帰宅
「おーそーいよー! 今何時だと思ってるの? 冴一!」
結局香港からの帰宅は今日中どころか、明くる日の四時を過ぎた頃だった。暗殺業で培った音を立てずに歩く能力も、気配を察知させずに動く能力も、玄関に煌々と明かりが灯った中、仁王立ちで待つ相手に対しては完全に無効だった。
玄関を開けていたのは、茶色のロングをなびかせ、肩をいからせた、大きな鳶色の目で虚空を睨み付け、腕を組んで立ちすくむ少女の姿だった。
流石にパジャマに着替えてはいるが、彼女は今、くつろぎとか、落ち着きなどという言葉から一番遠い所にあった。
「すまない、遅くなった」
「すまないじゃないよ! どれだけ待ったと思ってるのさ!」
目を爛々と輝かせながら、少女は冴一の顔を睨み付けた。
冴一は困惑した。
「いや、本当に悪かった」
「まったくもー! 冴一は同じことを何度繰り返せば気が済むの?」
「確か、五度君との約束を守らなかった」
「いやいや冴一くん。六度。ろ・く・どもよ。いい加減に怒るよ!」
冴一は口篭った。
「本当に悪かった。口だけじゃない。次は絶対にないように注意するから」
「ホント? それはホントにマジなの? まー、バイトが伸びたって話だから、しょうがないとは思うけど、もうちょい気を使ってよ! でさ、もう朝ご飯になっちゃったけど、ご飯、食べる?」
少女は笑顔と共に腕組みをやめ、ドアを開けてリビングに冴一を迎え入れた。
ビデオを見て冴一を待っていたのだろう、テレビは落語を映していた。三遊亭圓生、とジャケットには書いてある。少女は落語や能といった物に目がない。
ソファには能やら演劇やら歌舞伎やらのパンフレットや、脚本集や台本などが所狭しと並べられており、これを読みながら冴一を待っていたのだろう。
その向こうにはオーク材で出来た木のテーブル。四人掛けのテーブルには、何かが置かれている。
そこにはおそらくお手製のハンバーグ、コロッケ、ピラフなどが並んでいた。ラップはかけられているものの、すっかり冷たくなっており、冴一は彼女を怒らせて当然だと感じた。
「その……すまなかった」
「あっきれた。なにそれ、謝罪一発で許されると思ってんの? ねー?」
ふう、と少女はため息を吐いた。
「本当に悪かったよ。その、すっごくおいしそうだ」
「そう思うなら食べてみてよ。少なくとも、できたてはおいしかったよ!」
「あ、ああ」
電子レンジで温め直し、一口食べる。
「うまい!」
「わざとらしい。十五点」
「ああ、それでも零点じゃないんだ?」
少女はため息をつく。
「いやいや、あたしも鬼じゃないんだから、おいしいって言ってんのに零点じゃ、採点基準に改善の余地があるってさすがに」
「心の広い彼女を持ってとても嬉しい。で、その……できれば一緒に食べたかったよ」
「そうね。そう思う。で、私は少しだけ寝るから。そういえばテスト勉強は万全?」
冴一は苦笑してみせた。
「まあ、ふんわりとは」
「あっきれた。そこにまとめたノートは置いておくから、まだ努力する気があるなら見ておくといいんじゃない? それと」
少女はヤクルトを冴一に投げてよこした。
「これも飲んでいいから」
「わあ! ヤクルト!」
冴一は受け取るなり、目を輝かせてヤクルトを飲み始めた。
今までの一連の行動の中で最も嬉しそうだったため、少女は失望しながら寝室へと向かった。