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―――史実によれば、滅亡した大ファリス帝国の皇族は彼のコーネリア・ファリスを除いて全て処刑が確認されている。
ただ、生来ひどく血統に執着してきた国でもある。そのため反乱の御旗となったのも、降嫁してきた皇女を母に持つ公爵家の青年だった。
彼は帝国が解体されると同時に新王として擁立され、こうして新生ファリス王家は新たな産声を上げたのだった。
そして、その貴き血脈は今に至るまで連綿と受け継がれている。
「ユリシーズ、王子……?」
「ああ。確か御年九つになられるはずだ」
ランドルフは難しい表情を浮かべていた。コニーも思わず眉を寄せる。
スカーレットだけが、この状況にあまり関心を覚えていない様子で、コニーの肩ほどはある背丈の垣根に腰かけていた。
『九つならまだ子供でしょう?どうせ迷子にでもなってるんじゃなくて?』
アデルバイドの王城は広大だ。ふたつの離宮を建てても尚余りある敷地面積を有している。九つであれば、おそらくまだ自由に遊びたい盛りだろう。確かにその可能性は充分にあった。
「だとしたら、いつから姿が見えないんだろう……」
『昨日からですって』
「……ん?」
『あの薄らハゲが言うには、少なくとも昨日の夕刻にはすでに姿を消していたそうよ』
「……んん?」
『なによ?』
「いやもうそれ確実に迷子じゃないよね……!ぜったい何かあったよね……!」
慌ててランドルフに伝えれば、眉間の皺がさらに深くなった。
「昨日?―――だとしたら、ファリス側はなぜ何も言ってこないんだ?そもそもこちらは第七王子が今回の訪問に参加しているとは聞いていない。それに、もともと来る予定になっていたのは第五王子のジェローム殿下だったはずだ。出国直前で体調を崩し療養を余儀なくされ、その対応のためにこちらへの到着が遅れたと聞いていたが……」
紺碧の双眸をわずかに目を細めると、険しい顔のまま振り向いた。
「すまない、グレイル嬢。俺はこれから一度―――」
「総局に戻られるんですよね?」
コニーが言葉を引き取ると、ランドルフは、ぱちくりと目を瞬かせた。その意外な反応にコニーも面食らう。
「あれ、違いました?」
「いや、そうだが……」
「ならすぐに行かないと!」
こんなところでかまけている暇はない。相手は九つの子供である。何があったか知らないが、さぞかし心細い思いをしているに違いない。できるなら、早く見つけてあげて欲しい。
「……ああ。グレイル嬢も、セシリアには」
「気をつけます」
コニーはしっかりと頷いた。
「節穴にならないように目を凝らして、がんばって足元を掬われないようにします。でも無理かも知れないから、いざとなったらアビゲイルさんの虎の威も借りるし、それでも駄目なら閣下の名前を盾にします。……それでも、ぜんぜん、敵わないかも知れないけど……」
言いながら、最初の勢いが萎れていく。最終的に云々と唸っていると、ふっと噴き出すような気配があった。驚いて顔を上げたが、やはりそこにはいつも通りの無表情があるだけだ。
けれど、常よりかは幾分その目元を和らげて、ランドルフ・アルスターは口を開いた。
「―――上出来だ」
『あいつらの話を総合すると―――』
ランドルフが総局へと戻り、コニーは単身エルバイト宮殿へと向かうことにした。道すがら、人目を盗みながらスカーレットと会話を交わす。話題はもちろん先程の一件である。
『その子供が昨日まで宮殿内にいたのは確かよ。昨日、ということは九日ね。ちなみにその日、正門の記帳台の帳簿には公式な訪問客の記載はなかったわ』
「なんでわかるの?」
『なんでって……コニーだって見たでしょう?実際に記帳したのはお前なんだから。わたくしは後ろから覗き込んでいただけよ』
「なるほど……」
相変わらず化け物じみた記憶力である。
「ということは誰かが王宮に忍び込んで……?」
『それは……どうかしら……。先日も思ったけれど、ここって、十年前よりかなり物々しくなっている気がするわ。いつもこんなに衛兵がいるの?それともファリスから特使が来ているから?でも、それにしたって―――』
コニーは分からないと首を振った。王宮になど滅多に来ない。警備の数は多いが、そういうものだと思っていた。
『……十年でだいぶ変わるのねえ』
スカーレットは思い出に沈み込むようにぽつりと呟いた。視線を向けると、取り繕うように完璧な笑みを返される。
『まあ、とにかくわざわざ侵入という危険を冒さなくても他にいくらでも方法はあるわよ。別に正門から入らなくってもいいのだから』
―――え、どうやって?
コニーが首を捻っていると、スカーレットが、ばかね、と呆れたように唇を曲げた。
『王宮内に掃いて棄てるほどある食べ物やドレスが空から降ってくるわけないでしょう?それに誰かを個人的な要件でこっそり呼び出したい場合にわざわざ正門をくぐらせるのは煩わしいでしょう?―――出入り業者用の通路があるに決まっているじゃない』
◇◇◇
「贈答品、ですか?」
王宮の裏手に位置する小さな門。正門と比べると質素な佇まいの帳場に顔を出したコニーは、眉を下げて困ったように受付の男に声を掛けた。
「ええ。セシリア王太子妃から茶会の招待を受けたので選りすぐりを用意していたんです。ただ、かなり嵩張るものでしたので、業者に頼んであらかじめ王宮に送っておいたのですが……」
「申し訳ないのですが、そういった類のものはおそらく正門の方でしょう」
対応に当たったのは、真面目そうな眼鏡の男性だった。もちろんその返答は予想済みである―――コニーではなく、スカーレットが。なので、取り乱すことなく言葉を続けた。
「実は、すでにあちらの方には届いていないと言われてしまいまして。受付の方―――ええと、ジャネットさん、だったかしら―――その方が、もしかすると手違いでこちらに来てしまっているのではないかって」
それは本当である。そのためにわざわざ正門にまで戻ったのだ。荷物が届いていないと言われた瞬間この世の終わりだと言わんばかりに床に両手をつき大袈裟に嘆いてみせたコニーを見かねて―――と言うより追い出したくて―――彼女はそう提案してくれた。もちろんスカーレットによる誘導も多少あったが。
「ジャネットが?」同僚の名が出るとは思わなかったのか、眼鏡の男性が顔を上げた。そこに浮かんでいるのは、仕方がないな、という表情である。
「……昨日の当番から特に申し送りもなかったので可能性は低いと思いますが。そういうことでしたら、一応調べてみましょう。いつですか?」
「九日です」
男が机の引き出しから台帳を取り出した。スカーレットがふわりと飛んで、その背後でにんまりと頬杖をつく。
「九日、九日……ああ、これか。……やはりグレイル家の贈答品は受け付けていないようですね。大変申し訳ないのですが、こちらとしてはこれ以上はどうすることもできません。依頼をされた業者の方にもう一度確認なさってみてください」
エルバイト宮殿には定刻丁度に到着した。王太子妃付きの侍女に先導されながらセシリアの自室に向かっていく。
「―――それで、何かわかった?」
長い廊下で声を潜めながら問えば、スカーレットの瞳がくるりと回った。
『食肉卸業者、仕立て屋、宝石商。色々いたけれど、そうね―――』
その声音は躍るように弾んでいる。
『―――ソルディタ共和国の商人バド』
スカーレットはコニーの耳元に言葉を落とすように囁いた。何故だか得体の知れない恐怖を感じて、ぞわりと二の腕が粟立った。
そんなコニーを見下ろすと、彼女は嫋やかに首を傾げてみせる。
『とりあえずこの男から調べましょう?だって、ちょうどいいもの』
着きました、と妙齢の侍女が静かに告げた。外から伺いを立てれば、室内から底抜けに明るい声が聴こえてくる。
扉がゆっくりと開かれていく。その瞬間、スカーレット・カスティエルは花が咲き誇るように艶やかに微笑んだ。
『男の訪問先はエルバイト宮殿。―――セシリアに会いに来ているわ』




