薄日さす‐2
「ランドルフ!」
屋敷に到着したコニーたちはすぐに応接間に通された。出迎えてくれたのは、当主であるウィリアム・ブランドンだ。
「何年振りだ? よく顔を見せておくれ。――ああ、ルウェイン義兄さんによく似ている」
ウィリアムはランドルフと抱擁を交わしながら、懐かしそうに目を細める。
それから、すぐにコニーへと向き直った。
「あなたが、グレイル家の?」
「――ええ。婚約者のコンスタンスです、叔父上」
その問いに答えたのは何故かランドルフだった。ついでにコニーを背に庇うようにずいっと前に出てくる。
驚いたコニーはすぐさまランドルフの影から抜け出すと、裾を摘まんで膝を曲げた。
「こ、コンスタンス・グレイルと申します」
ウィリアムは瞬きをしながらランドルフとコニーを見比べていたが、すぐに、ふっと口元を緩める。
「ウィリアム・ブランドンだ。知っていると思うが、ランドルフの母親は私の一番上の姉でね」
その大らかな笑みからは、いわくつきの婚約者に対する蔑みや敵意は感じられない。
コニーが心の中で安堵の息をついていると、目の前の人物はとうとう堪えきれなくなったように、くっと肩を震わせた。
「それにしても、お前は意外に心配性なんだな。まさか、私がこんな可愛らしい婚約者殿を苛めるとでも?」
「……そういう、わけでは」
ランドルフが困ったように言葉を濁す。
その様子が珍しかったのか、ウィリアムは嬉しそうな表情を浮かべて甥を揶揄い始めた。
間に挟まれたコニーが若干居たたまれない気持ちになっていると、突然、応接間の扉が開く。
「――失礼、来客でしたか」
感情のこもらない声音でそう告げたのは、背の高い女性だった。
ウィリアムよりいくらか年上だろうか。
ドレスではなく、白いブラウスに黒いロングスカート。整ってはいるが、どことなくきつい顔立ち。長い金髪は後ろでひとつに纏められている。
まるで家庭教師のような出で立ちだが、堂々とした立ち振る舞いはとても雇われの身分とは思えない。
彼女はランドルフを視界に入れるとなぜかひどく驚いたように目を見開き、それから、すぐに顔を顰めた。
コニーは「……ん?」と首を傾げる。
怪訝に思いながらも様子を窺っていると、女性の方がコニーに気づいたようだった。
凍えるように冷たい眼差しを向けられ、上から下までじろりと値踏みされる。
「――なるほど」
告げられた言葉はどう考えても好意的ではなかった。コニーは思わず頬を引き攣らせる。
「……ジョセフィン」
あからさまな態度にウィリアムが咎めるような声を出した。
ジョセフィン、と呼ばれた女性は不愉快そうに片眉を上げた。そして、無言のままこちらに背を向けて立ち去ってしまう。
『失礼な女ね』
目を眇めたスカーレットが剣呑な口調でそう告げる。
コニーはどちらかと言えば困惑の方が強かった。
――今のは、一体、なんだったのだろう。
首を捻っていると、ウィリアムの溜息が聞こえてくる。
「すまない、あれは二番目の姉なんだ。長姉にとっては妹だな」
つまりランドルフにとっては叔母にあたる存在――ということだろうか。
ちらりと視線を向ければ、死神閣下は相変わらずの無表情だった。
「……叔父上」
それどころか、まるで何事もなかったかのように口を開く。
「それで、エメラインおばあさまの容態は?」
その言葉に、はっとコニーは居住まいを正した。そうだ。そもそもコニーたちはランドルフの祖母――エメライン・ブランドンの危篤の報せを受けてやってきたのだ。
けれど、母親が大変な状況だというのに、当主たるウィリアムの反応は鈍かった。
まるで、そんなことうっかり忘れていた――とでも言うように。
「ああ、母なら――」
※
「――あら」
その老婦人は、寝台から身を起こし、侍女相手にボードゲームに興じていた。
「あらあら」
扉の前で呆然と立ち尽くしているコニーたちに気がつくと、おっとりと頬に手を当てる。
――ここは、エメライン・ブランドンの自室である。
彼女は、着ているものこそゆったりとした部屋着ではあったが、肌艶はよく、髪はきちんと結われている――だけでなく、サイドテーブルに置かれたチェス盤の上で意気揚々と駒を進めている姿はとても瀕死の状態には見えなかった。
むしろ、至って健康そうである。
コニーは思わずぽかんと口を開けた。
ランドルフも訝し気に眉を寄せる。
「…………容態が、悪いのでは?」
沈黙が落ちる。
けれど、婦人はすぐにぽんと手を打った。
「――そうそう。もちろん、そうよ。うっかり生死を彷徨ったの。ヌガーを喉に詰まらせませて。ね、キャシー」
「はい、そういうことになっております」
ボードゲームの相手をしていた年配の侍女が真顔のまま肯定した。
「……ん?」
コニーはゆっくりと首を傾げた。
――そういうこと?
「おばあさま」
ランドルフが神妙な面持ちで口を開く。婦人は「なあに?」とわざとらしく微笑んだ。
「……元気ならば、よかったです」
それは、心の底からそう思っているとわかる声だった。
老婦人――エメラインが目をぱちくりと瞬かせる。
それから、どこか困ったように苦笑した。
「――やっぱり、あなたは父親似ねえ。見た目は怖いのに、根はお人好しで優しい子。母親に似なくて良かったわ」
コニーはさらに首を捻った。
「……んん?」
『理由はわからないけれど、つまり、まんまとおびき出されたというわけね』
――それは、いったい何のために?
「それで、あなたがランドルフの婚約者さん?」
ふいにエメラインがコニーの方へと向き直り、そう訊ねてくる。
「は、はい。コンスタンス・グレイルと申します」
慌てて頭を下げれば、相手はにっこりと微笑んだ。
「まあ、可愛い子ね。どうぞ私のことはエメラインとお呼びになって」
「エメライン、様……ですか?」
先ほどのスカーレットの言葉が気になりわずかに身構えていると、婦人は珍しいものでも見つけたように瞳を細めた。
「あら、てっきりあなたもただのお人好しだと思ったんだけれど。どうやらそれだけじゃないみたいね」
それから、ちらりと孫に視線を向ける。
「実はね、あなた――いいえ、あなた達にちょっと助けてもらいたいことがあって」
エメラインはそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「――ジョセフィンが、ちょっと困ったことになっているのよ」