3
サンマルクス広場は催事展というよりは祭りの日のような賑わいを見せていた。
敷地内を埋め尽くすように大小様々な天幕が張られ、どこからともなく民族調の音楽が聴こえてくる。異国の商人たちは絨毯や銀細工、民芸品などを売っていて、至るところで聞き慣れぬ言葉が飛び交い、屋台からは刺激的な香辛料の匂いが漂っていた。
「おお……!」
心が浮き立つような光景に、思わず感嘆の声が漏れる。するとその横で、ミレーヌが落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見渡していた。
「どうかしたの?」
訊ねれば、ミレーヌは少し恥ずかしそうな表情を浮かべてこっそりと呟く。
「その……砂漠狐がいないかなって」
「砂漠狐?」
「うん。砂漠地方に生息する動物なの。あちらではペットにする人もいるみたい。私も実際には見たことないんだけど、耳が大きくて目がきらきらしててとっても可愛いのよ……!」
言いながら、いそいそとポーチから四つ折りにされた絵姿を取り出した。どうやら催事展の宣伝用に印刷された広告のようだ。そこには狐によく似た生き物が描かれている。けれど、それよりも小柄で耳が大きい。
愛らしくつぶらな瞳がじっとこちらを見つめてきて、コニーは思わず上擦った声を上げていた。
「か、かわっ……!」
「でしょう!? 実はね、ここで本物が見られるみたいなの……!」
ミレーヌははしゃぐようにコニーの手を取って飛び跳ねた。
それからすぐに「はっ、ケイトは!? ケイトはどう思う!?」ともうひとりの友人の方を振り返る。
突然話を向けられたケイト・ロレーヌはその熱量に若干引いたようだった。思わず、というように数歩後退りながら口ごもる。
「そ、そうね、ええと、その――」
それでも最終的には「ふ、ふたりが見たいなら……」とややぎこちない笑みを浮かべて頷いてくれたのだった。
〇
「あ、これ可愛くない?」
――結論から言えば、砂漠狐は見つからなかった。最終的にはミレーヌが本部の天幕にまで行って確認したのだが、連れてくる予定だった商人がまだ到着していない、と言われてしまったのだ。
気を取り直して露店をひやかしていると、ミレーヌがそう言って声を弾ませる。手にしていたのは、模様つきのガラス玉が連なっているブレスレットだ。
ケイトも顔を輝かせた。
「本当。それに、珍しいデザインね」
値段も手頃だったので、三人で揃いのものを購入する。砂漠狐には会えなかったが、これはこれで楽しいものだ。
話に花を咲かせながら歩いていると、前方に暗幕をかけられた店があった。
近づくと、甘い若木のような香りが漂ってくる。
『あら、オリバナムね』
スカーレットの声に、コニーは足をとめて天幕の中を見た。ふたりは気づかず先に進んでいたが、この距離だったらすぐに追いつけるだろう。
看板にはアデルバイド語で店名が書かれていた。あまり聞き慣れない言葉だが、ストラックス、と読める。どうやら香料商の店のようで、宝石で彩られた金細工の香炉やガラス製の香水瓶が品よく陳列している。その奥では香が焚かれているのか白い煙が揺蕩っていた。
「オリバナム?」
『ええ。薫香の一種で、砂漠地方の特産品よ。これはおそらく最上級品ね』
珍しく満足そうな口調に、ふと気になって商品の値札に視線を落とす。
「たっ……!」
――桁が、ひとつ、違う。
コニーは小さく悲鳴を上げると、そそくさとその場を立ち去った。
「ごめんね、コニー! 私、すぐに戻らなくちゃいけないみたい……!」
どうやら思ったよりも店に滞在していた時間は長かったらしい。やっとこさふたりに追いついたかと思うと、ケイトがひどく申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ってきた。
話を聞けば、今しがたすみれの会婦人部の広報の人間がやってきて、至急の用事を済まさなければならなくなった――ということだった。もちろんコニーは全力で送り出した。だって、それはつまりキンバリー・スミスの急用ということだ。なにそれこわい。
「ごめん、私も――」
ミレーヌはミレーヌで、偶然ゴシップのネタを見つけてしまったらしい。
「キュスティーヌ夫人がまた新しいツバメと一緒にいるのよ……! 八股めの坊やの正体を是が非でも突き止めないと……!」
コニーは若干遠い目になりながらもミレーヌに「ガンバッテ」と声援を送った。キュスティーヌ夫人こわい超こわい。
『――あらあら。お前ひとりになっちゃったわね』
ふたりがいなくなった途端、スカーレットがそう言って大袈裟に嘆く振りをする。
コニーはきょとんと首を傾げた。
「え? スカーレットがいるじゃない」
すると美貌の主はぴたりと口を閉ざした。それから、ぷいっと顔を逸らしてしまう。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか?
心当たりがなく云々と首を捻っていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「――ミス・グレイル?」
振り向けば、海賊のように物騒な顔立ちの男が、まるで似合わぬ上品な衣服に身を包んで立っていた。
「ウォルターさん?」
そこにいたのはアビゲイルの友人であり、彼女の御用達商人でもあるウォルター・ロビンソンだった。
「ええ。お久しぶりですね。ミス・グレイルはお変わりありませんか?」
「はい。……ええと、ウォルターさんはお買い物に?」
珍しい異国の商品でも仕入れに来たのかと思って訊ねれば、笑いながら否定される。
「そうしたいのは山々なんですけどね。爺連中からここの運営の責任者を押しつけられまして。会場の設備の手配や面倒ごとの処理などをしているんですよ。まあ、体のいい雑用係です」
わざとらしく肩を竦めてはいるものの、口調は至って陽気である。相変わらず外見を裏切る人当たりの良さだ。
「ミス・グレイルは待ち合わせですか?」
「あ、いえ、友人たちと来ていたんですけど、用事ができてしまったみたいで……その、こ、これから帰ろうかと……」
さすがにスカーレットがいるとは言えず、ごにょごにょと言葉を濁していると、ウォルターは納得したように頷いた。
「ああ、そうでしたか。なら馬車を呼びましょう」
「……へ?」
言うが早いがウォルターは手際よく周りの人間に指示を出してしまう。
そうして気づいた時には、広場から出て迎えの馬車を待つことになっていた。
仕事が早いというのも、まったく、考えものである。
――そういうわけで、あっという間に街路樹の下にある白樺のベンチに腰掛ける羽目になっていたコニーは、しょんぼりと肩を落としていた。
「……もうちょっと見たかった…………」
『しばらくやっているんでしょう? また来ればいいじゃない』
「そっか」
他愛もない話をしていると、近くの植え込みからぴょこっとなにかが顔を出した。
「……ん?」
大きな耳。
つぶらな瞳。
稲穂のような毛並。
あれは、まさか――
「さ、砂漠狐――――!?」
間違いない。先程ミレーヌから絵姿を見せてもらった砂漠の生き物である。
コニーの声に驚いたのか、砂漠狐はびくりと身を震わせた。そして、そのまま一目散に走り去ってしまう。
「ちょっ、待っ……!」
首輪はなかったが、もちろん野生ということはあり得ないだろう。先ほど本部の人間が言っていた砂漠狐を連れてくる予定だった商人が到着したのかも知れない。
――もしやこの子はうっかり逃げ出してしまったのでは?
そう思った瞬間、コニーは反射的にその背中を追いかけていた。
けれど相手は意外にもすばしっこかった。軽業師のような身のこなしに翻弄され、気がつけば人気の少ない通りに入り込んでしまう。
日中だというのに、辺りは、ひどく薄暗かった。
確かすぐ近くの路地裏には風紀を乱す店が立ち並んでいたはずだ。あまり治安が良くない場所だったと記憶している。
肝心の砂漠狐の姿はどこにも見当たらなかった。何だか一気に疲れてしまい、コニーはがっくりと肩を落とすと小さく溜息をつく。
すると、どこからともなく、きゅい、と愛らしい鳴き声がした。顔を上げれば、大きな耳が小径の石垣の向こうからぴょこんと飛び出している。
砂漠狐は驚くコニーと目が合うと、また、すぐに奥へと消えてしまう。
まるで、こっちだ、と誘っているかのように。
「……んん?」
怪訝に思ったが、そろりそろりと鳴き声のする方へと足を進める。そしてそのまま狭い小径に入り込み――
『ねえ、コニー』
思わず凍りついたコニーに、ひどく淡々とした声が掛けられる。
『わたくし、何だかとっても嫌な予感がしてよ』
往来の真ん中にちょこんと座り込んだ砂漠狐が、くりくりとした瞳を向けてくる。
その傍らでぐったりと地面に倒れ込む異国の青年を見て、コニーはゆっくりと天を仰いだ。
――全く以って、同感である。
活動報告にてキャラクターデザインを公開しています(小声)