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――大シュキタル催事展。
ミレーヌの説明によれば、会場となる広場では目利きの商人たちによって厳選された砂漠地方の織物や香辛料、宝飾品などが所狭しと売られているらしい。それに、伝統楽器を奏でる楽団や踊り子なども招いているようだ。
確かに滅多にない機会ではあるし、想像しただけでも楽しそうである。
しかし。
「ロマンスの聖地とはいったい……?」
疑問を覚えながらも身支度を終えたコニーは、ケイトとミレーヌとともに馬車へと乗り込んだ。
〇
「混んでるわねえ」
ミレーヌが呟く。
今日が初日だという催し物はなかなか盛況なようで、広場へと続く道は紋章をつけた二頭馬車や客を乗せた辻馬車で渋滞していた。
なかなか進みそうにないのでオルスレイン通りの入り口で降ろしてもらい、歩いてサンマルクス広場へと向かうことにする。
視界の端に聖マルク鐘楼が見えてくると、ミレーヌが唐突に振り返ってコニーに告げた。
「そうそう、《淑女の友》よ」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げれば、ミレーヌは不思議そうに首を傾げる。
「あれ、知らない? 貴族の子女向けの月刊誌なんだけど」
「いやそれなら知ってるけど……」
《淑女の友》は嫁入り前のご令嬢を対象にした定期購読雑誌だ。
最近の王都の流行りから始まり、今月の泣ける観劇ラインナップ、さらには押さえておくべき独身貴族の情報なども教えてくれる。つい数か月前までコニーの愛読書でもあったのだが、それどころではない出来事に巻き込まれてすっかりと忘れてしまった。
「ほら、あれって毎号連載小説が掲載されてるでしょ? 夏くらいから新作になったんだけど、今度の主人公は伯爵家の娘で、彼女が恋に落ちる相手が砂漠の商人なのよ」
そこでミレーヌはコニーの両肩に手を置くと熱心に語り出した。
「――主人公には跡取りである双子の兄がいたんだけど、ある日突然失踪するの。同時期に父親が違法賭博で全財産を騙し取られた挙句に自殺しちゃって――これは後々仕組まれた他殺だってわかるんだけど――そのせいで母親は心臓発作を起こして意識不明、年の離れた妹は性根の腐った叔父一家に引き取られて下女のような扱いを受けて、さらに後継者がいないことで家まで奪われそうになった主人公は男装して兄になりきることにするんだけど」
「待って情報量が多すぎる」
「それで兄の失踪を調べていくうちにとある孤児院の修道女と恋仲になっていたことがわかってね、さらに孤児院の子どもたちが謎の組織の手によって人身売買されていたという驚愕の事実も発覚して、件の修道女を問い詰めると失踪直前に兄がそれをとめようとしていたことが――」
「どうしよう、ヒーローがぜんぜん出てこない」
「これは孤児院も怪しいということで資金源をたどっていくうちに異国の商人と出会うんだけど、ヒロインは商人のことを敵だと思ってるし、ヒーローはヒーローで何だかいけ好かない貴族の坊ちゃんに絡まれたって思ってるし、つまりお互い嫌い合ってるわけ。そこから徐々に距離が近づいていく定石パターンと思いきやまたこれがなかなか難しくて。だって身分差に文化の壁、ついでにヒーローは主人公のことを男だと思ってるから禁断の恋への葛藤もあるわけで」
「まだなにも始まってないのにものすごい三重苦きた……!」
「それでも互いに激しく想い合うことをとめられない究極の純愛が話題を呼んで、今、とっても人気なのよ。ちなみに商人の出身地が東シュキタルってわけ」
「へ、へえ……」
コニーは冷や汗をぬぐった。今の流れのどこをどうやったら究極の純愛が生まれることになるのかは不明だが、何となく事情はわかった。
「だから、ロマンスの聖地?」
確認の意味を込めて訊ねれば、ミレーヌはにっこりと笑みを浮かべる。
「そういうこと。ついでに《淑女の友》はメイフラワー社の刊行物ね。とくれば、この催事展のことを取り上げないわけにはいかないでしょう? それで次号に特集を組むことになって――」
「ミレーヌが任されたの!?」
思わず声を上げれば、友人はけらけらと笑いながら首を振った。
「まっさかー。でも、何があるかわからないし勉強しておこうかなって。コラムのネタにも使えるし」
どうやら彼女が担当している雑誌はもう少しゴシップ性が強いものらしい。
「でも、本当に無事に開催されてよかったわ」
ミレーヌはしみじみと呟いた。
「ん?」
「ほら、シュキタルって今情勢的にものすごく微妙じゃない?」
「……んん?」
「え、知らないの?」
心底驚いているようなミレーヌにコニーはぱちくりと瞬きを返して、それから助けを求めるようにもうひとりの友人へと顔を向ける。
マロンブラウンの髪の少女は困ったように微笑むと、言葉を選びながら口を開いた。
「確か、一か月くらい前に東シュキタルの議長が亡くなられたのよね」
「……議長?」
「ええと、東シュキタルの中で一番偉い人、かしら。ほら、あちらは王制じゃないから。都市国家といっても、国としての始まりはいくつかの部族が集まってできたものでしょう? 政は各部族長たちが評議会を形成して執り行っているそうなの」
「……東、シュキタル?」
そう言えば、ミレーヌも件の連載小説のヒーローが東シュキタルだと口にしていなかったか。知識がないせいでうっかり流してしまったが。
コニーが目を白黒させていると、ケイトが恐る恐る、といったように訊ねてくる。
「……その、シュキタルが東と西に分かれているのは知ってる、わよね……?」
「も、もちろん……」
もちろん、知らない。さすがに口には出せなかったが、顔にはしっかり出ていたらしい。ケイトがますます困ったような表情になる。
代わりに答えてくれたのはミレーヌだ。
「シュキタルはね、もともとはひとつの都市国家だったんだけど、百年ほど前にオアシスの利権を巡って東西に分裂したのよ。けっこう大きい戦争だったんだけど、けっきょく勝敗はつかずに、それぞれ東シュキタル、西シュキタルと区別することで折り合いがついたの。今ではもうお互い独自の評議会も持っているし、まったく別の国みたいね。ちなみに、ものすごく仲が悪いらしいわよ」
「な、なるほど……」
「それでね、話は戻るんだけど、半年前に西シュキタルの水源である主要地下用水路のひとつが干上がったの。落盤が原因だと言われているけれど、実際はわからないわ。でも、そのせいで西側は深刻な水不足に陥っちゃってね。東側に支援を頼み込んだんだけど、そこでまた一悶着あったみたい。水を巡ってしばらく緊張状態が続いていて――東シュキタルのシラ・ナバム議長が暗殺されたのは、ちょうどそんな時だったのよねえ」
仕事柄なのか、ミレーヌの説明はそこらの令嬢の知識とは思えぬほど詳細だった。
「犯人はまだ捕まっていないけど、水の支援を巡っての西側の報復じゃないかって言われてるわ。もともと今回の催事展は東側からの発案だったの。ナバム議長の主導で諸外国に向けた東西の和平アピールだったから、もしかしたら取りやめになるかもって思ってたんだけど……」
確かにそういった事情であれば開催を喜ぶのもわかる。
「何でもナバム議長は、東西の和平を目指していたみたい。まあ、水の一件は、それを快く思わない反和平派の妨害を受けたって言うのが有力みたいだけど。とにかく西シュキタルにパイプをいくつも持っていて、噂によれば、向こうの議長とも極秘会談を行っていたそうよ。非公式ではあるけれど、その時に和平を確約する親書も作ったらしいわ。でも、それを発表するという直前に殺されてしまったってわけ。まあ、ぜんぶ憶測に過ぎないんだけど、これが本当だとしたら運命って残酷よね――っと」
そこまで一気に語ると、ミレーヌはぴたりと足を止めた。
それから満面の笑みを浮かべながら、コニーたちの方を振り返る。
「さあ――着いたわよ」