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エリスの聖杯  作者: 常磐くじら
砂漠の薔薇
122/171

 

 その男の遺体は王都郊外の埠頭に打ち捨てられていた。


「素人には無理だな」

 現場を一目見るなりカイルは告げた。ランドルフにも異論はなかった。死因はおそらく頸部の外傷だ。出血量の割に傷口は小さい。確実に頸動脈を狙ったのだ。十中八九、殺しに長けている者の仕業だろう。もともとこの辺りは王都の中でも指折りの治安の悪い地区だ。付近を根城にしているいくつかの裏組織を容疑者候補に入れておく。

 外貌から察するに、どうやら異国の人間のようだった。まだ若く、商人のような身なりをしていた。褐色の肌と言えばソルディタ共和国や砂漠都市の出身が多いのだが、現段階では推測の域を出ない。

 遺体を検分していたランドルフは、その時、ふと違和感を覚えて眉を顰めた。カイルが怪訝そうに視線を寄越す。

「どうかしたか?」

「遺体には、誰も触ってないと聞いていたが」

「そのはずだぞ」

「なら、瞼を閉じているのは偶然か?」

 男の表情はひどく穏やかで、こんな状況でなければまるで眠っているように見えた。もちろん、たまたま死の直前に目を瞑った――ということもあるだろうが。

「それに、腕の曲がり方も不自然だ。まるで何かを握ろうとしていたような――ああ、違うな」

 ランドルフは男の手元に顔を寄せると小さく頷いた。

()()()()()()()

 その手のひらに、何かを強く握りしめた痕がついていた。

「何者かが無理矢理こじあけたんだろう。手の位置は胸元……となるとペンダントか何かだと思うが――」

「犯人の仕業か?」

 カイルの問いにランドルフは首を振った。

「死後硬直が起きた後に奪っている。犯人なら殺害の前のはず。それに、訓練された暗殺者が殺した相手の視線を気にするとは考えにくい」

 そう告げれば、ひどく面倒くさそうなため息が返ってきた。

「つまり、()()()()()がどこかにいるってことか」

 ――そして、その人物が被害者の瞼を閉じさせ、ペンダントを回収した。


 ふと目線を上げると、遠くから黒塗りの馬車がこちらに向かってくるのが見えた。錬金班の人間がやってきたのだ。

 ランドルフは無言のまま立ち上げると、小さく告げた。

「こちらにわかるのはここまでだ。あとはモリーたちに任せよう」


 〇


「そういや、ランドルフ」

 本部に戻る道中で、カイルが何気なく口を開いた。

「コニーちゃんと何かあった?」

 沈黙が落ちる。たっぷり三十秒の間があって、ランドルフはぎこちなく言葉を返した。

「……なぜ」

「え、勘?」

 あっけらかんと答える口調はひどく軽い。

「あ、正解? 俺すごくない? なんだよ、喧嘩でもした?」

「喧嘩、というか、なんというか……」

 ランドルフは何とも言えない苦々しい気持ちでわずかに目を伏せた。あの日、珍しく負の感情を爆発させていた少女を思い出す。


 ――おそらく、色々と、我慢させてしまっていたのだろう。


 こういう時に無神経な己が嫌になる。もっと早く気づいて然るべきだった。彼女の表情には怒りと――そして、哀しみがあったというのに。

「ほー」

 はっきりしない態度に何かを悟ったのか、カイルがじっとりとした目線を送ってきた。

「で、謝ったのか?」

「いや……」

 本当は、彼女がひとりで帰宅した日――あの後すぐにでも会いに行くつもりだった。

 けれど、つい二の足を踏んでしまった。考えてしまったのだ。気の利いた言葉も碌に言えず、せっかく一緒に出掛ける機会も仕事で駄目にするような甲斐性のない男など――

 

 とっくの昔に愛想を尽かされていてもおかしくないのではないか、と。

 

 なんて女々しいのだと、我ながら呆れてしまってものが言えない。

 押し黙っていると、心底呆れたようなため息が落ちてきた。

「お前なあ。そんな落ち込むくらいならさっさと謝ってこいよ」

「……ああ……うん……」


 そんなやりとりをしながら本部の捜査室に到着すると、別班の人間が慌ただしく動いていた。訊けば、サンマルクス広場近くの酒場で店主の死体が見つかったという。

 カイルがひゅうと口笛を吹いた。

「なんだ今日は。大盤振る舞いだな」

「……カイル」

「おっと口が滑った。さ、とっとと捜査を始めようぜ」


 〇


「ふたりとも、ちょっといいか。話がある」


 ランドルフが部下に指示を出していると、局長であるデュラン・ベレスフォードから声を掛けられた。

 わざわざ呼び出しとは珍しい。厄介ごとの気配を感じたのか、カイルがとっておきの爽やかな笑顔で首を振る。

「いやあ、聞きたいのは山々なんすけど実は俺たち大事な大事な市民の安全を守るために凶悪犯罪を捜査中でして――」

「上官命令だ。いいから来い」

 まるで犬でも呼ぶような態度にカイルの笑みが引き攣った。けれど、逆らえるはずもない。ランドルフともどもそのまま問答無用で局長室に連れて来られる。


 デュランは部屋の鍵をかけると、これは内々の話だが、と切り出した。

「今、東シュキタルから要人がやってきている。外務大臣とその補佐役だ」

「……外務大臣?」 

 そんな情報は入ってきていない。

 ランドルフが怪訝そうに目を細めると、デュランはしれっとした表情で「非公式なものだ」と続けた。

「彼らは、クリシュナとの面会を希望しているらしい」

「はあ?」

 素っ頓狂な声を上げたのはカイルだ。

 クリシュナ――【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】の幹部でこの国を蹂躙しようとしていた男は、今は第一王立刑務所に収容され裁判中のはずだった。

 ランドルフは一拍置いてから、警戒するように訊ねた。

「なんのために、でしょうか?」

「先月東シュキタルで起きたシラ・ナバム議長の殺害に、【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】が関与しているという情報を得たと言っている」

「情報源は?」

「何でもあちらさんは【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】に諜報員を送り込んでいるんだと。嘘か本当か知らんがな。――ああ、それと」

 デュランはふいに声を低くした。

「他にも、何か()()()があるようだ」

 言いながら、その唇が皮肉気に持ち上がる。それは瞬く間に、有無を言わさぬ圧を纏った笑みを象った。


「お前たちには第一刑務所内での彼らの護衛を頼みたい。――ついでに色々と探ってきてくれ」




 〇



 それから半刻も経たないうちに、東シュキタルの要人たちは憲兵局へと到着した。


「モーシェ・バルシャイです」

 来客用の貴賓室に入って早々、朗らかに手を差し出してきたのはふくよかな男だった。年の頃は五十過ぎだろうか。砂漠地方特有の褐色の肌に、色味の強い髪を撫でつけている。

 バルシャイは捉えどころのない笑みを浮かべながら傍らにいるもうひとりの男を紹介した。

「彼は私の補佐役で、イヴリー・コーエン」

 黒髪の男が軽く目礼をした。ランドルフも人のことを言えないが、どことなく表情に乏しい男だ。バルシャイと違い細身で長身。年齢もおそらく四十を幾らか越したといったところだろう。

「――王立憲兵局少佐のランドルフ・アルスターです」

 ランドルフはバルシャイの手を取ると、簡単に名前と役職を告げた。続けてカイルも挨拶を交わす。

 そして、話もそこそこに人目を避けるように裏口へと移動した。

 憲兵総局から専用の馬車を使ってゆうに一時間。クリシュナが収監されている第一王立刑務所にたどりつくと、煩雑な手続きを済ませ、面会室でその時を待った。


 程なくして、拘束着を着せられた男が看守に連れられやってきた。

 ランドルフやカイルを見つけてもどこかぼんやりとしていたその顔が、他国からの要人に気づくと、一転して愉し気なものへと変わる。


「――お客さん?」

 クリシュナは椅子に座ると、機嫌よく口を開いた。モーシェ・バルシャイはちらりとランドルフたちの方に視線を寄越す。ランドルフが小さく頷いて応じると、モーシェはクリシュナの手前に腰かけた。

「東シュキタルだ」

 クリシュナは、にっこりと微笑んだ。

「オアシスの国か。遠路はるばるご苦労様。それで、何が知りたいのかな?」

「《()()()()()》についてだ」

 ああ、と白々しい笑みが嬉しそうに深まっていく。

「盗まれでもした?」

「……シラ・ナバムを殺したのは誰だ」

 クリシュナは不思議そうに首を傾げた。

「最近、物忘れがひどくてね。ここは日が当たらないせいかな」

 言いながらそうっと手首の入れ墨をなぞった。


「――太陽が恋しいよ」



 けっきょくクリシュナはそれ以上喋ることはなく、面会時間は終了した。

 帰りの馬車の中でランドルフはふと気になって口を開いた。

「先ほど言っていた《砂漠の薔薇》とは?」

 答えが返ってくるとは期待していなかったが、予想に反してモーシェ・バルシャイは「ああ」と鷹揚に頷いた。

「東西の和平を確約した親書ですよ。殺害されたシラ・ナバムが、生前、西側の議長と極秘会談した際に(したた)めたものです」

「……本当に存在したのか」

 思わず声が零れる。噂には聞いていたが、大方根も葉もないものだろうと思っていた。

「ええ。とても嬉しそうに話してくれましたよ。我々のワジにとうとう()()()()()が咲いたと。命を落とす数日前のことです」

「ワジ?」

「涸れ川のことです。恥ずかしながら東西の境にもありましてね。目には見えない、死の川が。その川を蘇らせるのは、シラの長年の悲願でしたから」

 まるで友人のことを語るように親しげな口調だった。ランドルフの疑問を察したのかバルシャイが苦笑する。

「シラとは同じ村の出身だったのですよ。……せっかく夢が叶うところだったのに、彼は殺され、親書も行方不明のままだ」 

 それから、少しだけ寂しそうに視線を伏せる。

「砂漠の薔薇、と呼ばれる鉱物を知っていますか? 時たま砂漠で見つかる、薔薇のような形をした土の石です。あれはもともと水に溶け込んでいた成分が結晶化したものなんですよ。つまり、砂漠の薔薇が咲くのはかつてその場所に水があったという証明になる。――親書を《砂漠の薔薇》と名づけたのは、彼なりのジョークだったのでしょう」



 〇



 モーシェたちと別れ捜査室に戻ってきたランドルフは、何かを考え込むように難しい表情を浮かべていた。

 その様子に気づいたカイルが怪訝そうに首を傾げる。

「どうした?」

「……あのイヴリーという男、見覚えがある」

 班員は捜査のためほとんど出払っており、この場にいるのはカイルと、捜査状況の進捗を報告するために残っていたトールボットくらいだ。

「イヴリー?」

 カイルが「どっちだったっけ」と首を捻る。

「補佐役の方だ」

「ああ、あの陰険そうな」

「陰険……? いや、それはよくわからないが、俺の記憶が正しければ東シュキタルの中央特務機関の出身だったはずだ」

 そう告げれば、カイルが「げ」と心底嫌そうな声を出す。そしてそのまま「そうか、東シュキタルって、あの東シュキタルか――」と小さく頭を抱えた。

「ああ。数年前にあの国に干渉しようとしていた有力貴族が暗殺された事件があっただろう? 殺害の実行犯ではないかと言われていた男が、確か、イヴリー・コーエンという名だった。証拠が見つからず未解決のままだったと思うが」

 もう少しで犯人逮捕に手が届くというところで適わなかったのだ。ランドルフは事件を直接捜査したわけではないが、面目を潰された局内がひどく殺気だっていたのは記憶に新しい。

「大臣たちがあれで諦めたとは思えない。そもそもクリシュナが見返りもなしに答えるわけがない。それは彼らも百も承知だったはずだ。……どうにも解せない」

 ひとりごとのように呟くと、カイルに指示を出した。

「確か今日からシュキタルの催事展をやっていたな。関係者のリストを頼む。それと、ここ一カ月の出入国者も念のため調べてくれ」

「……諜報員が紛れ込んでるかもってわけね」

 カイルが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 その時、傍でずっとやり取りを聞いていたトールボットが恐る恐る口を開いた。

「ええと、俺、ちょっと話についていけてないんですけど……」

「ああ?」

 どすの効いたカイルの声に、トールボットがびくりと身を竦ませる。

 日に何度かは見る光景に、ランドルフは表情を変えることなく「あまりトールボットで遊ぶなよ」と注意をしておく。

 それから、まだ年若い部下に向き直った。

「東シュキタルには、中央特務機関と呼ばれる情報機関があるんだ」

「情報……憲兵局(うち)の密偵版、みたいなものですか?」

「いや、もっと()()()だ。表向きは機密情報を取り扱うための公的機関なんだが、実際に行われているのは国内外での諜報活動と特殊工作だ。機関員はひとり残らず過酷な訓練を受けていて、情報収集はもちろん、軍事的行為や暗殺なども躊躇なく行う。――ちなみにお前が最初に想像したのは西シュキタルの方に近いな」

「西?」

「ああ。西シュキタル情報局といって、こちらも諜報活動を行うこともあるが基本は捜査機関だ」

 さすがに情報が整理できなくなってきたのか、トールボットは目を白黒させている。

「イヴリー・コーエンは大臣の補佐といっていたが、おそらく護衛だろう。……あの連中が関わってくるとなると厄介だな」

「そ、そんなに危険なんですか……?」

「危険というより、彼らは犯罪組織の一員ではなく、あくまでも国の公的機関に所属する一市民という位置づけなんだ。しかも、その背後には国が絡んでいる。【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】と違って、怪しいからとすぐに身柄を拘束するわけにはいかない。そういう意味で厄介だ」

 さらに追い打ちをかけるように、カイルが愉しそうに口の端をつり上げた。

「そうそう。慎重に行けよ、トールボット。お前が拷問された挙句に死ぬくらいですめばいいけど、下手したら外交問題どころじゃないからなー」

「待って、俺の扱いひどくない……!?」

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