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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
砂漠の薔薇
128/171


「――あった」


 自室で新聞を広げていたコニーは目当ての記事を見つけると小さく声を上げた。例の殺人事件に関する続報だ。食い入るように目を通したが、書かれているのはせいぜい店主の黒い交友関係などを仄めかす程度で、特に目新しい進捗はなかった。そのことに小さくため息をついていると、ふと別の記事が目に入る。

「……ん? 不審死?」

 それは、王都郊外で身元不明の遺体が発見されたというものだった。捜査のためにこれまで公表を控えていたらしく、実際は数日前の出来事になるようだ。

 何とも物騒な世の中になったものである。恐ろしさに血の気が引いたが、スカーレットはなぜか逆に()()()()(というのも何だかおかしな話だが)していた。

「もしかして何かわかった?」

 機嫌が良いので訊ねてみたのだが、結果は空振りだった。

『いいえ、まったく。だって情報が足りなさすぎるもの』

 確かにその通りだ。エリ・レヴィは依頼人の荷物の行方を知りたいと言っていたが、(いま)だそれが何であるかすらわかっていない。

 腕を組みながら云々と唸っていると、部屋の向こうから来客を告げる声がした。

「ミレーヌ・リースさまがいらっしゃいました」

 その言葉にコニーは小さく頷いて、スカーレットは愉しそうに微笑んだ。

『あら、()()がやってきたわね』



「ミレーヌ!」

 日当たりのいい居間パーラーで待っていた友人と抱擁を軽く交わすと、コニーは開口一番謝罪した。

「ごめんね、ミレーヌ。急に呼び出しちゃって」

「ううん。頼ってもらえて嬉しいわ」

 記者をやっている友人ならば何か新しい情報があるかも知れない。そう思ってミレーヌに連絡を取ったところ、ちょうど仕事で近くまで来る予定だったからと屋敷に足を運んでくれたのである。


「それで、先日のマーク・ロゥ殺害事件についてよね?」

「うん。もしかしたら知り合いが関係しているかも知れなくて」

 飄々とした異国の商人を思い出しながらコニーはげんなりとした。

 幸いミレーヌは深く追及することなく答えてくれる。

「私は担当じゃないから詳しいことはわからないんだけど。どうも殺害された酒場の店主――マーク・ロゥは情報屋をやっていたみたいね。それも、国外の人間相手に」

「……もしかして、シュキタル、とか?」

「あら、よく知ってるわね」

 驚いたように目を見張る友人に、コニーは曖昧な笑みを浮かべた。ミレーヌはしばらく不思議そうに首を傾げていたが、そのまま「あ、そうそう」と話を続ける。

「シュキタルって言えば、実は私、今、東シュキタルの《砂漠の薔薇》について探っているのよ」

 その言葉を聞いて思い出したのは、エリが見せてくれた砂の宝石のことだ。

「それって砂漠で採れるっていう鉱石のこと?」

「なにそれ」

 ミレーヌは怪訝な表情を浮かべた。コニーはぱちくりと瞳を瞬かせる。

「違うわよ。ほら、前に話したでしょう? 殺害されたシラ・ナバム議長が持っていた東西の和平を確約したっていう親書」

「う、うん」

「あれ、本当に存在したらしいわ。それが、どうやら《砂漠の薔薇》って呼ばれているみたいなの」

「……うん?」

「議長の死後、何者かの手によって国外に持ち出されたっていう噂は確かにあったんだけど、あくまで噂の域を出なかったよね。でも不思議なことに、ここ数日で突然情報が流れ始めて。どうもアデルバイドにあるらしいのよ、その《砂漠の薔薇》が」

 それは、つまり――

「まるで、誰かが()()()情報を流しているみたい」

 コニーの背筋をぞくりと悪寒が走った。 

 シラ・ナバム議長の死。情報屋だった店主。アデルバイドにやってきているという東シュキタルの要人たち。そして、ふたつの()()()()()――

 黙り込んでいると、ドアがコツコツと音を立てた。はっと我に返って「どうぞ」と応じれば、マルタが入室してくる。

 彼女はコニーたちに一礼すると、どこか困惑した様子で口を開いた。

「実は今、エリ・レヴィと名乗る東シュキタルの商人が来ていまして……。お嬢さまに砂漠からの品を見せる約束をしていた、と言っているのですが……」

 思いもよらないその台詞に、コニーはさっと表情を強張らせた。

「……ええ、と」

 ちらりとミレーヌを窺えば、彼女は突然の訪問者に関して特に疑問を覚えなかったようだ。

「あら、そうなの? いいじゃない。素敵なものがあったら教えてね。どうせ私もこれから取材があるし、そろそろ帰らないといけないもの」



 ミレーヌを見送るために玄関までついていくと、すでに手前の応接間に通されていたらしいエリ・レヴィが、扉を開けてひょっこりと顔をのぞかせた。

 いやなぜ出てきた、とコニーはぎょっと顔を強張らせる。目線で必死に部屋に戻れと訴えるも、何を勘違いしたのか、相手は輝くような笑顔を浮かべながらこちらに向かって爽やかに手を振ってくる。

 コニーは思わず額に手を当て天井を仰いだ。それから指の間からちらりと友人を窺う。

 見知らぬ人間の登場に怪訝そうな表情を浮かべていたミレーヌだったが、異国の青年の顔を見た途端、その頬がぱっと薔薇色に染まる。

 ――そうだ、エリ・レヴィは黙っていれば美男イケメンだった。

 ミレーヌは動揺した様子でコニーとエリを見比べていたが、ハッとしたように口を開いた。

「う、運命の恋……!?」

「いや違う」



 それから一悶着あり、どうにかエリ・レヴィはウォルター・ロビンソンの知り合いであってコンスタンスとは知り合い以下である――という主張を納得してもらった。ついでにちゃっかりウォルターへの紹介も取りつけられる。

 最終的にミレーヌは満足そうに笑っていた。「ウォルター・ロビンソンって下手な貴族より会うのが難しいのよね」

 これは一杯食わされたという気がしないでもない。

 ちゃっかりしている友人は去り際にふと思い出したように振り返った。

「そう言えば、コニー、知ってる? 郊外で身元不明の遺体が見つかったって」

「あ、うん。ちょうどさっき新聞で読んだかも」

「あれね、関係者の話によれば、密入国者の線が濃厚みたいよ。でも、私は催事に参加する予定だった商人じゃないかって思ってるの。これはまだ公にはされてない情報なんだけど、外見的特徴はシュキタル系の男性だったっていう話だし、もしかしたら例のマーク・ロゥの事件にも関わってるんじゃないかって」

 そこでミレーヌは案じるような表情を見せた。

「だからあなたも気をつけてね、コニー」



『――ああ、そういうこと』

 ミレーヌが立ち去ってすぐに、スカーレットが合点がいったような声を上げる。

「え?」

『殺された身元不明の男は、おそらくエリ・レヴィの言っていた依頼人ね』

()()()?」

 スカーレットの言葉を繰り返したコニーは、その意味を理解すると小さく息を呑んだ。そして、そのまま彼に視線を向ける。

 半分だけ開いたドアにもたれかかりながらこちらを見ていた青年は、コニーと目が合うと、その双眸をゆっくりと細めて微笑んだ。





 異国の柄が描かれた絨毯の上に、砂漠地方にしかない珍しい品物が手際よく並べられていく。

 応接間の長椅子に腰かけたまま、コニーはその様子をぼんやりと眺めていた。

 普段であれば心躍るようなものばかりだが、今はとてもそんな気分にはなれない。


「……エリさん」

「んー?」

 エリ・レヴィは持参した袋から商品を取り出しながら、いつものように飄々とした態度で応じる。

「……アデルバイド語は、読めますか?」

「もちろん」

 軽く頷いたのを確認すると、コニーは先程まで読んでいた新聞を差し出した。

「王都郊外で、身元不明の男性の遺体が発見されたようです」

「へえ、物騒だね」

 その顔には特に何の変化も見受けられない、が――

「外見はシュキタルの人間に似ていたそうです。あなたの依頼人という可能性はありませんか?」

 やはり、その表情は変わらなかった。

 

 そう、変わらなかったのだ。

 

 エリ・レヴィは依頼主とは会えなかったと言っていた。報酬はすでに支払っている。連絡もなければ、当然、何かあったと思うはずだ。現に仲介役だった情報屋の男は殺害されている。そんな状況で身元不明の死体が見つかったと言われれば、連絡の取れなくなった依頼主なのではないかと考えるのが自然なのではないだろうか。

 けれど、エリの表情には驚きも動揺もなかった。

 つまり、知っていたのだ。


 依頼主は、すでに、死んでいると。



「うそつき」

 コニーはぽつりと声を落とした。

 無言のまま立ち上がったコニーの腕を、エリが掴んで制止する。

「――どこに行くつもりだ?」

 コニーは若草色の瞳に静かな怒りを湛えながらエリ・レヴィを睨みつけた。

「放してください。決まっているでしょう」

 人が死んでいるのだ。それも、ふたりも。

 もはやコニーの手に負えるものではない。関わっている相手が嘘をついているのであれば、尚更だ。

「……わかった。俺が悪かった」

 エリは頭痛を堪えるように目を瞑ると、深い溜息の後でようやく口を開いた。


「――身元不明の遺体はたぶんバスケス・ジェイって男だ。あんたの予想通り俺の依頼主。でも、合流地点にいなかったのは本当だ。一晩中探して、やっと見つけた時にはすでに手遅れだった」

「……それで、荷物というのは?」

「《砂漠の薔薇》だよ。正確には、そう呼ばれている親書。東西の和平を確約したものって言えばわかるか?」

 これもエリはあっさりと白状した。コニーは思わず眉を寄せる。荷の中身は知らないと言っていたのに。

「どうやって手に入れたのかは知らないが、シラ・ナバムの《砂漠の薔薇》を持ち出したのはバスケスだ。おそらくあいつは自分が狙われているのがわかってたんだろう。だから手元には置かず、何重にも保険をかけてこの国に持ち込んだ。俺はあいつの保険のひとつだよ。雇われの運び屋ってわけ」

 そこまで話すと、エリは肩を竦めた。

「バスケスは妙なところでそそっかしい男でね。荷物の受け渡し方法を伝える前に死にやがった。俺が知ってたのは奴と落ち合った後にあの店に寄る予定だったってことだけ。けっきょく仲介屋だったロゥも殺されて、肝心の隠し場所はわからないままだ。手がかりは、あの石ころひとつ。もちろん砂漠の薔薇だったことは偶然じゃない。おそらく、あれが親書の居場所を示す鍵のはずだ」

「……あなたは、何者ですか?」

 この期に及んでただの商人であるはずがない。

「言っただろ。エリ・レヴィ。しがない砂漠の商人だ」

「なら、どうして――」

 とうとうコニーは低く呻いた。

「どうして、《砂漠の薔薇》を探すことにこだわるんですか? 依頼主はもういないし、運ぶ荷物もないんだから、そこで仕事はおしまいでしょう?」

「前にも言っただろう。金も貰ってるし、バスケスには親書を渡す相手がいたって。そいつはきっと碌でもない悪党だろうし、そんな奴に万が一でも恨まれるのはまっぴらなんだ」

「……うそつき」

 もう一度だけそう零せば、エリ・レヴィは小さく笑った。それから挑発するようにコニーを見下ろす。

「だったら、どうする? あのおっかない恋人でも呼ぶ?」

 象牙色の瞳がコニーを映す。少し前まできらきらと瞬いているように思えた双眸は、今は、ひどく乾いているように見える。

 そのことに気がつくと、コニーは小さく首を振った。

 エリの顔がわずかに歪む。「馬鹿だな」と吐き捨てるような声が響いた。

「なんで言わないんだ? 恋人を巻き込みたくない? それともまだ俺が悪人じゃないとでも思ってる? どちらにしろ馬鹿だ。大馬鹿だよ。なあ、あんた、言われたことない? 馬鹿みたいにお人好しだって」

「いえ、別に」

 エリの告げた内容は残念ながら的外れだった。

 なぜなら――


「だって、憲兵局に行ってもどうせあなたは協力なんてしないもの」

 

 その言葉に、象牙色の瞳が不思議そうにぱちくりと瞬いた。

「……へ?」

「きっと適当なことを言って誤魔化すか、逃げるだけでしょう? だから、もう連れて行かない。その代わり、勝手なことができないように私が見張ることにします」

 そう宣言すると、エリが呆気に取られたようにぽかんと口を開けた。戸惑ったようにコニーを見る。

「えーと……そういうこと、本人に言っちゃって良いわけ?」

「良いも悪いも――」

 正直なところコニーは腹が立っていた。だから、怒りを全面に押し出したままにっこりと微笑む。

「憲兵に()()()されたくなければ、エリさんは私に協力するしかないでしょう?」

「脅しかよ……」

 エリが呆れたように呟く。それからぐいっとコニーの両腕を掴むと、そのまま長椅子に押し倒した。

 どさり、という鈍い音がして、ぐっとコニーの腕に体重がかけられる。その重みに、コニーはわずかに顔を顰めた。

 頭上に影が落ちる。気がつけば端正な顔が目の前に迫り、吐息がかかりそうな距離にまで近づいていた。

「――俺が、力づくであんたを黙らせるとは思わないのか?」

「……思いません」

 一瞬だけ体が震えたが、それでも、コニーはきっぱりと告げた。

「だって、そういう人はわざわざ並んでまでクレープや焼き栗を奢ったりはしないもの」

 たかが数日とは言え、力づくで黙らせる機会などいくらでもあったはずだ。けれどこの青年が選んだのは、彼にとって遠回りで、不確実で、ひたすらに平和的な方法だった。

 つまり、そういうことなのだとコニーは思っている。

 乾いた双眸をじっと見つめていると、ふいに瞳に複雑そうな色が現れる。それからすぐに「……くそったれ」と小さく毒づく声が聞こえた。

 エリは舌打ちしながらコニーから手を離すと、不貞腐れたように視線を逸らした。

「……よくわかった。あんたはお人好しなんかじゃない」

 そして、唸るように低い声のまま、びしりと指を突きつけられる。

「ただの、考えなしだ」

 面食らうコニーに、それまで沈黙を守っていたスカーレットが訳知り顔で頷いた。


『――あら、同感ね』

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