薄日さす‐10(終)
※3話連続(8、9、10)更新しておりますのでご注意ください。
つまるところ、ジョセフィン・ブランドンはサラのことが大好きだったということだろう。
あれからコニーたちは夜が更けるまでゆっくりと彼女と話した。ジョセフィンは初めのうちは言葉を濁していたが、やがてぽつりぽつりと語ってくれた。どうやら婚約者殿の母君はなかなか強烈な性格をしていたらしい。それとも貴族というものは皆そうなのだろうか。そんな気もする。
とはいえサラが妹想いであったことは間違いなく、ジョセフィンのことを何度も助けてくれたこともまた事実で、そんな姉に意地を張って気持ちを伝えなかったことを今でも後悔しているようだった。
けれど、あまり聡くはないコニーでさえ会話の途中で気づいたのだ。ああ、この人は本当はお姉さんのことが大好きなんだなと。きっと、そんなことは皆わかっていたに違いない。もちろんサラ本人も。
そのことを伝えると、ジョセフィンはひどく驚いたような顔をして――
それから、はにかむように微笑んだ。
さて例の一件も片付き、当初の目的だったエメラインの見舞いもすでに意味がなくなっていたため、コニーとランドルフは数日中に王都へと戻ることになった。
本当はのんびり観光でもしたかったのだが、やれ親族への顔見せやら墓参りやらとなかなか慌ただしく、あっという間に出立の日がやってくる。
広間でエメラインと別れの挨拶を交わすと、馬車の待つ門へと向かった。荷はすでに運び込まれているため、行きに比べると随分と気が楽だ。
(でも、もう少しいたかったな)
名残惜しい気持ちを汲んだかのように、今日の空は曇天だった。
馬車の前には御者と、見送りに来てくれたらしいジョセフィンがいた。
「ジョセフィンさま! わざわざここまで来てくださったんですか?」
「ええ。あなたにこれを渡そうと思って」
そう言って手渡されたのは、白磁に金の蔓草模様のエッチングが施され、花のように彩とりどりの宝石が散った精巧な腕輪だ。
「これは?」
「姉の腕飾りです。ずいぶん前に押しつけられたのですが、私には、もう、必要ないので」
その言葉にコニーはぎょっと目を剥く。それは形見というやつではないのか。
「も、もらえません……!」
「借りたものを返すだけです」
そう言うと、ジョセフィンは微笑んだ。
「もう姉には返せないので。だったら、姉の娘になる人に返すべきでしょう?」
「へ……?」
「きっと、祝福したはずです。あなたたちのこと」
それから何かを誤魔化すように顔を背けた。
「王都からだと少し遠いかも知れませんが、気が向いたら、また母の相手でもお願いします。……別にその、本当に気が向いたらで構いませんし、あなた方にも都合というものがあるでしょうし、まあもちろん母はあなた方がいると喜ぶとは思うのですが、迷惑になってもいけませんし、ただ今回は観光もろくにできなかったようですし、ここは田舎ですがそれなりに楽しめる場所もあるかと――」
「じょ、ジョセフィンさま?」
険しい顔つきで何やら捲し立てられ、コニーは思わず目を瞬かせる。早口なのと文脈がちぐはぐなのとで言っている意味が三分の一も理解できない。
狼狽えていると、背後でぶはっと誰かが噴き出す音がした。
振り返ると、意味ありげににやにやと笑みを浮かべている男性がひとり。ランドルフの叔父であり、現リュシュリュワ当主でもあるダヴィスだ。
そう言えばこんな人もいたな、と思い出す。すっかり存在を忘れていたが。
どうやら彼も見送りに来てくれたらしい。
「コニーちゃんが家族になってくれて私も嬉しい。だから、またすぐに会いに来てね――って言いたいんだよ、ジョーは。ほんと素直じゃないからね。だいたいジョーの初恋はルウェイン兄さんだったけどさー、同じくらいサラのことだって大好きだったもんねえ。まあ、兄さんもジョーもあんな悪魔のどこがいいのか私にはさっぱりわからないけど」
「うるさいですよ、俗物神父」
ジョセフィンが氷のような眼差しでダヴィスを睥睨する。それからハッと気づいたようにコニーの身体にストールを巻き付けた。絹だろうか。ひどく肌触りが良く、いい匂いがする。
「馬車旅は身体が冷えますので」
「……ん?」
「それと、勝手かとは思いましたが馬車内に保存のきくお菓子と紅茶を用意させましたので。お口に合うかわかりませんし不要かもしれませんがお腹が減ったら食べてください」
「……んん?」
「ああ、あとブランケットとクッションも追加しておいたのと念のため酔い止めや胃薬も――」
「……んんん?」
コニーはゆっくりと首を捻る。スカーレットが呆れたように『確かに素直じゃないわね』と鼻を鳴らした。
「ええっ!? ランドルフ、リュシュリュワ領には寄らないの……!?」
ランドルフはこくりと頷いた。
「仕事があるので」
「そ、そんな……!」
ダヴィスはまるでこの世の終わりでも聞かされたかのように絶望的な表情を浮かべた。
「い、一緒に帰れると思って……そのためだけに滞在を伸ばしてたのに……! じゃ、じゃあ最後に、最後にお別れの抱擁を……!」
「もう子供ではないのでそういうのはちょっと」
「反抗期!? 反抗期なのランドルフ……!?」
少し離れたところでふたりのやり取りを見ていたコニーは無表情のまま「なにあれ」と呟いた。スカーレットがどうでも良さそうに肩を竦める。
どう見ても性質の悪い酔っ払いに絡まれているようにしか思えず、次第に死んだ魚のような目になっていく婚約者をどうやって助けに行こうかと真剣に悩んでいると、突然ダヴィスが地に沈んだ。ジョセフィンの肘鉄である。
「いいから離れなさい。ランドルフが嫌がっているでしょう、変態」
「何か今さらっとひどいこと言われてない……!?」
〇
別れの時間はあっという間だった。いよいよ馬車に乗り込むという間際になって、榛の髪に若草色の瞳の少女はくるっと後ろを振り返った。それからジョセフィンの手をぎゅっと握ると「ぜったいまた来ますから……!」と言った。
段々と小さくなってく馬車を見ながら、ジョセフィンは在りし日の記憶を思い出していた。ルウェインと婚姻を結んだサラが領地を離れる最後の日のことだ。言いたいことは山のようにあったのにけっきょく何も言えずにいると、あの腕飾りを渡された。あれは姉のデビュタントのために拵えたもので、図柄から宝石の一つ一つに至るまで、すべて姉が自分で選んだ特注品だった。そして、ここ一番という時に必ず身につけるお守りのようなものだと知っていた。慌てて姉の手に戻したが、やはり相手の方が一枚も二枚も上手で。「ねえ、ジョセフィン。あなたは幸せ?」そう唐突に訊かれ、答えに躊躇している隙に問答無用で押しつけられた。姉は笑いながら、幸せだと胸を張れるようになったら返しに来いと告げて――
――コンスタンス・グレイルとランドルフの滞在はほんの一週間ほどのことだった。けれど、まるで台風のようにジョセフィンの心の枷を壊していった。
ふたりがいなくなったことに一抹の寂しさを感じていると、ふと学び舎のことを思い出した。ああ、そろそろ支度をしなければ。
きっと、生徒たちが待っている。
踵を返すと、風が小さな声が運んでくる。「あなたは、今、幸せ?」と。
空を見上げれば、雲間から穏やかな光が差し込んでいた。ジョセフィンは眩しそうに目を細めながら、「……はい、姉さま」と呟いた。
ご報告が遅れましたが、おかげさまでエリスの聖杯3巻が10月中旬頃に刊行されることになりました。すでにAmazonさんなどで予約の受付も始まっているようです。内容的には本編ラストまで&書き下ろし後日談2つとなっております。皆様のおかげで何とか完結まで駆け抜けることできまして本当に感謝の気持ちしかございません(土下座)
そして夕薙先生の表紙が最高過ぎるので見て……ほんと見て……
活動報告も更新しておりますので、詳細など知りたい方などいましたら(小声)