06.残酷な瞳
「………………こ、こ、は」
漫画とかの表現とかでよくある、白い世界が目の前で広がっている。
あんなこと続きで、逆に頭が妙に冴えているからだろうか、さっきまでの方が心臓に悪すぎて逆に冷静になってるパート2である。
とりあえず最後に見た腹に生えた触手のようなものがないか、手で触ってみる。
「ない……やっぱり、現実じゃなかったってこと?」
そこで、自分の体制が触手を見た時と同じ体制なのだと気づいた。
「……夢、だったんだよな。あの女の人に殺されなかったけど、全部、父さんだって生きてるんだ」
心からの歓喜に身体が震える。
そう、これは喜びであるはずなんだ。
そうじゃないなら、何がおかしいのかも、わからなくなってしまう。
「ん? あ、れ……なんで立てないんだ?」
体を上げようとなぜか立ち上がれない。さっきまでの出来事が、例えるなら明晰夢のようなものなのだとするなら、ここがおそらく俺が目覚められるきっかけの場所なのだ。動かせないのなら、そうじゃないことになるんだっけ。どうだったろう。
とにかく、体を動かそうと指先にも足先にも力を入れて力むが、体が拘束されていないはずなのに動けないというは、まるで金縛りにでもあってるみたいだ。
「おや、坊や。どうしたんだい?」
どこからか老人が俺に声をかけてきた。
視界が太陽を見つめ続けたせいで目がチカチカするのとよく似た感覚と共に手で目を擦りながら再び目を開けると、周囲が本棚でできた部屋なのだと気づく。
カーテンがある窓から自分の前まで人影があるのを視認すると目の前に白のシャツを着た老人が、俺に話しかけていたのだと理解する。
男性を見てから、体がようやく立ち上がることができた。
……まだ、続くのか。
「貴方は、誰ですか」
「私? 好きに呼ぶといい。私はどこにでもいるし、どこにもいないのだ」
銀縁の眼鏡の奥にある優し気な葉色の目を細める老人に別の問いを投げる。
「なぞなぞ、ですか」
「好きに受け取っていい。君が望んだ名前が私の名前だ」
「普通、そこは名乗れないなんじゃないんですか?」
「そう受け取る自由は君次第だよ」
「……ふざけてます?」
なんだか、掴めない人だ。
「いいや?」
老人は笑う、その笑みに違和感を自分に与えた。
どこにでもいる普通の幸せって呼べる人生を送った者なら、きっと気づきづらいと感じる心というものが一切感じられない笑みを、この老人は俺に見せていると感じた。例えるなら笑顔という仮面があるとして、それを顔面にネジでも突っ込んで取り付けたみたいなそんな、どことなく不気味と思えてしまうような笑み、というか。
ほんの一握りの人生を送る者で、弱者的立ち位置に立つものなら理解できる、そんな表情だった。でも、人に心を読ませないポーカーフェイスって、こういう顔をみんな言うような気がする。
至極、微笑しか見せない老人に猜疑心に悩まされながら老人に尋ねた。
「冗談はいいから、教えてください」
「君はすでに知っているだろう?」
「知らないから、聞いてるんじゃないですか。ここは……っ、」
「君は、何を願う」
「その、俺があの場所に来てからずっと夢を見ているはずなんです、だから、」
「そう願うのは君次第だ」
「なんでさっきから俺次第ってばっかり言うんですか!! 答える気ないんですか!?」
自分が怒気を含めた言い回しをしないように心掛けたいのに、この人はそれを笑いながら手放しで笑っているような気がする言い回しばかりしてくる。ゲームで出てくる『いいえ』ボタンを何度も押しても、ループする解答と似た感覚を覚えた。
「君の願いは、君だけのものだ。だからこそ憤慨し続ければいい」
「意味が解らないって言ってるじゃないですか……! うわ、」
一歩も踏み出してすらいない床に黒い影にも似た泥のようなものが俺の足に纏わりついてくる。
両足を飲み込んだかと思えば、徐々に上半身まで呑み込まれて行き身体が地面に飲まれていく。
「っ、助け、……!」
叫び声を上げようにも男性は無言で静かな微笑みを顔に貼り付けたままこちらを見据えている。
泥に完全に飲まれる前に、一瞬だけ見えた白い少女は俺に微笑みかける。
その一笑を、どこかで見たことがあるような気がした。
「君、は……、」
意識が朦朧として、思考が無にジャックされた。
彼女が見せたその微笑みの意味を理解できずに。
◇ ◇ ◇
「あれ、……、ここ、」
目覚めた場所は、二日目の日の病室のようにも思える場所だった。
似たような展開だったからのもあり、服の確認もせず立ち上がってカーテンを捲り外に出る。
「ああ、起きたかい? 翔太君。無理して起き上がらないほうがいいよ」
窓のない白を基準とされたその一室は、中々に広く、学校での保健室よりとは比べ物にならないだろう。金髪の白いコートを着た男性が、片手にマグカップを持って回転椅子に座っている。
知的な印象を抱くのは、おそらく銀縁の眼鏡をかけているだけじゃないとは思うが……って、いやそんな推測よりも一番大事なのはそれじゃない。
「貴方は、誰ですか。なんで俺の名前、」
「クリフでいいよ。熱はない?」
「は、い? 大丈夫、かと……」
一瞬だけ、は? っと言いそうになったのを何とか堪えるとクリフという人は穏やかに笑った。
「とりあえず、ホットミルクと紅茶どっちがいいかな」
「……紅茶がいいです。眠気覚ましに、少しほしいので」
「ストレートでいいかい?」
「はい」
「わかった、少し待っててくれ」
言いたいことはあるが、今は冷静に頭が働かないし、一旦落ち着くことにしよう。
本当ならコーヒーにしたいところだが、今は逆に胃を痛めてしまいそうなのでそっちにした。
俺はベットからイスに座って、彼はサーバーから紅茶をカップに入れて持ってきてくれた。「熱いからね」って声をかけてくれたため、ありがとうございますと感謝を述べながら手に取った紅茶に息を吹きかけながら飲む。
クリフさんは自分のドリンクをスティックシュガーの切り口を指で千切ってカップの中に砂糖を入れた。
「お兄さん、これだけはどうしても聞きたいので、聞いてもいいですか」
「何だい?」
「父さんのことは、貴方からは聞いても大丈夫ですか」
隣で彼に意地悪な質問をする。
凍り付いた心にホットの飲み物という少しの熱が入ったことで、さっきのことも含め頭の中の疑問が大量発生しているのにも関わらず、なんとか絞り出せた一言だった。クリフさんは、俺の言葉を聞いてカップのマドラーを混ぜる手を止める。
「……ごめんね。それは今、私の口からは言えないんだ」
「すみません」
「いいや。私と一緒にあるところまで来てもらえるなら、私の上司が説明すると約束するよ」
……解ってはいたんだ、この人は答えられないって。
苦笑いに近い笑顔で答えてくれるこの人はおそらく、たぶん優しくていい人だ。
いい人そうだから逆に裏が……なんて思いそうになるのは心臓を圧迫して止まない不安感に襲われているからに違いない。
外国は日本と違って危険なところもあるとされているのは一般常識として多少は知っている。しかし、それは湧界者の存在が受け入れられ始めていることくらいの認識と同じで、あんな化物のことまでは頭の中にあるはずがない。
それでも、それでも冷静になれるのはここがまだ現実じゃない可能性があると期待しているからだ。
「わかりました、連れてって行ってもらえますか」
「いますぐ行くかい?」
「……飲み終わってからで」
これから現実じゃないと叫びたくなる現実が叩きこまれてもいいように、心の安定剤代わりの紅茶を残さず飲み切る。クリフさんはもう飲み終わっているように思えたが、俺が立ち上がってから遅れて席を立つ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
病室から出ると白と青を基準とした清潔感のある廊下が見える。
花瓶に白い花が飾られていたし、近代的なライトが天井についていたり……ぱっと見だけだと何かの会社のようにも見える。
窓ガラスが全面ガラス張りなのを見て、ここは高層ビルなのだと言うことも推測できる。クリフさんの横を通っていく人は、白いコートやスーツを着た人ばかりで次第に不安感を煽らせられる。一日目の夜と同じ集団であるのも間違いない。
何か理由があるとしか思えないから下手に抵抗するのは愚策だ。
クリフさんが立ち止まったかと思ったら、目の前に青の十字架が入った白いエレベーターが前に現れる。クリフさんが上のボタンを押すと、扉が開かれた。
窓が全面ガラス張り、外を見るなら今しかないと思い奥の方に行く。
指紋の痕をつけて怒られる、なんてことよりも現在の自分の状況を知りたかった。
ただ真っ直ぐ見るだけでは青い空と雲ばかりだったが、下を覗くと下に街並みが見えたことにここは高層ビルのような場所なのだと気づく。
「翔太君は、こういうところに来たことはあるかい」
彼がそう言うとエレベーターの扉が閉まる音が聞こえる。
後ろは振り返らず、翔太はただ外を眺める。
「いいえ、あまり」
「そうか」
俺はクリフさんの言葉を無言で返す。
透き通るような青みを帯びた空だけが、澱みそうになる俺の心を洗ってくれた。
……チャイムの音。どうやら、目的の階に着いたようだ。
「さぁ、こっちだ。着いてきて」
クリフさんの声を聞いて、遅れて後を追う。
壁に札で課長室と書かれた部屋を見つけるとクリフは二度その扉をノックする。
「課長、連れてきました」
「入ってくれ」
開かれた威圧感たっぷりの扉から見える光に目が眩む。
瞳に映った最初の色が、太陽に照らされた銀色の髪と褐色の輪郭を撫でる。
風格を際立たせるように、重ねた両手に顎を乗せて自分を射抜く瞳に硬直する。
「やぁ、翔太くん、昨日ぶりだね」
白衣ではない白いスーツと、くしゃっと笑う目じりが眼鏡で隠れていない。
聞き覚えのある声だ。けれど、それは病院で聞いた時の陽気な声ではない。
「ハイジ、さん」
柔らかかったあの栗の実な穏やかな瞳は、そこには……なかったんだ。