1.はじまりは殺人事件とともに
題名通りケイトの物語です。
たぶん十数話くらいになる予定。(※傾向的にいつもより人が死んだり血が出たり残酷だったりする話になるかなと思うので苦手な方はご注意ください)
時系列的にはちょうど書籍版4巻の「ファリスの星冠」の頃になります。(コニーたちがアデルバイドから離れている間の話になるのでコニーもスカーレットも出てきません)
ちなみにこの時期のコニーたちの物語である「ファリスの星冠」はちょうど本日からDREコミックスさんでS.濃すぎ先生が描いて下さるので(今回は0話と言うことで導入回ですが)、その頃アデルバイドではこんなことがあったのね、と思って頂ければ幸いです。
ちなみにこちらは全然別のお話になるので4巻の内容は知らなくても問題ありません(といいつつ若干リンクはしているのでたまに「アッ」ってなるかもです……!)。
「――貧民街でまた変死体が見つかったんですって!」
約束していた時間より少しだけ遅れてカフェにやってきたミレーヌ・リースは、「ごめん待った!?」と謝りながらケイトの向かいの席に座ると、注文よりも先によく通る声でそう言った。
最近アナスタシア通りにできたばかりのこのカフェテラスは、季節のフルーツと生クリームをたっぷり乗せた分厚いパンケーキが有名で、オープンしてからずっと若者で賑わっている。
もちろんケイトたちが座っているテラス席も例外ではなく、多くの人の笑い声や話し声で溢れていたのだが、賑やかな場に似つかわしくない発言に周囲の喧噪が一瞬とまる。
ちらちらと好奇の視線が向けられるのを感じ、ケイトはわずかに表情を引き攣らせた。
「み、ミレーヌ、一応ここ、公共の場だから……」
物騒な言葉はどうか時と場所を選んでほしい。
目配せをしながらそう訴えれば、ミレーヌはやっと自分たちが注目を集めていることに気がついたのか、小さく「あっ」と声を上げた。
「ごめんごめん、すぐに周りが見えなくなるのは私の悪い癖よね……!」
申し訳なさそうに謝罪するものの、すぐにまたテーブルから身を乗り出してくる。
「でもね、その発見された死体なんだけど、どうも例の血の三角事件の被害者っぽいのよ」
一応周囲を気にしているのか、声は極力潜めているようだ。
ただ、問題は声量ではなく話の中身である。
再び注意しようとしたケイトだったが、聞こえてきた台詞に思わず反応してしまう。
「血の三角って、もしかして最近新聞を騒がせている…………?」
ミレーヌが神妙な顔で頷いたので、ケイトは眉を寄せた。
『血の三角事件』とは、先週憲兵局から公表された連続猟奇殺人事件の通称だ。被害者はこれまでで四人。凶器は見つかっていないが、おそらく槍のようなもので串刺しにされて殺害されたのではないかと言われている。被害者たちに共通点はないものの、遺体はいずれも王都郊外の貧民街で発見されていた。
そして、現場に必ず被害者の血で描かれた謎の三角形が残されていたことから『血の三角事件』と呼ばれている。
遺体が発見された場所が場所だけに捜査は難航しており、未だ犯人の特定には至っていない。
「……確か被害者は四人だったわよね。五人目の被害者が出たってこと……?」
「ええ。発見されたのは今日の未明らしいわ。たまたま死体を発見した人から話を聞いたから間違いないはず」
「ちょ、ちょっと待って。公式に発表されたわけじゃないのに、どうして『血の三角事件』の被害者だって言い切れるの?」
「そりゃあもちろん――」
ミレーヌはおもむろに拳を振り上げると、そのまま、だんっ、とテーブルを叩いた。
「殺害手口よ! 今までの被害者も、今回の被害者も、全員、右脇腹から左肩先にかけてと、左脇腹から右肩先にかけて、それぞれ貫通痕があったんですって! ぜっっったい偶然ではそんな殺され方にはならないもの!」
「ちょっ、み、ミレーヌ……!」
無意識なのか声の大きさが元に戻っている。いや、むしろ大きい。何だか知らないが大きい。そうでなくてもよく通る声質なのだ。
内容が内容だけに周囲は水を打ったように静まり返り、ケイトたちに怯えるような視線が向けられている。
「それに、傷口がちょうど体を交差しているような形になるでしょう? 何だかメッセージ性を感じるのよね! 被害者は性別も年齢もバラバラみたいだけど、事件解決の糸口はその辺りにある気がしていて――」
「わ、わかったから落ち着いて! あと声も抑えて! 皆見てるから……!」
ミレーヌの勢いを抑えようと言い募るのと、ウェイターから「お客様――」と声を掛けられるのはほぼ一緒だった。
「他のお客様もいらっしゃいますのでお静かにお願いできますでしょうか? ああ、それと」
口調こそ丁寧だったものの、その目はちっとも笑っていなかった。
「ご注文は、お決まりですか?」
※
運ばれてきたパンケーキはたっぷりのクリームと山盛りの果実で彩られ、まるで宝石箱をひっくり返したようにきらめいていた。
「またやっちゃった……ごめんねケイト……」
「悪気があったわけじゃないのはわかってるから、もう謝らないで。……でも、『血の三角事件』ってもしかしてミレーヌの担当なの?」
「まさか! 私みたいなひよっこが任されるわけないじゃない! もちろん興味はあるけど、まだまだ学ばなきゃいけないことの方が多いし。それに新人はほとんど憲兵局の取材担当なのよ。いわゆる局回りってやつね」
ミレーヌは少しだけ元気を取り戻したのか、パンケーキを切り分けながらそう答えた。
「で、今日はその憲兵局の様子がちょっと変だったのよね。詳しく聞こうとしたら追い返されるし。これは何かあるぞって思って色々聞き込みをしてたら、『血の三角事件』の新たな被害者が出たってことがわかったの。それで第一発見者だっていう人を捕まえて話を聞いてたらすっかり遅くなっちゃって……」
事情がわかったケイトは、なるほど、と頷いた。
「そういうことだったのね。……でも、それなら余計にこんな場所で話さない方が良かったんじゃない? というか、そもそも私が聞いてもよかったの?」
「それも反省してる…………」
ミレーヌはしょんぼりと肩を落とした。
珍しく心から落ち込んでいるような姿を見て、ケイトは「ミレーヌ……」と慰めるように声を掛ける――が、よく聞こえなかったのかミレーヌはなぜか勢いよく顔を上げた。
「よし! 反省終わり! ――それはそうと!」
変わり身の早さに面食らっていると、突然「ケイト!」と名前を呼ばれる。
「コニーのこと聞いた!?」
「え? コンスタンス?」
電光石火のような話の速度についていけず、思わず聞き返す。
「そう、我らがコンスタンス・グレイルよ! 本当は今日、コニーも呼ぶつもりだったの。ほら私、先週まで地方で短期研修を受けてたでしょ? だからお土産を渡したくて。あ、これはケイトのね」
そう言いながら鞄から取り出した小包を手渡される。
「ありがとう……?」
「どういたしまして! でね、それでコニーの家に連絡を取ったら今旅行中だって言うじゃない! しかも婚約者様と! ケイト、知ってた!?」
「ええと、うん、まあ……」
(正確にはふたりきりじゃないんだけれど……)
ケイトは心の中でこっそりつけ足した。
確かに表向きは婚前旅行だが、実際はオブライエン公爵家の小さな令嬢も同行している。
「知ってたの!? 私、聞いてない……!」
「だってミレーヌは王都にいなかったもの」
至極当然の指摘にミレーヌは、うぐっ、と言葉を詰まらせた。
「それは……そうなんだけど……!」
「あ、お土産ってレースのハンカチなのね。可愛い。大切に使うわね」
「ありがとう! でもそれ実はお揃いなの! だから三人でいる時に渡したかったのにいいいい!」
「コニーが帰ってきたらまた三人で会えばいいじゃない。私もその時はこのハンカチを持って来るから。ミレーヌもそうしましょうよ。ね?」
「う……まあ、それなら……」
不承不承といった感じだが、何とか納得したようだった。
それから「それにしても、コニーが婚前旅行かあ……」とどこか感慨深げに呟く。
「でも、そんなにアルスター卿と仲がいいのに、なんでまだ結婚しないのかしら?」
ケイトは飲んでいた紅茶をそっとテーブルに置いた。
「それは……式って準備とか根回しとか、そもそもその前にご両家への挨拶とか、色々と時間が必要でしょう?」
「そりゃあね」
「コニーひとりでやるわけにはいかないし、アルスター卿もお忙しい方だから、なかなかまとまった時間が取れないんじゃないかしら」
「でも、こうして旅行には行けてるわけじゃない。しかも今回は船旅なんでしょう? 旅行先のエルソール島って有名な観光地だし。半月ほど滞在する予定だって聞いたけど、そんなに時間があるなら先に式を挙げてもよかったんじゃない?」
「それは……ええと……」
(旅行というか、仕事、なのよね)
エルソール島には、今、ファリスの第七殿下が滞在しているという。
そこに以前から親交があったルチア・オブライエンが招待され、ランドルフはその護衛として、コンスタンスはルチアの付き添いとして、上層部から直々に声がかかった――という内幕らしい。といってもケイトもよくは知らないが。
機密という程ではないが、公にはされていない情報なのである。
ちなみにケイトはある人からその話を聞いたのだが、ミレーヌに何と伝えたらいいものか悩んでいると、突然本人が「あっ待って、ちょっと言い過ぎた!」と声を発した。
「またやらかした……! ああもう私ってば最低! 当事者にしかわからないこともあるのに外野がどうのこうの言うのってすごく無神経だったわよね!? そんなのふたりのタイミングでいいに決まってるのに……!」
額に拳を押し当てながら思い切り渋い顔をしている友人を見て、ケイトは思わず微笑んだ。
「私、ミレーヌのそういうところ好きよ」
「私は好きじゃない――って待って、もうこんな時間!? しまった、次の取材が……!」
広場の方から三時の鐘の音が聞こえてくると、ミレーヌはハッとしたように立ち上がった。相変わらず忙しそうだ。
幸いパンケーキはふたりとも食べ終わっていたので、会計を済ませ、そのまま帰ることになった。
――その別れ際。
ミレーヌがふとケイトを振り返ってこう言った。
「そういえば、ケイトの仕事ってどんな感じなの?」
「……私?」
「うん、ほら、前に会った時に、すみれの会の……キンバリー・スミスさん、だっけ? その人の秘書になったって聞いたけど……」
「秘書というか……少しお手伝いをしているだけっていうか……」
自分でも歯切れの悪い返事だなと自覚しつつも、他に言える言葉がなくて濁してしまう。
「そうなの? なんか変なこととか、危ないこととかはさせられてない?」
「え?」
ケイトの顔がぎくりと強張る。
「いや、あの人、コニーの助けになってくれたしあんまり悪くは言いたくないんだけど、何だか初めて会った時に只者じゃないっていうか、ぶっちゃけ堅気じゃないような雰囲気を感じて」
「か、堅気じゃない……?」
「うん、そう。大衆小説とか現代戯曲だとああいう感じの人が実は血も涙もない暗殺者とか工作員とかだったりするんだけど――ま、そんなわけないか!」
「や、やだ、ミレーヌったら……そんなこと、あるわけないじゃない……」
無理矢理笑顔を貼りつけて否定すると、ミレーヌは「そうよね!」と破顔した。
「あーよかった! 実はね、自分でも変なこと言ってるって思ってたの。でも、やっぱりありえないわよね! あはは!」
安心したように笑い飛ばす友人を見て、ケイトは「はははは……」と乾いた笑いを返したのだった。
※
ミレーヌを見送ったケイトは、その足でシェール通りの七番地へと向かった。
通りの一番奥。いかにも安っぽそうな建物が、市民団体すみれの会婦人部の事務所である。
ケイトは慣れた様子で一般会員用の通路を抜けると、守衛に今週の合言葉を伝えた。
確認が終わると堅固な鉄扉が開かれる。その先にあるのがケイトの職場だった。
「――最悪」
外観に比べてだいぶ新しい内装の事務室に入ると、ちょうど仕事から帰ってきたばかりらしいキンバリー・スミスが不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「服に返り血がついてるじゃない。あーやだやだ、私も腕が鈍ったわね。年かしら」
「どっちかっていうとその中年太りのせいじゃないですか? ほら、重量あると色んなことが鈍いっつーか遅くなりそうですし」
へらへらと告げたのはキンバリーの部下のマイク・ハーパーだ。
「なるほどねえ。じゃあ手技を確認したいからとりあえずお前の爪を貸してくれる?」
「嘘です嘘ですごめんなさい手首掴まないで拷問用ペンチ出さないで――アッ痛い痛い痛い!」
ハーパーが悲鳴を上げる。この男はもういい年なのに、そしてほとんどいつも返り討ちにされているというのに、どうして毎回上司を煽るような真似をするのだろうか。
ケイトは思わず遠い目になった。
(帰りたい……)
しかし、そういうわけにもいかないので覚悟を決めて声をかける。
「その、レディ・スミス――」
キンバリーはケイトに視線を向けると意外そうな表情を浮かべた。
「あら、ケイトじゃない。今日はお休みじゃなかった?」
「実は報告したいことがありまして……」
言いながら、「待っ、ちょっ、ギブギブギブギブ……!」と半泣き叫んでいる哀れな男の姿が目に入る。
「……その前に、ハーパーさんのお顔が真っ白なんですけど大丈夫ですか?」
「じゃれているだけだから大丈夫よ。そうよね、ハーパー?」
「いや普通に親指の爪剥がれかけてますけどおお!? ……アッ嘘です嘘ですじゃれてるだけです爪はいいけど指はやめて仕事に支障が出るからああああああ!」
断末魔のような悲鳴をキンバリーが笑顔で無視したので、とりあえずケイトも右に倣うことにした。こう見えて長いものには巻かれるタイプである。
「それで、どうしたの?」
「……この前仰っていた『血の三角事件』についてです」
その言葉に、キンバリーの目がわずかに細くなる。
ケイトは小さく頷くと、はっきりとした口調でこう言った。
「――五人目が出ました」
※
ミレーヌから聞いた話を伝えると、キンバリーとハーパーはすぐに王城へと向かって行った。陛下と謁見し、『血の三角事件』に関する調査許可をもらうためだ。
捜査ではなく、調査である。
何でも、連続殺人事件の被害者が五人を超えた場合は、裏ですみれの会が動く――という規則になっている、らしい。
憲兵局と捜査協力をするという話ではない。民衆の恐慌を未然に防ぐための情報操作を行ったり、反政府勢力の関与がないか徹底的に調べたりするのだ。
先週『血の三角事件』の話題が出た際に、キンバリーからその慣例を知らされていたので、ミレーヌから話を聞いたケイトはその足で仕事場までやってきたのである。
キンバリーたちを見送ると、ついでに溜まっていた書類作業を少しだけ進め、暗くなる前に帰ろうと部屋を出る。
(今日は何だか疲れたから帰ったらクッキーでも焼こうかな……)
昼にパンケーキを食べたばかりだが、お菓子作りはケイトにとって趣味というかストレス解消法のひとつなのである。
守衛に挨拶をしようとすると、ちょうど誰かと話しているようだった。軍服を着た男性だ。こちらから見えるのは後ろ姿だけだが、見上げるほどに背が高い。
取り込み中なら邪魔するのもよくないかと思い、ケイトは守衛に軽く目礼だけするとそのまま通り過ぎた。
一般用通路をしばらく歩いていると「ねえ、そこの君」と声を掛けられる。
「君さ、今、奥の部屋から来たよね? あのさ、俺、婦人部のキンバリー・スミス会長と話がしたいんだけど――」
「あ、会長なら今外出していて……」
そう言いながら振り返ると、青年は「あれ?」と首を傾げた。
「――ケイトちゃん?」
(ケイトちゃん……!?)
自慢ではないがケイトには異性の知り合いなんてほとんどいない。そもそもこの体型のせいで年頃の令息たちからは『子豚令嬢』と影で笑われていたし、当然、話しかけられることもなかった。
なので断言できる。
親族以外の男性からそんな呼び方をされたことなど生まれてこの方一度もない。
(――誰?)
驚きよりも違和感が強く、思わず睨みつけるように相手の顔を見上げたケイトは、次の瞬間、ぽかんと口を開けた。
淡く光を放っているような金髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
思わず目を奪われるような華やかな美貌。
口元には甘い笑みが湛えられていて、こちらを魅了するかのように見つめてくる。
何となく見てはいけないものを見た気がして、ケイトは慌てて目を逸らした。
「……申し訳ありませんが、どちらさまでしょうか?」
身構えながらそう訊ねれば、とんでもなく顔のいい青年は不思議そうに目を瞬かせた。
「え? いや前にも会ったことあるんだけど……ってあんな状況じゃ覚えているわけないか……」
何やら呟くと、困ったように首を掻く。
そしてもう一度ケイトに向き直ると、輝くような笑顔を見せた。
「――どーも。王立憲兵局のカイル・ヒューズです」
次回は10/20(日)の夜頃に更新予定です……!(予定は未定の方の予定……!)
というわけで、前書きでもちらりとお伝えした通り、本日からS.濃すぎ先生のコミカライズが始まっております!
今回は本編ではなく、物語開始の導入回的な話になるのですが、映画の予告編のような素敵な雰囲気なのでぜひ……!(あと絵が可愛い)
なんとDREコミックス様で無料で読めちゃうみたいなのでぜひぜひ……!(なお絵がめちゃ可愛い)
活動報告に詳細&リンクを貼っておきますので、気になる方はチェックして頂ければと……!(やっぱりどうしてもここにはリンクが貼れないみたいで……)
そしてマンガUP様では桃山ひなせ先生のコミカライズがちょうどぱぱんのターンでございまして最高オブ最高ですのでこちらも宣伝しておきます……!