前編
突然だけれど私の名前は氷刃えりな。大企業であるアイスソードホールディングスの社長と紅白出場経験のある美人歌手の娘とも言えるわ。
そんな二人から受け継いだ知力や地位、そして財力と美貌によって、私は常に注目の的にある。だが、そんな私には知られてはいけない秘密が二つある。
一つは、私がヲタクであること。特にラノベは大好物で、家にはラノベを置く為だけの部屋があるほどだ。私は、それほどサブカルチャーを愛してるのだ。
そしてもう一つ。私は週に一日、男の子と家で二人きりになるのだ。
――そしてこれは、その彼と私のお正月のお話である。
◆
今日は一月一日。新しい年がやって来た事を人々は皆喜び、その年の抱負を語り合う。そして、色々な文化が混じりあった日本に変わらず残る和の文化を感じられる日でもある。
そんな新年最初の日、俺こと今井律は、五月から通いなれた、学年一の美少女にして人気者、そして俺の唯一の友達である氷刃えりなの家の前にいる。
なぜそんなことをしているかと言われれば勿論、彼女の家に遊びに来たからなのだが、今は九時五十分。集合時間は十時なので十分早く来てしまったらしい。いつもならぴったり位に着くのになぁ。これほど早く来てしまったということは、早足になっていたのかもしれない。俺もまだまだだな。
まあ折角早く来てしまったのだ。えりなと、というか人とまともに会うのは一週間ぶりなので、ちょっと人恋しいところもあるのだ。あと寒い。
という訳で、この前のクリスマスにえりなの家に行ったときにえりなのお父さんから、
“これからも、私たちの娘をよろしく頼むね。けど……もし万が一私の娘を泣かせるようなことがあれば……分かってるね?”
という言葉と共に頂いた合鍵を使う時が来たようである。
関係のない話ではあるが、あの時のえりなのお父さんの蒼い目(えりなのお父さんは日本人とイギリス人のハーフである)は怖かった。流石日本のみならず世界に名を馳せるアイスソードホールディングスの社長。笑顔で俺の手を思いっきりにぎってきたのだ。しかも鍵を握りしめさせた状況で。痛さと怖さで俺は唯々高速で首を縦に振るだけの機会に成り下がっていた。まあそれも、えりなが顔を真っ赤にしてお父さんを止めに入ってくれたので、すぐ終わったのだが。
まあ、顔を真っ赤にするのは分かる。えりなのお父さんの発言、完璧娘を嫁にやる父親のだったし。なぜか分からんが、俺たちが恋人だと勘違いされていたのだ。事実は違うんだけどなあ。
はたから見ればカップルにしか見えない(自覚はある)俺達の関係だが、実際はただのヲタク友達なのだ。
友達になったのはただの偶然だ。行きつけの本屋でおんなじクラスの有名人がいたから話しかけた。その後、色々、本当にいろいろとあって仲良くなって、俺の高校初めての友達になってくれたのだ。
まあ、その後友達ができたかと言われれば、否なのだが。……要するに、俺にとって氷刃えりなは唯一の友達なのだ。
そんな己の悲しい現状を再確認した俺は、手にした合鍵で玄関の鍵を開け扉を開く。
「お邪魔しまーす」
と挨拶をする。
が、返事がない。
…………………………………えっ?
えりなは、いつも俺が家に入ると、必ず返事をしてくれるのだ。そのえりなからの返事がない……
俺の脳裏に、最悪のシーンがよぎる。彼女の父も母も有名人で、お金持ち。そして娘を溺愛している。彼女の人質としての価値は相当高いだろう。それに彼女自身も相当な有名人で、人気者である。人気者であるということは、相対的にごく少数の人間から恨みをかってしまうのだ。そんな奴らに、いまなお彼女が害されているかもしれないと思うと……
俺は駆け出していた。
広すぎる氷刃家の一部屋一部屋扉を開けてえりながいないかチェックする。部屋1、2、3、4、トイレ、リビング、キッチン。そのどこにもえりなの姿がいないことを確認すると、更に加速して二階に向かう。いつもえりなと過ごす、“えりなのへや”と書かれたボードのかかった扉を開ける。だが、そこにも探し求める彼女の姿はなかった。
頭に浮かんだ最悪の事態が、だんだんと存在感を増し俺を駆り立てる。すでにパニックに陥ってしまった俺は、まだ唯一見ていない部屋である、一階にある脱衣所、そしてお風呂場へ足を向ける。
長い長い廊下を駆ける。速く、もっと速くと心が体を動かす。小さいときに爺さんに永遠追っかけ回されてた事があるので長距離走はトラウマだが、短距離なら全力で走れる。心を支配する怒りや焦燥感、そして言いようのないこの感情を全て力に変えて、足を前へ前へと進める。
そして、脱衣所の扉の前にたどり着いた俺は、はやる気持ちを抑え、荒げてしまった息を鎮めるために深呼吸し、にじんだ汗を拭う。
そして、息を吐き切った俺は大きく息を吸い、犯罪者がいても戦えるように体を強張らせ、扉をスライドし、脱衣所に突入する。
俺の目に飛び込んできた光景は悲惨なもの……ではなく
――――――探し求めていた彼女の、風呂上がりのシーンだった。
ちょうど彼女もお風呂場の扉を開いた瞬間だったらしく、彼女のシミ一つ無い素肌も、触れてしまえば折れそうな鎖骨も、すらりと延びる肢体と、女性的なラインまで、全てが顕になっていた。
静けさが支配する脱衣場で、先に動けたのは俺だった。
突然だが、こんなとき、男はどうするべきか。何の非がなくとも、結婚前の女性の裸を見てしまったのだ。普通に頭を下げるのでは足りない。
故に、土下座というものがあるのではないか。
本能が命じるがままに、高速でジャンピング土下座を決行した俺。大きく息を吸い込み、「大変申し訳ございませんでした!」と謝罪の声も忘れない。
本来はすぐさま殺されても可笑しくないのだ。ラノベでこういう時、何人もの主人公が命の危機を感じたことか!今まで原作者さんありがとうという気持ちで読んでいたが、これからは主人公の気持ちにたって読むべきかもしれない
頭の一部でそんな馬鹿な考えが展開されていくが、百貨店のオバ……お姉さん方が商品を紙包みで包み込む早業のように纏めて包んで思考回路の奥の奥まで全力ピッチングする。
まだ彼女から何のアクションもない。もしかして、まだ足りないのか?やはりそうだよな。あんなものを見てしまったのだ……って、煩悩退散煩悩退散!今の流れで先程の光景を思い浮かべるな!記憶よ消えろ!永遠に!
「な、なんでリツがここに?もしかして覗き?いや、リツがそんなことするわけが……なにか理由が……って、リツ!?貴方何で土下座しながら頭を床に打ち付けてるのよ!」
最初は小声で俺とご対面してしまったときのことについて自分の考えを纏めようとしていたえりなだったが、俺が頭を床に叩きつけてる音でこちらに気づいたらしく、珍しく慌てて俺に話しかけてきた。
だが、何故とな?そんなもの考えなくても分かるだろうに。
「えりなが風呂に入っている可能性があることを考えられなかった俺の頭を矯正する為とえりなに対する猛省の意を示す為、そして煩悩を吹き飛ばす為だ。止めないでくれ」
なぜ空が青いのかと答えるよりも簡単な答えを、床に頭を叩きつけながら答える。
「止めるわよ普通!?」
声を荒げて俺の頭を床に打ち付ける行為を止めようとしてくるえりな。そのお心は女神様よりも寛大なのですね。……女神やぁ。まじもんの女神様やぁ……
「じゃあ、裸を見てしまった俺を許してくれるのか?」
「許すもなにも、事故なのでしょう?脱衣場に鍵を掛けておかなかった私にも非があるのだし。だから頭をあげて、ね?」
ふむ。ここは素直に顔をあげるべきなのだろうが……
「その……服を着てくれ」
俺の切実な願いによって、またも脱衣場に静けさが舞い降りた。
◆
午前中11時。本来えりなの部屋に行っていつものようにまったりするはずだったのだが、こたつの上にあったえりなから俺への書き置きを発見したため、まったりの時間は無くなってしまった。何故ならそれにえりなが風呂に入っている事が書かれていた為、書き置きを見落とした俺が本格的に悪いことが確定したので俺が柱に頭を打ち付けるという奇行に走ったからだ。まぁそれもえりなによって止められてしまった。くそう。
「もう、私は気にしていないって言ってるじゃない。女性が気にしないようにしているのは気を使って気にしなければいいのよ」
「そうなのか?」
「ええ。私がそうといったらそうなのよ。だから、貴方もこたつに入りなさい?ずっと立ったままは辛いでしょう?」
そういいながら、彼女は陣取っていた一辺の面でギリギリ端までいって、その一辺を共有するように目線とクッションをパフパフすることで訴えてきた。
……いやいやいやいやいや、ちょっと待て、横に座らなくてももう一辺のところに座ればよくないか?何故わざわざ密着するような場所にするのか。まあ役得と考えればいいのだが、彼女の節操的な問題でアウト臭いという……
心に生まれた葛藤に揺れる俺。心の中では理性を訴える天使と「流されても問題はない、寧ろ彼女のアプローチを無駄にして、学校一の美少女とイチャイチャできる権利を放棄していいのか?否、断じて否だ!」と甘美な言葉を俺にささやく悪魔が戦いを始めていた。結果は……惜しいというかなんというか天使の勝ちだった。
よし、無視するか。なんかとてつもなく惜しい気がするけど。足がくそ重いけど。全てはえりなの為……
そう決意した俺は、えりなの対面に座るように移動しようとして、えりなの、怒ったような、それでいて悲しそうな表情を見てしまった。
そんな表情を見てしまえば、どうしようもなく……彼女の隣に座り、こたつに足を突っ込む。温かぁ。
「足が冷たくなってるじゃない。それに手も。手を貸して。暖めてあげるわ」
俺の手に自らの手を置いた彼女はそういって、俺の手を自らの手で包み込み、足を絡ませてきた。って、これはマズイ!具体的に言うと俺の理性がマズイ!
「むぅ。ただ暖めるだけよ?一人が既に暖まっていて、一人は体が冷えきっている。なら体の熱を共有するのは当然のことでしょ?」
理論的にはセーフだが倫理的にはアウトだろ。それは。
「それとも、そんなに、私とくっつくのが嫌なの?」
「うぐっ!?」
いや、美少女が足を絡ませて涙目上目使いとかアウトだろ。俺の中で天使が悪魔に堕天したよ。心の中悪魔オンリーになっちゃったよ。
「……分かったよ。降参だ。えりなの好きにするといい。……それにしても、今日のえりな、なんか変だぞ?なんかあったのか?」
そう言ったとたん、えりなの肩がびくりとはね上がった。図星なのだろう。
「もう一度だけ聞くぞ?何かあったのか?」
俺の友達が、なにかがあっておかしくなっている。そんな状況が嫌で、俺はえりなと向き合い、正面から目を覗きこむ。
「……うっ。貴方のその眼差しは反則よ。分かったわ。言えばいいのでしょう?……今朝、私が転校して、貴方と離れ離れになってしまう。そんな夢を見たの。だから、そんなことは嘘だって、貴方は側にいてくれるって、そう自分に言い聞かせたいみたいなの。今日の朝お風呂に入っていたのも、その悪夢を払拭するため、だったの」
ドキッとした。まさか、彼女が俺の為に悲しんで居てくれるとは思わなかった。ならば、俺が今してやれること。それは、ずっと側にいることの証明。それしかない。
だから俺は、彼女の華奢な体を抱き締める。最初はビクッと震えたが、えりなは俺を拒絶することなく、むしろリラックスしてくれている。そんな様子だった。
「えりな。よく聞いてくれ」
俺は彼女の耳元でそう囁く。彼女が首肯してくれたので今思うことを口にする。それは、えりなにも言ったことがない俺の過去だった。
「俺はさ、ご存じの通り無表情で、感情が抜け落ちている見たいって、いろんな人たちに怖がられてきた。同世代の子供はもちろん、その親や教師、街の人々に。時には石を投げられたりしたこともあった。今ではあまりなくなったけど、嫌われたり遠ざけられたりすることが多いのは、高校でも分かっているはず。けど、えりなはそんな俺を拒絶することなく、一人の人間として見てくれた。感情を表現することができないでき損ないを」
「そんなことっ……!!」
「あるんだ。現に今だって、俺の表情は変わっていない」
そう。俺にある大きな欠陥。それは、表情がないこと。怒る、悲しむ、笑う、顔をしかめる。そんな普通の人には出来ることが俺にはできないのだ。
これが有る限り、一生一人で生きていく、そう思っていた。けれど、それは起こらなかった。目の前にいる彼女が、俺のはじめての友達になってくれたから。
だから――
「俺はさ、えりなに救われたんだ。えりなは俺にとって、一番大切な人なんだよ」
四歳の時に母親が俺を通り魔殺人鬼から守って死んで、十四歳のときに父親が死んだ。二人は駆け落ち結婚だったらしく、親戚も分からない。俺には肉親さえもいないのだ。
「だから俺は。えりなの側を離れない。離れたくないから。それじゃだめか?」
「……いいえ。その言葉が聞けて良かったわ」
そう言った彼女の声は震えていた。えりなの頭が乗っている左肩に意識を集中させると、そこは少し湿っていた。
「泣かないでくれよ。賢治さんに殺されてえりなの側を離れるなんてもっての他だから。な?」
「……ふふっ。それもそうね。」
そういって、彼女は体を離す。本当はずっとああしていたかったけど、そうはしていられない。けれど、「あっ」と声を漏らしてしまったのは悪くないだろう?
「――ッ!貴方今、表情が!」
「えっ?」
えりなが、泣いて少し赤くなった目を見開く。曰く俺の表情が変化したらしい。それも一瞬だけだったらしいが。
「で、どんな表情だったんだ?」
「ええっ!い、言わなきゃダメかしら?」
何故か顔を赤くして狼狽えるれいな。その理由を知るためにも、俺がどんな表情をしたのかは聞かなければならない。
「ああ。お願いだ。知りたいんだ!」
「ううっ!……そ、その、何て言うか、表現が難しいのだけれど……あれは――とても、淋しそうな。それでいて、どこか安心しているような表情だったわ」
「~~~~っ!!!!」
顔が熱い。火が出ているのではないかと思うほどに。言葉だけでなく、表情も出ていたのか……
「次は顔を真っ赤にして照れているわね。そういえば、朝の時もこれくらい赤くなっていたような……ねえリツ」
「なんだ?」
俺は、母親の葬儀の日に固まってから今までびくともしなくなった表情筋をどうにか動かして、えりなに普段の顔で返事をする。
「その、リツには表情がないと、貴方も私も思っていたわ。けれど、今日貴方には表情が生まれた。その、私と色々あって。だから、その。貴方の表情が、自然なものになるように。貴方が自分を欠陥と言わず、ちゃんと人間と胸を張って言えるように、私が協力するわ」
「お、おう?協力ってどんなだ?」
「そ、それは、その……は、ハグ……とか?」
えりなの消え入りそうな声。それは俺には届かず、宙へ溶けていく。
「ごめん。聞こえなかったから、もう一回言ってくれないか?」
「だ、だから!ハグとか!膝枕とかするって言ってるのよ!」
羞恥心のパラメーターが吹っ切れたえりなは、大声でそんなことを叫んでしまった。というかマジですか。
「ほ、本当にいいのか?後悔しないか?」
「するわけないわ。貴方だもの。お父さんが家で二人きりにしてもいいって言うなんて、凄いことなのよ?(それにお父さんは、彼のことを自分の後釜にしようとしてるみたいだし……)」
「そ、そうか。お父さん公認か」
「その言い方は止めましょう?その、カ、カップルみたいに聞こえるわ。……別に、嫌って訳じゃ無いけど……」
最後の方。彼女は俺に聞こえないように言ったつもりだったけど、先程俺が聞き取れなかったせいで彼女を羞恥心の彼方まで吹っ飛ばしてしまった教訓を生かした(つもり)の俺は耳を澄ませていたため、聞こえてしまっていた。まあそれは、俺も……というか、そうなりたいけれど……
「えりな」
「な、なにかしら?」
「俺が普通になれるまで、待っててくれるか?」
「もしかして、さっきのを聞いて!?――いえ、そんなことより返事が先ね。……勿論いつまでも待つわ。けれど、長く待つのは苦手だから、早速貴方に協力してあげるわ」
そういって、れいなは俺を抱き締めてきた。俺は抵抗などするはずもなく彼女を抱き締め返す。フワッと彼女の纏ういい香りが俺の鼻孔を刺激し、体の全体に感じる柔らかな感触が、彼女を離したくないと心に訴えかける。今は、今だけは心にぽっかりと空いていた穴が満たされる。そんな気がした。
どれ程の時間が経ったかは分からない。俺達には言葉を交わす必要は無く、互いの息遣いだけが部屋に木霊した。
どちらが先に顔だけを正面に向けたのかは分からない。しかし、どちらからともなく二人の顔は近づいていき、そして、二人のシルエットが重なっていき…………
「ただいま、今帰ってきたぞ!えりなー!」
「あらあら。賢治さんたら。あら?今日はリツ君もいるみたいね?」
「「――ッ!!」」
親が帰ってくるというベタな、本当にベタすぎる展開で、彼らの甘い時間は一時的に終わりを告げたのであった。
◆
えりなの両親が帰ってきたため、俺達はえりなの部屋を出てリビングへ向かった。因みにあのあとはなにも起きてない。取り敢えず恥ずかしかった。えりななんて目を合わせるとアワアワしてしまうぐらいに。
そして、氷刃家の食卓にお邪魔する事になった俺達は、えりなの両親と向き合うようにしてテーブルを囲む。
まあ取り敢えず、新年の挨拶をするとしよう。
「新年明けましておめでとうございます、賢治さん、あいなさん。それに、おせち料理まで、ありがとうございます」
「おお、リツ君。明けましておめでとう。それと料理のことは気にするな。将来の息子なんだし、遠慮入らないよ。存分にあいなの手料理を味わってくれ」
「ちょっとお父さん!?何変なこと言っているのよ!私たちはまだそんな関係じゃ」
なんかえりなが賢治さんに噛みついてる。まあさっきのこともあるしな。ただ、”まだ“はだめだろう……ほら、言わんこっちゃない。賢治さんに指摘されちゃってるし……
「あらあら。おめでとうね、リツ君。それにしても、二人とも何だかよそよそしい気がするけど、もしかして帰ってくるタイミングを間違えたかしら?」
「あはは。……ノーコメントで」
そんな新年の挨拶をして、俺達はあいなさんの作ったおせち料理に舌鼓を打ったのであった。
「「「ご馳走さまでした」」」
「あらあら。お粗末様です」
「そうだ。リツ君、れいな。君たちは初詣には行かないのかい?」
「いえ、そういう予定は特に……」
「あらあら。そうなの?でも、行った方がいいわよ?それにリツ君、れいなの着物姿、見たくない?」
あいなさんの言ったことに釣られて、つい横に座るえりなを見てしまう。今まさにあいなさんの発言に噛みついているえりなの着物姿。見たくないといえば嘘になる。というか見たい。
けど、えりなは有名人。そんな彼女が、俺のような嫌われも者と二人で初詣なんかに行ったら、彼女に迷惑をかけてしまうかもしれない。……自分で言っておいて、凄く凹むな……
そうやって、自分の欲望と彼女の生活を天秤にかけていると、対面の賢治さんが声をかけてきた。
「もしかして、目立つのは嫌だったりするのかな?」
「い、いえ。そんなことは」
「じゃあ何を迷っているんだい?もしかして、えりなの着物姿を見たくないのか?」
賢治さんの言葉で、隣に座るえりなが俯いてしまった。俺はそんなつもりではないのだが、このまま誤解されるのは嫌だ。だから、俺の心を正直に言葉にして伝える。
「そんな訳ではありません。むしろ凄く見たいです。けど、俺はクラスや学校でも嫌われ者です。そんな奴がれいなの隣にいたら、れいなに迷惑がかかってしまう。それは嫌なんです」
「ふむ。……君は嫌われ者ではないと思うぞ?現に私達は、君の事を息子だと思えるほど君の事を好きだ。君がその表情が無いことをコンプレックスにしているのも、そしてそれが原因で避けられていると思っているのも知ってる。けどね?それだけでは嫌われているとは言わないよ。皆、君とどう接すればいいのか分からないんだよ。それは君もだけどね。……長々と話すつもりは無いからまとめるけど、君は自分を卑下しすぎだ。もっと自分に自信を持ってごらん?そうしないと、自分の隣にいる大切な人が軽視されてしまうかも知れないからね」
「そう……ですか。じゃあ、行ってみようと思います。初詣。えりなも、付き合ってもらっていいか?」
「この流れで行かないわけないじゃない。明日、今日と同じ時間に家の前に来てちょうだい。そ、その……貴方に可愛いって、言わせて見せるわ」
おおう。この子は両親がいる前でなんて事を。賢治さんの顔が怖いことになってる。
「あらあら、そんなことをしなくても、リツ君さえ良ければ家に泊まっていけばいいじゃない。家は無駄に広いから、お部屋もあるし」
「おお、それはいい!ナイスアイデアだ、あいな。リツ君、今日は泊まっていきなさい。二人で風呂にでも入ろうではないか!」
突拍子もないことを言うのは遺伝子でしたか。てか、賢治さんと一緒にお風呂とか、もう完璧俺がえりなを嫁に迎えに来たみたいになってるんだが。
うーん。我が家には安定して誰もいない。家事も終わらせているし、冬休みの課題も昨日終わらせた。なら……
最後にえりなに許可を取ろうと隣を見ると目があった。アイコンタクトで今日泊まってもいいか聞くと、彼女は頬を赤らめながら、首肯してくれた。
「じゃあ、今日は泊めさせてもらっていいですか?家事は手伝うので」
「おお、本当か!ならさっそく、風呂を洗いに行くか!」
そう言って駆け出してしまう賢治さん。……あの人、一応大企業の社長、だよね?それが風呂掃除って。
「あらあら、賢治さんったら。まだ午後一時なのに、張り切っちゃって。それとリツ君、家事を手伝ってくれるの?」
「ええ。一応一人暮らしなので、大抵のことは出来ます。まあ、あいなさんの料理には負けますが」
「そうなの?でも、まだ高校生で一人暮らし出来るのだから凄いわよ。これで料理も私より上手かったら、私の立つ瀬が無いもの。私、息子とキッチンでお皿洗いをするのが夢だったのよ。まあ、えりなしか出来なかったのだけれどね。ありがとうえりな。こんな素敵な男の子を家に連れてきてくれて。絶対に逃がしちゃダメよ!」
そういって、るんるんと軽い足取りで重箱をキッチンに持っていくあいなさん。そしてその後ろ姿に照れ隠しの非難を送るえりな。小さい頃になくした一家団らんの姿がそこにはあって、隣にはえりながいて。
とても、幸せだなと俺は思いながら、えりなを眺める。
彼女は俺の視線に気付き、素敵な笑顔を向けてくれた。
「ごめんなさいね?賑やかな家族で。それと、今日は泊まってくれて有り難う。私も、お父さんもお母さんも嬉しいわ」
「こっちこそ。久し振りに家庭の温かさを思い出せて、良かったよ」
「そう?ならよかった。あと、お父さんも言っていたけれど、貴方はいい人よ。優しいし、格好いいし気遣いもできる。それに料理もできるし学もあるのよ?だから自分の価値が低いだなんて思わないで?それに、その無表情だって治すのでしょう?いいえ、治して貰わないと困るわ。私を三十路過ぎても未婚の女にさせないでね?」
「おう。分かってる。俺も三十路まで一人なんて無理だからな」
「そうね。じゃあ、さっきの続きをしましょうか」
えりなはそうやって、俺にハグをして、彼女の柔らかい唇を俺のそれに重ねたのであった。
呆気に取られている俺をよそに、彼女は俺の肩に顔を埋めてしまう。たぶん彼女も顔が真っ赤なのだろう。俺も、自分で顔が熱いことが分かる。
「ふふっ。私の初めてよ。光栄に思いなさい?」
「ああ。俺も初めてだったよ」
そう言うと、彼女は驚いたかのように埋めていた顔を上げ、俺が嘘をついていないと分かると、花も恥じらう程の満面の笑みを浮かべてくれた。
「なら、私達は初めて同士だと言うことね」
「そうだな」
そう言って、俺は自分の口角が少しだけ上がったような気がしてえりなの方を見る。
そこには目を見開いて驚いているいるえりなの姿が。取り敢えず、えりなに俺が笑えていたか聞いてみる。
「え、ええ。確かに笑っていたわ。……やったわね。これで待つ期間が少し減ったわ」
「そうだな。頑張らなくちゃ」
ちなみにだが、この会話を続けている時も俺達はハグを継続していたので、当然のごとく気付かなかったのだが…………
風呂の掃除を終えた賢治さんと俺が来なくて痺れを切らしたあいなさんに、リビングと廊下を繋ぐドアの影から俺たちのハグをしている姿もキスシーンも見られていたことを二人から聞いた俺は、今日何度目か分からない赤面をしたのであった。
これでこいつら付き合って無いんだぜ?
驚くだろう?
俺もだ←