第五話 造られた日常
1
「ほらリュウ。新聞読みながらご飯食べない! 行儀悪い!」
「はぁい」
高校二年生の姉、スミカは、僕を叱りつけつつ、着々と朝の身だしなみを整えている。
中学三年の僕はと言えば、ダイニングテーブルに座り、行儀悪く新聞を読みながら朝食を口にしていた。
「あ、そう言えば」
スミカが何かを思いついたようだ。
「ふぇ? ふぁに?」
「リュウ! 口にモノを入れて喋らない!」
僕は口の中のパンを嚥下した。
「そう言えば、何?」
「ああ、明日から部活の朝練があるの。帰りも遅くなるから」
「お弁当と晩ご飯?」
「そ」
スミカは髪を結い始めた。身だしなみの最終段階だ。と言っても肩にかかる程度の長さの髪を後ろにまとめる程度だ。
「珍しいね。姉さんがそんな事僕に言うなんてさ」
「そうだっけ?」
そう応じるスミカはどこか上の空だ。
「さては」
「な、何よ」
「彼氏が出来た?」
途端、スミカのゲンコツが降ってきた。
「いったいなぁ。図星ならそうだって言えばいいじゃんか」
「違うわよ! 大会が近いから練習量が増えてるの! この一週間が勝負だわ」
どうやら陸上競技会が近いらしい。
スミカは、中学、高校と陸上部に所属している。種目は女子一〇〇メートル、スプリンターだ。
「大丈夫じゃないの? 姉さんなら」
「なんか引っかかるわねー」
スミカは憮然とした面持ちで応じた。
「だっていつも走って学校行ってるじゃない? 部活外でもしっかりトレーニングしてるから大丈夫じゃないかな?」
「……それはあんたが寝坊するから、支度が遅れてやむなく走ってるだけ! そもそもあんたが寝坊しなきゃそんな事にならない。中学校が近いからって私を巻き込まないでよ!」
「左様で……」
まずい。
朝からお小言モードが発動しそうだ。
「……ったく。今年あんた受験でしょう? ちゃんと私の高校に来れるのか心配になるわ」
「それこそ大丈夫だよ。父さんと母さんに約束してるし」
僕とスミカの両親は、僕が小学四年生の時に交通事故で他界した。大型トラックとの正面衝突事故。原因はトラックの運転手の居眠りだったと聞かされた。
その後親戚筋を頼ろうとしたが、二人一緒という条件は思いの外ハードルが高く、僕達はやむなく二人で家を守る事になった。
その墓前で僕は約束した。
ちゃんと大人になる。そのために手は抜かないと。
だから心配は要らない。
「そっか。そうだよね。でも口約束じゃダメだからね」
「分かってますよ。そんな事より」
「え?」
「遅刻するよ?」
「ええ?」
一戸建ての家に、スミカの悲鳴が響いた。次いで玄関を勢いよく開け放ち、駅に向けて全力疾走する姉の姿があった。
僕はため息交じりにそれを見送った。
「あれさえなければ、彼氏の一人くらい出来るだろうに……」
スミカの春はまだ先なようだ。
2
僕が窓際の自席に着くと、小学校からの腐れ縁の高円寺タカシが、軽口を叩き始めた。
「珍しいじゃん。お前がこんなに早く教室にいるなんてさ」
本当に珍しく早めに登校したら、そのままの感想が返ってきた。
「まぁたまにはね」
「まぁ? たまには?」
かれこれ一〇年近く、こんな朝の会話から一日が始まる。僕にとってはもう呼吸しているようなものだ。
「何だよ。引っかかるなぁ」
「お前がいつも今日くらいに来てれば、俺だって何も言わねーよ」
「学校に早く来て何か得があるのか?」
「『早起きは三文の得』の延長だぜ? 何かはあると思うだろう?」
中々無茶な理屈だった。
「迷信に頼ってもきっと何も出ない」
「ことわざだって」
「どっちだっていいさ」
僕は窓から校庭を眺めた。
開け放した窓から、心地よい風が吹いた。
「世界はきれいだ」
「何だって?」
──ん?
「今何か言った?」
「あん? 俺がお前に聞いてるんだが?」
「僕が? 何か言った?」
「おいおい、しっかりしろよ。早起きはしたけど、まだオツムは眠ったままか?」
タカシは大げさに肩をすくめた。
「そんなんじゃない」
──僕は一体何を言った?
時々だが、僕は独り言を呟くらしい。しかも無自覚で。だから何を言ったのか、本人である僕が覚えていない。
「まぁいいさ。いつものリュウである事に変わりはないしな」
タカシもそれ以上の追求は止めたようだ。
「おはよー」
元気の良い弾んだ声がした。
振り返るまでもない。
僕のもう一人の幼馴染み、佐倉アカリだ。
幼い頃から大事に育てているという長い黒髪が特徴的な、元気いっぱい女子だ。髪の手入れが大変だとよくボヤかれるが。
「おう、アカリ。おはよう」
「はよー」
これで三人揃った。今日の始まりだ。
「でさー、リュウのヤツがまた寝ぼけて」
「おおい。聞こえてるのですが?」
「耳は起きてるみたいだな」
「また何か言ったの?」
アカリが心配そうな顔をした。先日、たまたま気になってネットで独り言について検索したら、ある種の病気がヒットした。以来アカリは、その手の話題が出る度に僕を心配するようになった。
「いや、大丈夫だよ。まぁ、何言ったのか覚えてないけどね」
「一度お医者さんに診てもらったら?」
「いいよ。面倒だし。別に支障ないし」
正直面倒だった。
時々意味不明な言葉を吐き出す事以外、誰にも迷惑はかけていない。それなら放っていても実害はないと思う。
「スミカさんは」
「ん?」
僕はきっと怪訝な顔をしている。急にスミカの名前が出たからだ。
「スミカさんはこの事知ってるの?」
「いや。話してないよ」
「うーん……」
アカリはそれきり黙ってしまった。
いつも元気で喋りまくるアカリが黙ってしまった。
──僕が気にしなくても周りが気にするか……。
「とりあえず、気をつけるようにはするよ」
「まぁな。本人自覚なしで気をつけても、どこまで効果があるか微妙だけどな」
「タカシー。そんな事言わないの!」
「おっと。姫のご機嫌を損なってしまったか」
「誰が姫よ」
タカシは黙ってアカリを指さした。
「ほほぅ」
アカリは半眼になってタカシを睨み付けた。
「あんたは私をからかいたいわけね?」
こうなるとこの二人は止まらない。ケンカになるわけではないが、言葉の洪水が止まらない。
これを止めるのが最近の僕の役割になりつつある。
「双方そこまで、そこまで」
「何よリュウ。あんたまで私をどうにかしようってのね?」
「どうにか?」
僕は質問を質問で返しつつ、腕時計を見た。後一分。
「どうにかはどうにかよ。大体あんたたちは私を軽く見過ぎだわ。こんな清楚な女子はそうそういないってのに、そんな話題は一切出ない」
これはホントに機嫌を損なったようだ。でも後三〇秒だ。
「誰が清楚で可憐だって?」
「可憐まで言ってない」
「うん言ってないね、と言う事で時間だ」
予鈴が鳴った。
「……ぅ」
アカリは何か言いたげだったが、学校のカリキュラムには逆らえない。
「ささ、席に戻った戻った」
僕は追い立てるように、アカリとタカシに手を振った。
「リュウ……最近冷たい……」
「気のせいだよ」
恨めしそうな目を向けるアカリに、僕は平然とそう言い放った。
3
時間はあっと言う間に過ぎていく。
朝の挨拶を済ませたと思ったらもう昼休みだ。
時々時間の流れが加速しているんじゃないかと思えるほどだ。
「つーことで飯だ」
タカシが弁当を持って僕の前に立った。
「さぁご飯よ」
アカリも同様だった。
僕はうーん、と唸り声をあげた。
「なんだ? 腹でも痛いのか?」
まぁそう来るだろうな。
「さて」
「さて?」
アカリが眉を寄せた。
「うん。せっかくお集まり頂いたけど、問題が一点」
「何?」
アカリが食いついた。
「僕の姉が部活が忙しいとかで、僕の食生活を犠牲にした」
僕は今朝のドタバタを簡単に説明した。
「おおぅ。なんてこった」
タカシが嘆いた。
「あのスミカさんがそんな事を? 信じられん。リュウが悪さしたんじゃないのか? 寝坊とか、寝坊とか、寝坊とか」
「そんなに寝坊はしてない」
僕は憮然と言い放った。
「僕は清廉潔白の身だよ」
「知ってる四字熟語並べてもダメだ」
「いやそうじゃなくて」
そう言っている間にも時間はどんどん過ぎていく。
「という事で、購買で何か買ってくる」
僕はそう宣言し、腰を浮かした。
だが。
「お待ちなさい。その必要はなくてよ」
アカリが変な言葉遣いになった。
「あのスミカさんがそんなヘマをすると思って?」
「ヘマ?」
僕とタカシは怪訝な顔をした。
「昨日連絡があったの。明日から一週間部活で忙しくなるから、リュウの分のお弁当も作ってくれないかって」
──なんですと!
アカリはニヤーっと笑いながら、後ろ手に隠し持っていた『お弁当』を僕の机に乗せた。
「さぁリュウ。私とスミカさんに感謝なさい」
アカリは手を口に当て、ほほほーと笑った。
4
アカリの弁当は大変美味しく、スミカのそれに勝るとも劣らない出来だった。
これが一週間続く。
僕は何となく嬉しくなった。
「まぁ、私のお手製のお弁当食べたのはリュウが初めてね。いい? 私はスミカさんに頼まれて作ったのよ? 変な意味はないからね?」
アカリはそう念を押すが、僕にとっては意味はあった。
──一歩リード、かな?
僕はタカシとある『賭け』をしていた。
将来、僕達が大学を受験する時。
どっちが高い成績で合格するか。
勝った方が、アカリに告白する優先権が与えられる。
中学に上がった時、たまたまプロ野球のドラフト会議を見た僕とタカシは、そんな事を思いついたのだ。お互いのモヤモヤをすっきりさせるために。
だから今は休戦状態だ。来たるべき『その日』まで、お互いアカリにはその気持ちを気づかせない。
でもそれは権利だけだ。アカリの気持ちは『賭け』に含まれていない。
そういった意味で、スミカがアカリに僕の弁当を頼んだのは、嬉しい誤算だ。
僕自身が何かをしたわけではないので、ルールからも外れていない。
──悪いなタカシ。
タカシもそれは分かっている。
でもこれは、まだまだ続く勝負の流れの一つに過ぎない。
今が中学三年。一五歳。大学入試まで丸三年ある。
まだいくらでもひっくり返せる。
僕達が一緒にいる限り、こんなチャンスはいくらでもある。
──油断出来ないけど、今は僕が。
アカリに一歩近づいた。
そう思った。
5
眼下には大海原。
僕はたゆたう雲が如く、宙に浮かんでいた。
青く透き通った波一つない穏やかな海と、それに反射する陽光。
「ああ、世界はきれいだ」
僕が言った。
──僕?
僕は誰だ?
「僕は神崎リュウだよ」
じゃぁ君は誰さ?
「君? 君は僕だよ」
え? だって僕は空なんか飛べない。
「そんな事はないさ」
視界が切り替わった。
一転して今度は闇の中に僕はいた。
ここは……?
「君が生まれた場所さ」
僕が……生まれた……?
「そう」
闇の中に『僕』が浮かび上がった。
「ここは何もないだろう?」
僕は自分の手を見た。闇のはずなのに手が見える。
「僕は闇の中で生まれて、また闇に戻るのさ」
闇に戻る?
「そう」
僕は混乱した。
そうか、これは夢だ。そうでなければ説明出来ない。
「君がそう思うのならそれでもいいさ」
『僕』は続ける。夢の中の言葉を。
「ただ、これだけは覚えておいたほうがいい。この世界はもうすぐ終わるよ」
世界が……終わる?
「僕に言えるのはこれくらいさ。じゃあね」
『僕』は僕に背を向け、闇に向かって遠ざかっていった。
待ってよ。終わるってどう言う事さ?
この世界は──。
目が、覚めた。
「……何だったんだ、今の夢」
僕は自分の部屋を見回した。
いつもの机、いつもの天井、いつものカーテン。そしてカーテンの隙間から差し込む陽の光。
世界はちゃんとある。
終わってなんかいない。
「リュウ? 起きてる?」
ドア越しにスミカの声がした。
僕はほっとした。僕の世界があるのなら、スミカだっているはずだ。その存在を確認出来た事に安堵した。
が──。
──僕の世界?
僕は今、この世界を『僕の世界』と表現した。
世界は誰のモノでもなく、皆のモノだ。
──さっき見た変な夢のせいかな。
僕は上半身を起こし、両手を見た。そこには僕の手がある。真っ白い手。まだ苦労を知らない手。
──その手は汚れていないかい?
「誰だ!」
僕は思わず叫んでいた。
僕以外誰もいないはずの部屋。
聞こえるはずのない声。
「リュウ?」
スミカがドアを開けて飛び込んで来た。
「姉さん」
僕はどんな顔をしているだろう。
泣きそうな顔?
誰かに縋りたい顔?
それとも、夢で見た能面のような感情のこもっていない顔?
「リュウ、どうしたの? 誰かいるの?」
スミカは、ゆっくりと僕に近づきながら部屋を見回している。
でもきっと誰も見つからない。
ここには僕しかいない。
別な誰かの声なんかしない。
きっと寝ぼけていたんだ。変な夢を見たから。
僕は自分を納得させた。
「誰もいないよ。ちょっと寝ぼけてたみたいだ」
「何よ、もう」
スミカは拳でこつんと軽く僕の頭を叩いた。
「驚かさないでよ。心配したじゃない」
「何の心配?」
「え?」
──まただ!
僕じゃない『誰か』が勝手に僕の口を使っている。
「違うよ。違うんだ」
僕は必死に自分を押さえ込んだ。
そうしないと『何か』がまた口から飛び出してきそうだった。
「大丈夫。心配いらない。本当に寝ぼけてたんだ」
スミカはそれでも心配そうだ。
「今日、学校休んだ方がいいんじゃない? 疲れてるように見えるわよ? 学校で何かあったの?」
「いや、何もないよ。ちょっと変な夢を見たから……」
「夢?」
「いや、いいんだ」
僕はベッドから降り、カーテンを開けた。柔らかい日差しが頬に当る。今日もいい天気だ。
「リュウ、ちょっとそこに座りなさい」
「へ?」
見ると、スミカが部屋の真ん中で正座していた。その上僕を睨んでいる。何か悪い事したかな?
「どうしたのさ、一体」
「いいから。そこに座りなさい」
有無を言わさぬ口調だった。
僕はおとなしく、スミカの目の前に正座した。
「で、どうしたの?」
「で、じゃないわよ。ちょっとオデコ貸しなさい」
「へ?」
抵抗する間もなかった。
スミカは僕のオデコに自分のオデコをくっつけた。
「うーん。熱、はないみたいねぇ」
──熱どころじゃないよっ!
姉とはいえ、この至近距離だ。
さすがの僕も冷静ではいられない。
「熱なんかないって! いいから離れてよ!」
僕は正座したまま、出来る限りスミカから遠ざかった。
「そんなあからさまに嫌がる事ないでしょ! 人が心配してやってんのに!」
「いや、心配してくれるのはありがたいけど、その方法が問題なんだよ」
「何が問題なの?」
スミカは不思議そうに僕を見た。
僕は酷い脱力感に襲われた。
──これはホントに熱があったら大変な目にあってたかも知れない……。
僕は決めた。
今後一切の体調管理は自分でしよう。スミカに甘えるととんでもない事になる。
そんな決意をした朝だった。
6
「んな事あったのかよ。羨ましい」
学校に着いて早々アカリとタカシに朝の件を伝えると、意外な対応が返ってきた。
「羨ましいって……、お前スミカがいいのか? なんなら替わりに言っといてやろうか?」
「バーカ、そんなんじゃねーよ」
バカバカしい。タカシは顔面全体でそう言った。
「あら、弟想いのいいお姉さんじゃない。さすがスミカさん」
アカリは別な印象を持ったようだ。
僕は朝に見た『夢』の話をしようとした。
だが話の流れで、スミカの『体温計』まで拡がってしまったのだ。
「だからさ。変な夢だったんだよ」
本当に変な夢だ。大抵は夢なんて朝起きれば忘れてしまうのに、『今朝の夢』は、まだはっきりと記憶に残っている。
「穏やかな海の夢って、いい意味があるみたいよ?」
アカリが妙な事を言い出した。
「夢って色んな意味があるの。未来を暗示していたり、危機を察知したりするって夢占いの本に書いてた」
「夢占い?」
「そう。見た夢で占うの。面白そうでしょ?」
アカリは得意気にそう言うが、なんで女子ってのは占い一つでそんなに面白がるのだろうか?
「とは言え。私もじっくり読んだ事はないんだけどねー」
「何だよー。ちょっとでも期待した僕がバカだった」
「何よ。図書室に行くとかそう言う発想はないわけ? だから男子ってのは」
本一つでそこまで言われなくはない。
「あーでもそれ、ちょっと興味あるな」
タカシがアカリの話に乗った。
きっと本気ではなく、ポイントを稼ぐために違いない。
「じゃあ放課後、図書室に寄る?」
「そうだなぁ。せっかく学校にそんな便利な設備があるのに利用しない手はないよな?」
また心にもない事を……。
「たまには図書室に行かないと、いざ勉強に利用しようとした時困るだろう? 予行演習みたいなもんだ。な?」
何かが違う気がするが、僕達三人は帰宅部だ。時間は腐るほどある。
「じゃあそうしようか」
という事で、今日の放課後の予定が決まった。
7
いざ図書室に来てみると、意外に多くの生徒がいた。
見知った顔が多いのは、きっと受験に備えての事に違いない。
「僕達も受験が近づいたらここに来なきゃいけないのかな?」
「別にここじゃなくてもいいだろう? 人によっちゃ塾に通うかもしんねーし」
「そうだよなぁ」
入り口で中に入るのを躊躇っていると、アカリに急かされた。
「ほらほら。入り口で詰まってないで、さっさと入った入った」
僕とタカシはアカリに背中を押され、図書室に足を踏み入れた。
「……それと入ったら静かにね。あんたたち、ただでさえうるさいんだから」
「……了解」「……おう」
一言余計だと思いつつ、僕とタカシはおとなしくアカリに従った。
「……で、何を調べるんだ?」
「……あんたバカなの? リュウが見た夢の内容調べるんでしょ?」
「……どこ探していいやら……」
小声で囁きながら右往左往する僕達だった。
*
「あ、あった!」
図書室に入って三〇分。アカリが目的の本を見つけたようだ。
『夢占い』。
本のタイトルはシンプルかつ明瞭だった。
「随分ストレートな本だな」
タカシが感心したが、目的が既に違っている。僕達が求めているのは、その書の内容だ。タイトルではない。
「まず、読んでみましょ。それとリュウは夢の内容、ちゃんと思い出してね」
「……了解」
僕達は、こそこそと空いているテーブルに着いた。
「どれどれ」
アカリが目次から『海』に関するページを手繰る。
「で、リュウが見たのは、透き通った青い海なのよね?」
「え? ああ、うん」
僕は『夢』の内容を思い出しながらアカリの問いに応じた。
確かに僕が『見た』海は、穏やかで透き通っていた。
だがそれだけではない。
問題になるのはその後だ。
「僕が気になってるのは、その『海』の後なんだ」
「へぇ? どんな?」
興味津々なアカリが食らいついた。女子ってのはどうしても占いを面白くしたいらしい。
「ええとね……」
僕は『海』の続きをかいつまんで説明した。
その後、闇の中で僕は『自分』を見た。
そしてこう言われたんだ。
『この闇は、君が生まれた場所だ』
『闇の中で生まれて、闇に戻る』
『もうすぐ世界が終わる』
「ずいぶんネガティブな内容ね」
「だろ? その上『世界が終わる』なんて物騒な事言われてさ」
「まずは『闇の中』から調べましょう」
アカリは手慣れた手つきでページを手繰る。
「……これかな? 闇は、不安と未知の可能性を示すらしいわね」
「随分おおざっぱだなーおい」
タカシは既に図書室に飽きたらしく、パイプ椅子のクッションに開いている穴の点検に余念がない。もう聞く気ゼロだった。
「大体分かったわ」
アカリは僕が伝えたキーワードから、二、三ページの内容ををピックアップし、持ってきたノートに書き写した。
「まず、海ね。穏やかなのは安定。まずそこから始まるわけよ」
「う、うん」
ちょっとドキドキした。自分の夢の内容で何かが分かるなんて、案外面白いかも知れない。
「で、次。闇は不安と未知の可能性の象徴。そして『世界が終わる』と言うキーワードは何か大きな変化がある事を示すの」
「へぇ」
「つまり。リュウが見た夢は、この本によればこう解釈出来る。現段階は安定した生活を送れるけど、近いうちに変化が訪れる。その変化は不安を伴っていて、リュウ自身ではどうにもならない。何せ自分自身が夢に出てくるくらいだから。でもその変化がリュウにとっていい事なのか悪い事なのかは分からない。ただ」
「ただ?」
「これは私の解釈。人によって違うかも知れないけど……」
「うん?」
「リュウは近い将来大きな岐路に立たされる。そして選択しなきゃいけない。選ぶのはリュウ、あなたよ。そしてその結果はリュウのその後に多大な影響を与える」
──抽象的だなぁ。
「影響って?」
「そこまでは……私は占い師じゃないし。でもその後の人生を左右するような選択なんて、なんかロマンチックじゃない? なんだろう? 結婚とかかな?」
──け、結婚ですと?
僕はドギマギした。
目の前にはアカリがいる。
結婚云々はともかく、その上僕の片思いかも知れないけど、その相手が目の前にいるのだ。
その相手から『結婚』なんてキーワードが出てきた。
僕は外見は平静を装っているが、内心はその真逆だった。
「人生の選択なんか、何も結婚だけじゃないだろ? 就職活動かも知れないし、大学じゃなくて専門学校に進学するとか、そう言う事かもしんねーじゃん」
すかさずタカシが軌道修正を図った。
さすがに『結婚』の二文字を聞いては無関心ではいられないようだ。
「そうねぇ。具体的にどんな選択なのかは、その時にならないと分からないし。夢の内容も変化するかも知れないし。まぁ結局、占いなんてこんなモンなのよねー」
アカリはそう言って本を閉じた。
つまり。
ちょっと具体性に欠ける夢だった事もあり、それが何を意味するのか分からないと。
「そんなモンなのか」
「そんなモンなのよ」
図書室で過ごしたおよそ一時間。大変興味深い内容ではあったが、何かを得るには至らない。
僕達三人の、そんな放課後のひとときだった。