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侯爵夫人が娘の命日に孤児院の子供たちの手紙を供えたいと言っている。そう告げると年嵩のシスターは嬉しそうに微笑んで快諾してくれた。
「子供たちも喜ぶと思いますわ」
侍女に身を窶したコニーを疑う素振りは全くなかった。ちくりとコニーの胸が痛む。
―――つい数時間前、コニーはマルタから予備の侍女服を借りていた。マルタには、ケイトの家で木苺のパイを作ると言ってある。お菓子作りはケイトの趣味で、ロレーヌ家の台所で作業を手伝ったり味見をしたりするのは専らコニーの役目だった。そんな理由から普段から汚れてもいい侍女服を借りることが度々あったので、特に疑われることなく屋敷を出ることができたのだった。
レティという偽名はスカーレットの発案だった。もちろん今日の計画を思いついたのもスカーレットである。このモーリス孤児院はもともとが十年戦争の頃に建てられた市民病院であり、老朽化が進んだため廃院となった。その後、教会が孤児院として買収することになったのだが、建て替え時の莫大な改築資金を出したのがオーラミュンデ家だったのである。その伝手もあり、この孤児院はリリィが亡くなるまで彼女の活動の中心でもあった。
◇◇◇
噴水のある中庭では子供たちが元気に走り回っている。きゃあきゃあとはしゃいだ声を上げているのは、施設内でもまだ年少の者たちだ。年長組はコニーが持参した文具でリリィへの手紙を書いていた。
リリィ・オーラミュンデは、この孤児院を学び舎として子供たちに文字を教えていたのだ。部屋の隅には使いこまれた石板と白墨がある。スカーレットの語る印象が強くて忘れていたが、こうした行いは、やはり立派なことだと思う。
年長組の手紙を待っている間、コニーはまだ文字を書けない幼い子供たちと一緒に遊んでいた。もちろん全力である。鬼ごっこでは捕まえた子共たちを両脇に抱えながら駆けずり回ったし、石蹴りでは後ろ向きのまま踵を使って小石を円の中に蹴り入れていくという離れ業もやって見せた。瞬く間に称賛の眼差しと英雄の称号を手に入れる。スカーレットでさえ、人間ひとつくらいは取り柄があるのね、と褒めたくらいだ。
そうして子供たちが遊び疲れた頃、コニーはふと訊ねてみた。
「リリィさまは、お優しかった?」
今日のコニーには重大な使命がふたつあったのだ。
「うん!」
「元気がないこととか、なかった?ほら、なにか悩んでいたり―――」
「なかったよ!」
「まじか」
ひとつは、リリィ・オーラミュンデに何が起こったのか探ること。それはたった今失敗に終った。がっくりと肩を落としていると、手紙を書き終えたらしい年長組の何人かが窺うようにこちらを見ている。どこか怯えたような表情なのが気にかかった。彼らの方に行こうとすると、すかさずスカーレットの檄が飛んだ。
『余計なことをしてる暇はなくてよ』
そう、ひとつ目は失敗だった。そしてふたつ目は―――
コニーは額に浮かんだ汗をぬぐうと、そのまま足を滑らせた振りをして噴水の中に飛び込んだ。
「―――ごめんなさいね、修道服しかなくて。小さい子の服ならあるのだけど」
「いえ充分です。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
むしろそれが欲しかったんです―――とはいえずに、ずぶ濡れのお仕着せからモーリス教会の刺繍が入った修道服に着替えたコニーは、院長の御礼状と子供たちの手紙を受け取ると、礼を言って孤児院を後にした。
雨の多い六の月とは言え、太陽は夏に向けて日ごと力をつけてくる。特に今日のような好天だとそれが顕著で、荷物を抱えたコニーはじっとりとした日差しをその身に受けていた。
『さ、次は花を買うわよ』
対するスカーレットは涼しい顔だ。おそらく暑さというものを感じていないのだろう。
「え?このままですか?」
水を吸った侍女服は思った以上に嵩張って重たいし、遊び疲れた体はへとへとだ。正直もう帰りたかった。
しかし希代の悪女はまるで経験者でもあるかのように訳知り顔で頷いた。
『いいこと、こういう嘘は時間が経てば経つほど露見しやすくなるんだから。成功の秘訣はね、事がバレないうちにすべて終わらせてとっとと退散することよ』
◇◇◇
「モーリス孤児院の?」
男はそう言って顔を上げると、怪訝そうに眉を顰めた。
―――コンスタンス・グレイルは孤児院から出たその足でオーラミュンデ家にやってきていた。正確には、事前に約束を取りつけていない急な来客を受け付ける守衛所に、だ。
「は、はい、修道女の、こに、じゃない、レティと申します」
言いながら、モーリス孤児院の印璽が押された封筒を見せる。今しがた受け取った院長の御礼状だ。それから、子供たちがお世話になったリリィさまにどうしても手紙を渡したいと言っている、今日はその手紙とともにリリィさまに祈りを捧げたいのだ―――と告げた。買ったばかりの白い花束もこれ見よがしにアピールする。
男がじっくりと封筒とコニーを検分した。封蝋は間違いなくモーリス孤児院のものだし、袖口にモーリスの刺繍が入った修道服は今まで訪れた修道女と変わりないはずだ。それでも緊張で口から心臓が飛び出しそうになった。守衛がおもむろに机の引き出しから羊皮紙の束を取り出した。その中から一枚を選び出すと、虫眼鏡を用いながら渡した封筒と見比べていく。しばらくしてから男は顔上げ、今、屋敷の者と取り次ぐから待つようにと告げたのだった。
「い、生きた心地がしない」
今にも憲兵隊に捕まるのではないかと肝を冷やしていたコニーは、無事に邸内に通されそうだとわかってほっと胸をなでおろした。とはいえ心臓はいまだに暴れているし、全身の毛穴からは汗が噴き出している。
『でも―――うまく行ったでしょう?』
そんなコニーを他所に、全くもって普段通りのスカーレットは悪戯が成功した子供のように瞳を輝かせたのだった。