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この期に及んでも尚、ケンダル・レヴァインは消えた第七王子の存在を秘匿しようとしていた。
幾度こちらが事情を訊こうとしても知らぬ存ぜぬの一点張りだ。かと言って彼らが率先して事態の解決に動いているという情報もない。
王子の誘拐からそろそろ二週間が過ぎようとしていた。今回の特使の駐留は後進への研修も兼ねるということで、ひと月ほどを予定していた。さすがにそろそろ動きがあるだろうとランドルフが王宮にやってくれば、ちょうどケンダルが部下を引き連れて移動しているところに出くわした。その姿は心なしかやつれて見える。ランドルフは「レヴァイン特使」と声をかけた。うっすらとした髪の主はぴたりと足を止めると、大儀そうに首を回した。
ランドルフは、もうすでに何回か口にしている言葉をまた今回も伝えた。
「困っていることがおありなら、憲兵総局が手を貸せると思いますが」
真意の読めない薄い色調の瞳が、何かを見極めようとするようにわずかに細まった。けれど―――
「いったい何の、お話ですかな」
そう言うと、相手はそのまま何事もなかったかのように歩き始めた。
取りつく島もないとはこのことだった。
◇◇◇
総局に戻ると、部下に指示を飛ばしていたカイル・ヒューズが声を掛けてきた。
「お疲れさん。ケンダル・レヴァインはどうだった?」
「駄目だな。まるきりこちらを信用していない」
そう言ってランドルフが首を振れば、カイルは、はーっと大仰に溜息をついた。
「……あのうすらハゲ、今度会ったらあの不毛地帯に残った毛根を一本残らずむしりとってくれるわ」
真面目な顔で何やら物騒な発言をしてくる。それから頭が痛そうに言葉を続けた。
「こっちもエルバイト宮に出入りしてたっつー商人を追ってるけどなかなか厳しいな。つーかもうセシリア妃に直接話訊きに行きたいくらいなんだけど」
「難しいだろうな」
「いやほらランドルフさー殿下とご学友じゃん?何とかなんないの?」
「エンリケは俺と妃殿下だったら妻の方を取るだろう」
でなければ周囲の反対を押し切ってまで子爵家の娘と結婚などしない。そう告げれば、カイルはがっくりと肩を落とした。
それ見て、ランドルフは口を開いた。確かに当人から直接事情を訊くのは困難だろうが、手出しのできる方面がないわけではない。
「探るとしたらリュゼ子爵の方だな」
「あー奥方はメルヴィナの貴族だっけ? ……メルヴィナねえ。そういやあそこも割と問題があったな」
さして大きくも豊かでもない小国メルヴィナの南部には、火薬の原料となる硝石の鉱床が豊富にある。それはかの国の貴重な財源となっているのだが、これまでアデルバイドが国策として硝石を輸入したことはなかった。必要がなかったからだ。ランドルフたちの生きるこの若い国は、建国を除いて戦争などしたことがない。
その一方で帝国時代から血の歴史を刻んできたファリスはメルヴィナの古き良きお得意様であり、両者の関係は蜜月にあった。ファリスがどこかの国と戦争を考えているならば、メルヴィナにも動きがあるだろう。
そう考えると、以前カイル・ヒューズが半狂乱になりながら捕らえたメルヴィナの死の商人についても気にかかる。有史以来、死の商人が動けば戦争が起こると言われているのだ。もちろんランドルフたちもその可能性を考えたのだが、状況的にあまりに荒唐無稽だったために「ない」と判断してしまった。けれど、それは少し浅慮だったかも知れない。自分たちが今の平和に慣れ過ぎていたために、何かを見逃してしまったのではないだろうか。
男はすでに収監されているが、もう一度尋問する必要があるだろう。とりあえずメルヴィナに間諜を送り、動向を探らせて―――などと考えていると、カイルが含みのある目線をこちらに向けてきた。
「で、妃殿下だけど。どう思う?」
ランドルフはわずかに声を潜めると、はっきりと告げた。
「―――偶然で片づけるには都合が良過ぎるな」
「……だよなあ」
カイルは答えが分かっていたように眉を寄せた。確かに厄介な事態ではある。相手は王太子妃だ。決定的証拠がなければ不敬罪とも言われかねず、おいそれと事情聴取もできない。
けれど、もっと厄介なのは、セシリアがアデルバイドから寝返ったのがいつかわからないと言うことだ。ここまでくるとリュゼ子爵側の個人的な陰謀とは考えられない。規模が大きすぎる。けれどもし十年前―――いや準備期間を含めればそれよりもっと前―――から仕組まれていたとすれば、それはそれで恐ろしい話だった。そんなことができる相手などひとつしか思い浮かばない。
【暁の鶏】。
となれば例の商人も組織の一員だろう。
「それで、例のファリスの改鋳の件はバルト大佐には伝えたんだろ?」
「ああ。大佐の方からベレスフォード総司令官に話を通すと言っていたから、じきに何らかの対抗措置が下されるはずだ」
「『不死身のデュラン』の出番だな」
御年五十になる王立憲兵総司令官デュラン・ベレスフォードは、死なないことで有名だ。
ベレスフォードは先祖代々辺境伯の位を持ち、領地はファリスとの国境線沿いにある。さらにその立地から度々北方の蛮族の強襲を受け、常に前線に立つベレスフォード家の男系の寿命は、冬の日のマッチの炎のように短かったという。
しかし末子であり兄弟の唯一の生き残りであるデュラン・ベレスフォードは類稀なる強運に恵まれ何の問題もなく成人すると、そのまま領地を飛び出て王立憲兵に入局した。いくつもの死地をくぐり抜けてきた男はやはり王都でもくたばらず、何度も絶体絶命の状況下に陥ろうとも、その度に五体満足で帰還し成果を上げ、総司令官の座を手に入れた。唯一の危機と言えば、十年前に昔から折り合いの悪かったゾルムス伯爵の策略により投獄され、処刑を宣告されたことだろうが、刑の執行直前に無実の証拠が出てきたためにまたもや生き延びることとなった。
それゆえ司令官の二つ名は『不死身』なのである。手腕はもちろんのこと、強きに屈せず弱きを助ける、絵に描いたような人格者でもある。例の件は、彼に任せれば安泰であろう。
カイルがふと思い出したように口を開いた。
「後は―――この前の誘拐犯か。そういや婚約者ちゃんにはあのこと言ったの?」
「ロレーヌ嬢に頼んだ」
ケイト・ロレーヌの証言から、ホセという名の組織の男が『リリィ・オーラミュンデの鍵』というものを追っていたことが判明した。そして、コンスタンス・グレイルがそれを持っているとも。
何のことかはわからないが、心当たりならあった。それはたぶん彼女と初めて会った時―――コンスタンス・グレイルがオーラミュンデ邸に忍び込んだ際に盗んだものだろう。その後ジョン・ドゥ伯爵の夜会で再会し事情を確認した際に、彼女が額縁の裏で見つけたのは『エリスの聖杯』というメモだけだと言っていたが、おそらくそこに鍵もあったのだ。
黙っていたのはスカーレット・カスティエルの入れ知恵だろう。何か隠しているのは分かっていたが、まさかこんな繋がりがあるとは思わずランドルフも流してしまっていた。
けれど、わからないのは【暁の鶏】の方だ。なぜ、リリィ・オーラミュンデの鍵を追っていたのか。なぜ、それをコンスタンス・グレイルが持ちだしたことに気づいたのか。
―――後者の理由なら、予想がつく。どうやら奴らは鍵の存在を以前から知っていたようだ。けれど場所の特定には至らず、秘密裡にその行方を探していたのだろう。日頃から生家や孤児院と言った、リリィ・オーラミュンデに所縁のある場所を監視していたのであれば、そこにコンスタンス・グレイルが引っかかったとしても不思議はない。
しかし、なぜ、奴らが『リリィ・オーラミュンデの鍵』を追っていたのかはわからない。それも、彼女の死から一年以上も過ぎた今もなお。
とはいえ、きっと、そこまで重要なものではないのだとは思う。そうであるならば、とっくの昔にコンスタンス・グレイルは亡き者にされているはずだ。ホセも、その相棒で鍵の捜索に当たっていたというオルダスに射殺された男も、組織の中では末端だった。
躍起になるほどではないが、公にされると困るもの。
おそらくそれが、『リリィ・オーラミュンデの鍵』の正体だ。
「あ」と入口に視線をやったカイルが声を漏らした。それからにやにやしながらこちらを振り返ってくる。
「来たよ、コニーちゃん」
その台詞を聞いてランドルフの胸中に一瞬だけ湧き上がったのは、なぜか反発だった。いくら博愛主義者で女性との距離が近い男とはいえ、たいして話したこともないというのに少し慣れ慣れしいのではないだろうか、という―――
「どした?」
「いや……」
何となく靄がかかったような気持ちになったが表情には出さず、婚約者を出迎えにいく。
榛色の髪に鮮やかな若草色の瞳を持つ少女は目に見えて焦っていた。
「あ、あの、ケイトから、聞いて……!その、リリィさまの鍵のことなんですがっ……!」
「ああ」
最初から用件はわかっていた。こちらから言うと委縮してしまうのではないかと思い、友人であるロレーヌ嬢の口から伝えてもらうように頼んだのだ。
けれどなぜかコンスタンス・グレイルは、今にも倒れそうな決死の表情で声を張り上げた。
「わ、私、それ持ってます―――!」
奇妙な沈黙が落ちる。
それがあまりにわかりきった答えだったので、だろうな、とランドルフ・アルスターは無表情のまま心の中で頷いた。




