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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
本編
49/171

6-2

※2話連続更新しています。


 ケイトが攫われてから一夜が明けた。

 娘がいなくなったはずのロレーヌ家は恐ろしいほどに静かだった。憲兵に捜索願を出したという話も聞かない。もしかしたら、とコニーは思った。もしかしたら、グレイル邸の庭に投げられていたものと同じような手紙が届いたのかも知れない。そんな気がした。つまり、娘を助けたければ沈黙していろと。そういうことなのだろう。

 ロレーヌ男爵は最近領地で始めた事業の根回しのため今年は王都に来ていなかった。跡取りであるケイトの兄も昨年から国境警備隊の所属になったため、やはり王都からは離れていた。あの屋敷には、今、ロレーヌ夫人しかいないのだ。




「……閣下」

 自室の長椅子で膝を抱え込みながら、コニーはぽつりと呟いた。

「閣下に、相談、しよう」

 誰にも言うなと手紙には書いてあった。けれどそれが最善の方法とはどうしても思えない。


 ―――今度からは。


 【豊穣の館(フォールクヴァング)】からの帰り道。馬車の中で告げられた、低い声。


 ―――何か行動を起こす時は、事前に連絡をくれると助かる。


 あの人は真剣な顔をしてそう言ってくれた。だから。


『あら、またバカ正直に相手の言うことを鵜呑みにするのかと思ったわ』

 スカーレットが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 おそらく、少し前までのコンスタンスならそうしていただろう。誠実には誠実が返されると信じて。そして都合の悪いことにはすべて誠実を言い訳にして。

 けれど、誠実にすがり待っているだけでは事態は何も変わらない。

 だから―――考えなければ。どうすべきか。

 そう、考えるのだ。どうしたら望む結果が得られるのかを。

 

 そして行動に移さなければ道は拓けないということを、今のコニーはよく知っていた。



◇◇◇




 総局に向かうため身支度を整え裏門から屋敷を出ようとした、その時だった。


「ちょっといいかしら」

 物陰から待ち構えていたかのように何者かが現れ、有無を言わさぬ強い口調で声を掛けてくる。ぎょっとして振り向けば、そこにいたのは癖の強い赤毛に緑灰色の目。コニーは思わず低く呻いた。

「……アメリア・ホッブス」

 間違いない。メイフラワー社の人騒がせな女性記者だった。

 彼女はコニーの行く手を遮るように陣取ると、嫌になるほど覚えのある不躾な態度で詰問してきた。

「あなたに聞きたいことがあるのよ」

「すみません、急いでいるので」

 コニーが断ると、アメリアは片眉をつりあげた。

「平民ごときとは話せないってわけ?」

 デジャヴである。コニーは眉間に指を押し当てながら「違います」と否定した。もちろん相手は聞く耳など持たなかったが。

「だいたい子爵家のご令嬢ともあろう方がこそこそ隠れていったいどんな楽しいお遊びをしようとしているの?ここで大声を上げてもいいのよ?」

 それは困る。この状況で注目を浴びることは避けたかった。動揺が顔に出てしまったのか、アメリアは満足そうに笑うとそのまま言葉を続けてくる。

「ねえ、あなた、セシリア王太子妃と会ったんでしょう」

「それが、なにか」

「すごいじゃない、会ってすぐにお茶会に誘われるなんて。きっと気に入られたのね。―――それなら、私と取引しない?お金なら払うわよ。それともまた注目を浴びられるように記事にしてあげた方がいいかしら?」

「……けっこうです」

「ふふ、強がらなくても大丈夫よ。それでね、あなたには王太子妃を探って欲しいの。―――彼女にはよくない噂があるから」

 このままいったん屋敷に戻って出直すか。いや、おそらくアメリアは待ち伏せしているだろう。そのうち客として招き入れろとでも言ってきそうである。となれば強行突破で―――そんなことを思っていたら、物騒な言葉が聴こえてきてコニーは思わず顔を上げた。

「知っていた?あのひと、娼婦の血を引いているらしいわ」

 コニーはぽかんと口を開けた。そんなはずはない。彼女の旧姓はリュゼ。リュゼ子爵家の長女である。母親は確か同盟国であるメルヴィナの貴族令嬢だったはずだ。

「―――数カ月前にね。たまたま市庁舎に出向していた軍属の男がリュゼ子爵家の戸籍簿に改竄の跡があることに気づいたの。彼とは顔馴染みだったんだけど、とにかく神経質な性格でね。疑問をそのままにしておけないタイプ。もちろん独自に調査を開始して、その結果、セシリア・リュゼは正当な子爵家の娘ではなく、贔屓にしていた娼婦との間にできた子だと突き止めたわ。本妻の子はずいぶん前に流行り病で亡くなっていたんですって。体が弱かったのはそっち子の方だったんでしょうね。子爵は娘の戸籍を入れ替えたのよ。彼―――ケヴィン・ジェニングスはその事実を告発しようとしたわ。これは王家や国民に対する明らかな裏切り行為だって。大スクープでしょう?でもね、急に連絡がつかなくなったと思ったらいつの間にか薬物中毒者(ジャンキー)になっていて今は施設で療養中。奥さんは自殺しちゃうし。怪しいと思わない?」

 どくり、と心臓が嫌な音を立てた。それはまさか、テレサ・ジェニングスのことだろうか。

「それでこちらも色々と調べてみたの。例の娼婦は出産と同時に亡くなっていたわ。そして、すでに閉鎖されたさる孤児院の名簿にはセシリアという名前があった。まあ、リュゼ領だと伝統的に生まれてきた女児にセシリアという名前をつけることが多いんだけど、年齢はもちろん、髪の色と瞳の色までほぼ同じ。薔薇色の瞳は珍しいから、おそらく間違いないわ。聞き込みを続けていたら、彼女、同じ孤児院出身のサーシィだかシシィだかって名前の少年と将来を誓い合っていたらしいの。……ほら、王太子妃がよくお忍びで市井に下りているっていうのは有名な話でしょう?孤児院の子供たちと触れ合ったり、施療院を見舞ったりって美談のひとつになっているけれど―――こっそりかつての恋人と逢瀬を重ねていたらロマンチックよね?」

 灰みがかった暗緑色の相貌が、ぎらぎらと熱を帯びている。ぞくりとコニーの背筋に悪寒が走った。

 そのまま言葉を失っていれば了承したと捉えたのか、アメリア・ホッブスは「じゃあしっかり情報を集めておいてね」と言い残すと忙しなく帰っていった。




「……知ってた?」

 コニーは恐る恐るスカーレットに訊ねた。彼女は難しそうな表情を浮かべながら、かぶりを振る。『初耳ね』

 これが真実なら確かにスクープだ。しかし相手はあのアメリア・ホッブスである。コニーの記事を鑑みるに、真偽のほどは定かではない。

 眉を寄せながら歩き出そうとすると、ぱたぱたと軽快な音がしてひとりの少年がやってきた。「コンスタンスって、ねーちゃんのこと?」

 驚きながらも頷くと、手にしていた紙切れを渡される。

「そこの角で頼まれたんだ」

 そう言うと、少年はまた走り去っていった。なんだろう、と視線を落とせば、そこにあったのはペンで書き殴ったように、乱れた、文字。


 ―――屋敷に戻れ。次はない。


 コニーは息を呑んだ。それから震える声で、小さく呟く。


「……見られてる」



◇◇◇



 結論から言えば、ランドルフに会いに行くことはできなかった。何者かに監視されている。その事実は想像以上にコニーの行動を制限した。打開策も浮かばない。

 けっきょく何もできないまま、時間ばかりが過ぎていった。

 そして、とうとう約束の刻限が迫ってくる。

 コニーはそっと屋敷を抜け出した。正門を出たところで、人影があることに気がついた。またアメリアかと身構えたが、明らかに違う背格好だ。そう気がつくと、思わず目を見開いた。


「出掛けるのか、グレイル嬢」

「閣、下……?」

 紺碧の瞳に、相変わらずの黒ずくめ。いつもながらその顔立ちは鋭く、立ち振る舞いにもどことなく威圧感があり―――

「顔色が悪いな。何かあったか?」

 けれど、もう、ちっとも怖くない人。

 ランドルフ・アルスターはそう言うと、きょとんと首を傾けた。コニーは酸欠の金魚のように口をはくはくと開閉させた。

「ど、どうして……」

「先日の【暁の鶏(ダエグ・ガルス)】の一件でスカーレットに確認したいことがあってな。倒れた女性の他に、あの夜会でジャッカルの楽園を使っていた者はいなかったかと」

 

 ―――非常に申し訳ないことに。

 

 告げられた内容は半分も聞き取れなかった。なぜなら、心底苦手だったはずのその低く冷たい声に、ひどく安堵してしまったからだ。


 助けて。


 助けて、閣下。


 咄嗟にそう口を開きかけて―――しかし、次の瞬間、往来を行き交う人たちが視界に飛び込んできて凍りついた。ひとりではない。女性、老人、子供。もちろんどこにでもいるような人たちで、怪しさなど欠片もない。けれど周囲に人がいるという状況に声が出なくなってしまう。きっと今も誰かが見ている。そのことに気づいてしまったのだ。会話だって聞こえているかも知れない。

 突然黙り込んでしまったコニーを見て、ランドルフは怪訝そうに眉を寄せる。このままではいけない、とコニーは焦った。このままでは、()()()()()怪しまれてしまう。

 スカーレットが大袈裟にため息をついた。『ノーマン・ホールデン』

『あいつもいたわね。実際に近づいてはいないから匂いはわからないけれど、確か彼もジェーンの愛用者だった。ランドルフも知っているはずよ』

 コニーはほっと胸を撫でおろして、スカーレットの言葉を伝えた。

「―――ノーマン?」

 ランドルフは青い目を瞬かせた。

「それは確かか?」

「はい」

 するとわずかに考え込むような仕草を見せて、そのまま頷いた。

「そうか。こちらでも調べてみよう」

 そう言うと、さっと踵を返してしまう。「あ」思わず間抜けな声が漏れた。けれどランドルフには届かない。そのまま足早に遠ざかっていく黒い背中に向かって、コニーはぽつりと呟いた。「……行かないで、ください」


 もちろん独り言のように小さな声が聞こえるはずもなく、やがてランドルフ・アルスターの姿は見えなくなった。コニーは項垂れたが、気持ちを切り替えるように大きく息を吸い込む。それから、よし、と顔を上げて、前を向いた。


 その先では、スカーレット・カスティエルがいつもと全く変わらぬ傲慢な微笑を浮かべてこちらを見ている。


 少しだけ心が落ち着きを取り戻して、コニーは静かに頷いた。

 


「―――行こう」



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