幕間2
「――焼きたてのビスケットはいかが?」
手押し車を引いた薄汚い格好の少年が、そう言って満面の笑みを浮かべている。
「色んな味があるんだ。きっと気に入るよ」
格式高い店が立ち並ぶ目抜き通りの一画。憩いのためのベンチに腰かけていた東シュキタルのモーシェ・バルシャイは、突然の押し売りに別段驚くこともなく穏やかな口調でこう訊ねた。
「なら、アニスが入っているものはあるかな? 私の好物なんだ」
すると少年は、少しだけ困ったように首を捻る。
「うーん、今日はないかな……」
「そうか。じゃあ、これで適当に」
言いながら、懐から銅貨を取り出した。少年がぱっと笑顔になって、袋の中にざくざくと焼き菓子を詰めていく。モーシェは微笑ましそうにその様子を眺めていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。――ああ、そうだ。機会があったらまた頼むよ。この辺りにいるから」
去り際にそう声をかける。近くにはモーシェたちが滞在するホテルがあった。本来であれば離宮に招待されたのだろうが、今回は非公式の訪問なので仕方がない。
少年がいなくなると、隣に座っていたイヴリー・コーエンが、相変わらず表情の読めない顔で口を開いた。
「――クリシュナ、と言いましたか。あの態度、やはり何か知っているのでしょう」
「どうだろうな。言及は避けていたように思えるが」
「それが奴の手かと」
「かも知れないな。まあ、何を知っているにせよ、あの男の持つ情報は金鉱脈だ」
「……それで、あなたの子飼いの鼠はなんと?」
「ああ、朗報だよ。【暁の鶏】に奪われた親書を取り返してきた、とね。予定通りアデルバイドで落ち合う手筈になっている。数日中に連絡が入るはずだ」
モーシェのもとに【暁の鶏】に潜入している諜報員から連絡があったのは一週間ほど前のことだ。わざわざ緊急用の連絡役まで使って伝えられた情報はふたつ。ひとつめは、シラ・ナバムの暗殺にはどうやら内通者が関与しているらしいということ。そして、ふたつめは――
「――シラ・ナバムの《砂漠の薔薇》は、今、この国にある」
シラの死とともに何者かによって奪われた親書の行方だった。
現段階でこの情報を知っているのはモーシェだけだ。先手を打つのであれば間違いなく今しかなく、わざわざ非公式にアデルバイドを訪問したのもそのためだった。
「だが、親書を取り戻す前に裏切者を見つけて始末しないとな。――計画を実行に移すぞ」
声を潜めて告げれば、イヴリーが無言のまま立ち上がった。
「では、すでに潜入している同胞たちに連絡を取ります」