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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
砂漠の薔薇
125/171

 

「……あれ?」

 ウォルター・ロビンソン商会の支店から帰ってきたコニーは、ふと手首に視線を落とすと首を傾げた。

 

 例の商人はしばらくウォルターのもとで療養することになった。本人はすぐにでも催事展に参加したいとごねていたのだが、まだ安静が必要だと医者が首を縦に振らなかったのである。

 何だか面倒ごとを押しつけてしまったようで恐縮していると、ウォルターは「これも責任者の仕事ですから」と笑い飛ばしてくれた。さすがアビゲイル・オブライエンが頼りにする男である。さらに帰りの馬車も手配してくれて感謝しきりだったのだが――


「ない……」

 それはさておき、現在進行形で問題がひとつ。

「ない、どこにもない……」

『は?』

 真っ青になりながらぶつぶつと呟いていると、スカーレットが怪訝そうに眉を顰める。

『ないって何が――』

 コニーは弾かれたように顔を上げると、悲痛な声を絞り出した。


「ケイトたちとおそろいで買ったブレスレットがないの……!」



「あったあああああ」


 その翌日。ガラス玉が連なった腕飾りはサンマルクス広場からほど近い道端に転がっていた。

『ほら、わたくしの言った通りだったでしょう?』

 一晩中べそをかいていたコニーを見かねて、エリ・レヴィを見つけた場所で落としたのではないか――と助言をくれたのはもちろんコニーの女王さまである。


「さすがですスカーレットさま……!」

『当り前なことを言わないでちょうだい』


 スカーレットはまんざらでもなさそうな表情で顎を逸らしていたが、ふと耳を澄ますような仕草をしてから眉を寄せた。

『何だか騒がしいわね』

 彼女の視線をたどれば、小径の奥――怪しげな店が立ち並ぶ路地裏に規制線が張られていた。憲兵たちの出入りはほとんどなかったが、周囲には人だかりができている。

 いったい何事だろうと首を捻っていると、野次馬の中に見覚えのある人物を見つけた。

「……ん?」

 金髪に褐色の肌。やや荒いが整った顔立ち。あれは――


「――エリさん!?」


 ひと際目を引く異国めいた風貌はどこからどう見ても昨日エリ・レヴィと名乗った商人である。

 悲鳴のような声が届いたのか、呼ばれた当人が振り向いて「げ」と盛大に表情を強張らせた。コニーは慌ててエリのもとへと駆け寄ると、驚きのあまり強い口調で詰め寄っていく。


「こんなところで何やってるんですか……!」

「いや、その……。あ、そうそう、落とし物でも探しに……?」

「誰かに頼めばいいでしょう!? お医者様から安静にって言われてたじゃないですか! 傷口が開いたらどうす――」


 言いながら、ふと疑問が生まれた。()()()()


 確かにこの辺りはエリが倒れていた場所である。大事なものを失くしたのであれば探したいと思うだろう。まさしく、今日のコニーのように。けれど、それは少しおかしな話ではないだろうか。

 

 何故なら、エリ・レヴィは襲われた時の記憶がないと言っていたのだ。


 そこから導き出される答えは、つまり――


「……()()()()()()()?」


 低い声でぽつりと零せば、途端にエリが目を泳がせた。

 怪しい。明らかに怪しい。

 コニーがぐっと眉を寄せたその時、どこからともなく野次馬たちの声が聞こえてきた。


「――いやあ、おっかないねえ。強盗だって?」

「ああ。ロゥの奴も災難だったな。場所柄あいつも用心してただろうが、犯人がふたりじゃどうしようもない」

「ふたり? ひとりは巻き込まれた客だって聞いたぞ」

「いいや、たぶん店主を殺した後にその場で仲間割れを起こしたんだよ。怪我した男が逃げていくのを見たって奴がいるし、もし客ならすぐに憲兵に行くはずだろ?」

「なるほどなあ。確かに、けっきょくどっちも捕まってないんだもんなあ。まったく、ひどい話だよ」

 

 会話が進むにつれて、コニーの双眸に胡乱げな色が滲んでいく。エリ・レヴィは顔を引き攣らせながら「えーと、その」と口を開いた。


「ちょっと、場所でも変えよっか……?」







「信じてもらえないかもしれないけど――」

 

 無駄に重たい空気が流れる中、最初に口を開いたのはエリの方だった。

「俺は別に犯人じゃないっていうか、むしろ強盗事件に巻き込まれた被害者っていうか……」

 コニーはむっつりと黙り込んだまま、目線で話の続きを促す。


 いったん規制線の張られた場所から離れた後、エリ・レヴィはどういうわけかコニーを連れて目抜き通りにあるクレープ屋の列に並び始めた。どうやら王都で最近流行っているクレープでも奢ってくれるつもりでいるらしく、注文の番が近づいてくると何の躊躇もなく懐から硬貨の入った巾着を取り出す。


 なるほど、とコニーは思った。


 なるほど、どうやら物盗りの被害者だというのにお財布はしっかりあるらしい。


 含みを持った視線を向ければ、さっと顔が逸らされる。

 一拍おいて、こほん、という咳払いが降ってきた。

「……少なくとも、店主を殺したのは、俺じゃない」

「ほう」

「ただ、まあ、事件と無関係って言えばそういうわけでもなくて……その……王都限定の塩キャラメルソース、つけてもらう……?」

「いただきましょう」



「――だからさ、俺は砂漠のしがない商人なんだよ」


 コニーは通りのベンチに腰かけながら作りたてのクレープを頬張った。行列店だけあって絶品である。ほどよい甘さとバターの塩気、果物もちゃんと瑞々しくて、あっという間に腹の中に消えていく。

「ただ、昔ちょっとばかりやんちゃしてた時期があって、ちょっとばかり裏にも顔が利くってだけで。それでたまーに金儲け――じゃないな、うん。あれは人助けだな。困りごとを助けてるんだから人助けでいいと思う。つまり金銭の授受の絡む人助けというものをしているんだけど」

「ひとだすけ……?」

「あ、あそこに期間限定の焼き栗屋さんが――」

「いただきましょう」


 

「依頼を受けたんだよ」


 あつあつの栗の皮を剥いていると、エリが言いづらそうに言葉を選ぶ。


「依頼?」

「そう。アデルバイドに行くなら、自分の代わりに荷物を渡して欲しい人がいるって。荷物の配達なんて、何にも悪いことじゃないだろう?」


 言葉通りに受け取れば確かにその通りなのだが、どこか胡散臭さを拭えていないのは気のせいだろうか。


「それで、その荷物は今どこに?」

「いや、まだ受け取ってないんだ。本当は昨日、この国で依頼主と落ち合う手筈になってたんだけど、約束の時刻になっても現れなくて」


 なるほど、と話を聞いていたコニーだったが、途中で「ん?」と首を傾げる。


「え……? その人もこの国にいるなら自分で直接渡せばいいのでは……?」


 わざわざお金を払って頼むことではないだろう。疑問に思って訊ねると、エリがそっと視線を逸らした。そのあからさまな態度にコニーの表情がぴくりと引き攣る。


「……荷物の中身は何だったんですか?」

「……さあ? 聞いてない。ほんとにヤバいものだったらさすがに運べないし……」


 つまり、裏を返せば『ヤバいもの』だという確信があったということである。


「困ったことにもう前金は貰ってたからさー。何か妙な誤解でもされて、荷物を渡す予定だった相手から恨みでも買ったら面倒だろ? それで依頼を仲介してくれた情報屋――それが例の酒場の店主だったんだけど――のところに行ってみたらもう虫の息で、ついでに俺も殺されそうになったってわけ。ほら、これどう考えても被害者っていうか」

「……なるほど」


 焼き栗は素朴な甘さが好みだった。まだ数があるから残りは屋敷でのおやつにしよう。コニーは紙袋をさり気なく小物入れ(ポーチ)へとしまい、膝を軽く払いながらそのまま立ち上げる。


「事情はわかりました」

「そうか! いやあ、あんたは話せばわかってくれると――」

「じゃあ、今から一緒に憲兵に行きましょうか」


 にっこり笑って告げれば、エリも笑みを浮かべたまま表情を凍らせる。


「それはちょっと」

「なぜ」

「だってほら、やっぱり状況的に俺が怪しいじゃん……?」

「いや状況だけじゃなくもはや一挙一動すべてにおいて怪しいですけど……」

「待って地味に傷つく」

「でも、犯罪を犯してないなら問題ないですよ。幸い憲兵局には信頼できる人がいるので――」


 そこでようやく断固として連れて行こうとするコニーの意志を感じ取ったのか、エリが焦ったような声を上げた。


「ちょ、ちょっと待った!」

「はい?」


 コニーが首を傾げれば、なにやら真面目な顔をした青年が周囲を窺うように声を潜める。


「――実は、今、この国に東シュキタルの要人が来てるんだ」

「……ん?」


 ――()()? 

 唐突に出てきた聞き慣れぬ言葉に疑問符が浮かぶ。


「まあこれも例の依頼主が言ってた話なんだけど。でも、きっと荷物はその要人たちに関わりがあるものだ。ついでに酒場の店主が殺されたのも依頼主と連絡が取れないのも無関係じゃないはず」


 何だかきな臭い流れにコニーは眉を顰めた。


「だったらなおさら憲兵に……」

「何の証拠もないのに? 下手に動いて相手に知られたら外交問題になるぞ。知り合いなんだろ? 責任取らされてもいいの?」

「うっ……」

「――だから」


 エリは有無を言わさぬ速さでコニーの手を取ると、とってつけたような爽やかな笑顔を浮かべてこう言った。


「俺たちで証拠を見つけてからにしよう。1週間――いや、3日でいい。時間をくれ。それでダメなら憲兵に行くから。な?」

「なぜそうなる」


 どう考えても無茶苦茶な理論である。コニーは半眼のまま突っ込みを入れたたが、それくらいで引くようなエリ・レヴィではない。


「ほら、手がかりならあるし」

「……手がかり?」

「こいつだよ。情報屋――殺された酒場の店主から死ぬ直前に託された」


 そう言って懐から取り出したのは、手のひらより一回りほど小さい砂の彫刻のようなものだった。

 まるで、夕陽を映したような色合いをしている。

 上から覗き込んでいたスカーレットが口を開いた。『砂漠の薔薇だわ』


「――砂漠の薔薇?」


 思わず口に出せば、エリが意外そうに瞬きをした。


「よく知ってるな。まあ、本物の薔薇とは似ても似つかねーけど。これは、砂漠で採れる鉱石なんだ。見た目が薔薇に見えなくもないから、砂漠の薔薇って呼ばれてる」

 確かに自然に作られたであろう幾何学的な窪みは、ちょうど薔薇の花弁のようだった。まじまじと見つめていると、若木のような匂いがふわりと香る。

「……ん?」


 どこかで嗅いだことがあるような気がして、思い出そうと記憶の糸を手繰り寄せる。けれど、答えに辿りつく前に「おい、クゥ!」という慌てたような声に邪魔されてしまう。

 意識を目の前に戻せば、いつの間にかやってきた砂漠狐が、ぴょんと飛び跳ねて、コニーとエリとの間に割り込んでいた。

「こら、落ち着け」

 何故だか機嫌の悪いクゥを宥めようとエリが手を伸ばす。すると新手の遊びと勘違いしたのか、砂漠狐は主人に向かって元気よくじゃれつきにいった。さすがにその反応は予想していなかったのか、不意打ちを突かれたエリがバランスを崩して尻もちをつく。

「だ、大丈夫ですか?」

「……腰打った…………」

 よほど痛かったのかそのまま蹲ってしまう。

 ふと視線を移せば、地面に銀の首飾りが落ちていた。エリが倒れた拍子に落としたのだろう。

 それは首飾り、というよりも丸みを帯びた銀の板のようだった。手のひらにゆうに収まる程度の大きさで、何の装飾もない。手に取ってまじまじと観察すれば、銀板に何かの数字と異国の文字が刻まれていた。見覚えのある特徴的な字面は、おそらくシュキタル語だろう。

「――返してくれ」

 わずかに強張った声に驚いて顔を上げれば、思いのほか鋭い視線に気圧される。ぎくり、と心臓が跳ね上がった。動揺を隠しながら手渡すと、「悪い」と小さく謝られる。

「預かりものなんだよ、これ」

 失くしたらまずいだろ、とエリは先程の険しさなどまるでなかったかのように明るく告げた。

 コニーはスカーレットにちらりと視線を向けると、無言のまま「どう思う?」と問いかける。

『……そうねえ』

 スカーレットは『正直に言ってもよろしくて?』と珍しく意見を窺うような言い方をした。そして、そのまま吐息のような悩まし気な声を漏らす。


『実はわたくし――最近、ちょっぴり退屈していたの』

「……ん?」


 わざとらしく憂いを帯びた声が、次の瞬間、一転して愉しげに弾む。


『だから、怪しい探偵ごっこには大賛成』


 言いながら、コニーの耳元にそっと唇を寄せた。


『それにね、あのシュキタル語――』


 スカーレットはエリの手の中にある銀の首飾りに視線を向けると、花が綻ぶように微笑んだ。


『――()()()()()()、ですって。なかなか刺激的な台詞だとは思わない?』



 〇




「店まで行けば何かわかるかと思って抜け出してきたんだけど、どうやら無駄足だったな」


 店付近は現場検証のために封鎖されていた。野次馬もひっきりなしにやってきているし、あまりこの場に留まっていると人目を引きそうである。それに、そもそもエリ・レヴィは怪我人なのだ。医師からも安静を厳命されている。残念ながら本人には自覚がないようなので、ここはコニーがしっかりと見張って連れて帰らなければならないだろう。

 そう勢い込んで一歩踏み出したその瞬間、コンスタンス・グレイルはお約束のように道端の段差に蹴躓いた。

「う、わ……!」

 そのままつんのめって地面と接吻する直前、ぐいっと強い力で腕を掴まれる。

「……へ?」

 驚いて顔を上げれば、すぐ傍に象牙色の瞳があった。吐息がかかりそうな距離に、コニーはぎょっと顔を強張らせる。

 近い。無駄に近い。

 しかしエリはコニーの動揺には一切気づかず、呆れたような表情を浮かべていた。

「あんた鈍臭いな」

「あ、ありがとうござ――」

 礼を言いつつさりげなく腕を振りほどこうとしていると、背後から低い声が掛けられた。

「そこで何をやっている? ここから先は立ち入り禁止だぞ」


 耳に心地よい重低音。


 威圧感のある、どこか無機質な口調。


 何よりその声を、コニーが聞き間違えるはずがない。


 顔から血の気を引かせながらゆっくりと振り返れば、数日前に喧嘩別れしたばかりの婚約者は驚いたようにきょとんと目を瞬かせた。


「――コンスタンス?」

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