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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
本編
78/171

7-18


 アビゲイルの裁判の日取りと、担当する判事の名がわかったのはそれから数日後のことだった。


 職務の合間を縫ってグレイル邸を訪れた軍服姿のランドルフは、珍しく同僚であるカイル・ヒューズを伴っていた。


「判事はカルヴァン・キャンベル伯爵だ。キャンベル家の人間は代々法曹界に進出することが多い。領地はそこまで豊かではないが、孤児院や病院をいくつか経営していてかなりの収入を得ているようだ。家族構成は息子が二人に娘が一人だな」

 そこでカイルが「はーい」と手を上げた。

「補足すんねー。奴さん、離婚歴があって再婚相手は娘と変わらない年頃だってさ。それだけでもドン引きだけど、噂では侍女にも手をつけてるらしくて、婚外子は片手の指じゃ足りないって話だ。頭は良いかも知れないけど、夜遊びも女遊びも大好きっていう典型的な貴族のクズ野郎だよ」

 スカーレットが訳知り顔で頷いた。

『叩けばいくらでも埃が出てきそうな相手ね。なら、話は簡単だわ』

 コニーが疑問符を顔に浮かべていると、溜息とともに出来の悪い生徒に説明するような声が聞こえてくる。

『要は間抜けなカルヴァン・キャンベルがのこのこ入りたくなるような罠を仕掛ければいいんでしょう?』

 そう言うと、悪だくみを打ち明ける子供のように、にんまりと口角を持ち上げた。


『―――お誂え向きがいるじゃない』




 ◇◇◇




「私が【ジョン・ドゥ伯爵の夜会】の主催者に?」

 でっぷりと肥えた子爵ハムはそう言うと、あってないような首を傾げた。




「どれだけ金を積んでも招待される側以外になれないので、てっきりあれは上級貴族の特権だと思っていましたが」

 地区教会で面会したハームズワースは、うきうきと目を輝かせていた。

 確かに、公爵夫人であるデボラ・ダルキアンを筆頭に例の怪しげな夜会を采配できるのは伝統的に上級貴族に限られているようだった。なので今回はランドルフの―――リュシュリュワ公爵の伝手を使わせてもらったのだ。ちなみにコニーが事情を話すと、死神閣下は長々と溜息を吐いて「くれぐれも無茶はしないように」と言い聞かせてきた。


「もちろん、ただではないのでしょう?」

 すっかり乗り気になった子爵が息も荒くコニーに詰め寄ってくる。コニーはわずかに身を仰け反らせた。

「か、カルヴァン・キャンベル伯爵を招待して頂きたいのです」

 子爵はきょとんと目を瞬かせた。

「おや、そんなことでいいのですか?」

 いかにも拍子抜けしたというような態度である。

『―――お前、その態度で万一カルヴァンが来なかったら引っ叩くどころではすまさなくてよ』

 スカーレットが目を眇め、絶対零度の視線で子爵を睥睨する。

 しかし、ハームズワースは全くの無反応だった。

 

 ―――アビゲイルは、子爵もルチアのように人ならざるものが視えると言っていたが、今日の彼を見る限り、全くと言っていいほどそんな素振りはない。


 やはり、噂は噂でしかなかったということだろうか。


「あのキャンベル伯爵なら美女を揃えたとでもいえば飛んでくると思いますけどねえ。ああ、どうせなら高級娼婦でも呼んで乱痴気騒ぎと洒落込みましょう。話題性があった方が疑われずにすむでしょうからな。ジョン・ドゥ伯爵の夜会に娼婦を呼ぶなんて誰もやったことがないことだ。私も鼻が高い。―――ちなみに貴族の相手もできる麗しの女神たちに心当たりはありますかな?」

 スカーレットが呆れたように溜息をついた。

『昔から、品のない催し物を思いつく手腕だけはお前の右に出る者はいないわね』


 まさかその言葉が聞こえていたわけではないだろうが、子爵はひどく愉しそうに口の端を吊り上げたのだった。



◇◇◇



「パーティ?」


 子爵と話した内容をミリアムに告げると、彼女はすぐに決断した。

「―――行く」

 躊躇う素振りは微塵もなかった。

「そのキャンベルってやつを落とせばいいのよね?」

 真剣な眼差しでそう訊いてくる。【豊穣の館(フォールクヴァング)】の花であるミリアムが参加するとなれば、ハームズワースの狙い通り夜会は話題性に富むだろう。遊び人だと噂のカルヴァン・キャンベル伯爵も興味を示すに違いない。

 ミリアムの視線を受けとめると、コニーもしっかりと頷いた。

 すると、今の会話を聞いていたのか、背後から棘のある声が掛けられた。

「……勝手に店を休むの? 規約違反だわ。オードリーにとんでもない額の罰金を払うことになるわよ。最悪、謹慎処分にだってなるかも知れない」

 硬い表情を浮かべていたのはレベッカだった。告げられた内容にコニーは驚いたが、ミリアムは顔色一つ変えることなく淡々と答えた。

「言われなくとも知ってるわよ。でも、それが何なの?」

 その声はひどく冷たいものだったが、今日のレベッカは怯まなかった。

「私が、行く」

 そう言うと、悔いるような表情でミリアムを見つめる。

「……ばかなことをしたってわかってる。今さらこんなこと言っても信じてもらえないかも知れないけど、本当に、アビーにひどいことをするつもりなんてなかったの。ただ、私が浅はかで自分勝手な子供だっただけ。挽回の機会チャンスを頂戴。どんなことをしてでも、アビーを助けてみせるから」

 必死に言い募るも、ミリアムの返事は素っ気なかった。

「力不足よ。だってあんた、今まで一度も売り上げで私に勝てたことないじゃない」

 レベッカは唇を噛みしめた。ミリアムはさらに言葉を続けていく。

「だから―――」

 けれど、その声は先ほどより幾分か穏やかだった。

「ふたりでなら、行ってもいいよ」

 切れ長の瞳が驚いたように見開かれる。視線の先にいた相手は不服そうに口元をへの字にしながら首を振った。

「言っとくけど、まだあんたのしたことを許したわけじゃないからね。でもね、ほら―――キャンベルとかいう男が貧乳好きだと困るでしょう?」


 ミリアムは仕方なさそうにそう言うと、たわわに実った己の胸を張ったのだった。




◇◇◇



 夜会当日。

 ハームズワース子爵が主催する今回のジョン・ドゥ伯爵の夜会は、どうやら耳聡い者の間ではすでに話題になっているようだ。もちろん例のカルヴァン・キャンベルも参加者リストに入っていると子爵は上機嫌に教えてくれた。


 ミリアムたちを迎えに行くためにコニーが【豊穣の館(フォールクヴァング)】を訪れると、そこにはすでに麗しい娼婦たちがずらりと並んで待ち構えていた。


「へ……?」

 面食らっていると、その中のひとりが一歩前に出てくる。

「事情は聞きました。―――アビーのことを、よろしくお願い致します」

 そう言ってやや年嵩の彼女が頭を下げると、他の娼婦たちも倣うように礼をしていく。

「え、あ、あの、頭を上げてください……!」

 コニーが慌てて止めに行くと、彼女たちは一様に首を振った。

「私たち、みんな、あなたに感謝しているの。それに、ごめんなさいね。本当は私たちも行きたいけど、ここを空けるわけにはいかないから。ミリアムとレベッカならきっと上手くやってくれるはずよ。―――さあ、行って。オードリーに気づかれる前に」

 その言葉とともに鍔の広い帽子を目深に被ったミリアムとレベッカがやってきてコニーの両脇に立つ。

「がんばって」「お願いね」「幸運を祈っているわ」背中にいくつもの声援を受け、そのまま館を出ようとしたしたその時だった。


「誰が何だって?」


 入口からしわがれた声が聞こえてきて、盛り上がっていた周囲は、しん、と静まり返った。


 その様子に声の主であるオードリーは目を細め、ずかずかと室内に入り込んだ。そして、集まっていた娼婦たちをぐるりと見渡す。途中、コニーの横に並ぶ着飾った二人を見つけると、わずかに眉をつり上げた。


「―――おや、()()()()はミリアムとレベッカだけなのかい? これっぽっちとは、天下の【豊穣の館(フォールクヴァング)】の名が泣くねえ」


 聞き捨てならない台詞に噛みついたのはミリアムだった。

「アビーまだ死んでないわよ。惚けるには早いんじゃない、クソババア」

「ミリアムや。お前は虫も殺さぬ顔をして、相変わらず気の強い子だねえ。あたしの若い頃にそっくりだ。―――ローラ、表の看板を下ろしてきな」

 ローラ、と呼ばれた女性は最初にコニーに礼を言ってきた女性だった。彼女はオードリーの言葉に怪訝そうな顔を浮かべている。

「わからないのかい? ―――()()()()()()、お前たち」

 突然の展開に、娼婦たちは互いに目配せをして首を傾げている。オードリーは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

「ほら、これが何だかわかるかい? 老体に鞭打って馬を走らせ、ボン……じゃなかった、オブライエン公爵から捥ぎ取ってきた証文だよ。これでアビゲイルが戻るまではあたしがこの館の所有者だ。だから、あたしのやることに誰にも文句は言わせないよ」

 彼女はゆっくりと室内を一瞥した。

「今日のお前たちの仕事は新規顧客の開拓だ。場所は旧モントローズ邸。どうやらでっかい宴があるらしいじゃないか。さっさと着飾ってきな。全員だよ!」

 旧モントローズ邸。そこは、代々ジョン・ドゥ伯爵の夜会が開催されてきた場所だ。

 つまりこれは―――アビゲイルを助ける夜会に参加してこい、ということだ。

 一拍の沈黙の後、わあっという歓声が沸いた。

 ミリアムとレベッカは呆気に取られた様子で立ち尽くし、娼婦たちは目を輝かせて、てきぱきと動き始めた。

「オードリー、真珠を砕いた白粉を使ってもいい?」「花珊瑚の口紅は?」「私、月蚕のドレスを着たい!」

 老女は厳めしく腕を組みながら、次々に気前よく了承を出していく。

「今夜は特別だよ。なんでも使いな」

 それからコニーたちにも聞こえるように、よく通る声を発した。

「正直アビゲイルがどうなろうと知ったこっちゃないけどね。あのお節介焼きに手を出したってことは―――つまり、うちに喧嘩を売ったと言うことさ。あたしゃ売られた喧嘩は買う主義でね」

 オードリーは、ふん、と鼻を鳴らす。

「よく聞くんだよ、あたしの育てた可愛い娘たち。お前たちは貞淑・・()()()()性格だから、ひとつ、ためになる助言でもしておこうかね」


 そうして【豊穣の館(フォールクヴァング)】のお目付け役は、歓楽街で調子に乗る悪たれどもを叱りつける時と全く同じ表情を浮かべて、ぴしゃりとこう告げたのだった。


「うちに喧嘩を売った馬鹿どもに遠慮はいらない。手練手管ぜんぶ使って根こそぎ身包み剥がしておいで。―――骨ひとつ残すんじゃないよ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 冒頭のミリアムの度量の広さの印象がかすむレベルでオードリーがかっこいい。 >>骨ひとつ残すんじゃないよ  こことか、もはや客ですらない敵でだから、骨までしゃぶるなんて超えた骨一つ残すなな…
[一言] カッコ良すぎて思わず目頭が熱くなった…
[良い点] オードリーおばあちゃんかっこいい!すき!!
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