14
コニーは薄暗い廊下を歩いていた。空気はひどく冷え切っていて、黴臭い。
その後、イヴリー・コーエンはシラ・ナバム議長殺害の首謀者として西シュキタル情報局に身柄を引き渡されることとなった。というのもエリ――エリヤフ・レヴィは仲間と連絡を取り合っていたようで、イヴリーを捕まえてすぐに西の上層部の人間がやってきたのである。彼らはイヴリーを連れて帰るためにアデルバイド側と何やら七面倒な手続き――あるいは交渉――を済ませたようだ。
エリによれば、イヴリーは自身の黒幕に関することには黙秘を貫いているものの、それ以外については訥々と語り始めているという。
驚いたことに、イヴリーたちの計画にはクリシュナの脱獄も含まれていたらしい。
どうやら反和平派は、【暁の鶏】から協力を得る報酬としてクリシュナの脱獄を要求されていたようだ。
「ランドルフさま」
話を聞き終えると、コニーは思わず告げていた。
「ちょっとお願いがあるんですけれど――」
〇
廊下の最果てに、その独房はあった。
格子の前に立てば、中で読書をしていた人物がふと顔を上げる。コニーを認めると、その表情が見る見るうちに歪んでいった。二つの瞳に紛れもない憎悪の色が滲む。
けれど、すぐに取り繕うような笑みを浮かべた。
「おやおや。こんな物騒なところにお姫さまが何の用かな?」
コニーは表情を変えずに口を開いた。
「もちろん、助けは来ないと伝えに」
「……いったい何の話だい?」
「本当は、何も知らなかったんでしょう? 内通者のことも、《砂漠の薔薇》のことも」
ぴくりとクリシュナの眉が動く。
このクリシュナという男は【暁の鶏】の幹部だったはずだ。だとすれば、確かに有事の際には助けが来るという手筈にはなっていたのかも知れない。ただ、その詳細は知らなかったはずだ。
問いかけを肯定するように相手は沈黙を選んだ。コニーは構わずに言葉を続けていく。
「あなたは虚勢を張るのが得意なだけ。知ったかぶりの卑怯者にひとつだけ教えてあげる」
言いながら、男の手首にすっと視線を移した。そこには偽物の光が刻まれている。
だから、コニーは宣言した。
「もう二度と、あなたの世界に太陽が昇ることはない」
そのままクリシュナの反応も確認せずに踵を返す。
立ち去る背中に呪詛のような言葉が吐き捨てられた。「……呪われろ」
その瞬間、くすり、とスカーレットが笑った。
コニーも釣られてふっと口元を綻ばせる。
「呪いなら――」
ゆっくりと振り返れば、クリシュナと目が合った。青みがかった銀色の瞳。よく見れば、瞳孔のすぐ傍に二連の黒斑がある。
でも、すべてがどうでもいい話だ。この男と会うことは二度とないのだから。
コニーはにっこりと微笑んだ。
「――もう、間に合ってる」
〇
王都の西端。ユディス砂漠へと続く国境検問所にエリ・レヴィはいた。
彼は今日、アデルバイドを発つという。
すでにイヴリー・コーエンは西シュキタル情報局の他の捜査官たちによって送還されていた。エリだけは残ってしばらく事務処理をしていたようだ。
「このまま俺と一緒に来ない? クゥも懐いたし」
相変わらずへらへらと笑いながらエリが嘯く。しかし、門に繋がれている移動用のラクダはどう考えても一人乗りだ。
「そういうことばっかり言ってるから信用されないんですよ」
コニーは半眼でエリを睨みつけた。まったく最後まで冗談ばかり言う青年である。
「いやけっこう本気なんだけどなー」
何やらぶつくさ言っていたが流すことに決める。
そうこうしていると、ランドルフがすっとコニーの前に立った。
ランドルフは別れの言葉を告げるでもなく、腕を組み、無言のままエリと対峙していた。
すると、エリが挑発するように口角をつり上げる。
「――なんだよ、まさか彼女は俺のものとか小っ恥ずかしいこと言わないよな」
「まさか」
ランドルフは真顔で答えた。
「どちらかと言えば、俺が彼女のものだろう」
予想もしない台詞にコニーは思わず「は……?」と素っ頓狂な声を上げた。
ランドルフが不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「い、いえ、その」
何だかすごいことを言われた気がする。顔が熱い。どう反応していいかわからず視線を彷徨わせていると、同じく呆気に取られたようにぽかんと口を開けているエリ・レヴィに気がついた。
エリはコニーと目が合うと、「あーくそ」と毒づいた。
「なんだよ、それ」
それから小さく苦笑する。
「……よし。なあ、コニー」
「はい?」
ちょいちょいと手招きされて近づけば、掠めるような速さで頬にちゅっと口づけられる。
「――へ?」
「餞別」
そう言うとエリ・レヴィは破顔した。そして、硬直するコニーを尻目に爽やかな笑みを浮かべたまま「じゃ、行くわー」とラクダに跨った。
「そのおっかない男に飽きたらいつでもこっちに来いよー!」
去り際に爆弾発言だけ残して。
砂埃を巻き上げながら見る見るうちに小さくなっていく姿を呆然と見送っていると、ランドルフが「コンスタンス」と低い声で告げた。
コニーの肩がぎくりと跳ね上がる。
「え、ええと、その、今の件に関しては正直私にも何が何だか――」
「結婚についてだが」
慌てて言い訳めいた言葉を並べたが、どうやら違ったようだ。
「今すぐ、は、難しいが」
紺碧の双眸がコニーを映す。その表情は、珍しく、少し緊張しているようだった。
「俺には、君しかいないんだ」
――その言葉は、すとんとコニーの胸に落ちてきた。
黙ったままじっと見上げていると、ランドルフの瞳にじわじわと不安が広がっていく。
そのことに気づいたコニーは、仕方がないなあ、というようにへにゃりと笑うと、こう言った。
「……知っています」