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疾走者の不変世界(リフレインソング)  作者: 絵之色
第一章 君に囚われた心
6/352

04.俺を殺した死神様(めがみさま)

「……ここはどこだ?」


 翔太は目を覚ますとそこは知らない場所だった。

 解るのは自分の周りには白いカーテンがあるのと、寝台に乗せられシーツが胸元までかけられてあることだ。そして、微かにそのカーテンが開いた奥の方に別の色のカーテンが窓にかかってるのが見える。

 自分の状況を確認しようと上半身を起き上がらせた。


「学校の保健室とか? 夢の中にでもいるのか、俺」


 シーツをめくると、患者服を着た自分の腹が見える。

 あれ、おかしい。俺は小中高どれも病院なんかに入った覚えはないぞ。


「ちょっと待て…………、俺はドイツに来たんだよな。じゃあ……この状況って」


 顔に手を当てて少し考え込むと、やけにあの女性に撃たれたのが蘇えってくる。

 一瞬だったからあまりよく覚えていないが、銀色の光を帯びたシルバーピンみたいな瞳と黒い服を着ていたことは覚えている。

 あの人は俺の脳天に寸分の狂いなく俺の頭を撃ち抜いた……はずだ。

 ならなんで俺は意識を持っている? 俺は、今なんで自分の顔に手を当てられているんだ。俺はあの時、確かに……死んで、?


「そうだ、俺死んで……!」


 え、じゃあ頭撃たれたのに生きてるって、どんだけ外国の医療進歩したんだよ。スーパーマンどころじゃないぞ。しかも昨日はあの白い少女に鉄骨が槍みたいになって俺の足に突き刺さったこともあったはず。だが貫かれた両足に痛みがない、それに女性に撃たれた(ひたい)にも。

 シーツを取って両足に触れる。何も痛みなどなく痕すら残っていない。

 なぜだ? だが、気になるのはそれだけではない。

 白い女の子の特殊能力にしか見えないあれは突っ込みどころ満載だったけどそれよりもあんな風に人が死ぬわけないのだ、この現実で。きっと何かのセットとか、外国だから新作の洋画の収録とかに出くわした可能性が……いや、そうならそんなものはCGを使ってしまえばいいだけのはずだ。

 けどあれは……CGなわけがない。


「あんな惨い死に方、現実じゃ無理だ……!!」


 おびただしいむせ返る血の臭いを覚えてるし、ゲームで聞く人の絶叫よりも生々しかった。

 目の前の死体たちが焼き付いてる。俺の死を忘れるなとでも言いたげに。

 それにもう一つ理由はある。CGだというのなら、ドイツに来たばかりの一般人を新作のエクストラに即採用みたいなことも絶対にあり得ないのだ。大地震より前にはあったかどうかまでは知らないけど街中を歩いている一般人に監督でなく有名な俳優が「俺が金出すから、一緒に映画出ない?」的な事実が実はある、なんてこと言ってるようなもんなんだ。

 なら、どうしてこんな場所に俺はいる? 情報があまりにも足りない。

 ただただ、恐怖という津波に全身に覆われていくようだ。


「あの……気がつきましたか?」


 静まり返った現実かも怪しい世界で、聞き覚えのある声が聞こえた。

 顔を上げると、ベットのカーテンが開かれて声の持ち主が現れる。

 見覚えがあると思ったのは買い物をしていた時に出会った女の人だったからだ。

 ただ、その時違ったことがあるとするなら、ナース服を着ていたという点くらい。


「大丈夫ですか? 怖い夢でも見たんですか?」


 女性は俺にハンカチで目を拭いてくれた。


「泣いて、たんですか……俺」

「よくわかりませんが、ここは病院です。大丈夫ですよ」


 太陽に当たって彼女の笑みには仏の後光でも差しているかのようだ。

 穏やかな彼女の笑顔に苛立っていた気持ちが収まっていくのを感じる。シックな黒のメイド服じゃなく白のナース服を見るのは嫌じゃない、が。

 さっきのあの少女のことを思い出しそうになってちょっと恐怖心が呼び起されそうになったけど、ぐっと堪えた。


「貴方はあの時の優しいメイドさん、ですか? なんでここに……?」

「はい。私ここの看護師なんですよ」

「そう、なんですか」


 メイド服については、大人の暗黙の了解? みたいな感じで深く突っ込まない方がいいかな。翔太は服装のことについて、突っ込まず状況を把握しようと頭を巡らせる。

 ……ここ、病院だよな。たぶん。

 だったら、俺どうしてこんなところにいるんだ?


「申し訳ないのですが、私はこの後用事がありますので。先生が来ますからしばらく待っていてください」

「わ、わかりました」

「暇でしたらこちらの本でもどうぞ」

「ありがとうございます」


 女性から数冊の本を手渡され、ニコリと彼女は笑って立ち去った。

 彼女の穏やかな声と笑みにさっきまで見ていた夢のような出来事が本当だったのか逆に疑ってしまう。 気持ちを少しでも落ち着かせるために、俺はドイツ語の本を眺めながら相手が来るのを待つ。

 

「うーん、やっぱ読めないな……」


 ドイツ語の本はあまり詳しくわからなかったが雑誌の内容は最近のニュース記事や、ドイツ人向けのファッション雑誌などがあった。ドイツに永住……とはいかないが、ドイツ人の人からも違和感のないファッションはするべきだろうと思い、文字を無視して適当に見ていく。

 女性が本をくれたおかげかもしれないが、だいぶ気持ちが落ち着いてきた気がする。ほんの10分くらいで、女性が閉じた扉から開かれた音がした。

 

「待たせて悪かったねぇ、御崎さんだっけ。合ってるかな?」


 カーテンの裾を掴んで、こちらを覗き見る人物がおそらくメイドさんの言っていた人物だろう。肌が色黒のロマンスグレーの男性に声をかけられた。


「あ、はい……日本語、お上手ですね」

「あはは、お褒めにあずかり光栄だ。君も混乱してるだろうけど、自己紹介から始めていいかな」

「はい」


 背筋を整えてから、俺は本を寝台の横に置く。

 それを確認してからか、男性はゆっくりと話し始める。

 

「まず、私はアーデルハイトだ。ハイジって呼んでくれて構わないよ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」

「それじゃあ、まず場所を移動しよう。足は動かせるかい?」

「は、はい」


 俺は立ち上がり、診察室、と札が付いた場所までハイジさんに連れて行かれた。

 そこにイスが二つあって、ハイジさんが奥の方にある黒いイスに座る。

 俺はハイジさんに促されて手前のイスに座った。


「緊張してるのかい? 肩の力抜いてー、(キャンディ)でもいる? 私のおすすめはイチゴ! でも甘いもの嫌いなら、ミントのガムもあるから大丈夫だよ」

「じゃあアメの方を一つもらってもいいですか」

「いいよー、さては君も甘党だなー? ハハハ、どうぞ」


 差し出された飴はロリポップタイプで、ハイジさんの話が終わった後に食べることにした。

 くしゃっとした笑顔で笑うハイジさんは、安心感があって肩の力が少し抜けた。


「君のお父さんから事情は聞いてるよ。道端で倒れてたんだってね。軽い脳震盪(のうしんとう)だったから、もう帰って大丈夫だよ」

「俺は、死んだんじゃ……ないんですか?」

「死んだ? 何を言ってるんだい、死んでたら君は私と今会話なんてできるわけないじゃないか。怖い夢でも見たのかい?」


 彼の反応から見るに、嘘はついてないようだ。

 じゃあ、あの出来事は俺が倒れている間で見た夢?

 もしそうだったとしても、あの時の恐怖は何もかもがリアルすぎてる。

 不安のあまり、口にしなくてもいい妄言をハイジさんに喋っていた。 


「あ、あの俺間違いじゃなかったら人が殺されてるところを見たんです、それに俺も殺されたはずなんです」

「君は間違いなく死んでないよ、だってそうじゃないなら、今私とこう話せていないだろう?」

「そうですけど……でも」

「きっと怖い夢を見たんだ、大丈夫だよ」

「……そのドイツって治安はどうなんでしょう。俺、ドイツに初めて来たばかりだからわからなくて」

「湧界者と協定を結ばなかった時期は結構荒れていたけど、今はだいぶ安定したね。まあ、協定を結んだはずなのに荒れているのはアメリカのニューヨークくらいかな」

「へー……」 

「じゃあ、今日は自分の家でゆっくり休むようにね。それとこれ、お父さんから」

「あ、ありがとうございます」

「お大事に―」


 ハイジさんに手渡されたメモは、父からこの病院から自宅への経路が書かれてあった。昨日はドイツ語のフリガナを書き忘れていたことはとりあえず許すことにした。


「たく、父さんは本当におっちょこちょいだなー……」


 それに今から怒りに行ったって父さんは連絡をもらったらしいんだしもう仕事に出ているだろう。施設を出てから、帰って家でご飯を食べようとドイツの街をゆっくりと歩き始めた。

 すると、外にテーブルとイスが置かれたカフェと思われる場所にたまたま見かけた。


「……あれ、って」

 

 小説を読みながらコーヒーを飲んでいる私服の女性の横顔が見えた。

 思わず、進む足を止めてその女性を見つめる。石膏の彫像のような整った顔立ちと肌、細部まで手入れが行き届いた滑らかな長い黒髪には見覚えがある気がした。

 けれど、あの女性と彼女の唯一の違いがはっきり分かるのは瞳の色だ。

 目の前の女性の瞳は深海のような真っ青の瞳。俺が昨日出会ったあの人の瞳は、シルバーピンと例えたが、アクセサリーの装飾部分の銀白色な色に近かったはず。

 似てるというだけだなら声をかけるのは……いいや、ええい、ままよっ!


「あの……」

「Hey,What do you want from my Honey?」

「うわ! だ、誰!?」


 思い切って声をかけようとしたその時、背後から誰かから声をかけられた。

 振り返ると、緩めに斜めに髪をかき分けた髪型のイケメン男性が立っている。赤いラインが入った黒シャツにジーンズを履いている……なんだか、不良っぽい。

 片手に紙袋を持って背後にいたので少しびっくりした。

 無表情だから怒っているようにも見えるし、俺何かしただろうか……もしかして彼女の知り合いとか。

 ボーとしてたのもあったからか少し聞き取りにくかったな……とっさに聞けたのは、最後のハニーくらいだったけど……ん? ハニーって英語だよな。


「What’s the matter?」


 あ、うん、やっぱり英語だ。もう一回言ってくださいってお願いするか。


I'm sorry.(すみません)Please say(もう一度) it one(お願い) more time(します)

Do you() have any() business(恋人に) with my(何か) girlfriend()?」


 男性はもう一度ゆっくりと英語で言ってくれた。

 ……ん!? ハニー、しかもガールフレンド……? は!?


「こ、恋人!? そういうつもりじゃ……! ごめんなさい、俺そこに座ってる人がどこかで見たことあるような気がしただけなんです、だからその……! ごめんなさい!!」


 俺絶対この人から「俺の恋人に見つめてやがるな、ナンパか?」的なことを思われたに違いない!! 

 俺は不良っぽい見た目の人の横に駆け出す。


Ah()Hey you(おい)!!」

「邪魔して本当にすみませんでしたー!! じゃなくて、ソーリー!!」


 去り際の英語の発音が雑になったのを気にもせずに男性の恋人との一時を邪魔をしたことを謝りながら、すぐに全速力でその場を逃げた。

 つまりあの紙袋はきっと彼女と食事するための買い物袋とかで、二人で食べるところだったのだろう。

 女性の声を聞いたわけじゃないから確認はできなかったが他人の空似の可能性も高かったのだ、もう会うことはないだろうし気にしないことにしよう。

 スマホとメモを確認しながらやっと自宅に帰れた俺は思いっきり溜息を吐いてベットに寝っ転がる。

 怖かった。マジで怖かった。


「あー、外国にはあんな美人と美形のカップルがいるのかー、末恐ろしい……俳優レベルだったってあれは」


 誰かにこの思いをメールをしようと思ったが、父にラインをしたところで「暇人か」とか返ってきそうだ……うん、俺すっごい虚しくなることをしようとしていたな、やめだやめ。


「でも、もしあれが夢じゃなかったなら……映画のヒーローになれたかもしれないのかな」


 って、待て待て待て。なんで夢の中の登場人物に会ってみたくなってるんだよ俺……いや夢だから、こそ? なのだろうか。少しだけ、倒れている時に見た非現実に期待していたのかもしれない。

 ……まるで俺は、今の現実に満足していないみたいだ。

 恐怖しか感じなかったあの夢に、どこか運命めいたものを感じていしまっている自分に嫌気が差す。


「作品とかじゃないんだから……何考えてんだ、俺」


 気分転換に掲示板でも見るかとベットの上で転がったスマホを手に取る。

 スマホで四海ちゃんねるというサイトを探す。学生時代に知った外国人が作った日本人向けのちゃんねるだ。

 日本のことももちろん、海外での出来事や多数語られているサイトでもある。


「…………昨日の出来事、載ってるかな」


 昨日の出来事を調べていくと目に入ってくるものはみんな昨日の夕方に見た繭に関する話題で目白押しだった。特に気になったのは「やっぱり怪者(かいしゃ)の仕業じゃ……」というのがいくつも目に留まる。怪者(かいしゃ)というのは、ネットスラングでいうところの湧界者の隠語だ。

 湧界者の界を怪物の怪に変えて怪者(かいしゃ)、ずいぶん安直だがわかりやすい。スライドして見ていく画面に、ある単語が目についた。


「ん? なんだこれ………? 喪子(もこ)?」


 ちらちらとその単語があったためネット検索を開いて調べても喪女のことばかりでこの単語に関しては出てこなかった。怪者(かいしゃ)と同じで何かの造語だろうか。

 喪のほうは合ってる気がするので子の読み方をネット辞書で検索する翔太はそれぞれの読みを読み上げる。


「子の音読みだったらシ、スで、訓読みだったら、こ、み、おとこ、ね……だから……? もし、もす、もこ、もみ、もおとこ、もね………モ、ネ……モネーレ……? 嘘だろ」


 恐ろしい発想をしたなと体が戦慄を覚えた。間違いじゃなければ、夢の中のある人物が、モネーレと言う単語を言い放っていたのを思い出す。

 それから来ているのだとするなら、これは夢とは言い難くなった。実際に起こったと言われた殺人ショーよりも夢の中の殺人現場に恐怖を感じてるなんて馬鹿げてる、だが……あの人の最後に言った、あの言葉。

 検索画面からちゃんねるの方へもう一度戻ると、喪子があったコメントが一斉に消去されていた。まるで、俺が検索させるために残してあったみたいな気さえもして、全身に寒気が走る。


「怖い怖い怖い怖い、偶然なら出来すぎてる! ……いや、正夢なんて期待しないぞ俺。映画の見過ぎだろこれ」


 昔学生の頃の先輩からもらったホラゲーを思い出してきて吐きそうになる。

 胃液が逆流しそうだと口を押えていると腹の虫がぐぅ、と鳴った。


「あー……お腹すいてたからってことにしておこう、そうしよう。今日の出来事は何もなかったってことで!」


 そうして自分しかいない自室と言う秘密基地で父さんが買ってきてくれたカップラーメンを無理やり口に放り込むのだった。時刻一二時三〇分、後に俺はこの日からホラゲーよりも恐ろしい世界に招かれる、恐怖の日曜日となるのだった。


 非現実すぎる展開に追い付けず完全にキャパオーバーした頭のために、運動することにした。テレビを見てもどれもドイツ語でわからないし、ゲームや漫画を読みたくてもないし……いやはや、ニートには厳しい世の中だ。


「28……29っ……30!! ふぅいー…………お風呂入ろうかな、ん?」


 額から流れる汗をタオルで拭い、テーブルに置かれている数枚の髪を見つけた。

 『翔太へ、必ず見るように!』と注釈がついたそのメモを手に取る。


「えーと、なになに……?」


『――アホな子バカな息子様、翔太へ。お前がきっとカップラーメンを食べた後、体操やランニングして運動してるというのはお父さんの予知で確認済みだ、カップラーメンは美味かったか。お前の好きなシーフードだから、不味いはずがなかっただろ? 今日の晩も食べるんだからな』

「そうそう、昼はそのまま食べちゃったから晩はバターを入れてー……って、ジョークを交えつつ突っ込むことまで読んでるだろ。俺は父さんと漫才コンビなんてならないからなっ」


 綴られた文章にツッコミを入れる翔太。

 というか、父さんそこまで分かってるからポットのお湯満タンに入れておいてくれんだろうな……ありがたいと思わなきゃいけないんだろうが、なんか本人にツッコミを入れたかったなぁ。

 翔太は最後のメモをめくった。


「ん? 食材の買い方は休みの時に教える。追伸、ヒーローになりたいならいろんな国の言葉覚えたほうがカッコいいぞ。精々ガンバレ無名ヒーローくん……」


 ……父さん、そういう応援されたら俺就活がんばらないとって思っちゃうじゃんか。父にいいように扱われてるなという複雑な気持ちは抑え、最後に残してくれたエールに活力が湧いた。ふと、もう一度スマホで四海ちゃんねるを開く。


「……消えたっていうよりも見間違い、だったのかな」


 喪子という単語は一切なく、消えたというよりも始めからなかったようだ。まるで俺が見たから消えた、と言ったら妄想も(はなは)だしいがそう思っても仕方のないなこれは。ありえるとしたら俺が幻覚を見ている可能性がある。

 メンタル病んでた時なんてそんな感じだったから俺にはわかる。なぜその単語が夢の出来事に出てきた単語だと直感してしまったのか。

 単純に、そうだったら本当に作品の世界の展開だよな、と思っただけの話だ。


「あー! これ以上は絶対病む。もう気にするのやめやめ! ランニングし終わったら、シャワーしてから晩ご飯も食べてぐっすり寝る!!」


 確かミネラルウォーターが冷蔵庫に入ってたから、帰ってきた父さんにしっかり買い物をする時のドイツ語を教わけばいい。


「じゃあ、そろそろランニングしてくるか、走ってなくて鈍るのだけは嫌だし」


 ランニング用のパーカーを着て、外に出る。

 新居の周りの人通りが少ないことにこれから走るのには都合がいい。

 玄関の手前から一五キロほど往復して走るとして、父さんから渡された地図で分かったルートは体感距離は10キロ。残り5キロはどこで走るとしようか……まあ、迷わないように近い距離をなぞりながら行けばいいか。

 一通り走って、目標距離まで走り切ったら家に戻ってシャワーを浴びる。

 父さんのメールで、今日ははやく帰ると連絡が着ていたため二人分の晩ご飯を用意して、先に食事を済ませてから就寝することにした。



 ◇ ◇ ◇


 ベットの中で丸まって、横に転がる。

 カーテンからもれる月明りが俺の目元にそっと添えるように照らす。

 やけに今日の夜は静かだと感じるのは、なぜだろう。

 夜の月を窓から眺めていると少しだけ身震いした。冬空に積もる雪の影のように、あの月がどことなく青く見える。

 目による錯覚か、あるいは、精神的な願望か。


 ――ああ、眠れない。


「……なんで、」


 そのまま眠ってしまえば、本当の俺のここでの生活をやっと始められる喜ばしき日。それなのに……あぁ、なんで、忘れられないんだ。

 彼女の口から発せられたあの宣告は、間違いなく俺の処刑を意味していたはず。頭にぼんやりと浮かぶあの人の輪郭をなぞろうとしてしまう俺は、登校前に出くわした運命の王子様に恋い焦がれる女の子のように思えて気持ち悪い。

 夢の中の美女だってだけで、こんなに、こんなに頭から離れないものなのか?

 そりゃ、月明りでわずかに見えた顔は美人さんだったとは思うよ。

 今日の昼で見た女の人は期待を込めてそっくりさんっていうことにしたよ。

 それで? 俺が次に悩むべき課題は何だ。

 30歳の魔法使いになるのが先か、それとも永遠の一文無しを気取って孤独死か。

 そのどっちかだろ? 今からの俺の考えるべきことは。


「……………」


 誰かに期待するなんて、もう絶対にしないって決めたんだ。

 だから、こう悩み耽るのも明日の夜明けが来たらリセットの合図。夢で見た人が死ぬ光景も、全ては今まで見てきた知識の中のでしかないはずなんだ。

 深く気にしていてはいけないんだ、そうだよ。

 ハイジさんが脳震盪で倒れてたって言ってたんだから、それが正しい。

 目を閉じて、頭を呼吸することだけに集中する。


 ――また、昨日みたいなことが起こればいいのに。


「え……?」


 なんで昼前の時みたいなこと考えてる? 話は終わったろ。あんな教訓にもならない夢なら、思い出す必要だってないはずなんだから忘れていい。そうだよ、そう。


 ――でも、もしかしたらって期待してるんでしょう?


 自分を底なし沼に突き落とそうとする恋人みたいに、魅力的でぞっとする声がする。 俺の声じゃない、知らない女の人の声。


 ――あれが現実だったらよかったのに。


 やはり、頭の中で聞こえてくる。

 何がよかっただよ、意味わからないこと言うなよ。


 ――嘘吐(うそつ)き、本当は違うくせに。


 やめろ。


 ――否定しても無駄よ。だって、貴方は……、


 やめろ!


「俺、は……っ!!」


 ベットから起き上がる翔太は冷汗が蟀谷(こめかみ)から伝い右手で頭を抑える。

 しばらくしてから手を頭からどけ、誰も自分の部屋にいないことを確認した。

 ベットから降りて開けた窓に首を突っ込んで深呼吸を始める。


「…………すぅ――――! はぁあああああああ」


 頭を冷却するための空気を吸えるだけ肺に流し込み、一気に吐き出す。夜の冷たい風が俺の頬を撫でるのに、ドロッとしたこの感情までは拭い去ってくれなかった。

 翔太は、ドイツの夜景を少し眺めたら気分も変わるだろうと思い、夜空から街並みに視線を落とす。

 東京のネオン色の夜景と違い、穏やかな白いライトが目立つ。

 すると、窓辺の下には人らしき影があくびをしながら家に入ろうとしていた。

 あれは、父さんか?


「父さん!!」

「んぉおう!? おい、なんだ翔太ぁ! 大声出すなよー、近所迷惑だろー」


 あれ、普通くらいの声のつもりで声かけたんだけどな。


「……な、なんでもなー! くないけど、なんていうかー……」

「……あ? どした、なんか顔青いぞ」

「その、さっきまで女の人の声がしてて、て……っあれ?」


 父さんに声をかけてから、さっきまで聞こえていた声は頭の中から去っていた。

 もしかして脳震盪の人が聞いたりする、幻聴? なのかな、分からないけどたぶんそうなんだということにしておくか。


「まったくよー……ドイツに来てはしゃいでるのはわかるがよ、人様に迷惑かけちゃだめだろ。心配したんだからかなー」

「ご、ごめんなさい」


 父さんの呆れた顔に、胸のざわめきが収まっていく。

 そうだよ、今のは、漫画とかの展開でよくありそうだよなって思っただけ。

 漫画だったら主人公はそうなるよなって、思っただけで、?

 父さんの頭の横を一瞬、何かが通った。


「そうそう、晩メシ作っておいてくれた、」


 言い切る前に頭から血が噴き出て、糸でも触れたみたいにゆっくりと地面に崩れ落ちる。


「父さ、ん?」


 血が父さんの周りに波紋が広がるみたいに大きくなっていく。

 声も出ない絶叫が自分の口から漏れ出た。


「………………っ!! 父さ、ん? 父さん、父さん!?」


 三度、父を呼んでも反応しない。

 白い玄関は血で汚れ、父から離れた位置で転がる石ころにこびりついた血が厭味(いやみ)ったらしい。夜でもわかる……父さんは死んだんだ。

 俺の目の前で絶命したのだと俺の視界の全てがそう訴えてる。

 その光景は本当に、昨日の悪夢の続きのようだった。

 舞台が俺の家の近くに移動して、今度は俺の親父を殺した。

 目の前で、ほんの一瞬で、銃の弾みたいに飛んできた石ころに頭蓋を頭部を撃ち抜かれて、死んだ。


「うそ、だろ」


 俺は頭を抱えながら、床に沈む。

 青白く、そして薄暗さが蔓延する部屋が俺の心を苛める。


 ――本当のことでしょう、目を背けてはダメよ。


「嘘だ、嘘だ、嘘だぁ……!!」


 今の俺を恐怖を上乗せするみたいに、その声は俺の心臓を握ってぞわりとした声で笑ってた。


「なんなんだよ、なんなんだよ! ……なんなんだよっ、なんなんだ!!」


 ――貴方が望んだことじゃない。

 

「違う!! 父さんにドイツに来るのは嫌がったのは、本当は、本当は……っ」


 幻聴に今この激情をぶつけても無駄だってわかってる。

 でもそのことだけは否定しないと、


「違う、違うんだ、違うんだよ……だって、だって俺は」


 違うって、言い続けなきゃ、否定しなきゃ、ダメなんだ。


 ――いいわけね。


「いいわけなんかじゃ……!! 俺が呼び留めたから父さんが死んだとでも言いたいのか!!」


 ――そう、貴方のせいよ。


 俺を奈落に叩き落す声はあまりにも冷酷に告げる。


「……本当に、俺の、せい? だって、呼び止めただけだったんだ。父さんがそれだけで死ぬなんて、普通思わないじゃんか」


 ――グゥアアアアアアアアアア!!


「……そうだ、確認を、しないと」


 昨日見たドラゴンみたいな遠吠えが、また聞こえたんだ。

 混乱していた頭が、今になって冷静になってくる。きっとこれが夢の続きなら本当の父さんは死んでいない。

 今日の昼の時は、そうだってハイジさんに教えてもらったんだから。

 そうだよ、《《だから確認をするんだ》》。


「行こう」


 俺は立ち上がり玄関まで行き玄関ドアを開ける。

 地面に転がる父の姿に本来ならすぐにでも救急車を呼ぶべきだが、ドイツの病院の連絡先を知らないしドイツ語も話せないから連絡のしようもない。 

 父さんの頭は苦痛に歪んでいなかったことに、どことなく心が穏やかになれた自分がいた。俺はしゃがみ込み、開いた父さんの目蓋を手で閉じさせる。

 近くから数発の発砲音がする。

 聞こえた方向に振り向けば、父さんのように他にも倒れて血を流している人たちがいる。

 白服の人たちが、他の人たちに何か声をかけあっているようだが……その中で紛れて、座っている女性が見えた。


「貴方たちは他の民間人の誘導を、私は治療に専念します」

「わかりました、ハイルング。周囲の護衛は」

「一人残っていただければ大丈夫です。貴方たちは戦闘班(アーテル)への支援を。急いで!!」

「はっ!」


 女性のその言葉で、白服の男たちは散らばった。

 近寄りたくなかったが、化け物と戦おうとした人たちなのだ。怪しいし悪い人たちかもしれないけれど、それよりも何をしようとしているのか気になった。

 白服の男性は女性から離れると、女性は血を流して倒れている男性の胸元に両手をかざしているようだった。


「絶対に、死なせませんから……!!」

 

 女性の声に呼応するように彼女の頭の上に発光する黄金色に輝く王冠が浮かぶ。

 冠から黄色い蔦にも見える触手が伸びてきて男性の額に触れると、女性と男性の周りを包むように白い円形の光が現れた。

 

「ああ、本当に現実じゃないんだ」


 俺は小さな声でそう呟き、女性の近くまでゆっくりと歩いていく。

 足音が近づいてくるのに気づいたのか、女性は俺の方へ顔を振り向いた。


「翔太さん……!?」


 何度か見た人形のような顔が、驚愕に満ちた瞳でこちらを見る。

 その言葉に、俺は疑問を投げる他なかった。


「なんでここにいるんですか? メイドさん」


 長い金髪に付けていたホワイトブリムは外され、青いリボンを頭の横でサイドアップのようにまとめている。そして、白いスーツに青いのシャツと紺色のネクタイに、青い腕章を左腕につけていた。服装や髪型が違うが、間違いなく彼女だ。


「今は事情を説明できません。ここから退避してくださいっ」

「俺は確かめないといけないことがあるんです、だから」

「ダメですよ、ここは危険なんです。いいから逃げて!!」


 俺はメイドさんの声を無視して、先へ進もうとすると誰かに左腕を強く引っ張られた。


「ハイルング! 治療の続きを!!」

「離せ!!」


 メイドさんと同じ白服をまとった男性が俺の後ろで腕を掴んできた。

 おそらく、彼女の仲間だろう。


「ハイルング、この少年はこちらで保護します! 貴方は民間人の治療に!」

「待ってください! 彼に乱暴なことはしないで!!」

「生命線でもある君に何かあったら困るは我々です! この少年も避難させるので、貴方は治療に専念を!!」


 男性の力は強く、容易に解放されそうにない。この人に邪魔されたらもしかしたら本当に目覚められないんじゃないのか。

 一つだけなら浮かんでいるんだ。

 だから、それを実行するためにも邪魔をされるわけにはいかない。


 ――グォオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 また化物の雄たけびが聞こえる。

 ああ、だったらあの人が近くにいるのかもしれない。


「メイドさん、あの人に会わせてください!! 俺は、きっと、あの人に殺されないとこの夢から覚めないんだ!!」

「君、何を言って」

「うるさい、ならこの現状を現実的に説明しろ! できないなら俺の邪魔をするな!!」


 俺は男の隙を見計らって手を振り払い、一目散で逃げる。


「あ、おい!!」


 男の声を無視して俺は走り出した。

 白服の男の声が聞こえなくなるまで、化物の声がするほうへ向かった。

 お願いだから、誰か助けてくれよ。


「…………ああ、くそ!!」


 たとえそれが本物でも偽物の神様であったとしてもいい。

 ただ、俺を現実に帰してくれるのならば。

 道路の真ん中で、理解したくない異形の姿をした化物の前に立っている人がいる。右腕を左手で押さえながらもしっかりとその片手に持った銃を握っていたその人は囁いた。


「愚かに空しく愧死(きし)なさい、化物(クリーチャー)


 記憶の中に朧気(おぼろげ)だった声が、鮮明に耳に流れた。

 ああ、間違いない。

 ああ、そうだ。

 あの人は、俺を殺した死神様(めがみさま)だ。

 化物の姿をよく見ると黒猫に似た骨格をしているが影、いや砂煙のようにも見える体をしている。手足が鉤爪のように鋭く、尻尾が蛇の形をしたのが一つ生えていた。

 その化物の身体にはいくつもの青い目玉があった。

 化物は舌舐(したなめず)りしながら笑っている。

 胴体の一部一部から青い目も一緒に目じりが上がってる。

 竜の化物よりもキメラの怪物にビビってしまった俺は(かす)れ声で彼女に声をかける。


「死神様!!」

「……ここは危険よ、逃げなさい」


 女性は俺に振り返らず、化物の前で一人立っていた。

 先手必勝とでも言いたげに化物は右腕を上げて女に襲い掛かる。


「あぶない!!」


 女性は俺の一言の後に後ろに下がり化物の攻撃を避ける。

 次に二度目、三度目と彼女が避ける中銃弾を撃つが化物の尻尾で牽制される。不満げに顔を歪めた化物は尻尾で彼女の足を払おうとした。


「っ、」

「うわ!」


 女性は俺をキメラから庇おうとしたのか、俺のいる後ろに振り返って肩を掴んできて押し倒される。


「いった、ぁっ……、」


 反動でダイレクトに地面にぶつかったため、背中が痛い。

 上半身を起き上がらせる彼女の長い黒髪が、俺の頬に当たる。

 彼女の顔がはっきり見えた。今日見かけたカフェの女性と全く一緒だ。

 整った美顔から覗く深海色の瞳、ディープブルーの、青。

 怖いくらい暗い色ってわけじゃない。確かな、深みのある青に俺の顔が映る。

 彼女の目に吸い込まれる感覚を覚えながら俺は思わず見惚れつつ、なんとか言葉を口にした。


「……だ、大丈夫ですか?」

「それは貴方の方でしょう、はやくここから退去しなさい。アイツは私が仕留める」

「で、でも俺は、貴方に」

「いいから、死にたくないなら逃げなさ、」

『ニギィ!!』


 猫キメラが女性の背中に鉤爪で切り裂いた。


「ぐ、っ…………!!」


 血飛沫が舞う。また、俺の目の前で。

 父さんが死ぬ夢を見ているだけだというのなら、どうしてこの血の香りだけは嗅ぎ覚えがあるんだろう。昨日殺された夢で嗅いだ血の臭いとそっくりだ。 

 俺の胸の中でもたれる彼女の肩を掴む。


「死神様!!」

「今すぐ、逃げなさい。ここは危険よ」

「い、嫌です!! 絶対!!」

「っ、なぜ?」

「俺は、貴方に殺されないといけないんだ!!」

「何を、言っているの」


 翔太は彼女に懇願(こんがん)する。女性が疑問に持つのも本来なら普通であることだが、今の俺にそんなことは考えられる余裕すらなかった。


「だって、だってこれは夢なんでしょう? だから、父さんだって死んでないはずなんだ」

「落ち着いて、冷静になりなさい」

「無理だ!! あんな化け物、悪夢の中とか作品のキャラでしょう!?」

「……貴方、」

『ニギィ! ニギィ!』


 女性は俺の言葉を無視して叫び声を上げ化物に目を据えた。

 化物は頬を膨らませて女性がこっちに向くのを待っていた間、どうやら何度も手で床を叩いていたようだ。立ち上がった女性は左腕に持っていた銃で発砲する。

 尻尾を使って銃弾を弾く化物は嘲笑めいた顔で『ニギィ♪』と鳴く。


「さすが、猫は身軽ね」


 女性は追撃として右手を軽く上げて袖からナイフを出し化物に向かって投げた。

 化物は走っていたのを慌てて急停止し顔を横に反らして交わしつつ、尻尾でナイフの柄を掴んで女性に向かって投げ返した。

 ナイフは女性の左頬に当たり、頬から血が伝う。


「……卑怯ね」

『ニニニ』


 嬉しそうに尻尾を揺らす化物に女性は地面に片手を当てる。


「解析、開始」


 青白い光が彼女の周囲の全体、化物と俺がいる範囲までに行き渡るように光って見えた。ホログラムのような冷たさのある眩さは、昨日見た夢と酷似している。


「領域展開――――――投影準備(オールスタンバイ)

『ニギギ?』


 首をかしげる化物は不思議そうに女性を見つめた。

 化物のその視線は、手品師がなんの技を披露するのか期待する観客の視線と似ていた。


「目標補足―――――具現創造(フェイクメイク)献上の剣舞(ブレイドダンス)


 彼女は彼女の周囲の空中から、いくつもの柄のない刃先だけの剣のようなものが出現し化物へ突撃した。猫は首の周りを囲むように飛んできた剣を手で数本叩き落としてから尻尾で全てを振り払う。

 しかし、化物のその行為は仇になり剣たちは回転し化物の頭を剣山にした。


『ニギィイ!』


 化物の頭から黒い血液が溢れ出る。

 新たに頭の両サイドに二つの剣と、女性自身を取り囲むように五つの剣を召喚した。五つの剣を猫キメラの腹回りめがけて串刺しにする。


『ニギャア、アア……っ!』

「これで、最後よ」


 二つの剣が猫キメラに両目めがけて突き刺さる。

 見た感じだけなら、完全なオーバーキルだ。


『ニギィ、イァ、』


 化物は黒い血を目から噴出させて、噴水のように地面に飛び散る。

 中々におぞましい光景に吐き気を覚える中、猫キメラは雄たけびを上げると尻尾の蛇が死ぬ前の脱皮のごとく、猫の身体から切り離れて自分だけ逃走する。

 気が付けば、影の中に隠れてしまった。


「クリフ、半身が逃げたわ。他のアーテルに伝達を」

「……?」


 猫の方の化物は完全に地面に倒れ、倒されているのだと理解できる。

 その際にさっきまで化物の身体に突き刺さっていた剣たちが一斉に消える。

 猫の化物のいた場所に翔太はキラキラしたものが落ちているのが見えた。

 

「戦闘終了、次の実行すべき任務へ移行します」


 静まり返った空間に彼女の美しい声が響くのは当然だった。

 気がつけば、転がっていたはずの双銃も気がつけば消えている。

 嘘だろ? 剣が出てきた、っていうのんも驚きだけど銃も消えてるなんて。


 ――……やっぱり、夢なんじゃ。


 女性は青白く発光する小石サイズの宝石のような物を拾い、コートの内側から取り出した試験管に入れる。コートの中に仕舞ったのを確認した後、女性は左耳に指を当てる。


「……目標達成。アーテムシュタット区支部に帰還します。司令塔(マスター)、ハイルングに精神分析の必要な一般市民を発見、直ちに伝達を」


 女性は誰かの通信を終わらせると、俺の方へ向き歩いて寄ってくる。

 俺を真っ直ぐに見下ろすその青い瞳は、ドイツの澄んだ夜空と重なって見えた。


「もうあの化け物はいないわ」

「…………っ」


 もう一度彼女の顔をよく確認する。

 昼間に見た女の人とそっくり、いいや同じと言っていい。

 昨日の時は銀色の瞳をしていたはずと思ったのに、今は青色だ。どうして違うんだ? 微妙に見えた色が青よりも銀色っぽかったから、とか?

 夢にしてはあの時の瞳は、強烈に映っていたのに。


「医療班が時期に来るわ、少しの辛抱だから待っていて」

「……お願いします」


 女性は屈んで、俺の目線を合わせる。

 現実じゃないって決めつけているのに、体中震えが止まらない。

 俺は彼女のコートを両手で掴んで俯きながら訴えた。


「俺を、殺してください。これは、悪い夢なんだ」


 化物がいなくなったからの安堵よりも、心が悲鳴を上げている。

 俺がニートで、日本で仕事見つけられないからってなんだかんだ理由をつけてドイツに連れてきてくれた父さんに何もできないで終わるなんておかしい。

 昨日見たのだって夢のはずなんだ。


「いつまでもこのままじゃいけないって、恩返ししなきゃって思ってるのに……俺が、馬鹿なせいなんだ。真面目に学生らしく、ちゃんとした夢掲げて学生時代を過ごさなかったことへの罰なんだ」


 自分の身体から全部の水分が目から流れ出ていると思うくらいに、涙が止まらなかった。呼吸が上手くできなくなって、でももう笑うしかできなかった。


「……落ち着いて、あの化け物はもういないわ」


 女性は俺の肩に手を置くのが、逆に辛くて咽びながら泣き叫ぶ。


「貴方しかいないんだ!! はやく、はやく俺を殺してくれ!!」

「駄目よ」

「どうして!?」

「貴方を殺す理由はないわ」

「でも!! 貴方は昨日俺を殺したはずだ!! あの時、父さんに声をかけなければ……父さんは!!」

「……落ち着いて」

「お願いだから、お願いだから助けて、もう、こんな人生なんて嫌だ、俺、もう嫌だよっ」


 ぽろぽろと伝う涙が、服に落ちていくと、蛍のような淡い光が胸から溢れた。


「待って、っ!」


 腹から、まるで白い糸のような、いいや、白い色をした触手にも似たものが出ている。なぜか、昨日テレビで見た繭が思い浮かんだ。

 俺は慌てて女性の服から手を放す。


「何……!?」

「ああ、あああああ…………!!」


 一瞬だけ、触手から緑の瞳が見えた。

 腹から痛みが増してきて、あまりの激痛に翔太は地面に倒れ込む。

 なんだろう。ああ、そんなこと、もうどうでもいいか。


「……! ■■■、■■■」 


 女性が何か言っている。

 何を言っているか全然わからないまま、俺と同じく地面に転がる他の人の死体が目に入り、思わず涙が零れた。


「っはは……」


 やっぱり俺にはこんな無様で、カッコ悪い生き方のほうが当然なんだ。

 当たり前だよ、これは頑張らなかった奴に与えられる神様の罰なんだ。

 どんな理由付けたって、結果論が俺を責め立てる。

 ねえ、神様。


 ――――――無意味な人生だったって、貴方は笑いますか?


 笑うならせめて、もう少し脇役以下の死に方くらい与えてほしかったな。

 翔太はゆっくりと目蓋を下ろし、黒に支配された静寂へと引き込まれる。

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