「二歩目」
「あ、ここです」
「……」
「やっぱり、緊張します?」
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
逃げ出したい気持ちを抑えて、一歩踏み出す。入口の自動ドアが開き、そこを越えると実用的で色気のない空間広がっていた。薄暗くてピンク色の受付を想像していたが、そんなことはなかった。むしろ病院ばりに白い。
……無機質だなぁ。
ムードのある音楽が流れて、暖系色の仄かな照明が点々とあって、なんだかいい匂いがするようなしないようなホテルもどこかにはあるのかもしれない。しかし私の入ったのは露骨さともいかがわしさとも縁を切ったようなところだった。
拍子抜けーーいや、少し安堵しているのか?そういう雰囲気が希薄だから。
「部屋とってくる」と男が受付と話し始めた。そのあいだ手持ち無沙汰になってしまったので、好奇心から周囲を観察する。
エレベーター……は、ない。しかし一階にはそれらしい部屋も見当たらない。外からの見た目は普通のビルだったので、そういう部屋は二階三階にあるのだろう。階段で昇るのだろうか?リネン室らしきところに、シーツの山積みになったカートが運ばれてくる。それを押す従業員と目は合わない。当然か。そそくさと行ってしまった。壁には所々に軽い染みがあって、少し汚らしかった。建物自体がそこそこ古いのだろう。
しばらくじろじろと眺めたあと、急に自分の行動が恥ずかしくなった。
ーーそういうことに興味津々、みたいな。いや、思春期男子ならまだしも。
薄汚れた染みに笑われた気がして視線を落とす。タイルの地面と、いつもならめんどくさいからと履かないようなめかしこんだ靴が目に入った。
少しくらいお洒落しないと相手に失礼だろう。いつものパジャマみたいな格好で来るのは流石に気が引ける。そう思い、更に普段との区別も含め、今日はやけに気合の入った服装だった。
入口のガラスに映る自分の格好を自嘲気味に眺めると、その先でまばらな通行人が見える。私の視線には気付きもせずにみんな思い思いの方へ流れていく。
ーーここがラブホだって、どのくらいの人が知ってるんだろう。
「外、寒そうだな」
ぽそっと呟いた所で、男から声がかかった。部屋の鍵を取れたらしい。
「じゃ、行きますか」
手を差し出される。
「いえ。あ、はい」
返事をして歩きだそうとすると、前にいる男がこっちを見たまま進もうとしない。仕方ないので立ち止まり、嫌そうに眉を寄せてみせた。
「……手は、繋ぎませんよ」
そう言うと、残念な顔をした後やっと動き始める。
外階段に繋がるドアを通ったとき、遠ざかったガラス越しの景色が気になり、なんとなしに目を向けた。
そういえば、今日は天気が良かった。日差しが強いくせに寒かった。空は綺麗な青だった。
ドアが閉まって向こう側が完全に見えなくなるまでのあいだ、そんなことを思っていた。