72.ヴェールの女
水が滴り落ちる音がする。
涙の音か、それとも誰かが零したカップの水滴の音か。
どちらかなんて、わからないけれどやけに心地がいいと感じてしまう。
「…………っ、う、………っ」
誰、だろう。
誰かの、泣いている声がする。
必死に声を抑えようとしているけれど、それでも漏れ出てしまうような、そんな声。
聞き覚えがあるように感じるのは、どうしてなのだろう。
「…………ここ、は」
暗い闇が広がる中、目が覚める。
ベットに眠っていたはずなのに自分の身体がよく見えない。
けど上を見れば、月のない夜と言う天幕でもあるかと錯覚するほど黒い空と、水面に自分は立っているのだと理解した。
周囲を見渡しても、誰もいない。いや、誰もいないはずなのに彼女の声が聞こえる。
泣いている彼女の声が、耳から離れてくれない。
奥に行けば行くほど空の暗さも、自分が歩いている水面から下の奥の方も闇が広がっている。
どういう状況なのか、理解しがたいはずなのに。
それでも、俺は泣いている彼女の声を、聞き逃したくなかった。
「誰、なんだ?」
奥の方へと歩いていくと泣いている人物がゆっくりと見えてくる。
蹲って、一人泣いているヴェールに包まれた女がそこに立っている。
「あの、貴方は誰ですか?」
「…………っ、うぅ、………………っ、」
彼女は俺の声が届いていないのか、ずっと顔を両手で覆って泣いている。
ヴェールの先から漏れる黒髪は、誰かに似ている気がした。
誰かって、誰なんだ? ……俺は、その人を知っているのか?
わからない、わからないけど。
「…………泣かなくても、いいんですよ」
彼女が泣いているのは、放っておけない。
俺は彼女の傍に近寄るために屈むと、彼女は俺へと顔を向けた。
「…………っ、貴方、は――――――」
彼女は、か細い声で口にした。
それは、どことなくノイズのような女性にも男性にも聞こえる。
俺は一瞬、彼女の顔を見たような気がした。
しかし、それよりも俺の瞼はなぜか閉じ初め彼女の輪郭を完全になぞる前に意識が途切れていた。
◇ ◇ ◇
「うわぁ!!」
あまりの出来事に俺は大声を上げる。
咄嗟に口元に手を当てて、無言で周囲を確認する。
自分の好きな物を少し置いた、掃除もある程度されている質素な部屋。
しかも、柔らかい日差しが差している、ということはまだ朝くらいの時間だろうか。
俺の住んでいるマンションの部屋だと理解すると、ゆっくり口から手を離した。
「なんだぁ、夢かぁ……」
俺はほっとしたような感覚を覚える。
もしかしたら、怖いホラー映画とか父さんに見させられた時みたいに変な夢でも出てたんだろうな。でも、どうしてあの泣いている子のこと、放っておけない感覚がするんだろう。
とりあえず、翔太は身体をゆっくり起き上がらせてから足の確認をした。軽く足を上げても足の痛みがあまりしなかったためある程度よくなったのかな、と勝手に憶測する。
「とりあえず、今日から数日間何して過ごすかなぁ……」
とりあえず、暴飲暴食とかはなんとなくだが避けたい。
だとすると、筋トレか漫画を読むとか、そういう類になって来るが……!!
「選択肢が、明らかに陰キャと陽キャの差が出ている考え方だよな」
筋トレが陽キャとかのイメージで、陰キャは漫画……なんて理屈誰が考えたんだろう。
でも、その理屈があったら、誰だって真面目にやるものだよな。
うーん、でも数日間とはいえ家でずっとゴロゴロはしたくない。
だとすると……!
「よし、ランニングしよう」
運動することと、アーテムシュタット区のことを詳しく知っていくことも重要だろうからこれで問題ないだろう。じゃあ、後は連絡するのは誰にすればいいんだろう……? クリフさんに、かな。
でも、クリフさんも司令員としての仕事があるから忙しいよな。
仮のデバイスは確か、ポケットに突っこんだままだから見れるはず。
俺はパーカーから、仮デバイスを取り出した。
「よし」
俺はとりあえず、項目をタップしていくとQ&Aという項目を見つけたので俺は調べることにした。
調べたが、本格体験の休日について、なんて項目はなかった。
俺はデバイスに、メールの項目に一件と表示されているのを見つける。
「あ、クリフさんから……? ん? 違うな」
メールには本格体験の休日について、という言葉が並んでいた。
下へとタップするとこう書かれてある。『本格体験は、知覚者である貴方様が体調不良を整えらえるのが最低、一週間と義務付けられています』と言った内容を掘り下げていっているメールだった。
……つまり、一週間も休みがあるってことは、だ。
「リアナさんとのデートが、遅れていく一方なんじゃ……?」
恋愛脳を発動させる翔太は、冷静な判断などできるはずがなくむしろ少し体調が回復したかどうか程度だ。しかし、聞き分けがいい翔太は、しかたない、と済ませることにした。
その分、リアナさんとまた出会う時までに、もう少し体を引き締めることを強く誓うのだった。




