じゃがいも畑の秘密(後編)
指輪の持ち主が失踪している――?
あまり穏やかでない言葉に、コニーは動揺しながらも口を開いた。
「し、失踪って、どういうこと?」
『言葉通りよ。確か、夜会だか賭場の帰りに忽然と姿を消したのよね。たぶん、伯爵が工房から指輪を手に入れてすぐのことだったと思うわ。新聞でも随分騒がれていたもの』
スカーレットは何でもないことのように告げた。
『それで、話題になった理由のひとつが、この〝炎の女王〟なの。スタールビーってもともと希少な宝石なんだけど、特に〝炎の女王〟は彩度と色合いのバランスが完璧なのよね。たぶんこれひとつで王都の邸宅くらい余裕で買えるわよ』
「えっ」
コニーは手にしていた指輪を素早くテーブルに置き、さっと後ずさった。
『……何してるのよ』
「いや、傷つけたら怖いからちょっと距離を……」
『は? そもそも持ち主が見つからないんだから焼こうが煮ようが関係ないでしょ? とにかくエランドル工房がこの指輪を売り出した時から、一体誰の手に入るのかってもの凄く注目されていたの。かなりの値がついたにも関わらず購入希望者が殺到したらしいけど、けっきょく競り落としたのはグレイ伯爵だったのよね』
スカーレットの言葉に、コニーはわずかに目を見開く。
「その人、そんなにお金があったの?」
『当時のグレイ伯爵は外国との貿易事業がうまくいっていたとかで、かなり羽振りが良かったのよ。わたくしはまだデビュタント前だったけれど、豪遊ぶりを何度も噂で聞いたことがあったもの。伯爵は肌身離さず指輪をつけていたそうよ。だから〝炎の女王〟を狙った物盗りの仕業だろう――というのが大抵の新聞の論調だったわね。まあ、女性遊びもだいぶ盛んだったみたいだから怨恨の線もないわけじゃなかったけど』
「女性遊び」
『ええ。毎日違う愛人と夜を過ごしていたとか、高級娼館を一晩買い上げたとか。そんな嘘か本当かわからない眉唾物の話ばっかりだったけど』
「……ええと、伯爵は結婚は?」
『してたわよ』
コニーの中で諸々の疑問が浮かんで来たが、どれも事件とは関係なさそうだったのでかろうじて言葉を飲み込む。
『とにかく、この指輪はそういういわくつきってことよ』
「……ううう」
小さく呻くと、しばらうしてから「あ」と声を上げた。
「指輪を作った工房に事情を話して、当時の購入記録とか控えさせてもらえないかな?」
それならちゃんとした証明になるし、ネリーも――というより、ポーター夫人も納得できるのではないかと思ったのだ。
だが――
『難しいと思うわ。あそこは貴族御用達の工房の中でも特に老舗だもの。本人や身内出ない限り顧客の情報は開示しないはずよ』
確かに言われてみれば理由もなく赤の他人に情報を漏洩させたりはしないだろう。
「……指輪だけあってもだめか。グレイ伯爵は今どこにいるんだろう……」
そもそも生きているのか、それとも――
するとスカーレットが事もなげにこう言った。
『ああ、居場所ならわかるわよ』
「へ?」
『というか、お前、あの話を聞いて気づかなかったの?』
「へ……?」
コニーは瞳を瞬かせながら、声を引き絞った。
「い、一体どこに――」
『その前に』
スカーレットは動揺するコニーをまるきり無視してにっこりと微笑んだ。
『確認したいことがあるから、事件の詳細を聞きに行きましょう』
コニーは首を傾げると、思わず訊ねていた。
「……誰に?」
〇
「グレイ伯爵が失踪したのは十三年前の冬だな」
王立憲兵局の第一捜査室。
コンスタンス・グレイルの婚約者であるランドルフは、久しぶりの逢瀬にもあまり熱量を感じない淡々とした口調で告げた。
「会員制の賭博場で酒を呑んでいたのが最後の目撃情報だ。一緒にいた友人によれば、一晩中酒を呑み明かす予定だったのが、急に伯爵の体調が悪くなり深夜に馬車を呼んでひとりだけ先に帰ったらしい」
普段は寡黙なくせに、こういう時だけ饒舌である。相変わらずの仕事中毒だが、当然コニーもわかっていたため、あまり感情を挟むことなく疑問を口にする。
「御者からは話を聞けたんですか?」
ランドルフは「いや」と首を横に振った。
「実際には馬車を呼んだ形跡がなかったんだ。伯爵と親しかった人物によれば、愛人と会うために嘘をついたのではないか――ということだった」
「愛人……。その、女性関係が派手だったらしいと聞きましたが」
「とっかえひっかえとまではいかないが、概ね噂通りだろう。中には長くつき合っている相手もいたようだが」
「そうなんですね。……その、失踪した当日に会っていた愛人の方からは何か事情が聞けたんでしょうか」
「いや。そもそも誰と会っていたのかさえ不明だ。一度奥方から怒られて以来、人目を避けるようになっていたらしい」
つまり、こっそりとつき合いを続けていたということだろうか。
「……その愛人が失踪に関わっている、とか?」
「かもしれないが、そもそも愛人と会っていたという証拠もないからな。……これは公にはなっていない情報なんだが、グレイ伯爵の失踪後、彼の事業に不正の形跡があったことが明らかになっている」
「不正?」
「架空の取引先を作って、帳簿上は金が移動しているように見せかけていたんだ。れっきとした犯罪だな。そのため事が公になりそうになったから身を隠すために逃亡したのではないか――という話も出ているんだ」
「なるほど……」
コニーはわずかに顔を顰めながら頷いた。
「ちなみに物盗りの可能性は?」
「金品目的なら、すでに〝炎の女王〟が売り払われているはずだ。指輪の所在がわかれば解決の糸口になるだろうが、この十三年間、噂にすら上っていないからな――どうした、コンスタンス」
ランドルフの言葉にぎくりと体が飛び跳ね、コニーは震える声で「ナンデモアリマセン」と告げた。
ランドルフは不思議そうに首を傾げると、ふいに声を潜めた。
「――ところで、なぜ今さらこんな情報を?」
さらに肩が跳ね上がる。
意味もなく視線を彷徨わせながら、囁くように小さな声を絞り出した。
「ええと、実は今、探偵をやっていまして」
「探偵」
「はい」
「探偵……?」
怪訝そうな声も、普段だったら否定的に捉えていただろう。
けれどセバスチャンから毎日のように誉めそやされてきたおかげでコニーの自己肯定感は人生の最大値を迎えていた。
なので、むしろ誇らしい気持ちで胸を張る。
「はい、探偵です!」
「その……探偵というのは、比較的頭を使う職業だと思うんだが」
「そうですね!」
これはおそらく暗にコニーの頭がいいと褒めているのだろう。あまり言われ慣れていないことなので少しこそばゆい気もするが、いかにも不器用なランドルフらしい表現である。
「演技力も、ある程度、必要になるかも知れないんだが」
「そうですね!」
誰にも言われたことがないが、コニーも実は己が演技派なのではないかと思っていたのだ。
世が世なら、もしかすると大女優になれていたかもしれない。
「……コンスタンス」
「はい!」
そこでランドルフがひどく真剣な眼差しをコニーに向けていることに気がついた。
「杞憂かも知れないが、万が一、弁護士が必要になるようだったら言って欲しい」
「そう、です……ね……?」
「いいか。ひとりで解決しようとせずに、大事になる前に言うんだぞ」
コニーはゆっくりと首を捻った。
なぜかコニーが問題を起こすことを前提としているような口振りなのは気のせいだろうか。いや、もちろん気のせいだと思うが。
疑問に思いながらも肯定すれば、ランドルフは満足したように頷き、話題を変えた。
「それと、頼まれていた資料も取り寄せておいたんだが」
差し出された書類には、ネリー・コールの借家についての情報が記載されている。
もちろんコニーの考えではなく、スカーレットからネリーの住まいについて調べ上げろと厳命されたのである。
「家主はウィリアム・ポーター。高利貸しを営んでいて、王都内に不動産をいくつか所有している男だ。特に問題になるような経歴はなかったが」
「……その、コールさんがこの家にやってきたのは三年前となっているんですけど、それまでは誰か住んでいたんですか?」
「いや、誰も住んでいない。もともとポーター夫妻が若い頃に住んでいた家らしいんだが、夫人の意向で人に貸したりはせずに空き家のままにしていたらしいな」
「なら、どうして急に貸すに出すことに?」
「夫人が浮気相手を連れ込んでいたそうだ」
コニーは思わずあんぐりと口を開けた。
つまり、激怒した夫が、浮気現場を貸家にすることを強制的に決めた――ということらしい。
「な、なるほど……」
咳払いをすると、気を取り直して質問を続けた。
「ええと、その、ポーター夫人はどういう人だったんでしょうか」
「評判はあまりよくないな。彼女の実家は身内経営の商会なんだが、規模の割にはなぜか利益が大きい。相当あくどいことをしているようだと噂になっているくらいだ」
「ん? 夫人はもう家を出ていますよね? なのに批判されているんですか?」
「ああ。今も経理に携わっているらしいからな」
それは確かに問題である。
コニーは何かを考えるかのように押し黙った。
すると、ランドルフがわずかに声を低くして訊ねてくる。
「――それで」
コニーを見下ろす紺碧の瞳は冷静な色を湛えていた。
「いい加減、教えてくれないか? グレイ伯爵失踪事件について何か知っていることがあるんだろう?」
その目があまりにおっかなくて、コニーは早々に白旗を上げた。これはさすがに誤魔化しきれない。
スカーレットが嫌そうな表情を浮かべているが、背に腹は代えられないだろう。
「……その、見て欲しいものが――」
そう言うと、ランドルフに例の指輪を見せた。
ランドルフはそれを一瞥するとすぐに「〝炎の女王〟か?」と呟く。
「一体これをどこで――」
「実は、スカーレットが、グレイ伯爵の居場所がわかったそうなんです」
「なんだと?」
ランドルフは訝し気に顔を顰めた。
「伯爵は今、どこにいるんだ?」
コニーはスカーレットにちらりと視線を向けると、困ったように眉を下げた。
「それが――」
〇
ーーそれから数日後。
探偵事務所近くの公園のベンチに座っていたコニーは盛大な溜息をついていた。
「まさか、グレイ伯爵の居場所がじゃがいも畑だったなんて……」
スカーレットがわざとらしい笑みを浮かべる。
『あら、わたくし伯爵が生きているなんて一言も言ってなくてよ』
コニーは顔を引き攣らせた。
――けっきょく、グレイ伯爵はネリー・コールのじゃがいも畑から見つかった。
遺体はすでに白骨化していたが、血のついたナイフが近くで見つかり殺人だと結論付けられた。
犯人はポーター夫人である。
彼女はグレイ伯爵の愛人のひとりだったらしい。利益を出せると主張し、伯爵家の事業の経理を任されていたという。なぜ素人に――という疑問は持ったものの、実家の商会で経理を請け負っていたことで信頼されていたのかもしれない、と思い直した。もしくは愛のなせる業か。
とにもかくにも、ポーター夫人は伯爵家の事業資金を随分と使い込んでいたらしい。そして、その事実を隠蔽するため帳簿を改竄することにしたようだ。
それが、例の不正記録である。
おそらくグレイ伯爵は何も知らなかったのだろう。
あの日、ポーター夫人は帳簿の改竄に気づいた伯爵から被害を補填するよう詰め寄られ、うっかり刺してしまった――と話しているらしい。
ただしナイフの出所や、その後狼狽えることなく遺体を庭に埋めていることから、どこまで信じていいのかは不明である。
夫人はおそらくあの空き家を貸しに出されるとは思っていなかったのだろう。
浮気という出来事がなければ、今もグレイ伯爵は土の中だったはずだ。
ネリー・コールにきつく当たったのは、あわよくば出て行って欲しいという気持ちの表れだったに違いない。
ポーター夫人は、あの指輪を見て何を思ったのだろうか。
コニーはそっと目を伏せた。
ちなみに事の顛末を伝えられたネリーはその場で卒倒したらしい。
『気持ちはわかるわ。グレイ伯爵を肥料にして育ったじゃがいもを食べていたわけだし』
その言葉に、コニーも思わず遠い目になる。
庭が掘り起されポーター夫人が捕まると、芋づる式に彼女の実家の商会も潰れることになった。同じような不正をしていたらしいので仕方のないことだと思うが、何だか責任を感じてしまったコニーは、セバスチャンに相談してアビゲイルの所有している店でネリーのご主人の香水を取り扱ってもらうことにしたのだ。
ネリーは今にも死にそうな表情で何度もお礼を言ってくれた。
一件落着――かどうかはわからないが、こうして事件は解決したのである。
公園の砂場をぼんやりと眺めながらこの数日の出来事を振り返っていると、ランドルフがやってきた。
「遅くなってすまない」
コニーは「今来たところです」と言うとにっこりと微笑んだ。
今日は久しぶりに互いの時間が合ったので、昼を一緒に食べる約束をしていたのだ。
「晴れてよかったな」
ランドルフはそう言うと、コニーの隣に腰掛けた。
コニーも屋敷から持参したバスケットを取り出す。今日は所謂〝公園ランチデート〟というやつである。バゲットにハムやチーズを挟んだもの。旬野菜のピクルス。それから茹で卵に一口サイズの揚げ鶏――。たまたま読んだ大衆小説で手作りのお弁当という存在を知ったので、揚げ鶏以外はコニーの手製だった。なぜか家では火を使う作業をさせてもらえないので、揚げ鶏だけは料理人の力作なのである。もちろん果物も用意している。ちょっとしたピクニック気分である。
「そう言えば、けっきょく指輪はどうなったんですか?」
揚げ鶏を摘まみながらコニーは訊ねた。冷えてはいるが、味がしっかりとついていてなかなか美味しい。衣もさくさくを通り越してざっくざくである。
「ああ。所有者であるグレイ伯爵は亡くなっているということで、配偶者である伯爵夫人のものになったようだな」
「離婚されていなかったんですね」
「子供がいたからな」
コニーは「そうなんですね」と頷いた。おそらくその子が将来伯爵家を継ぐのだろう。なら、母親である夫人も籍を抜かない方が都合がいいのかもしれない。
「ただ、夫人としてはそんな縁起の悪いものはいらないということで美術館に寄付することにしたそうだ」
意外な結末にコニーは目を瞬かせた。展示の仕方によると思うが、事情が事情なだけに人気が出そうである。
茹で卵を口に放り込んでいると、ランドルフが「そう言えば――」と話題を変えた。
「最近、私立探偵を騙った詐欺や恐喝についての被害届が増えているそうなんだが」
口の中の卵をもぐもぐと咀嚼しながら、コニーは「そうみたいですね」と相槌を持つ。
「どうやら、どこかの探偵事務所が大々的に良心的な内容を宣伝をしたみたいでな。そのおかげで被害に気づいたという者も多い」
ごくん、と卵を呑み込むと同時になぜか冷や汗が垂れてきた。
「ちなみに薔薇十字通りにもいくつか怪しい事務所があるようだが――」
悪いことをしているわけではないのに、やましい気持ちになってしまうのはどうしてだろう。
そっと目を逸らすと、ランドルフは小さく溜息をついた。
「……そういうわけだから、気づかないうちにあらぬ恨みを買っている可能性もあるだろう。頼むから気をつけてくれ」
〇
昼食を食べ終わると、ランドルフと別れて探偵事務所へと戻る。
その道すがらーー
コニーは通りの裏路地で震えている子猫を見つけてしまった。
「――あ」
ごみ捨て場で悲し気に鳴いているのは、つい先日に男の子が抱えていた子猫ではなかろうか。
「ね、猫ちゃん……!」
思わず手を伸ばす。少し弱っているのか、抵抗もなくすっぽりと腕に収まった。温かい。温かいけれど、弱々しい。心なしか艶々だった毛並みも悪くなっている気がする。
「お、お世話しないと……!」
首輪はないが、人に慣れているし、何だか飼い猫な気がする――
そう結論付けたコニーは子猫を探偵事務所に連れて帰ることにした。
早足で戻り、焦る手つきで扉を開けると、スカーレットが訝し気な声を開けた。
『何か落ちているわ』
声につられるように視線を向けると、扉の郵便受けから投げ込まれたように白い封筒が落ちていた。
「……うん?」
特に疑問に思わず拾い上げると、二階に上がり子猫をソファに置く。
それから、封筒をまじまじと見つめた。
宛名も差出人も何も書いていない。全くの無地である。
わずかに首を傾げながら、手で封を切る。
その瞬間――
「痛っ……!?」
コニーは小さく悲鳴を上げた。指先から血が出ている。
「剃刀……?」
見れば、封筒に鈍色の刃が仕込まれていた。思わず顔を引き攣らせる。
中には、一枚の紙が入っていた。
お世辞にも上手とは言えない文字で書かれていたのは――
――これは警告だ。今月中に事務所を畳まないのなら、次はお前を刺し殺す。
物騒な言葉にコニーは言葉をなくして黙り込み、スカーレットはなぜか楽しそうに『あら、まあ』と呟いた。
紫水晶の瞳がすっと細くなる。
それから、スカーレットはひどく嗜虐的な笑みを浮かべながらこう言った。
『どこの三下か知らないけれど――わたくしたちを脅迫しようだなんていい度胸じゃない』
次回は金曜更新予定です……!