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『お前、ばかなの?』
辛辣な声が自室に落ちた。コニーはびくりと身を竦ませる。冷え冷えとしたスカーレットの視線の先には、今しがたコニーが認めたゴードウィン夫人の招待状の返信があった。
◇◇◇
『カメリアもそろそろ見納めの季節となりました―――って、なんなのこれ』
「ええと……時候の挨拶、ですが……」
むしろそれ以外にはない。しどろもどろになって答えれば、スカーレットの面からすっと表情がなくなった。そうしていると作り物めいた美貌だけが際立ってまるで精巧な人形のようである。そんなことを呑気に思っていると、次の瞬間、雷が落ちた。
『―――ただの社交辞令に萎れていく花の話をするバカがどこにいるの!?』
「あっ……!」
『だいたいカメリアって最後に首から落ちるのよ!?古典文学では斬首刑の代名詞なのよ!?あれが咲き誇る季節という話ならともかく、よりにもよって不吉な終りを話題に出すって、お前、主催者に没落しろと喧嘩を売っているわけ!?』
全くもって返す言葉もなかった。
『あと字が下手!書き直しなさい!』
「え、字なんて読めればいいんじゃ……」
『なんですって!?』
「なんでもありません!」
慌てて収納机の引き出しからまっさらな羊皮紙を取り出すと、羽ペンにインクを浸す。書きつけていく傍から『ちょっとそこ!インク溜まりができてるわよ!』『なんでそんなに言葉のセンスがないの!?』『字体のバランスが悪い!やり直し!』などと鬼のような指導が飛んできた。半泣きになって手を動かしていると、部屋の外からドアノッカーをコツコツと鳴らされる。
伺いを立ててきたのはマルタだった。
「ロレーヌ男爵家のケイトさまがいらっしゃいましたがどうされますか?」
「ケイトが?ああ、それなら今行くわ」
ケイト・ロレーヌは数少ないコニーの友人である。意気揚々と立ち上がると、くしゃくしゃに丸められた哀れな便箋たちの成れの果てに気がついた。はっとして振り向けば、顔だけは極上の悪魔がにっこりと微笑んでいる。
悩んだのは一瞬だった。気づけばコニーは扉に向かって声を張り上げていた。
「やっぱりちょっと手が離せないから部屋に通してもらえるかなー!?」
◇◇◇
「コニー!」
扉を開けるなり、ケイト・ロレーヌが抱きついてきた。
「寝込んでたって聞いて、心配したのよ!」
ふわふわのマロンブラウンの髪がくすぐったい。顔からこぼれ落ちてしまうんじゃないかと思うくらい瞳を目いっぱい見開いて親愛の情を示してくる友人に、コニーは笑みをこぼした。
「もう平気。ミルク粥も鍋ごと抱えて完食したから」
「うん食べ過ぎね。いつも思うのだけれど、あなたの胃袋ってどうなってるのかしら……うらやましい……」
拗ねるように唇を尖らせたケイトは確かにふくよかだが、万年洗濯板のコニーとしてはケイトの柔らかい身体や、たわわな胸の方がうらやましいのだ。今日だって、地味な色合いの襟の詰まったドレスの癖に胸元がはちきれんばかりに強調されている。
「それで、大丈夫なの?」
長椅子に腰かけたケイトは、心配そうにこちらを見つめてくる。なんのことだろう、と首を傾げ―――はっと気がついた。
「もしかして、もう噂になってるの!?」
もちろんグラン・メリル=アンでの出来事である。
「ええ。まるで季節外れのハリケーンみたいよ」
ものすごい速度で王都を席巻している。そうしみじみと呟くケイトに、コニーは顔を引き攣らせた。コニー同様、否、それよりも社交界との関わりの薄いケイトが知っているのである。もはやグレイル家の醜聞は社交界全体に筒抜けだと思っていいだろう。
「あなたはベッドの上にいたからまだ知らないでしょうけど、パメラは昨日のうちに領地に戻ったんですって。表向きは静養ってことになってるけど、形勢を察して尻尾を巻いて逃げたに決まってるわ。昔から思ってたけど、基本的にやることが卑怯なのよ、あの泥棒女狐」
そうなのか。そう聞いても、不思議なくらいコニーの心は落ち着いていた。きっとスカーレットのお陰なのだろう。それよりも気になるのは―――
「ニールは?」
ケイトは困ったように眉を下げた。
「あちらも、あまりよろしくない状況みたい。ブロンソン商会が子爵家と繋がりを持つならば―――とまとまった大口の商談がいくつかご破談になったと聞いたわ。ニール・ブロンソンの方は、さすがに姦淫罪とまではいかないけれど、風紀を乱したとして教会から謹慎処分。今はサー・ダミアンが贔屓筋に頭を下げて回っているそうよ」
ちょっとだけ胸が痛んだ。ちょっとだけ、である。コニーは頭を振って同情を追い払い、本題に入ることにした。
「ええと、その、それで、私は……?」
ハリケーンの元凶はいったいどんな扱いになっているのか。おっかなびっくり訊ねると、ケイト・ロレーヌはひどく神妙な面持ちで頷いた。
「哀れなコンスタンス・グレイルは羊も怒らせると猟犬に突進していくのだということを証明してくれた―――これが今朝のメイフラワー社の貴族版の社説よ。おめでとう、コンスタンス・グレイル。一躍時の人ね」
まさかの新聞デビューである。コニーは思わず額に手を当て、天を仰いだ。意識を遠くに飛ばしていると、机の上の惨状に気がついたのかケイトが驚いたように声を上げた。
「あら、珍しいのね」
「え?」
「ごめんね、見えちゃった。これ、ゴードウィン夫人の舞踏会の招待状でしょう?参加するのね。今までだったらぜったい断ってたのに、急にどうしちゃったの?」
「いや、これは、その……」
なんと答えればいいのか。先ほどから置物のようにこちらの様子を静観しているスカーレットに視線を飛ばす。やはり、ケイトには彼女の姿は見えていないようだ。となれば、本当のことを話すわけにもいかないだろう。ねえちょっと聞いてよケイト、私ってば突然あの有名なスカーレット・カスティエルの幽霊が見えるようになっちゃって、話を訊くと実は彼女誰かに嵌められたみたいで、これからふたりで犯人捜しをするつもりなのよ。ゴードウィン夫人の舞踏会はそのために行くんだけど私は元気だから心配しないで―――
うん、駄目だ。どう考えても心配である―――頭の方が。数少ない貴重な友人と疎遠にはなりたくない。
冷や汗を掻きながら違和感のない理由を思索していると、突然ケイトが「あっ」と口元に両手を当てた。それから動揺したように視線を彷徨わせる。
「そ、そういう気分の時も、あるわよね!う、うん、いいと思う!楽しんできて!ゴードウィン夫人の舞踏会って見目が良い方が多いみたいだし!ほ、ほら、未婚で、優しくて、かっこいい白馬の王子様みたいな人もいるかも知れないし!?」
「え?いや、そういうつもりじゃ……」
「大丈夫よ、コニー!従姉のステイシーが言っていたけれど、今は女性の方が多少積極的でも受け入れられるんですって!それに失恋の傷は新しい恋で癒すしかないってこの前読んだ小説に書いてあったもの……!」
これはたぶん―――なにか勘違いされている。
けれど、かと言って上手い言い訳も浮かばずに、コニーは生温い気持ちで「うん……頑張るね……」と頷いたのだった。