、わかりました」
確かにクリフさんから色々聞けたらスッキリするだろうけど……彼女からの言葉じゃないから、わだかまりっていうか、胸にモヤモヤが残りそうなのは事実、なのかもしれない。
とりあえず、別な話題を切り出そう。
「俺を知覚者だって最初の日にわかっていたりしたんですか」
「……まあね」
「じゃあ、なんで翌日の時に俺に説明してくれなかったんですか? あの病院は演技みたいなものだったりしたんじゃないですか?」
「……それは黙秘させてもらうよ」
「どうしてですか?」
「青鳥でも秘密保持の契約離されているからね、必要以上の問答には答えられないことがあるというだけの話だよ」
……つまり、もう話せない、という意味なのだろう。
これ以上深堀したくても無理ってことか。
翔太は疑問という話題は切り換えず、別の話を切り出した。
「……でも、やっぱり知覚者が秘密組織なのか、ちょっとわかんないです」
「例え話をしようか。君は霊感がないとしよう。知り合いが幽霊が見える、と言って君の方に幽霊がいるという。君はすぐにその幽霊の存在を信じられるかい?」
「……信じられない、です。漫画ではそれが普通、って世界観のある漫画もあるけど現実はさすがに違うっていうか……」
「そう、それは君でもわかる見えない側の常識だ。つまり、それはどういうことになると思う?」
「見えないのにその子が変なことを言ってる、ってことになります。内容によっては、その子を気味悪がったりして遠ざけようとしたりするかも……」
当然だよな、見えないものが見えてるなんて言われたって、自分には見えないんだから――――あれ? それって。
「……それ、って」
「そう、私たちはモネーレの存在を気づいている知覚者たちの集まりだ。知覚者もそれほど多くない、一般企業と言いたくても言えるはずがない、だから秘密組織なんだ」
「……でも父さんの遺体を返してもらえない理由にはならないじゃないですか」
「まず一つ、あの検査は君は完全に知覚者というのがわかった、それは理解できるかな」
「は、はい」
ん? 何が言いたいんだろう。
クリフさんは俺が気になっていた検査の時の陽性の話を切り出してきた。
「そして……君はなんらかの特殊な能力に目覚めている。この二つが、この検査で分かったんだ」
「の、能力……!? 漫画とかアニメとかの特殊能力的なヤツですか!?」
「まあ、そうなるかな。まだどんな力が目覚めたかわからないけどね」
「うわぁー……!」
柄にもなく、喜んでしまう。本当に、漫画とかアニメみたいな展開に自分が巡り合うとか、誰も予想できるはずがない。俺だって、そんなこと起きるだなんて思ってもなかったんだ。
驚いて当然だし、特殊能力に目覚める、なんて期待しちゃうに決まってるじゃないか!
「どんなのかな、あ、瞬間移動とかがいいなぁ。すぐに他のところに行けるし。あ! でもエクスプロージョンとか、大爆発系の力もありだよなぁ、どんなのだろー……!!」
「翔太くんも男の子だね」
「男の子なら、誰だって憧れません!? ヒーロー漫画でも、異能力バトル漫画とかにある力が目覚めるって!! ほら、カッコいい魔法の詠唱とか、技名を叫ぶとか! あー、考えただけで夢が広がる―って何度思ったことか!! だって自分が好きになったキャラを何度も立ち向かう姿とか、熱くなりますよね!?」
クリフは翔太がガッツポーズをして目を爛々とさせて喜んでいるのに、苦笑いしながら申し訳なさげに声をかける。
「……喜ぶところを邪魔する形になるけど、本題に戻っていいかな」
「あ……す、すみません、な、なんでも来いです!! あ、でも一番聞きたいことがあるんですけど」
「お父さんのことかい?」
「はい、父の遺体は返してもらえるんでしょうか……?」
ここ、重要な局面だ。
聞き出せる範囲はある程度聞き出さないと。
「無償で返す、というのは不可能だね」
「そんなバッサリ!?」
「大人の会話って、こういうものさ」
えっと、確か青鳥、せいちょうだっけ……そういう怪しげなグループなんだから、ちょっとは覚悟してたけど、少しくらい期待したっていいじゃんかクリフさん。
スヴェンさんも最初優しそうな人だって思ったけど、意外とブラックなのかここは。
間を置いてからクリフさんにもう一度尋ねる。
「ど、どうしてもですか」
「どうしても。ただし宣言した通り、仲間になってくれるのならまだ検討はできるよ」
翔太は片手を頭に当ててクリフの前にもう片方の手でてのひらを見せる。
クリフの穏やかな笑みに翔太は凍り付かされそうになる感覚を覚えた瞬間でもあった。
さっきまで優しいお兄さんのイメージが全部変わったとまでは言わないが、少しダークなところもある、という印象に変わりつつある。
「知覚者になった君はもう元の普通の日常は送れない。そして君はお父さんに会いたいと」
「はい」
「それじゃあ、いっそのこと君のお父さんを生き返らせたくないかい?」
「そんなの、普通無理なんじゃ……あ、」
もしかしたら、できるかもしれない。
あのメイドさんだったら、もしかしたら。
「何か思い当たる節があるみたいだね」
「で、でもあの怪物と戦わなきゃいけないかもしれないんでしょう?」
「そうだね、けど君の能力次第では医療班にもなれるだろうから、大丈夫じゃないかな」
「……もし、断たりしたら?」
「君のお父さんの遺体を処分させてもらう、公表しようとするなら、同じ処置を取らせてもらうよ」
「それ……俺の選択肢、一つしかないじゃないですか……っ」
「君にとっては、そういうことになるね。でも、私たちは慈善活動ですべて動いているわけじゃないんだ。秘密組織らしいだろう?」
怖い人だ。本当に。
「お父さんを蘇生させるためには時間と労力、そして金がいる……君が私たちの仲間になってくれるなら、君のお父さんの蘇生に全力で協力しよう」
「……もし、嘘だった場合は? いや、嘘だって言ってこの話を断っても、父さんは帰ってこないんですよね。生きても、死んでも」
「そうだね」
「お金は、どうやって稼げばいいですか」
「金は君が仕事に見合う分だけこちら側で出すよ」
笑顔の圧が、すごい。
でもここで仲間にならない選択肢は、ない。俺を無名だけど、ヒーローって応援してくれていた父さんを見捨てるなんて、できっこない。
俺は覚悟を決めて唾を飲む。
「……わかりました」
「それじゃあ、この契約書にサインしてもらっていいかな」
クリフさんは黒い鞄を取り出し、何かの証明書のような紙を差し出してきた。
用意がいいなぁ。
内容を確認するために、じっと見るとどこの項目も日本語で書かれてあった。
「……確かに、クリフさんが言ったことは載ってますね」
「意外と疑い深いんだね」
「いや、誰だってこういう経験普通しないじゃないですか! 誰だって慎重になりますよ」
「ああそれと翔太君。ハンコは持ってるかい?」
「いいえ、あまり持ち歩かないもので……」
「それもそうだよね。じゃあ、血判にしてもらえるかな? ナイフは用意してあるから」
「え!? 血判!? ナイフ!? 無理無理無理!!」
「えっと、確かここに……あった、あった」
鞄からゴソゴソと果物ナイフを取り出すクリフに翔太は怯える。ここまで用意がいいと、そうなることをまるで見越されてた気さえする。
「クリフさん、切るのお願いしてもいいですか。こういうの慣れてなくて……」
「別にいいけど、力みすぎないでね?」
翔太はビビりながらも指を差し出した。
クリフは翔太の親指を手に取り、ナイフを近づける。
翔太は慌てて一度制止した。
「ま、待ってください。クリフさん。いったん、いったん待って!!」
「君先端恐怖症だったりする?」
「違うけど、その……俺注射とかされるの苦手なタイプだから」
「ああ、そういう……大丈夫、慣れちゃえば怖くないよ」
「慣れてないから怖いんじゃないですか!!」
翔太があまりにも抵抗するので、クリフは例え話をして翔太を落ち着かせる戦法を取ることにした。
「林檎の皮剥いてて切っちゃう時と一緒の痛みだよ、緊張したり力むと余計痛いよ」
「信じますよ!?」
全力でナイフから目を逸らした翔太の手が脱力したのを見計らってクリフはナイフの切っ先を指に立てる。血が出た感覚がした翔太は目をゆっくり開ける。
「あ、注射より痛くない……」
「でしょう? それじゃあ、押そうか」
「は、はい」
翔太は指を証明書のハンコのところに押し当てる。
しばらくしてから手を離すとクリフさんが証明書の紙に触れる。
「それじゃあ、これで君は私たちの仲間だ。よろしくね」
「はい、ありがとうございます……絆創膏、じゃなくてバンドエイドもらってもいいですか?」
「用意はしてあるから大丈夫だよ」
「本当に用意いいな!?」
これから、どうなることやら。