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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
本編
37/171

5-4


 グラン・メリル=アンには一般公開されている公式諸間以外に、入室に許可が必要となる部屋も数多く存在する。その一つが、かつて王侯貴族の弾圧に使われたというこの【星の間】だった。


 宮殿の最上階に位置する室内は、壁際から天井部分に至るまですべて同一の瑠璃色の壁紙で覆われていた。窓のない部屋なので、まるで本当に夜が訪れたような錯覚に陥る。よく見れば小さな星を模った金箔が規則正しく押されており、燭台の炎を映して淡く輝いている。 

 奥には彫像があり、目隠しをされた女神が右手に剣を携え、左手に天秤を掲げていた。


 部屋の中央には、どっしりとしたマホガニーの円卓が構えていた。そこを囲むようにして、濃紺の天鵞絨が貼られた六つの肘掛け椅子(サロン・チェア)が置かれている。席はすでに四つ埋まっていた。


 その正面に腰かけていたデボラ・ダルキアンは、扉の前で固まるコニーに気づくと、真っ赤な唇を捲り上げた。


「いらっしゃい、コンスタンス・グレイル。―――まだ首はつながっているようね」



◇◇◇



「ご存知だとは思うけれど、この場で起きたことは他言無用よ。それでもよろしくて?」


 誘導されたのは、デボラと向かい合わせになる席だ。席につくなり、デボラを含め、好奇心に満ちた八つの瞳に晒される。それは無垢な子供の目に少し似ていた。何の罪の意識もなく虫を採って戯れ、飽きたら踏みつぶす―――というような。ぞくりと背筋に悪寒が走り、思わず視線を逸らしそうになったが、ぐっと堪えて前を見る。

『三人とも見たことがある顔ぶれね。デボラの取り巻きだわ。確か全員伯爵以上よ』

 スカーレットが、デボラの両隣に座っている三名の貴婦人の顔をじっくりと眺めて告げた。コニーは小さく頷いた。

「かまいません」

「そう、なら血判を」

 デボラは少しつまらなそうに告げると、宝飾品があしらわれた豪華な短刀と誓約文をこちらに寄越す。スカーレットが嫌そうに顔を顰めた。

『血判……ってお前は一体いつの時代の人間よ』

 コニーは羽ペンで署名をすると、無言のまま刃先に親指を押しつけた。ぷつっと赤い玉が膨れ上がる。

「―――これで」

 血紋が押されたそれを手渡せば、満足そうに微笑まれた。

「ところで、何故この場に呼ばれたか、わかっていらっしゃる?」

 沈黙を否定と捉えたのか、デボラが歌うように言葉を紡ぐ。

「お手紙がね、届いたのよ。あなたのお友達の―――パメラ・フランシスから」

「パメラ……?」

「心当たりがおあり?可哀想に、あの子、ご自慢の白金の髪が真っ白になってしまったそうね。あなたが薄情にも彼女を見捨てたばっかりに。ねえ、コンスタンス・グレイル。罰するのであれば、あの糾弾だけで良かったのではなくて?だってあれだけでも充分社交界には居られないもの。なのにわざわざ追い縋る彼女の手を振り払って―――そうそう、診断書もあるのよ?」

『どこの藪医者よ―――ってダルキアンのお抱え医師じゃない。とんだ茶番ね』

 パメラ。コニーは静かに動揺していた。まさか今になってその名前を聞くとは思わなかった。

「でもねえ、これだけでは犯罪ではないらしいの。ひどい話だと思わない?誠実のグレイルのお嬢さまなら、理解してくださるわよね?だから―――」


 デボラの灰色の瞳が嗜虐的に歪んでいく。


「法があなたを裁けないというのなら、あたくしたちが裁いて差し上げないとね」


 おそらくそれが、デボラ・ダルキアンの本性なのだろう。


「とっくに滅んでしまった伝説上の王朝にね、()()()というものがあったらしいわ。目を刳りぬかれた人間は、相手の目を刳りぬいてもいいの。つまり誰かを傷つけてしまったらね、相応の罰を受けないといけないのよ。すてきな法ね」

『―――言っておくけれど、その法律は過剰な報復を禁止するためのものよ。きちんと勉強してから発言しないとその短い首を自分の手で絞めることになるわよ、お間抜けさん』

 スカーレットが皮肉気に嗤う。もちろんその声はデボラには届いていないが、実際に届いたとしても状況は変わらなかっただろう。デボラ・ダルキアンにとって重要なのはそこではないのだ。

「あたくし、可哀そうなパメラに約束したのよ。必ずやコンスタンス・グレイルの髪を贈ってあげましょうって」

 コニーは思わずデボラを見た。

「……傷害は、犯罪です」

「傷害?いやだ、あたくしたちがあなたを押さえつけて無理矢理その泥水のような髪に手を掛けるとでも?爵位が低いと考えも野蛮なのねえ。あなたはね、今から御自分で髪を切るのよ。殿方みたいに、ばっさりとね」

 そう言うと、デボラはひどく愉しそうに先程の誓約文をコニーの眼前に突きつけた。

「ほら、御覧なさい。あなたがその血に誓った書面―――査問会の取り決めに従う、と書いてあるでしょう?つまりね、あなたはこの会が下した懲罰に従わないといけないのよ。もしも守らないのであれば、そうね、表に控えている私兵を呼んで、手伝ってもらいましょうか。もちろんこれは犯罪ではないわ。だってあたくしたちはルールに従っているだけだもの」

 あまりに自分勝手な言い分に吐き気がしてくる。やり口が違う、というランドルフの言葉が蘇った。確かに違う。デボラ・ダルキアンはスカーレット・カスティエルとは、全然、似ていない。

「さあ、票決を取りましょう。残念なことに今日はスザンナが病欠だけど、人数的には問題ないもの。ああ大丈夫、多数決よ。だから結果次第では、あなたは無罪放免となるかも知れないわね。ほら、とっても公平でしょう?」

 その決議に己の取り巻きを使うのだから、公平も何もないだろう。けれどデボラは当然という顔をしている。

 そうか、とコニーは気がついた。勘違いをしていたのだ。コニーは、これが、今までの夜会と同じものだと思っていた。場所と相手が変わるだけで、腹に一物を抱えた人間同士の探り合いなのだと。だから参加しても問題ないと思ったのだ。人間には耳がある。心がある。コニーの声も届くかもしれない。そう思った。けれど、違ったのだ。おそらくコニーが断っても意味がなかっただろう。きっと何かしら理由をつけて強制的に参加させられていたはずだ。だってこれは―――


 これは、ただの私刑リンチだ。


『―――やってみたらいいわ』

 隣から底冷えするような空気が流れてくる。

『お前たちがその気なら、わたくしだって容赦しない』

 言葉とともに、小さな静電気が爆ぜるようにいくつか散った。デボラはわずかに眉を顰めたが、それだけだった。それから思い出したように機嫌よく目を細める。

「ああでも、そうね、まだあなたという子を知らないから―――もし、あなたがあたくしに跪くような素直な良い子であれば、全てパメラの勘違い、ということもあるわね」

 つまり、デボラに忠誠を誓うなら見逃してやるということだろうか。

「なにか、申し開きはあるかしら?」

 まるでコニーがそうするだろうと確信しているような表情だった。


『―――こんな女に膝を折る必要なんてないわよ、コニー』 

 スカーレットが低く呟く。その好戦的な顔を見ながら、珍しい、とコニーは思った。

 そう、とっても珍しいことに―――まるきり()()()である。

 となれば問題はどうやって切り抜けるかということだ。ええいままよ、とコニーは大きく息を吸い込み口を開く。デボラの笑みが深くなった。その時だった。


「ちょっと失礼するわね」

 

 あっさりした声とともに扉が開いた。

「もう、手続きがどうのとか言われてすっかり遅くなっちゃたわ!」

 場違いに明るい声を上げながら、鮮やかな金髪の女性が室内に入ってくる。はっと顔を上げたデボラは、その闖入者の姿を見るなり、ひどく苦い煎じ薬を口にしたように顔を顰めた。しかしすぐに微笑を浮かべ直し、強い口調で吐き棄てる。

「―――招待状もないのに入ってくるなんて無作法ね。社交界のルールをご存知ないの?生憎この場にあなたの椅子はないの。帰ってちょうだい」

 その言葉に、女性は驚いたように青い目を見開いた。それから円卓に視線をやると、きょとんと首を傾げる。

「椅子がない?それはおかしな話ねぇ。だってそこには空席があるじゃない」

「これは―――」

()()()()()()()()の席でしょう。なら問題ないわ。―――私は彼女の代理としてやってきたのだから」

「……なんですって?」

 デボラの眉が跳ね上がる。女性は懐から一枚の紙を取り出した。

「これがその委任状よ。この場をあくまで査問だと言い張るのであれば、当然、私がその席につく権利はあるわよね?」 

 そこにはこの査問会の代理権を譲渡する旨が記載されており、末尾にはスザンナ・ネヴィル直筆の署名とネヴィル家の印章が押されていた。

 その内容に顔色をなくしたのはデボラではなく、なぜか取り巻きの三人だった。

 突然のことに場が凍りつく。彼女はその空気を全く気にせずに円卓に置かれていた短刀を手に取ると、手早く誓約文に血判を押した。そして、そのまましれっとスザンナ・ネヴィルの席につく。

 デボラが酷薄な笑みを浮かべた。

「……誰も通すなと言っておいたというのに、使えないこと」

「あら、彼らを責めちゃだめよ?まさか向こうだって四大貴族がひょっこりやってくるなんて思わないもの」

 四大貴族。それは建国当時から現代に至るまで王家を支え、共に歩んできた四つの権威ある公爵家のことだ。カスティエル、リュシュリュワ、ダルキアン。そして―――


「見知った顔がほとんどだけど、初めましての方のために名乗っておくわね。私はアビゲイル。アビゲイル・オブライエンよ」


 そして―――オブライエン。


 おそらくデボラより多少若いが、三十は超えているだろう。どことなく蛙を思わせる癖のある顔立ち。決して美人ではないが、朗らかに笑った顔には親しみやすい愛嬌がある。

「ぎ、議事録を―――」

 ひどく動揺した様子で、取り巻きの一人が上擦った声を上げた。それからご丁寧にも今までの経緯を説明しようとする。

「議事録?ああ、ごめんなさいね。私、査問とやらの内容には微塵も興味がないの。私の言葉はひとつだけよ。―――エステル、ジャニーン、カロリーヌ。潰されたくなければ、私に従いなさい」

 アビゲイルの言葉は簡潔だった。簡潔で、婉曲な言い回しを好む貴族にしてはあまりにも直球だった。名指しにされた三人の貴婦人たちが揃って息を呑む。

「難しいことではないわよね?想像してみればいいの。オブライエンとダルキアン、どちらに恩を売った方が得かしら?今ここで私につけば、これから先も守ってあげる。あなた達だって私の性格は知っているでしょう?でもね、歯向かうと言うのであれば容赦はしないわ。もちろん、それも、知っているでしょう?あらまだ難しい?ならもっと簡単にお話するわね」


 晴れた夏空にも似た青い瞳が、順々に、血の気の引いた婦人たちを捉えていく。


「―――どちらを選んでも、ダルキアンはあなたを守ってはくれないわよ」

 

 しん、と静寂が支配した。


「……いやだわ、アビゲイル。それは脅迫というのよ。それ以上あたくしの大切な友人を脅すような発言をしたら法に訴える必要があるわ」

 デボラの顔からはすっかりと笑みが消えていた。明らかな憎悪を隠すことなく、アビゲイルを睨みつけている。


「それはいけないわね、()()()


 けれど返ってきたのは、子供の悪戯を窘めるようなひどく優しい声だった。


「この会で起きたことは、()()()()なのでしょう?あなたの作ったルールじゃない。ならば、最後まできちんとお守りなさいな」

 アビゲイルはそう言って傷のついた人差し指を口元に押し当てると、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。





 ―――査問会はお開きとなった。けっきょく票決は取らず、デボラ・ダルキアンは気分が優れないと言って帰ってしまった。―――その去り際に、背筋が震えるほど凍った一瞥を寄越して。

 残された三人も気まずそうに帰っていった。星の間にいるのはコニーとアビゲイル・オブライエンだけだ。



「あまり考えなしに危ないことをしてはだめよ?やるからには、きちんと準備をしてこないと。行き当たりばったりで上手く行くほどこちら側は甘くないんだから」

 アビゲイルはいかにも年長者らしくコニーに忠告をした。

「……はい」

 本当にその通りだった。コンスタンス・グレイルは粗忽者だし短慮だし無分別だし―――色々甘い。がっくりと肩を落としていると、慰めるように声を掛けられた。

「まあ私も最初は失敗ばかりだったんだけどね?」

 顔を上げると、おどけるような青い瞳と目が合った。

「……あの、ありがとうございました」

 意図はわからないが、おそらく助けに来てくれたことは間違いない。そう思って礼を言うと、アビゲイルは含みのある表情をコニーに向けた。

「お礼ならランドルフ・アルスターに言ってあげてね」

「……閣、下?」

 突然の言葉に面食らい、聞き返す。アビゲイルが、くふふ、と笑みを噛み殺した。

「ええ、()()。つい先日のことよ。婚約者が厄介なことに首を突っ込みそうだから手を貸して欲しいと家にまで来たの。参加者を調べ上げて、一番隙のあったスザンナ・ネヴィルを説き伏せて委任状を持ってきたのもあの子」

「閣下が……」

 心配してくれたのは知っていた。知っていた、けれど。なんだろう、すごく―――すごく、くすぐったい。

「私の生家はリュシュリュワの分家にあたるの。ランドルフって昔は天使みたいに愛らしい子でね。いっつもアビーお姉さま、アビーお姉さまってくっついてくるものだから弟のように可愛がっていたのよ。なのに図体ばっかり大きくなっちゃって、今では可愛げの欠片もないんだもの。ああでも、今回はちょっと可愛かったわね」

 そう言うとまた、くふふ、と笑った。


「可愛い子は大好きよ。だからね、コンスタンス・グレイル。私のことはこれから―――お姉さまと呼んでくれたってかまわないんだからね?」


 スカーレットが呆れたように呟いた。『おば様の間違いでしょう、図々しい女ね』



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[一言] 主人公が割とずっと無能だなぁ…誠実で不器用なキャラにしたいのは分かるけど、足引っ張ってばっかりなのに綺麗事でイライラしてくる
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