いつもの仕事
香港。世界三大夜景にも数えられる、夜闇を彩る摩天楼が聳え立つ態は、不夜城と呼ばれるに相応しい。その摩天楼の一角、高層ビルの中に、二人の男性がいた。
一人は中国人の男。サングラスで目元を隠しているが、そのサングラスの裏に深い傷跡が見える。片目を抉り抜かれ、それでもなお黒社会に籍を置いていることが伺える。
リーゼントでオールバックにまとめられた髪に上等なアルマーニのスーツを着こなし、笑顔を浮かべているが、実際の所、鉄火場に立っているのが似つかわしい、そんな凶相をしている。
一方、その向こうに立つのは白いスーツに身を包んだ、日に焼けた肌を持つ長髪の男。南米独特の濃い顔立ちに、スーツの下からでも肉体を鍛え上げていることがわかる。
男は口を開く。
「今回、このような繋がりを作る事が出来て、本当に嬉しい」
そして笑う。
中国人の男も笑い返し、二人は握手した。
「私も嬉しい。これでどうにか我が組織も盤石だ。では、この新たな出会いに」
「乾杯」
二人はワインを飲み交わす。
周囲にいた二人の私兵、スーツ姿の男達も揃って拍手をした。
その数は三十名ほど。組織の中でも選りすぐられた連中だろう。
そして盛大な酒宴が繰り広げられる。豪華絢爛なシャンデリアが備え付けられ、会場に敷かれた赤絨毯の上に料理が所狭しと並べられている。豚の丸焼き、非常に大ぶりなエビを使った乾焼明蝦、最高級の牛を使った紅焼牛尾に、蒜茸牛筋。男達は酒を片手に舌鼓を打つ。
しかし、男達は忘れない。いついかなる時であっても、ここが死線であることを。
防弾チョッキや防刃チョッキはほぼ全員が着込んでおり、傍らには大量の銃が置かれている。華やかさのすぐ傍では、毒々しい死臭が立ちこめているのだ。
その男達の一人が、中国人のボスの近くへと歩み寄った。その様子はやや焦りを感じる。
「ボス。外の見張りと連絡が取れません」
「誰とだ?」
「ジョン、チャン、マー、それからトニーもです」
「……。すぐに移動する。全員に伝えろ」
「了解」
それに対し、南米側のボスがすぐに気づき、話しかける。
「どうかしましたか?」
「いいえ。次の会場の話ですよ。いい会場を用意しています。少し早いですが、場を改めて」
すぐに状況を察して、ボスはにこやかに頷いた。
「わかりました」
しかし、次の瞬間その笑顔は凍り付いた。シャンデリアが落ち、電気が一斉に消えたのだ。部屋は真っ暗になった。
そして静かに響くサイレンサーを通した銃声と、応戦する激しい銃声。火薬の匂い。同時に、血の匂い。マズルフラッシュで一瞬照らされる以外に光はない。
焦りから中国人のボスと南米人のボスはブラインドを引いた。窓側に立ってはいけないという鉄則を破り、月明かりでも夜景からでも、少しでも明かりが欲しかった。
そして、警告代わりの銃声が窓ガラスを突き破った。
ここは高層ビルの二十三階。中国人のボスが、夜景がよく見えるようにと気を回した結果、窓からは逃げられないという状況になっている。
暗所で右往左往する中でもほぼ盲打ちの状況でも、銃声が止めどなくこだまする。
しかし、ある時ぴたりと止んだ。
中国人ボスと南米人ボス、二人の息遣いだけが聞こえる。
二人とも護身用に持っていた銃を構え、背中合わせで丸テーブルの下に隠れた。
冷たい、嫌な汗が背中を濡らす。
静寂が耳朶を打ち、闇に目が慣れてきた頃、冷たいナイフが首元に押しつけられる。ボス二人ともだ。
「動くな」
まだ若い声だった。しかし、その言葉に感情は一切感じられず、また突きつけられたナイフにも一切の手加減はなかった。少しでも逆らえばすぐに殺される。それがありありと感じられた。
「チェン・ホンレイだな。そしてカルロス・デ・ロドリゲス。お二人の交際はキツく禁じられているはずだ。複数の組織が今回は尻を叩く程度で済ませると言っているが、次はない。これがその詳細の手紙だ。掻い摘まんで言えば、すぐにこの国を去れ、とのことだ」
声は、チェンの胸ポケットに紙切れを入れた。
「わかった。すぐに出る。わかった」
二人とも慌てふためいた。そして、黙ってその場からナイフと共に男は去って行った。
チェンとカルロスは胸をなで下ろすが、電気が回復し、手塩に掛けて育て上げた部下の全てが無残に死んでいる態を見て、唖然とした。たった一人にやられた。それだけで、彼らが看板を下ろすのには十分だった。