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それからほどなくして「あっもう帰るね!」と慌ただしく出て行ったケイトを見送りながら、スカーレットは首を傾げた。
『あの子はいったい何がしたかったの?情報収集?やだ気をつけなさいよ、コンスタンス・グレイル』
「いやいやどう考えても心配して様子を見に来てくれただけですよね!?」
ロレーヌ家はもともとが下士官から成り上がった男爵で、歴史の浅い新興貴族だ。ケイトの母親は貴族ではないし、兄弟は多いし、決して裕福ではない。舞踏会に出席したのだってデビュタントの一回だけである。それ以外は家の手伝いや内職をして過ごしている。もちろん彼女の屋敷にも侍女や執事がいるが、多くを雇えないのだ。今日は、忙しい合間を縫ってわざわざ様子を見に来てくれたのだろう。ケイト・ロレーヌは、心優しく友人想いの自慢の幼馴染なのだ。
そう説明しても、スカーレットはまだ怪訝そうな顔をしていた。
「ええと、ケイトは、スカーレットさまにとってのリリィさまのような存在でして―――」
『リリィ?』
スカーレットが可愛らしく首を傾げたので、コニーも「あれ?」と首を傾げた。
「……ええと、侯爵家のリリィ・オーラミュンデさまとは幼少のみぎりから親しくしていらしたんですよね?大変烏滸がましいのですが、あんな感じだと思って頂ければ、と……」
リリィ―――リリィ・オーラミュンデは、噂によればスカーレット・カスティエルが唯一心を許した友人である。
とはいえスカーレットのように罪人ではない。彼女から理不尽な誹りを受けるセシリアを庇い、その非道な行いを諫め、最期まで改心させようとしていたという人格者だ。その公平な姿勢に敬意を表し、博愛の白百合とも呼び習わされていた。
スカーレットは、ああ、と頷いた。
『リリィ―――リリィ、ね。すっかり忘れていたわ。どうせあれも結婚したんでしょう?』
「あ、その、三年前に」
『三年?ずいぶん遅いのね』
この国の貴族令嬢の結婚適齢期はだいたい十六から十八だ。そのため二十も半ばになってから婚約を発表したリリィ・オーラミュンデは当時ずいぶんと話題になった。もともとオーラミュンデ家が教会と縁深いこともあり、多くの人間はいずれ彼女も聖職者にでもなるのだろうと思っていたのだが―――
実は、そこに至るまでには並々ならぬ覚悟あったのだという。
「―――リリィさまは、スカーレットさまがお亡くなりになったことを大層嘆かれていたそうです。凶行をとめることのできなかった己を責め、その罪を代わりに償うのだとおっしゃって、周囲の反対を押し切りずっと慈善事業にご尽力されていたとか」
主に孤児院の援助や子供たちへの教育などを行っていたらしい。夫の名代ではなく独身の貴族令嬢が個人的に活動するのは大変珍しく、リリィ・オーラミュンデの献身によって、それまで後ろ指をさされていた貴族女性の社会進出への波風が多少穏やかになったとも言われている。
まさに涙なしには語れない美談だと思うのだが、当事者であるスカーレットはあまり興味を覚えなかったらしく、つまらなそうに相槌を打っただけだった。
『ふうん。それで、リリィは誰と結婚したの?』
「あ、はい、リシュリュワ公爵家のランドルフ・アルスターさまです。でも、あの……」
『―――ランドルフ!?あの生真面目堅物!?わたくしの天敵じゃないの!』
スカーレットが珍しく悲鳴を上げるように叫んだ。コニーはびくりと身を震わせる。
『ていうか、あの石頭ってばまだ従属爵位なの?』
「え?ああ、噂では、ランドルフさまが現公爵にお願いされているとか。それよりも、その……」
『相変わらず融通の利かない偏屈男ね。まあ、いいわ。すぐにでもアルスター邸を訪問してリリィに話を訊きに行きましょう。リリィは頭が良かったから、エミリア・カロリングなんかよりずっと役に立つ情報を持っているはずだわ』
「む、無理です」
『大丈夫よ。面識がなくたってわたくしが何か方法を考えるわ。得意だもの、そういうの』
「違うんです、そうじゃなくて、その、無理なんです」
『だから、なにが無理なのよ。お前、まさか、わたくしに逆らうつもりじゃ―――』
「―――リリィさまは!」
とうとうコニーは腹の底から声を出した。
「すでにお亡くなりになっているんです!」
スカーレットが黙り込んだ。沈黙が落ちる。その空気に耐え切れず、コニーは俯いた。一拍の間をおいて、スカーレットが口を開く。どことなく強張った声だった。
『……いつ?』
「一昨年です」
『病気だったの?それとも事故?』
「いえ、その……自殺、だそうです」
服毒死だった。それも、嫁ぎ先のアルスター邸ではなく、生家の礼拝堂で彼女は事切れていたのだ。
『嘘よ』
「本当です。新聞にも載りました」
あれはずいぶん長いこと王都を賑わせた事件だった。彼女がアルスター伯爵夫人になった矢先のことであり、その早すぎる死に関して様々な憶測が飛んだ。王立憲兵により他殺の線も捜査されたが、結局事件性は認められず自殺と断定されたのだった。
『いいえ、そんなの、嘘に決まっているわ』
あり得ない、とスカーレットは何度も首を振っている。信じたくないのだろう。
「スカーレットさま……」
その様子を見てコニーは胸が締めつけられるようだった。悪魔が人の皮を被ったらスカーレット・カスティエルになるに違いないと信じて疑わなかった先刻までの己を恥じる。彼女はこうやって友人の死を悼む心を持っているではないか。
『嘘よ、だって、だって』
スカーレットは震える体を抱きしめながら、声を張り上げた。
『―――だって、あの性悪が自殺なんてするわけないじゃない!』
「……ん?」
今、何かが聞こえた、気がする。幻聴だろうか。たぶん幻聴だと思うが。「スカーレットさま」一応念のためにコニーは訊ねた。
『なによ』
「リリィ・オーラミュンデさまは、スカーレットさまのご友人ですよね?」
コニーの確認に、スカーレットは思い切り顔を顰めた。
『は?恐ろしいこと言わないでちょうだい。あんな女と馴れ合うくらいならハンガラ崖で逆立ちしたままポルカでも踊るわよ』
「で、でも噂ではスカーレットさまが投獄されてからもリリィさまだけは度々面会に行ったって―――」
手のひらを返したように離れていった取り巻き連中とは違い、リリィ・オーラミュンデは周囲の好奇な視線も物ともせず、最期まで彼女の傍に寄り添ったという。
『面会?―――ああ!』
訝しげな視線が、ふいに合点が言ったように焦点を結ぶ。形の良い柳眉が逆立って、次の瞬間、銅鑼を叩いたような声が響き渡った。
『あれね!今思い出しても腹の立つ!そうよ、リリィの奴は確かに面会に来たわよ!そして牢獄にいるわたくしを見て、こう言って嘲笑ったのよ!下手を打ったわねスカーレット、ってね!ふっざけるんじゃないわよ、あの性悪女―――!』