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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
本編
42/171

5-9


「いらっしゃい!」

 

 満面の笑みで客人を出迎えたセシリア王太子妃は、しかし、コニーの傍らに誰もいないことに気がつくと愛らしく首を傾げた。

「……あれ、ランディは?一緒に来るって聞いてたけど」

 閣下は急な仕事が入ってしまったようだとコニーが謝罪すれば、セシリアは寸の間その表情を消した。しかしすぐに「大変ねえ」と穏やかな笑みを浮かべると、優雅な仕草でコニーを室内へと誘った。




「さ、かけてかけてー!この部屋にお客さまなんて久しぶりだもの!」


 勧められるがままに皮張りの椅子に腰を落とす。


 品の良い調度品が設えられた室内はひどく奇妙だった。天井からは異国情緒溢れる色彩豊かな幾何学模様のランタンがいくつも釣り下げられており、壁には千花模様の綴織タペストリーや怪しげな木彫りの面が飾られている。その他にもコニーが見たこともない品物がそこからかしこに置かれており―――思わず目を丸くしていると、どこか得意そうに声を掛けられた。

「珍しいでしょ?大陸全土から集めたのよ。ま、頑張ったのは私じゃなくて商人だけどね」

 そう言うとセシリアは誇らしげな表情で微笑んだ。商人、という言葉にコニーはわずかに身構える。

「……優秀な、方なんですね」

「うん。ソルディタの少数民族の青年なんだけどね。とーっても話が上手くてついつい余計なものまで買っちゃうの」

「よくいらっしゃるんですか?」

 その問いには沈黙が落ちた。セシリアはゆっくりと首を傾げ、おっとりと口の端を釣り上げる。

「―――そうね。昨日も来たわ。大きな廿楽つづらを背負いこんで、ラフィーナ地方の絨毯を見せに来たのよ。でも、それが、どうかしたの?」

 その無垢な表情には動揺など微塵もない。それが返って恐ろしくて、コニーは思わず押し黙る。ややあってから、セシリアが、あらやだ、と殊更に明るい声を上げた。

「ごめんね、お茶が冷えちゃう」

 四隅に見事な飾りが彫られたガラス天版のテーブルの上には、もくもくと湯気を上げるティーポットがふたつある。セシリアはその片方を自分の方へと寄せた。

「これはね、私専用」

 そう言ってにっこりと微笑んでみせる。

「知っていると思うけど、私、幼い頃は本当に体が弱かったの。それがこうして人並の体を手に入れられたのは()()()()()のお陰。だからごめんね、私、飲み物はいつもこれって決めているの。薬みたいなものだから、コニーのは普通の紅茶ね。遠い東方のもので、手に入りにくいからバドに無理を言って定期的に取り寄せてもらってるんだ。あ、バドっていうのは今言った私が懇意にしている商人ね」

 言いながら、手慣れた仕草で自らお茶を注いでいく。コニーは静かに口を開いた。

「―――申し訳ありません、妃殿下。私、勘違いをしていました」

「勘違い?」

 セシリアが、甘い薔薇色の瞳をきょとんと瞬かせる。

「はい。妃殿下がかつて毒を仕込まれたのは有名なお話ですから。それで、日ごろから警戒されているのかと。ポットがふたつあったので、ついついそう思ってしまいました」

 陶器に注がれた明るい赤色から、ふわりと癖のある匂いが香る。甘さのない、芽吹いたばかりの若葉のような青い匂いだ。

「―――それは、スカーレット・カスティエルのこと?」

 セシリアの声はひどく平坦だった。

「当時のあなたはまだ子供だったと思うけど、ずいぶんと知ったような口を聞くのね?」

 一切の乱れを面に出さず、彼女は淡々と告げた。薄い双眸が冷ややかにコニーを見据える。

「……いえ、ほんの噂程度です。かの大罪人スカーレット・カスティエルが妃殿下を毒殺しようとしたと」

「―――彼女はね、使用人を買収して屋敷の水甕に毒を仕込ませていたのよ。間抜けなことに死んだのは私じゃなくて水盆の鑑賞魚だったけど。あの時、たまたま侍女が水を入れ替えてくれたから私は助かった。邸内には彼女の耳飾りが落ちていて、彼女の自室からは使いかけの毒瓶が発見された。それが全て。私は自分の命を守ろうとしただけ。何が悪いの?それが結果的に彼女の命を奪う羽目になってしまったけれど、先に手を出したのはあの人の方」

 それからセシリアは痛ましげに眉を顰めた。

「でも、婚約者がいるとわかっていてエンリケを愛してしまったのは私の罪ね。だからきっと今その罰を受けているんだわ。御子が生まれないのは私のせい。エンリケも災難よね。私に気を使って側室の打診も断ってくれる。弟君のジョアン殿下がいるだろうって。ほら、あそこは王子はもちろん、姫君も誕生されているし。―――エンリケはね、いずれ何かしらの理由をつけて継承権を放棄するつもりでいるのよ。十年前からそう決めているの。昔から彼の口癖のひとつでもあったわ。王族をやめたら小さな領地をひとつ賜って、そこで静かに暮らそうって」

 そこでコニーを表情に気づくと、一端言葉をとめて不思議そうに目を瞬かせた。

「変な顔ね。これは以前から公言している話よ。もちろん、快く思わない方々もいるけれど」

『―――相変わらず話のすり替えがお上手だこと』

 ふいに、心底つまらなそうな声が落ちてきた。

『いつだってのらりくらりと話を交わして、ほんと、面の皮が厚いったら。……まあ、相当嫌われているようだけど』

 スカーレットはそう言うと、愉しそうに嗤った。意味が分からず、コニーは目線で続きを促す。

『だってさっきから薬草茶それから嫌な匂いがするんだもの。たぶん子流しの毒が入っているわ』

 ―――毒?

『間違いないわよ。手癖の悪い御婦人方が火遊びをなさる前に飲んでいたものの匂いとおんなじ。どうも何かの根っこから取れるものらしいけど。頓服程度ならともかく、常用となれば内臓はぼろぼろになるし下半身に血の塊ができやすくなるはずよ。体は氷のように冷たくなるし浮腫みはでるし、それでけっきょく血の流れが滞って心臓がとまった方もいたわねえ―――』

 コニーが言葉を失っていると、セシリアが白磁に青い花弁が描かれたカップの縁に口をつける。思わず「ああっ!」と悲鳴が飛び出た。セシリアの手がとまった。

「……なあに?」

 コニーは、はっと迂闊な口元を押さえたが、もちろんそれで誤魔化されるほど目の前の人物は甘くはない。

「穏やかではない声ね?薬草茶これが、どうかしたの?」

「……ええと」

 目が泳ぐ。スカーレットがため息をついた。こうなったら仕方がない、とコニーは腹を括る。

「……薬草茶、ということは、いっぱい、生薬が入っている、ということですよね?」

「まあ、そうでしょうね」

「その、これは、あくまで聞いた話なんですが、もしかすると、入っている成分によっては、血流を悪くしてしまうこともあるようでして……。妃殿下は、先日お会いした際もずいぶんとお手が冷えていらしたので、もしかすると、何かが強く反応してしまう体質なのではないかと心配になって―――」

「いやだわ、コニー」

 セシリアは親し気な口調でコニーを呼んだ。

()()に話して?可能性のお話ではなく、実際に入っているものの正体に確信があるのでしょう?あなたはわかりやすいもの。そうね……おそらく見た目で気づいたわけではないわよね?それなら最初の時から態度に出ているはず。かといって飲んでもいないのに味がわかるわけもない。となると―――まさか、匂い?」

 撃沈だった。

「ああああああの、以前に、教えてもらったことが、あるんです。に、匂いも一緒に!その、詳しい知人がいて……!」

「ずいぶん博識なお友達を持っているのねえ。それは信用に足る人物なのかしら?」

 一瞬の間があった。コニーはセシリアに向き直るときっぱりと告げた。

「―――はい」

「よくないものなのね?」

 コニーは頷いた。

「そう。虚偽であれば相応の対価を支払わせるわよ。……まあ、でも、言われてみれば同じものだからと特に調べたことはなかったわ」

 セシリアは興味深そうに呟くと、おもむろに後ろを振り返った。それから控えていた数名の侍女に静かに命じた。


「お前たちも聞いていたわね?―――すぐに薬草に詳しいものを呼んでちょうだい」



◇◇◇



 やってきた専門家から成分の同定を行うには数日かかると言われ、コニーは宮殿を後にした。


『ばかねえ』

 人目がなくなると、スカーレットが呆れたように口を開いた。

『放っておけば良かったのに。これでお前まで目をつけられたわよ』

「……でも、知らずに毒を飲んでいる人を放っておくわけにはいかないし」

『あら、わたくしが出鱈目を言ったかも知れないわよ?』

「スカーレットは確かに嘘つきだけど―――」

 コニーは困ったように眉を下げた。

「それでも、嘘をついているかどうかくらいはわかるもの」

『……お前、やっぱり最近生意気だわ』

 スカーレットが気分を害したように頬を膨らませた。

『だいたいあの腹黒はわたくしの復讐相手かも知れないじゃないの!わざわざ敵に塩を送ったりなんかして!』

「でも違うかもしれないでしょう?確たる証拠はないわけだし。妃殿下が死んじゃったらそれもわからないじゃない」

 むう、とスカーレットが珍しく言葉を呑みこんだ。それから諦めたようにため息をつくと、話題を変える。

『―――例の商人は皮籠を背負っていたと言っていたわね。小さな子供なら隠せるわ。あらかじめ気を失わせてしまえば暴れる心配もないでしょうし』

 そう言うと、ふん、と鼻を鳴らす。

『まあ、確かにこれだけじゃ、あの腹黒が関係しているかわからないわね。だいたい気づかず子流しの毒を飲まされているくらいだもの。体よく利用されただけかも知れないし。もう少し調べてみましょう』

 そうしたいのは山々だが、いかんせん方法が浮かばない。困ったように眉を寄せるコニーを見て、スカーレットが何でもないように言葉を続けた。

『ほら、よく言うじゃない。針子のことなら仕立て屋に訊けばいいし、歌姫のことなら劇場の支配人にでも訊けばいいって。その理論でいけば商人のことなら商売敵に訊くのが一番でしょう?』

 何のことだ?と疑問を込めてスカーレットを見上げれば、彼女はあっけらかんと言い切った。


『まだわからない?―――ニール・ブロンソンがいるじゃない』



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