じゃがいも畑の秘密(前編)
「……暇だ」
頬杖をつきながらぼんやりと事務所の扉を眺めていたコニーは、そう呟くと、部屋の片隅でお茶の準備をしてくれているセバスチャンに話しかけた。
「大変ですセバスさん、閑古鳥が鳴いてます」
依頼人が来ないのだ。これは由々しき事態である。
けれどコニーの焦りを余所に、百戦錬磨の執事長はいつものように穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
「暇もたまにはいいものですよ」
「いやその鳥ここ最近ずっと鳴きっぱなしなんですけど……!?」
大丈夫なのだろうか。たぶん大丈夫ではない気がする。
薔薇十字探偵事務所が開業してから早半月。冷やかしやちょっとした相談事や喧嘩の仲裁は来ても、肝心の依頼までなかなか辿り着かないでいる。というのも、どこぞの悪霊が優秀過ぎて、なぜか話を聞いているだけで大抵の悩みが解決してしまうからである。
コニーが、ぐぬぬ、という苦悶とも焦りともつかない表情を浮かべていると、セバスチャンが不思議そうに首を傾げた。
「依頼人なら先ほどいらっしゃったではないですか」
まるで癇癪を起こした幼子を宥めるような柔らかい口調に、コニーは八つ当たりのような声を上げた。
「ええ、ええ、来ましたよ! ついさっき! 五歳くらいの可愛い依頼人が! よくよく話を聞いてみたらただの迷子の男の子でしたけどね! しかも自分が迷子って認識が全然なくて、公園で見つけた子猫のお家を一緒に探して欲しいっていう……!」
話を聞いてみると、どうやらほんの少し前まで母親と一緒にいたらしく、急遽迷子の親探しが始まったのである。
どこもかしこもふくふくとしている可愛らしい男の子を見ながら、コニーは弟のレイリが幼かった頃を思い出していた。
誰に似たのかレイリは昔から頭がよく、同年代の子より一歩も二歩も大人びていたのだが、それでもちょっと目を離した隙になぜかあらぬ方向に駆け出しては姿を消していた。
つまり、子供とは消える生き物なのである。
そのことを思い出しながらしっかりと手をつないで通りを歩いていると、いくらもしないうちに子供の名を呼ぶ悲痛な声が聞こえてきて――
「すぐにお母様が見つかってよかったですね」
セバスチャンの言葉にコニーも力強く頷いた。
「あのお母さんすっごく心配してましたし、あの子も怪我したり攫われたり事件に巻き込まれたりしないで済んで本当によかったです。ああ、でも猫ちゃんの方はいつの間にかどっか行っちゃって……大丈夫かな……」
「首輪はしてませんでしたが、野良にしては毛並みがよかったですからね。飼い猫という可能性もあるので後でこの辺りを探してみましょうか」
「はい!」
元気よく返事をしてから、「うん……?」と首を捻る。
何だろう、何か忘れているような気がする。
『思いっきり流されてるじゃないの』
呆れたようなスカーレットの呟きを聞き流していると、セバスチャンが今日も今日とて貴婦人の茶会で出るような薫り高い紅茶をテーブルに置きながらこう言った。
「心配されずとも、コンスタンス様は立派にお務めを果たしていらっしゃいますよ」
「……へ」
瞳を瞬かせていると、セバスチャンが言葉を続ける。
「ここ数日、元気がなかったでしょう? ご依頼人が来ないことで、ご自分を責めていらっしゃったのでは?」
「……あ、ええと、その」
――けっきょくのところ。
コンスタンスは、けっきょくのところ、依頼人が来ないのはアビゲイルが言うところの話題性がないから――即ち、コニー自身のせいなのではないかと考えていた。
まさに図星で返事に困ってしまっていると、セバスチャンが優しく微笑んだ。
「なるほど、アビゲイル様のせいでございますね」
「……えっ!? いえ、全然そんなことは――」
「あの方はいつも言葉が足りないのです。話題作りというのは方便ですよ。実際のところ、アビゲイル様は本当はあなたの誠実さを買われてお願いをされたのだと思います」
「……へ?」
予想外の言葉に、コニーは目を丸くした。
「そもそも話題なんていくらでも金で買えますが、信頼というものは売り買いできるものではありませんから」
「信頼……?」
「ええ。単にグレイルの方だからということではなく、純粋にコンスタンス様のお人柄を見込んで頼まれたのでしょう」
「で、でも私なんて……」
「この爺はまだ半月ほど一緒に働いただけですが、それでもあなた様は充分まっすぐで信頼できる素敵な方だと思っておりますよ」
「せ、セバスさん……!」
コニーが感動に打ち震えていると、スカーレットが『……わたくし、もう恐怖も感じなくなってきたわよ』とぼそりと呟いた。
新しい依頼人がやってきたのは、そんなやり取りをしてすぐのことだった。
〇
「――ごめんください」
そう言って応接間に入ってきたのは二人の女性だ。ひとりは見覚えがあり、もうひとりは面識がない。
「……ターナーさん?」
見覚えのある女性の方は、以前幽霊屋敷の相談に来たクロエ・ターナーだった。彼女が探偵事務所を訪れるのは今日で三回目だ。つい先日も王都で行列のできる焼き菓子を持って来てくれて、その後の話を聞かせてくれたばかりである。
ミセス・コリンズの遺言状はやはり啄木鳥の巣穴に隠されていて、代理人によれば、土地も含め遺産はすべて孤児院や慈善団体に寄付するように書かれていたらしい。
ただ、庭のフェアリースターに関してだけ、隣人のクロエ・ターナーに譲り渡したいということが書いてあったという。
「全部は無理ですけれど、いくつか苗木をもらってうちで育てることにしたんです」
そう告げるクロエの表情は随分と明るくなっていた。
ちなみに例の甥に関しては前科も余罪もたんまりとあったらしく、憲兵に相談してから程なくして逮捕されたようだ。
とにかく、あの一件に関しては丸く収まったと言ってもいいだろう。
では、今日は何の用なのだろうか。
疑問に思っていると、クロエが朗らかな笑みを浮かべてこう言った。
「お久しぶりです、先生」
コニーは思わず顔を引き攣らせて悲鳴を上げた。
「お願いですから先生はやめてください……!」
クロエは笑いながらコニーの訴えを流すと、「実は、今日は人を紹介したくて」と告げた。
その言葉を受けておずおずと前に出てきたのは、クロエと同年代ほどの細身の女性だった。
「ネリー・コールさんです。地区の婦人会で親しくなったんです」
ネリーは、腰元を紐で結ぶ質素なワンピースに、刺繍の入った白い頭巾で髪をまとめていた。日に焼けた肌と頬に散ったそばかすが印象的な女性だ。
「コンスタンス・グレイルです」
「あ、ね、ネリーです」
緊張しているのか、声が上擦っている。
二人にソファに座るよう促すと、コニーは「それで、今日はどうされたんですか?」と訊ねた。
するとネリーは肩掛け鞄からハンカチに包まれた何かを取り出した。
「あの、これを……」
そっとテーブルの上に差し出されたものを見て、コニーはわずかに目を見開いた。
「これは、指輪……?」
金の輪に大振りの宝石がついている。血のように赤く輝く石はルビーだろうか。あまり装飾品に詳しくないコニーでさえもすぐに一級品だとわかる代物だ。
驚くコニーに、ネリーは困ったような表情を浮かべながら、こう切り出した。
「どこからお話したらいいのか……。……その、事の発端は家庭菜園なんです」
コニーは目を瞬かせた。
「家庭菜園?」
「はい。クロエさんから勧められて、去年から始めてみることにして……」
すぐさまクロエが相槌を打つ。
「ネリーさんのお家はお庭が広いのに、何もされてなかったんです。もったいなくて、ついお節介を」
「わたしも気になってはいたんですけど、持ち家でなく借家なので勝手なことはしない方がいいかと思って……」
けれどクロエから熱心に勧められ、家主に庭に手を入れてもいいか相談したらしい。
「特に問題ないということだったので、植えるものを色々と調べて。花でも良かったんですけど、どうせなら食べられるものがいいかなって。それで、庭の一画をじゃがいも畑にしたんです」
頷きながら話を聞いていたコニーは、そこで思わず「うん?」と首を捻った。
「じゃがいも……?」
「はい、じゃがいもです」
なぜにじゃがいも――?
疑問が顔に出ていたのか、ネリーが慌てて言葉をつけ足す。
「実家がじゃがいも農家で、扱いに慣れていたので」
「なるほど」
「それで春先に種芋を埋めて、ちょうど食べ頃になったので先日収穫することにしたんです。そしたら――」
そこでネリーは途方に暮れたように眉を下げた。
「掘り出したじゃがいものひとつに、その指輪が嵌まってたんです」
「そっ……」
――そんな馬鹿な。
コニーはうっかり口から飛び出そうになった言葉を慌てて呑み込んだ。
「そ……、それは珍しいですね」
「はい。わたしも初めてのことで――指輪に圧迫されたせいか、小さな瓢箪みたいになっていましたけど。……その、お恥ずかしい話なんですが、わたしは田舎育ちで、宝石なんてほとんど見たことがなかったんです。だから、この指輪も子供たちが祭りの露店で買うような安物だろうと思っていて。じゃがいもを育てていたら指輪ができたなんて面白い話だなと思って、寄合所に持って行って笑い話にしていたんです。そうしたら、急にポーター夫人が自分のだって言い始めて……」
「ポーター夫人?」
「うちの家主の奥様です」
夫人は、その指輪を見るなり自分のものだと主張したという。
クロエがわずかに眉を顰めながら、「たぶん、いつもの嫌がらせなんですよ」と言う。
「嫌がらせ?」
コニーが聞き返すと、ネリーが言いにくそうに「奥様は、もともと家を貸すことに反対していたそうなんです。だからわたしのことがあまり好きではないみたいで……」と答えた。
「それで、この指輪は先月家賃の集金に来た時に落としたんだと言っていました。でも、そんなはずないんです。その、さっきもお話した通り、指輪はじゃがいもに嵌まっていたので……。だから少なくとも春植えの前……たぶん、数か月以上前から土の中にあったはずなんです」
「そのことは伝えたんですか?」
「はい。でも、そんな馬鹿みたいなことが起きるわけない、嘘をついているんだろうと責められてしまって……」
気持ちはわかる。非常によくわかるのだが――
「ええと、本当にポーター夫人の指輪だという可能性は?」
「……かなり低い、と思います。その、あの人の性格的に、もし本当になくしていたらその時に大騒ぎするはずなので……」
「特に何も言っていなかったということですか?」
「はい。それに、色々な人に話を聞いたらこの指輪がかなり高価なものだとわかって。ポーター夫人は宝石をよく買われているので、値打ちものだと気づいて手に入れたくなったのかもしれません」
「なるほど……」
「さすがに扱いに困って憲兵に届けることにしたんですが、夫人がどうしても納得されなくて……」
「え? でも、見つけたのはコールさんですよね?」
指輪の持ち主がポーター夫人であるという証拠がない以上、どうするのか決める権利はネリーにあるのではないだろうか。
「そう、なんですけれど……」
奥歯に物が挟まったようなはっきりしない口ぶりに、コニーは首を傾けた。
「もしかして、他に無視できない事情があるんですか?」
そう訊ねると、ネリーはそっと目を伏せた。
「……ポーター夫人のご実家は王都で商会を営んでいるんです。うちの主人は調香師なんですけど、香水もいくつか卸してもらっていて、このことで関係が悪化したらと思うと……」
確かに話を聞く限りなかなか癖のある性格のようだし、それは心配になるだろう。
「夫人には、主人と相談しないと決められないと言って返事を保留にしているんです。ちょうど今、原料の買い付けに行っているので……」
「ご主人はいつお戻りに?」
「五日後です」
なるほど、とコニーは頷いた。
「――つまり、それまでにこの指輪が別人のものだと証明できればいいということですね?」
そう告げると、ネリーは縋るような表情で頷いた。
「……お願いできるでしょうか? もう、どうしたらいいかわからなくて……」
コニーはちらりとスカーレットに視線を向けた。
いつもだったら何か助言をくれるのに、なぜか先ほどから黙り込んでいる。
少し気になったものの、今は依頼を優先させるべきだと考え、ネリーに笑みを向けた。
「ご依頼をお受けします。指輪はお預かりしてもよろしいですか?」
「もちろんです。ああ、よかった……」
コニーはすぐにセバスチャンを呼ぶと、料金の説明や契約の詳細に関して丸投げ――もといお願いする。
万能執事に誘導されて二人がいなくなると、コニーは改めてテーブルの上の指輪と向き直った。
それは、見れば見るほど美しい指輪だった。
中石に使われている楕円形の宝石は血のように深い赤で、脇石にも小さいながら同じものが使われている。
するとスカーレットが近づいて来て、無言のまま指輪をじっと見下ろした。
その眼差しがどことなく険しい気がして、コニーは「どうしたの?」と訊ねる。
『……その指輪、ちょっと光にかざしてみてくれる?』
「光?」
首を傾げながら指輪を手に取ると、言われるがまま窓に近づき、そっと陽光に透かす。
すると――
『ほら、星の模様みたいなものが見えるでしょう?』
「……ほんとだ」
スカーレットの言葉通り、光に反射して、深紅の石の上に六条の白い線が浮き上がっていた。
『スタールビーよ。指輪の内側を見せてちょうだい。たぶん刻印があるはずだから。……蔦に杖の文様――やっぱりこの指輪はエランドル工房の〝炎の女王〟ね。だとすれば、持ち主はグレイ伯爵に間違いないわ』
「えっ、じゃあ――」
これでもう一件落着ではないか。
そう思ったのだが、スカーレットは何やら難しい表情を浮かべていた。
『……厄介なことになったわね』
「うん……?」
きょとんと首を傾げると、スカーレットはわずかに目を眇めてこう言った。
『――グレイ伯爵はね、十三年前に失踪しているのよ。この指輪と一緒にね』
後編は水曜の予定ですーー! (間に合えば明日……!)