濡羽色の罠(前編)
セバスチャンの足元にひとり。
ソファの近くにふたり。
さらにドア付近にひとり。
計四人の不審者が、紐で簀巻きにされて気を失っていた。
予想外の状況に思わず凍りつくコニーだったが、スカーレットは何か思い当たることでもあるのか、特に驚くこともなく受け入れている。
一体何が起こったのだろうか。
床に転がっている男たちの正体も気になるところだが、しかし、それより何より――
「ええと、これはセバスさんが……?」
恐る恐る訊ねれば、老執事はにっこりと微笑んだ。
「コンスタンス様が戻られる前に処理できていればよかったのですが、書庫の掃除をしていたもので侵入に気づくのが遅れてしまいまして……」
いやそうじゃない。そう思ったものの、藪蛇になりそうだったのでそれ以上は追及しないことに決める。
「単に物盗りかと思ったのですが、顔に少々見覚えが」
「見覚え?」
「ええ。おそらくロイヤル・クラウン探偵事務所の方々ですね」
コニーは目をぱちくりと瞬かせた。
その名前には聞き覚えがある。確か、薔薇十字通りで開業しているあまり素行のよろしくない探偵事務所のひとつだったはずだ。
「ところでコンスタンス様。大変申し訳ないのですが、隣角の煙草屋がオブライエンの系列なので、そこの主人に憲兵を呼ぶよう頼んで頂けますか?」
「あ、はい、もちろん。でもセバスさんは――」
「ここで狼藉者共を見張っております。おそらくあと半刻は目覚めないと思いますが」
煙草屋の主人に事情を伝えると、すぐにコニーは事務所へと戻ってきた。微力ながら不審者の見張りを手伝おうと思ったのだ。しかしセバスチャンから丁重に断られ、さらに憲兵が来るまでは近寄らないように言われてしまったため、今は書庫の椅子に腰かけている。
「それで、あの人たちはどうして忍び込んだりしたの?」
事情を知っているであろうスカーレットに訊ねれば、ああ、あれね、と軽い返事が返ってくる。
『脅迫状を回収しにきたんだと思うわ』
「脅迫状?」
『そう、例の頭の悪そうな手書きの脅迫状よ。前に、犯人が薔薇十字通りで犯罪まがいのことをしている探偵事務所かも――って話をしたでしょう?』
「うん。ロイヤル・クラウン探偵事務所とレイブン調査局だよね」
『ええ。それでわたくし、そいつら宛てに手紙を書かせたじゃない。覚えてる?』
コニーは記憶を辿った。おそらくスカーレットに言われるがまま書かされた二通の手紙のことだろう。
具体的な文面は忘れてしまったが、ざっくり言うと、〈素敵なお手紙ありがとう。名前が書いてなかったみたいだけど、お宅の仕業だよね? 今回は許してあげるから、三日以内に反省文と謝罪の言葉と今後二度とやりませんっていう一筆を添えて返送してくれる? できないなら筆跡鑑定を依頼して憲兵に突き出すからね〉というような内容だったはずだ。
『ほら、あれってわざと期限を設けて相手を焦らせて事務所に忍び込ませるための罠だったじゃない?』
いや聞いてないが。
「あ、謝れば許してあげるよっていう非常に平和的解決な提案だったのでは……?」
『なんで犯罪者相手に平和的に解決しないといけないのよ』
心の底から不思議そうな表情を浮かべるスカーレットに、コニーは顔を引き攣らせた。
『それに、あの手紙にはこちらの宛名を書かなかったでしょう?』
「え、あ、うん」
『心当たりがなければ手紙の差出人がどこの誰かすらわからないはずよ』
「それってつまり――」
つまり、例の脅迫状の犯人は事務所に忍び込んだロイヤル・クラウン探偵事務所だった、ということだろうか。
「じゃあ、あの手紙は犯人を見つけるためだったんだね」
コニーがそう言うと、スカーレットは意味ありげに口角を上げた。
『というより、脅迫状だけだとちょっと弱かったのよね』
「うん……?」
意味が分からず首を傾げれば、稀代の悪女は、その美しい顔にまるで淑女の手本のような完璧な笑みを貼りつけた。
『あら、わからない? 強盗未遂の方が重罪って話よ。これであいつらはしばらく太陽を拝めなくなるでしょうね』
――それから半刻も経たないうちに憲兵局の馬車が現れた。
セバスチャンと一緒に彼らを出迎えようとしていたコニーは、真っ先に馬車から降りてきた軍服姿の青年を見て動きをとめる。あれは間違いなくランドルフ・アルスターである。しかも、部下を数名ほど引き連れている。
セバスチャンから説明を受けたランドルフは簀巻きにされた不審者たちをあっという間に黒塗りの馬車に放り込むと、こそこそと視界から隠れようとしていたコニーに向かって「コンスタンス」と声を掛けた。
「な、何もしてませんがっ!?」
『お前その台詞、逆効果じゃない?』
スカーレットの言葉通り、いつの間にか目の前に立っていたランドルフが威圧感たっぷりにコニーを見下ろしている。
「――本当に、何も、してないんだな?」
「……ぶ、文通をちょっと…………?」
「文通?」
ぐっと顰められた顔があまりにおっかなくて、すぐに脅迫状の件から例の手紙に至るまで洗いざらい白状すれば、ランドルフはひたすら長い溜息をついた。
「……どうして君はいつも相談しないんだ」
「ど、どうしてでしょう……?」
すると間髪入れずにスカーレットが『そんなものお前よりわたくしの方が頼りがいがあるからに決まっているじゃない』と得意気にせせら笑った。げせぬ。
〇
けっきょくロイヤルなんちゃら探偵事務所は、今回の逮捕をきっかけに過去の余罪が次々と明らかになり瞬く間に廃業となった。
嫌がらせも落ち着いたようで、依頼人から相談を聞いたり解決したりする日々を送りながら、探偵業にもだいぶ慣れてきたかもしれないと思っていたある日。
身なりのいい男性が事務所にやってきた。
所作や話し方から貴族だろうか、とコニーが考えていると、男はジェームズ・ウィンスロップと名乗った。その家名には聞き覚えがある。男爵家だ。
まだ若く、その顔には不安と困惑が張りついているようだった。
「……実は、謂れのない罪で訴えられているんです」
ジェームズは暗い表情でそう言うと、ためらいがちに自分の身に起こった不幸を話し始めた。
「先月、とある酒場に行ったんです。あまり上品ではない、仕事帰りの庶民が好むような店です。褒められた話ではないのですが、私は貴族がよく行くサロンよりも、ああいった場所の方が落ち着くので……。そこでたまたま隣に座った男性と意気投合しまして。そしたらなぜか酒が進むうちに意識が朦朧としてしまい――目が覚めると、酒場の二階で朝を迎えていたんです」
「酒場の二階?」
「宿になっているんです」
ああ、とコニーは頷いた。確かに観光客の多い城下では、そういった食堂兼宿屋が多いと聞く。
「不思議に思いながらも清算をして帰ってきたのですが、後日、見知らぬ女性が私の屋敷を訪ねてきまして」
「女性?」
「ええ。美しい黒髪の女性でした。酒場で私の隣に座っていた男性の妻だそうです。私は記憶にないのですが、彼女によると後から酒場に合流したとか。けれどすぐに男性が酔い潰れてしまい、その後、強引に私が二階の宿に女性を連れ込み乱暴を働いたと。慰謝料を支払わなければ新聞社にこの話を売ると脅してきたんです」
「それは……」
「正直言って怪しいなと思いました。そもそも私は今まで一度もあんな酔い方をしたことがないんです。だから、記事にしたいならすればいいと突っぱねました。おそらく事が公になって困るのは向こうだろうと思ったので。そうしたら、新聞社ではなく裁判所に訴えたようで……」
コニーはわずかに目を見開いた。裁判になれば少なからず事実関係についての調査が入る。もし女性側が本当に犯罪行為をしていたのであれば、かなりのリスクを伴うはずだ。
「……勝てる自信がある、ということなんでしょうか?」
「わかりません。でも、相手はおそらく、私に無実を証明する手立てがないことを知っているのだと思います。……裁判になれば手続きがあるので身内にも話が漏れてしまう。社交界にもすぐに噂が広がるでしょう。もし万が一、敗訴にでもなることがあれば私は……」
だんだんと男の声が小さくなっていく。その顔はひどくやつれているようで、コニーは心底同情してしまった。
しかし、正義感とは無縁の女王様がわずかに目を眇めながら、『……で? そいつが本当のことを話しているという証拠は?』と依頼人を疑うような言葉を投げかけてくる。
コニーは「ううっ」と口ごもりながら、ジェームズに訊ねた。
「……その、宿泊するには記帳が必要ですよね? それはどうなっていたんですか?」
「確認しに行ったのですが、はっきりと私の名前が書いてありました。でも、私の筆跡ではありません」
とはいえ店の人間や同行者が代わりに書くのはよくあることなので、筆跡は証拠にならないのだと告げる。
「ええと、では、誰か、あなたたちのことを見ていた人はいないでしょうか? たとえば酒場のご主人とか……」
「それも訊いてみたのですが、残念ながら、日も経っているので覚えていないと。ただ、その代わりこちらの探偵事務所を紹介してもらったんです。ちょうど薔薇十字通りにある店だったので」
「……そうだったんですね」
これは、少しは知名度が上がったと思っていいのだろうか。
何となく喜ばしい気持ちになっていると、ジェームズが力なく呟いた。
「……数か月後に結婚を控えた婚約者がいるんです。冤罪だと証明できなければ、きっと破談になってしまいます。お願いです、どうか助けてください……!」
ちらりとスカーレットを見れば、仕方なさそうに頷いている。
「わかりました」
コニーはにっこりと微笑んだ。
「とりあえず、もう一度酒場のご主人に話を聞いてみたいので、お店の名前を教えて頂けますか?」
〇
「――ああ、ウィンスロップさんですね」
カウンター内でグラスを拭きながら、細身の店主が頷いた。ジェームズから聞いた店の名前は青羽亭といい、薔薇十字通りの裏路地という若干わかりにくい場所にある。けれど、それなりに繁盛しているようだ。外はまだ明るいにも関わらず、店内にはぽつぽつと客が入っている。
「よく来ていますよ。いつもカウンターの右から四番目に座るんです。貴族だそうですが、常連の方とも気さくに話していますね。ただ、だいぶ前のことですし、あまり覚えていないんです」
「何か変わったことや気づいたことはありませんでしたか?」
「うーん」
店主は記憶を辿るように天井を見上げた。すると、ちょうどカウンターの端で麦酒を呑んでいた男が口を挟んでくる。
「覚えてるよ。あの世間知らずそうな旦那さんだろう?」
「おや、ブラウンさん」
店主がグラスを拭く手をとめた。それからきょとんとしているコニーに客の男を紹介した。
「あちらはショーン・ブラウンさんと言って、うちの常連です。そう言えば、あの日も来ていましたよね。確かウィンスロップさんの近くに座ってたかな」
「そうそう。あの旦那、あんまり見たことのない客と話し込んでいたから気になったんだ。そうしたらあっという間に旦那の方が潰れちまって、その客が介抱すると言って二階に運んで行ったんだよ」
降ってわいたような目撃者の登場である。コニーはこの機会を逃すまいと食い気味に訊ねた。
「そ、それって男性でした?」
「そりゃ、旦那を運べるくらいだからな。体格のいい男だったよ」
「途中でその男性の連れの女性が来たりとか――」
「いんや。そもそも客の方は、旦那を二階に連れて行ったらすぐに帰っちまったし」
コニーはごくりと唾を飲み込んだ
「あの、今のお話――裁判で証言して頂くことってできますか?」
〇
ショーン・ブラウンは快く証人を引き受けてくれたが、結果的に裁判は行われなかった。目撃者が現れたことがわかると、すぐに例の黒髪の女が訴訟を取り下げたからだ。
後日訪れたジェームズは、泣き出しそうな顔で何度も礼を言ってくれた。婚約者との関係も良好で、今は結婚式の日取りを決めているという。
こうして今回も無事に事件が解決したのである。
だというのに――
「どうしたの?」
なぜか、スカーレットが気難しい表情を浮かべていた。怪訝に思って訊ねれば、不満そうな声が返ってくる。
『……あの酒場の店主、どうにも引っ掛かるのよね』
コニーは首を傾げた。
「店主? 青羽亭の?」
『ええ。ジェームズ・ウィンスロップのことを覚えていないと言っていた割には、証人を引き受けた男の記憶は最初からあったでしょ。座った場所まで覚えていたし』
「常連さんだったからじゃない?」
『ジェームズ・ウィンスロップだってそうでしょう。むしろ平民向けの店に、あんないかにも貴族らしい男がいたら、その方がよほど印象に残るわよ』
言われてみると確かに違和感がある。でも、その程度であれば偶然の範囲内とも言えそうだ。なかなか判断が難しいところである。
スカーレットも同じ考えだったらしく、最終的にはあっさりと肩を竦めた。
『まあ、相手も告訴を取り下げたみたいだし、考えすぎかしらね』
――しかし、それから数日後。
スカーレットの懸念は最悪の形で的中してしまうことになる。
なぜなら、ショーン・ブラウンの勇気ある告発がゴシップ誌に掲載されたからだ。
記事の内容はこうである。
曰く――
ショーン・ブラウンは薔薇十字探偵事務所から金銭を受け取り、虚偽の目撃証言をするように依頼されていた、と。
ちょっと諸々立て込んでおりまして次話は来週になりそうです(´;ω;`) あと整体と整形と鍼に行ってきます(´;ω;`) 5月中には終わる……終わるはず……