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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
砂漠の薔薇
129/171

10

 

 老舗高級店の立ち並ぶサントベル通り。サンマルクス広場からほど近いそこに、ウォルター・ロビンソン商会の支店はあった。

 店自体は黒を基調とした当世風モダンな佇まいをしており、珍しいことに三階建てだ。ちなみに三階部分は事務所になっており、多忙なウォルターが屋敷に帰らなくてもすむように居住用の部屋がいくつかあるという。

 エリ・レヴィが療養を命じられて寝泊まりしていたのはその中の一室だった。



「――行きます」

 コニーは緊張した面持ちで、足を一歩踏み出した。

 手のひらには、干した棗椰子デーツが乗っている。何でも砂漠狐クゥの好物らしく、ちょうど餌づけの現場に出くわしたコニーは、無言のままエリからそれを奪い取ったのである。


 ソファのクッションの上に陣取り毛繕いをしていたクゥは、決死の形相のコニーに気づくと、やれやれとでも言いたげな表情で首を振った。それからのそりと起き上がり、コニーの手元に口を近づけていく。


「食べた……!」


 ざらりとした舌の感触に、コニーは身体を震わせた。

 一方砂漠狐の方は、これで満足しただろうと言わんばかりにさっさとソファに戻り身体を丸めてしまう。

「クゥちゃんが……! クゥちゃんが私の手から餌を……!」

 見た? 見た? と感激のあまり思わずスカーレットを見上げれば、『そうね、食べたわね』という心底どうでも良さそうな声が返ってくる。けれど、コニーにはそれで充分だった。

 湧き上がる喜びとともに、ふわふわの天使を抱きしめようと両腕を伸ばす。すると間髪入れずにくわっと歯を剝き出しにされた。

 げせぬ。

『お前もたいがい懲りないわよね』

 スカーレットが呆れたようにそう言った。


「――――で」

 がっくりと項垂れていると、冷たい声が室内に落ちる。

「そろそろ状況を整理したいんだけど?」

 振り向けば、半眼になったエリ・レヴィが椅子のアームに肘を置き頬杖をついてコニーを見ていた。

 コニーはハッとして居住まいを正した。この青年に啖呵を切ったのはつい昨日のことである。

 愛らしい天使に気を取られていたが、今日の目的はもちろん《砂漠の薔薇》を見つけることだった。

 わざとらしく咳払いをしたコニーに溜息を返すと、エリは、懐から例の砂漠から採れるという鉱石を取り出した。

「前にも見せたけど、これが殺された酒場の店主――マーク・ロゥから渡されたものだ。ついでに死ぬ間際に、翼を持つ蛇にワジの約束を果たしにきたと伝えろとも言い残してる。おそらく『ワジの約束』というのが符牒で、翼を持つ蛇、という人物が親書を持っているはずだ」

 翼を持つ蛇。ワジの約束。

 どれもアデルバイドでは聞き慣れない言葉である。

「なにか心当たりはあるんですか?」

「残念ながらまったく。……ああ、でもその前に、ステュラクスの、とかって言ってたな」

 ステュラクス。やはり聞いたことのない単語だ。

「……それ、もう一度見せてもらえますか?」

 砂の鉱物に視線を向けたまま訊ねれば、エリが軽く頷いてこちらに手渡してくる。それを受け取ると、コニーはわずかに眉を寄せた。

「なんだっけ、この匂い……」

 仄かに香る、癖のある若木のような匂い。確か、前回も疑問に思ったはずだ。

『匂い?』

 するとスカーレットが首を傾げて近くまで降りてきた。

 いつ見ても造り物めいた美貌を、そっとコニーの手元に近づける。

『ああ――なるほど。それで、ステュラクス、ね』

 そう小さく呟いた。

「へ?」

 それから、戸惑うコニーに向かって蕩けるような笑みを浮かべる。

()()()()()()

 その微笑に思わず見惚れていたコニーは、ややあってからもう一度間抜けな声を上げた。


「…………へ?」


 〇


 昼下がりの王都の空は、雲ひとつない快晴だった。

 コニーに先導されるような形で道を歩いていたエリ・レヴィが、もう何度目かも知れない問いかけを口にする。


「いい加減、どこに行くのか教えてくれたっていいんじゃないか?」

 もちろん、すでに何度目かになるコニーの答えも決まっていた。

「……念のためです」

「疑われてんなあ」

 これみよがしな溜息に、コニーもこっそりと同調する。


 全く以って、同感である、と。


 風に乗るように優雅に前を進んでいくスカーレットの背中を恨めしそうに見つめながら、コニーは先程のやり取りを思い出していた。

 彼女はあの時、《砂漠の薔薇》の在りかがわかったと言っていた。さすがスカーレットだとコニーも喜んだのだが――いくら訊ねてもその場所を教えてくれなかったのである。

 曰く、教えたら出し抜かれるかも知れないから――と。

 もちろんエリ・レヴィを警戒するのには賛成だ。ただ、なぜ唯一無二の相棒である己にさえ教えてくれないのか。

 コニーは頬を膨らませて不満を訴えた。

 けれど、スカーレットの返答はひどくあっさりしたものだった。

『だってお前、何かやらかしそうなんだもの』

 げせぬ。



「あら、コニー?」

 エリと押し問答を繰り返しながら王都の中心街を歩いていると、ふいに声を掛けられた。

 声の主は、先日屋敷で会ったばかりのミレーヌ・リースである。驚いた表情を浮かべていた彼女は、コニーの隣にエリがいることに気がつくとぽっと頬を赤らめた。

 コニーは思わず顔を強張らせながら口を開く。

「き、奇遇ね、ミレーヌ。今日も取材なの?」

 ミレーヌはシンプルなワンピースに踵の低い靴を履いていた。動きやすそうな衣装に加えて、肩から掛けているのは大きめのバッグだ。開け口からは書類の束が顔をのぞかせていたので、きっとそうなのだろうと思って訊ねれば、やはり肯定が返ってくる。

「うん、これからちょっとラタン聖堂にね。実は今、ケイトに会っていて――彼女から聞いたんだけど、ほら、例の身元不明の遺体の男。実は詐欺師で、新興宗教の教祖として信者からお金を巻き上げていたんですって」

「……ん?」

 コニーは首を傾げた。死んでいた男はエリの依頼主のはずだが――果たして、そんな話だっただろうか。

「……ええと、ケイト、が?」

「そう。婦人部代表のスミスさんが教えてくれたみたい。私が記者をやってるって覚えてくれていて、何かの手伝いになればって。優しいわよねえ、あの人」

「やさ……しい……?」

 それは一体どこのキンバリー・スミスの話だろうか。

「それでね、その男、神の御言葉と称して身体中に入れ墨を彫っていたらしいわ。入れ墨の写しも控えさせてもらったの。これがまたすっごく怪しくて――きっと裏でとてつもなく悪いことをしていたに違いないわ! ぜったいにスクープよ!」

 思わずエリに視線を向ければ、やはり不思議そうな表情を浮かべていた。彼は実際に殺された男に会っている。ケイトを疑うわけではないが、情報に重大な行き違いが生じているのではなかろうか。

 闘志を燃やす友人にどうやって伝えようかと悩んでいると、「そういえば――」と急に話を振られた。

「噂で聞いたんだけど、アルスター伯と喧嘩しているんですって?」

「う……」

 不意打ちで痛いところを突かれ、思わずたじろぐ。

「ケイトがすっごく心配してたわよ。もちろん私もだけど。ああ、そうそう、デートにお勧めのお店があるとかで――」

 言いながら、ごそごそと鞄を探る。

「確かメモしたはずなんだけど……あれ、どこやったかな……」

 しばらくしてから「あった!」という歓声とともに、四つ折りにされた紙を渡される。

「仲直りには、きっかけが必要でしょう? ここのカフェ、フルーツタルトが絶品なんですって。よかったら誘ってみたら?」

 コニーはぱちくりと目を瞬かせた。

「じゃあ、私はもう行くね。殺された男の信者たちが、今ラタン聖堂に集まっているらしくて……変な儀式とかしてないといいんだけど……まあ、とにかく話を聞いてみなくちゃ」

 そう言うとミレーヌは足早に立ち去っていった。



 しわくちゃに畳まれた紙を開けば、丸みを帯びた可愛らしい字体で、店の名前と簡単な地図が書いてある。ケイトの文字だ。コニーのことを思ってくれたのだろう行為に胸がじんわりと温かくなる。

「……ん?」

 ふと違和感を覚えて紙をずらせば、二枚目があった。何の気なしに(めく)れば、奇妙な図案の一覧が視界に飛び込んできた。何だろうと首を捻る。そして、すぐに思い当たった。

 これは、今しがたミレーヌの話に出てきた――殺害された男の身体に彫られていたという入れ墨の仔細ではないだろうか。

 おそらく、間違えて挟んでしまったのだろう。

 刺繍のように細かなスケッチを見ながら、コニーは顔を顰めた。確かにミレーヌが怪しいと断言するのも理解できる。何せ、まったく統一性のないデザインなのだ。たまに使われている文字さえもばらばらである。

「……え?」

 その時、描かれていた図案のひとつが視界に飛び込んできてコニーは目を見開いた。

「太陽の、入れ墨……?」

 見覚えのあるそれは、間違いなく――【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】のものだ。

 つまり、これは――

 次の瞬間、コニーは息を呑み込んだ。

 

「ミレーヌ……!」

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