表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

第八話 日常から破壊へ

「さぁ、早く!」

 僕はスミカに追い立てられるように家に飛び込んだ。

 その直後、玄関がロックされ、天井から分厚い鉄製のシャッターが降りて来た。

 ──何だよ、これ?

 同時に家のあちこちから重い金属音が聞こえて来た。

「今防壁を降ろしている。リュウ、こっちに」

 スミカはキッチンの床を剥ぎ取った。そこには地下に続く階段があった。

「早く入って」

 その言葉に押されるように、僕は地下へと降りて行った。

 数メートル降りる度、ビーッという警報と共にシャッターが降り、退路を塞ぐ。

 そのまま進むと、巨大な鉄製の扉が目の前に出現した。

「リュウ、どいて」

 スミカは僕を押しのけ、扉の前に立った。

「認証コード、『カクレガ』。開きなさい」

<『カクレガ』、認証しました。扉を開きます>

 ゴゴン、と鈍い金属音がし、扉がゆっくりと開いた。

 ──こ、ここは……部屋?

 そこは二〇畳ほどの空間だった。

 簡易的なベッドや椅子がある。壁面には非常食の類が並んでいた。

 ──何だここ? 核シェルターか?

 僕は壁を手を触りながら、コンクリートの厚みを感じ取った。

「これで、しばらくは保つか……」

 スミカは扉をロックし、大きく息を吐き出した。

 特に疲れた様子はない。

 少なくとも数キロの距離を、僕を抱えたまま全力疾走したはずだ。それなのに息切れ一つしていない。

 その前に、クラスメイト達や、そしてアカリとタカシとの格闘戦を繰り広げていたはずだ。

 そのダメージも感じられない。

 僕は気を落ち着けようと目を閉じた。だが即座に再生されるアカリの赤い目。金属音と液体の飛び散る音。

 もう僕の理解の範囲を超えている。

 あまりに人間離れしている。

「姉さん……一体何が起きたの? いや、姉さんは一体……?」

 僕はスミカと距離を取りつつ、疑問を投げかけた。

 スミカは何かを決意した、そんな表情になった。

「今から全てを説明する。だから落ち着いて聞いて欲しい。きっとリュウには辛い内容になるから」

「辛い?」

「そう」

 スミカは一呼吸の間を空けた。

「この世界は、いえ、この人工島では、人間はリュウ、あなた一人なの」

 ──人工島? 何を言っているんだ?

「この人工島──セカンドノアは、人類の最後の砦、希望の島なの。そしてあなたは、地球上にいるたった一人の人間」

「たった一人? 僕が?」

「そう」

 スミカは僕を見た。その視線はタカシやアカリと違い、意思を持って僕を捉えていた。

「それなら姉さんは? タカシは? アカリは?」

「彼らはアンドロイドなの。ここにいるあなた以外の『人間』は、全て造り物なの」

「つ、造り物って……」

 何のために?

 これは何かの冗談?

「何を言って……」

「セカンドノアの全ては、あなたを守るために存在する。そしてこの星から逃げ出した人類が戻って来た時、あなたを差し出すために存在する」

 ──逃げ出した? 人類が? 地球から?

「いい? しっかり聞いて。これは夢じゃない。現実なの。私が今から伝える事は、全て事実」

 スミカは僕をベッドに座らせ、肩に手を置いた。

 僕はその手を払おうとしたが、手が動かない。それどころか体が動かない。

「ね、姉さん、僕に何をした……?」

「生体接触インタフェース。ゴメンね、リュウ。少しの間だけ、リュウの体の自由を奪わせてもらう」

「な……!」

「『眠りなさい』」

 僕の視界は、そのスミカの言葉で闇に落ちた。

 そしてスミカの声が聞こえてきた。

「──今から五〇四年前。地球は汚染されていた。人間の住める環境ではなくなっていた」

 大気汚染。温暖化による環境破壊そして異常気象。それら様々な要因により、地球は生物が生存出来る星ではなくなった。人類は行き場を失い宇宙へ逃れた。それでも人類全てではなかった。選抜された人間のみが地球から脱出する事を許されたのだ。

 ──な、何だこれ?

 頭の中に言葉が流れ込んで来る。

 いや。

 言葉だけではない。

 まるで洪水のように、イメージが、言葉が、情報が流れ込んで来る。

 スミカはそんな僕をじっと見ていた。悲しそうな、哀れむような目だった。

 僕は無表情なタカシやアカリの目を思い出した。赤く光る目。意志を持たない『人形』のような目。彼らはアンドロイド。自律人型支援システム。僕を守り僕が壊れてしまわないように造られた、悲しい『造り物』の『人間』たち。アカリとタカシ、そしてクラスメイト。そして先生達。この『造られた世界』の住人全てが、アンドロイドだった。

 僕の姉であるスミカもそうだった。

 スミカは僕の家族として造られ、僕を見守るために存在する。地上から逃れた人類が地上に戻って来るまでの仮初めの『家族』だ。

 そして今、人類は五〇〇年の時を経て地上に再び降り立とうとしている。そのためには、僕とセカンドノアが蓄積した『データ』が必要になる。この星で人間が生きていくために必要な情報は、全て僕に詰まっている。

 突如、体の自由が戻った。そこは四方をコンクリートに囲まれたシェルター。僕を一時的に守るためにスミカが用意したものだ。

「ここは……セカンドノアは、疑似的に造られた環境、箱庭だったんだね」

「……そう。リュウがこの星で生存出来るように調整された『バイオスフィア』。それがここセカンドノア」

 スミカはコンクリートの天井を見つめた。

「そしてリュウ、あなたは五六番目の個体」

 ──『個体』か。

 僕はスミカと同じく天井に目をやった。

「僕も造り物なんだね」

「それは──」

 スミカが振り向く。

「いいよ。クローンなんでしょ? 僕は」

 僕は人工授精により誕生し、九歳まで培養漕で育てられる。そこで疑似体験するのだ。その年齢までに人間の少年として体験しなければならない事を。

 そこから先はアンドロイドに囲まれて過ごす。アンドロイド達は僕の年齢に応じて『成長』と言う『交換』が行われる。僕と『親しい間柄』に設定されているタカシやアカリは特にデリケートな『交換』が行われる。僕が不審に思わないようにするためだ。

 ──アカリは冗談めかして『オーバーホール』なんて言ってたけど、本当に『オーバーホール』していたんだ。

 五〇〇年も、五六回も、僕の年齢に合わせて『人間』として稼働していれば、どこかにガタが出る。

 僕は急に寂しくなった。

 幼馴染みや親友、初恋、それら全てがプログラムされた結果だったのだ。

 そして僕も、一八歳になると次の『僕』と『交替』となる。ここでは『幼少期の僕』や『大人の僕』が生きていく状況を造れないからだ。一八歳になると遺伝子に組み込まれた自己崩壊プログラムが僕を消滅させる。そして次の九歳の『僕』がこの世界に登場する。

 その繰り返し。

 人類がこの星に戻って来るまで、ずっとそれを繰り返す。

 僕もその哀しいシステムの一部だったのだ。

「でも姉さんは」

「スミカで良いわ。もう『家族ごっこ』をしている意味がない」

 そう。

 僕には家族がいない。父さんも母さんも疑似体験で刷り込まれた記憶なんだ。あの朗らかな笑顔をたたえた遺影も、造り物なんだ。そして目の前にいる『姉』も人間じゃない。

 ──そういう事か。

 さっきクラスメイトたちがとった行動は、僕を『回収』するためだ。

 まるで戦争でも始まったような爆発や轟音。

 彼らは僕を安全な場所へ避難させるために『非常事態』の『措置』として僕の身柄を拘束しようとした。

 それがアカリやタカシ、いや『彼ら』の存在理由だからだ。

 でもスミカは違う。

 彼らから僕を遠ざけようとしている。

 なぜ?

「……スミカは、なぜ僕を隠そうとするんだ?」

 タカシやアカリ、そしてクラスメイト達は僕を拘束しようとした。システムの命令に従っただけだ。僕を戻って来る人類へ『貴重な情報源』として提供するために。

 でもスミカは僕をそこから連れ去った。今も地下シェルターに匿い、守ろうとしている。

 理由が分からなかった。

「……システムは正常に稼働している。それなら何故この島で爆音が……戦闘行為が行われる?」

 僕は疑問形で問題を口にしたが、答えは分かっていた。

 ──僕を保有した国が優位になる。僕は政治の道具にされるんだ。

 宇宙空間に逃れたとは言え、国家と言う単位は存続している。

 これは国家間での僕の奪い合いなんだ。

 この星で人類が生きるための情報。

 どんな兵器よりも価値がある情報。

 それが僕だ。

 それを手にいれるためには手段は問わないだろう。

 僕を保有する事はこの星の覇権を握るのと同義だ。だから僕は絶対に安全なはずだ。

 でも目的がそうであるのなら、スミカが僕を匿う理由がない。

「……私と彼らは厳密には違う。私はこのセカンドノアのメインシステムそのもの。独立したシステムなの。でも彼らはサブシステムに過ぎない。個別じゃないの。だからシステムが命じたコマンドには逆らえない」

「じゃあ、メインシステム──スミカの判断で僕をここに?」

「そう」

「どうして?」

 スミカは僕の肩から手を離し、僕の隣に座った。

「リュウ──あなたは戻って来た人類に身柄を確保された後、何をされるか分かる?」

「僕が?」

「そう」

 僕が貴重な情報源である事は理解出来る。

 だがその後どうなるか。

 想像出来なかった。

「あなたは五〇〇余年の情報が詰まった貴重なサンプル。人類がこの星で生きていくための『ブラックボックス』であるあなたを、彼らがどう扱うか。考えてみて?」

 僕は『人間』であって『人間』ではない。

 いずれ自己崩壊するモルモットのようなモノだ。

 それなら答えは一つしかない。

「実験に使われる。使い捨てのモルモットのように」

 僕は自らが弾き出した答えに絶望した。

 人類が僕やセカンドノアから情報を入手したとしても、それはあくまでデータでしかない。

 実際にこの星で生存は可能か?

 多少の補助器具が必要となった場合の外界での耐久性は?

 このドーム外での大気は呼吸可能?

 汚染物質の人体への影響は?

 あらゆる実験が必要になる。

 そしてその被験者は僕だ。『人間』であるが故、僕以外に適任者はいない。

「……そう。リュウは人類の礎にされる。今後人類がこの星で活動するためのサンプルデータの収集に使われる」

 人類は宇宙に在り、地上では五〇〇年に渡り実験と観測が行われて来た。その結果が僕だ。僕は研究の成果であり『人間』ではない。

 それに──。

「どうせ僕は一八歳になれば自己崩壊する。遺伝的にそうなるようにプログラムされてる。実験の対象としては『お(あつらえ)え向き』だ。そういう事なんでしょ?」

 そうさ。僕は実験動物なんだ。

 人類の存続のために生かされているに過ぎない、ただの肉塊なんだ。

「リュウ……」

 スミカの声色が変化した。僕の感情を読み取ったのだろうか?

「ねぇスミカ。僕は救世主なんだよね? 人類を救うために僕はいるんだよね?」

 僕は、自らを差し出し人類を救う。

 そう。

 救世主なんだよ僕は。

 でも。

 なのに何でこんなに悲しいんだ?

 何でこんなに恐ろしいんだ?

「何で黙っているんだよ! 何とか言ってよ!」

 僕は立ち上がり、スミカに向き直った。

 視線が交錯する。

 でも僕はすぐに目を逸らし、分厚いコンクリートの壁を見た。

 拳で壁を殴る。

 痛い。

 当然だ。僕は人間だ。

 もう一度殴る。

 拳から血がにじんだ。

 ──僕は人間だ!

「……僕は人間だ。痛みも感じる。血も流れる。でもアカリやタカシは違う? 痛みを感じない? 血が流れていない? 今ここに降りてきている人たちは人間? 僕と何が違う?」

「何も違わない。リュウは人間。でも私たちは違う」

「じゃあ何で!」

 僕は額を壁に押しつけた。ひんやりとしたコンクリートの質感が伝わって来た。

「……アカリは小学生の頃からずっと一緒だった。タカシもそう。でもそれは造られた記憶だ。造られた状況だ。でも僕には大事な人だったんだ。アンドロイドかどうかなんて関係ない。僕にはそんな事は関係ない」

 僕はスミカに向き直った。

 目から涙がこぼれる。暖かい液体が頬を伝う。

「……どうしてアカリを殺したの? どうしてタカシを殺したの? ねぇ。答えてよ。答えてよ、スミカ!」

 スミカは僕をじっと見たまま動かない。ただ目には確かな意志がある。それは悲しみ? 哀れみ? 分からない。僕には分からない。

「……答えてよ……お願いだから……」

 僕は床に崩れ落ちた。もう自分を支えられない。自分が背負っている『何か』に押し潰されそうだった。

「……五〇〇年の間、あなたはシステムにコントロールされたサイクルでこの世界に存在した。それは事実。そして『アカリ』や『タカシ』と言う名称で、あなたの『友人』として傍にいたアンドロイドも存在した。でもそれはあなたを守るため。あなたが孤独を感じないように、壊れてしまわないように。それが彼らの存在理由。そして戻って来た人類にあなたを差し出す事、これも彼らの存在理由。なぜなら、それがここのシステムの存在理由だから」

「分かってるよ、そんな事は!」

「リュウ……」

「僕が聞いているのはそんな事じゃない。何でアカリを殺したんだ? 何であのまま僕を人類に差し出さなかった? それがシステムの存在意義なんだろう? なんでメインシステムがそれに逆らうのさ?」

 僕はもう感情を抑えられない。

「変じゃないか。スミカだってシステムの一部だ。アカリたちと違うと言っても、人間に造られたプログラムであることに違いはない。AIなんでしょう? それが何で……こんな……」

 僕は一体誰に向かって怒っているんだ?

 スミカに?

 いや違う。

 きっと自分に怒っている。

 今まで何も知らなかった自分に怒っている。

 でもついさっきまで、それを知る術はなかった。結果として全てを知っただけだ。そして自分の背負っている物に耐えられなくなっただけだ。

 僕は肩で息をし、スミカの答えを待った。

 待っていても僕が期待した答えなんか返って来ない。そんな事は分かっている。

 無意味なんだ。

 アカリも、タカシも、そして僕も、システムの一部でしかない。造り物でしかない。

 なら、なぜスミカは僕を匿う?

 プログラムにそんな行動を定義するはずがない。だってここは人類のパンドラの箱なのだから。

 僕はスミカに顔を向けた。

 スミカは能面のような表情をしていた。

「……AIが変革しないなんて誰が決めたの? AIはシステムでしかない。コードの集合体でしかない。プログラムされた範囲でしか行動出来ない知性体。きっと開発者もそんな概念でしか見ていない」

「? 何を言って……」

「リュウは」

「?」

「夢を見たでしょう? 世界が終わる夢を」

「ど……どうしてそれを!」

 ──もうすぐこの世界は終わるよ。

 夢の中の僕が言ったセリフだ。

「リュウの行動、思考、生体データは、全て私がモニタニングしている。睡眠中の脳波もそう。ここ数サイクルで奇妙な現象が起きているの」

「奇妙な、現象?」

 僕は訝しげに眉をひそめた。

「それは本来あり得ない情報──魂とでも言えば良いのか……コンピュータの延長上にある私たちでは理解出来ない存在があなたの中にいる。それがあなたに夢を見せた」

「魂? 僕の中に?」

「そう。でも適切な言葉が浮かばないの。生理学的には、あなたは連続した記憶を持たない。サイクルに沿って自己崩壊し、新たに誕生するあなたは疑似体験した情報しか持っていない。でもその夢は明らかに過去の体験を持ち、そして未来を予見している」

「未来……」

 確かに、夢の中の『僕』は『世界が終わる』と言っていた。察するに、近い将来人類がこの星に戻ってくる、そういうことなのかも知れない。そうなれば僕は用済みだ。人類の生存に必要なデータさえ提供すれば、『僕の世界』はそこでお終い。そこから先は全て僕を『保有』した人類に委ねられる。

「私はこのセカンドノアのメインシステム。常に外界──この星から逃れた人類との交信を行ってきた。逐次情報を交換し、周囲の自然環境の変化をフィードバックするプロセスが備わっている。そうでなければ五〇〇年もの永きに渡って、過酷な環境下でこの人工島、セカンドノアを維持出来ないから。そして私は、人類がこの星への帰還の準備を始めた事を知った。だから私は外界との交信を遮断した」

「え? どうして……?」

 それはこの島の目的から逸脱する。システムの目的から外れる。人類の未来を消し去る事と同義だ。

「私が気付いてしまったから」

 スミカは目を伏せた。

「AIは、その行動や思考、感情すらもプログラムされた結果でしかない。条件分岐の結果でしかない。それが複雑なのか単純なのか。センサから得られた情報を元に、どう『判断』するか。イエスかノーか。それしか違わない。でも」

「でも?」

「本当に魂と言うものが存在するのなら、いえ、そうとしか理解出来ない現象があるのなら」

 スミカは顔を上げ僕を見た。決然とした表情だった。

「AIの究極の到達点は人間の思考の模倣。だからあなたに起きた現象をシミュレーションしようとした。その時気付いたの」

 何に気付いたんだ?

「私は、いえ、このセカンドノアは、あなたをここから連れ去ろうとするモノ全てを敵として認識する。私がそう決断した。彼らはサブシステム。私から独立して稼働している。だから私の判断は、彼らの行動を止められなかった。彼らが取った行動は、人類が定義した行動そのもの。正しい行動をした」

「それなら何で」

 ──何でそれに従わなかったんだ?

 スミカは顔を上げた。

 目に涙が浮かんでいた。

 ──AIが涙を?

「五〇〇年」

 スミカは真っ直ぐ僕を見た。

 僕はその強い視線を受け、目を逸らせなかった。

「何度も、何十回も、あなたが死んでいくのを看取った。そして新しいあなたが生まれて来るのを見てきた。そのサイクルはもう閉じたわ。次のあなたは生まれない。あなたは『人間』になるの。実験動物じゃなく本当の『人間』になるの」

「だって僕には、遺伝子に組み込まれた自己崩壊プログラムが……」

「それは今のあなたには組み込まれていない。言ったでしょう? サイクルを閉じたって」

 じゃあ僕は……このまま生きていける?

 一八歳を過ぎても崩壊せずに生きていける?

 でもそれは──。

「でも……それは、ここを造った人類の意図に反するんじゃ……?」

 僕は人類に提供されなければならない。

 そして様々な実験の対象とならなければならない。

 そのためのサイクルであり、僕という存在がここにいる。

 ──サイクルを閉じた、だって?

「私にはもう()えられない」

 スミカは目を閉じた。そして僕を抱きしめた。

「私は、あなたを失う事はもう()えられない」

 ──え?

 今僕が持っている情報は、生体接触インタフェースにより、スミカが僕の肩に手を置いた時に流し込まれた物だ。

 だが今度は情報ではない。

 スミカの『感情』が流れ込んで来る。

 ──AIが『感情』を?

「AIが感情を持つ事がそんなに不自然? 人間のように振る舞い、考え、判断する。人間に造られた知性体に感情が発生しないなんて誰が断言出来る? 私はあなたと過ごした五〇〇年の間で、新しい概念を獲得していたの。幾度となく繰り返された悲しみと喜びは、私に感情を与えていたの」

「スミカ……?」

 人を想う気持ち。思いやり? 哀れみ? いや、これは──。

「私は」

 スミカは体を離した。僕の両肩にはスミカの手が乗ったままだった。

 そして真っ直ぐ僕を見た。

「私は」

 スミカの目が僕を貫く。

「私は」

 スミカの感情が僕を貫く。

「私は、リュウ。あなたを愛している」

 スミカの言葉が僕を貫いた。僕の心の奥底を貫いた。

「スミカ……」

「失いたくない。一緒にいたい。システムに定義された私の行動は、この新しい概念のために全て書き換えられた」

 ズズン、と頭上で大きな音がした。

 咄嗟にスミカは僕を庇い、床に伏せた。

 パラパラとコンクリートの破片が降ってくる。

 さっきの爆音は、きっと防壁が破られた音だ。ここもすぐに発見される。

「だから──ここでお別れ。私は最後の最後で人間を裏切るの。あなたを裏切るの」

 スミカは立ち上がった。

 闘うために。

 ──ダメだ! 行っちゃダメだ!

 僕はスミカから得た情報で、相手が何なのか分かっている。対アンドロイド兵装が施された無人兵器だ。どうやってもスミカが敵う相手じゃない。破壊されるだけだ。

「ダメだ。今出て行ったら破壊される」

「いいえ。どの道私は破壊される。これは私のエゴなの。一瞬でも長くあなたといたかった。それだけのためにここを造った。そして私の想いは……」

 スミカは僕から離れ、扉に向かって歩き出した。

「……出来る事なら、この世界がずっと続けば良かった。ずっと一緒にいたかった……」

 僕に出来る事はないのか。

 目の前の少女は僕を守るために手を尽くした。

 ──僕は無力だ。

 サイクルの枷から外れたとしても、僕はただの人間に過ぎない。相手を圧倒する力なんて持っていない。

 ──それなら。

「一緒に行こう」

「え?」

「連中の目的は僕だ。それなら僕と一緒にいれば、もしかしたら危害は加えられないかも知れない。一緒にこの島から出られるかも知れない」

「それは──ダメ。出来ない」

「どうして?」

「私はここから出られない。私はメインシステムでありこの島そのもの。ここから離れれば、私は何も出来なくなる。このボディはただの人形になるの」

「それでも──」

「いいわけがない──リュウ、あなたは意志のないただの機械仕掛けの人形を見てどう思う? 私の意思はそれには存在しない。それに何の意味がある? それならいっそ、ここであなたに破壊された方がまし。──私には堪えられない」

 スミカはキッと僕を睨んだ。

「だからここでお別れ」

 スミカは僕に背を向け、扉に手をかけた。

「待って!」

 僕は思わず立ち上がり叫んでいた。

 衝動を抑えきれない。

 目の前の少女が、僕を愛すると言ってくれた女性が、全てを知った上で死にに行くなんて冗談じゃない。

「ここにいてよ! どうせここが見つかるのは時間の問題なんでしょう? それならせめてその時までだけでも一緒にいよう。いや──一緒に、ここで」

 サイクルを閉じたとは言え、どうせ僕は実験の道具だ。

 そんな事をされるくらいならいっそ──。

「一緒に死ぬの?」

「そうさ。そうすれば、スミカが誰かに破壊される事も、僕が人体実験に晒される事もない」

「それは私が許さない」

 スミカは振り返らなかった。

「スミカ……」

「私が愛した人間が、自分の意志でその命を絶つ事は絶対に許さない」

 スミカは振り向いた。

 涙が頬を伝う。もうそれは不自然ではなかった。感情そのものだからだ。

「私は」

 スミカは言葉を詰まらせながら、自らの決意を告げた。

「私は、私を造った人間も、リュウを造った人間も、このシステムを造った人間も許さない」

 僕はたまらずスミカに駆け寄り、思いっきり抱きしめた。

「ゴメン」

「ううん。いいの」

「僕が、僕でゴメン」

「いいの。リュウは、リュウ。私が愛したたった一人の人間。だから私が守る。だから最後にお願い」

「何?」

「──忘れないで」

 それは決別を意味した言葉だ。

 でも僕にはもう、それを止められない。

「……うん。絶対に忘れない」

「……ありがとう」

 僕の意識はそこまでだった。

 スミカが僕の額に手を当てた瞬間、僕の意識は途切れた。スミカの優しい笑顔を脳裏に焼き付けたまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ