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第三話 セカンドノア Side:A 〜孤独な王子〜

 なぜだろう?

 十分に休養を取ったはずなのに、体調はどんどん悪化していく。

 誕生日まで後一週間。

 大学入試の結果発表も同じ日だ。

 ふと視線を窓に向ける。

 遮光カーテンの隙間から漏れる日差しが眩しい。

 僕は思わず手で光を遮ろうとするのだが、その手が持ち上がらない。

 息を止め、渾身の力で腕を持ち上げる。

 ──まるで自分の体じゃないみたいだ。

 なんとか光を遮ったものの、それだけの動作で額に汗が滲んでいる事に気づく。

 ──僕の体は、一体どうなってしまったんだ?

 問いかけようにも、部屋には誰もいない。

 姉のスミカは大学だし、アカリやタカシは学校だ。

 毎日のようにお見舞いに来てくれるのはありがたいが、その度に繰り返される「大丈夫?」「何か欲しいものはない?」と言うお決まりの文句が、僕をどんどん落ち込ませる。

 大丈夫? ──大丈夫ならここで寝たきりになっていない。

 何か欲しいものはない? ──健康な体が欲しいよ。

 無い物ねだりだ。

 僕は筋力が限界を迎えた右腕を、そのまま顔に落とした。

 涙が溢れる。

「姉さん」

 そっと呟いてみる。

 だが聞こえるのは、嗄れた声。これは僕の声じゃない。

 全身が何かに蝕まれている。

 医者から処方されている薬も全然効き目がない。

 姉のスミカに尋ねても「今が一番酷いときなんだって。もう少しすればすぐ良くなるって先生が言ってたわ」と、これまたお決まりの台詞が返ってくるだけだ。

 何が良くなるんだ?

 腕一本持ち上げるのに全体力を消費するような病人がすぐに良くなるわけがない。

 三日前。

 僕は学校で倒れ、そのまま自宅療養となった。

 あの時の光景は未だに忘れられない。

 あの不自然な光景。

 僕が教室の中で倒れた時、アカリとタカシは動きを止めた。

 クラス全員、教室ごと時間が止まったかのようだった。

 ──あれは僕がそう感じただけなんだろうか?

 僕は目を閉じ『その時』の事を思い出していた。


 今日は天気がいい。

 天気が良ければ気分もいい。

 校舎の窓から見下ろす景色も、徐々に春に近づいている。

 頬に当たる風が、冬の切りつけるような風ではなく、どこか柔らかい優しい風になっている。

 色々な発表まで後一週間と少々。

 何か心の中がざわついていた。

 ──賭けのせいかな。

 僕はタカシと賭けをしていた。

 いや、そんな大げさなものじゃないかも知れない。ただその行動を起こす日を三月一日に決めただけだ。

 奇しくも僕の誕生日と大学の結果発表の日。

 何かを始めるにはいい日だと思った。

「よぉ、どうした? 機嫌良さそうじゃないか。何かいい事あったか?」

 僕は振り向かず、軽口を返した。

「機嫌とかじゃないよ。風に当たってるんだ」

「俺にはその発想が分からん」

 タカシはやれやれといった声色でそう言い、僕の机に腰を下ろした。

 僕は窓の景色から目を離し、机の上に乗っている無礼な輩に声を掛けた。

「行儀悪いぞ」

「育ちが悪いもんでね」

「知ってる」

「そう言うと思ったぜ」

 今日はいい日だ。こうやってタカシと軽口を言い合える。

 僕は盛大にため息をついた。

「あんまりため息つくと幸せが逃げるぜ?」

「あいにく、逃げるほどの幸せを持ち合わせていない」

「そうでもないさ。例の賭けに勝てばそれが手に入る」

「勝てばね」

「そう。勝てば、だ」

 タカシは机から飛び降りた。

 僕に行儀を責められたからではない。『賭け』の対象が来たからだ。

「なぁに? 野郎が二人して窓際で。やらしい話?」

 アカリが機嫌良く僕達に近づいてきた。

「まぁそんなとこだな」

 タカシが軽く受け流す。

 いつもの会話だ。

 僕達三人は小中高と一緒で、なぜか別なクラスになった事すらない。

 だから会話と言っても、呼吸するようなものだ。

「タカシはいいけど、リュウに変な事教え込まないで欲しいわ」

「へぇ?」

 タカシは大げさに肩を竦めた。

「俺は良くてもリュウはダメ? そりゃ不公平だろ?」

「そりゃ、人ぞれぞれに役割があるからよ」

 アカリが肩にかかる長い髪払いながら断言した。

「役割、ねぇ……?」

 タカシのその笑みは僕に向けられた。

「このお姫様は、下々の者の心を知らないと仰っておられる」

 僕は苦笑するしかない。

「お、その余裕はなんだ?」

「何の余裕だよ」

「こないだ、一緒に登校してきたじゃないか」

 ──タカシめ、あの話を蒸し返す気か?

「あれは事故みたいなもんだって」

 実際、僕が体調を崩して家を出るのが遅くならなければ、アカリと同じバスに乗り合わせなかった。単なる偶然なのだ。

「今お前、偶然とか思っただろ?」

「お前は人の心読めるのか?」

 僕は大げさに驚いて見せた。

 会話の流れとして『偶然』と言うキーワードが出てくるのは当然だ。

 僕だってあのバスにアカリが乗っているなんて思いもしなかった。

「ふふん。リュウ、お前の頭の中など全てお見通しだ」

 タカシは胸を張った。

 僕の頭の中程度をのぞき見したって、あまり威張れないと思う。

「それはともかく」

 アカリがこの意味不明な会話に割り込んできた。

 最終的に自分が関わっているなんて思いもしていないだろうなぁ。

「やらしい話は、タカシはOK。でもリュウはダメ」

「だからなんでそうなるんだよ?」

「あらー? 中学生の修学旅行で女湯を覗いた話、忘れたのかしらぁ?」

 そう。

 タカシは前科がある。僕はその行為を止めに入った側なので推定無罪なのだと言う。止めに入ったのはいいが、それをアカリたちに教えなかったからだそうだ。なんとも理不尽な話だ。

「そんな昔の話は忘れたなー」

 わざとらしくすっとぼけるタカシ。

「今時の男子は責任の取り方も知らないのね?」

「責任とは?」

「それは私の口からは言えない」

 アカリは素っ気なくタカシを突き放した。

「まさか、責任とってアカリを嫁にもらうとかじゃねーよなー?」

「それこそまさかだわ」

 アカリはタカシの『責任の取り方』を一蹴した。

「それにあの時覗かれたのは私だけじゃない。クラスの女子の半数が犠牲に遭った。あんたはその全員お嫁さんにもらう気なの? 重婚罪でとっ捕まるわよ?」

「何て男に優しくない法律だ」

 タカシは嘆くが、アカリは呆れ顔だ。

「このバカに何か言ってやってよ、もう」

 とアカリ。矛先が僕に向いたようだ。

 ──やれやれ。

 僕はそんな二人のやりとりに、ため息で応じた。

「タカシがそう言うヤツなのは今に始まった事じゃないし。もちろん、そんなヤツにアカリはやれないなぁ」

「お前は私の親父かよっ!」

 すかさず突っ込むアカリ。

 僕達三人は、いつもこんなやりとりをしている。

 これが僕の日常。一つ欠けても成立しない。

「さて」

 僕は次の授業が始まる前にトイレに行こうと席を立った。

 いや。

 立とうとした。

 ──何だ?

 足が動かない。

 足どころではない。手も体も僕の意に反して動こうとしない。

 ──金縛り……?

 こんな白昼堂々、しかも学校の教室で金縛りに遭うなんて聞いた事もない。

 半端な姿勢で思うように体が動かなくなった僕は、バランスを取る事も出来ず、そのまま床に転がった。

 ブレザーの端が机に引っかかり、机ごと大きな音を立ててひっくり返った。

 その時だった。

 警報が鳴り、どこからともなく機械的な音声が教室中に響いた。

<個体ナンバー四八の動作不良を確認>

 ──個体……ナンバー……?

 目で見える範囲で教室を見回す。

 ──なんだこれ?

 信じられない光景だった。

 アカリもタカシもクラスメイトも、一切の動きを止めていた。

 アカリは僕に手を差し伸べようとして。

 タカシは机を支えたままで。

 クラスメイト銘々がそのままの姿勢で。

 まるで時が止まったかのようだった。

 僕は声を振り絞った。

「……ア、アカリ? タカシ?」

 それはほんの一瞬だった。

 時が動き出した。

「リュウ! 大丈夫?」

 アカリが心配そうな表情で、僕に手を差し伸べる。

 タカシはひっくり返った机を支え、僕に目を向けた。

 その他クラス全員が動きを取り戻し、僕を見ていた。

 それは僕の気のせいだろうか。あまりに一瞬の事で自信が持てない。

 皆の目が赤く光ったように見えたのだ。

 ──まさかな。

 僕はアカリの問いに答える事なく、意識を放棄した。


 その後、保健室を経由してスミカに迎えに来てもらい、今に至る。

 以来、僕はベッドの上で身動きすら出来ない。

 ──僕は死ぬのか?

 そんなキーワードが頭をよぎる。

 そしてすぐにそんな考えを振り払う。

 そんなバカな事はない。

 突然体の自由が効かなくなり、そのまま衰弱し死に至る。

 そんな事は聞いていない。

 スミカだって知っていたら僕に教えるだろうし、仮に知っていたとしても、態度や言動に現れるだろう。それはアカリやタカシも同様だ。

 だが彼らの行動に不審な点はなく、僕の病状は回復傾向にあると言う。

 ──本当なのだろうか。

 僕は自問せずにいられない。

 親友や肉親を疑うわけではない。

 ただ。

 もし医者から知らされていなかったら。

 もし医者が僕の病気に気づいていなかったら。

 ──いやそんな事はない。

 こんな弱い気持ちじゃ治るものも治らない。

 と──。

 階段を昇る規則正しい足音。

 姉のスミカだ。

 一日中寝ていると、世界の様々な音が聞こえてくる。

 自分の鼓動、鳥のさえずり、遠くから聞こえる車の音。

 そして、スミカの足音。

 ──講義が終わるにしては早い時間だな。

 今は午前中だ。

 また自主休講でもしたんだろうか?

 ノックの音がし、僕の返事を待たずにドアが開いた。

「リュウ……」

 やっぱりスミカだった。

 なんだろうか? 雰囲気が違う気がする。

 僕はゆっくりと目を開けた。

 遮光カーテンを閉めているせいか、部屋全体が薄暗い。

 そのせいで、僕はスミカの表情を読み取れなかった。

「時間……タイムリミットよ」

 ──時間?

 それってなんの事?

 僕はそう問い質そうとしたが、何かが顔に吹き付けられ、急激な眠気に襲われた。

 ──なんだ……これ……は?

 薄れていく意識の中、僕はスミカの目をはっきりと捉えた。

 その目は、涙に濡れていた。


 気が付くと、そこは僕の部屋ではなかった。

 部屋全体がくすんだ無機質なコンクリートで覆われ、たくさんのケーブルが床を這っている。

 何かの研究施設だろうか?

「ここは……?」

 僕は体を動かそうとした。

 だが、そこで初めて手足が拘束されている事に気が付いた。

 素っ気ないベッドの上、僕は頑丈そうなベルトで手足、胴体を固定されていた。

「なんだよ、これは」

 さっきまでの柔らかいベッドの感触が抜けない。日差しの感触も抜けない。

 ここには一切窓がなく、四方を打ちっ放しのコンクリートで囲まれ、その中央にあるベッドに僕が固定されている。天井には見たこともない機械が吊り下がり、壁際には、わけの分からない装置がずらりと並んでいる。

 何かの冗談かと思った。

『リュウ。聞こえる?』

 スミカの声だ。残響の具合から考えて、部屋に仕掛けられたスピーカから聞こえてくるようだ。

「姉さん、どこにいる? ここは一体どこだ?」

 僕は姿が見えない姉に向かって声を張った。

「これは何の冗談? 僕は何でこんな事になってるんだ?」

 答えはない。

 僕は矢継ぎ早に質問を繰り返した。

「ここは一体どこなんだよ! 何で僕が縛り付けられなきゃいけないのさ!」

 声を張るだけで息が上がる。

 無駄な努力と知りつつも、手足に力を込め、固定しているベルトから抜けだそうとする。

 ガタガタとベッドが軋んだ。

『リュウ。あなたはもうすぐ一八歳の誕生日を迎える。でもそれはあなたの終わりの日でもあるの』

 スピーカ越しのスミカの声は、抑揚がない。感情がない。まるでロボットだ。

「姉さん? 終わりって何だよ! 説明してよ!」

 また沈黙が部屋を満たした。

『リュウ。これから話す事は、あなたにとってとても残酷な話になるわ。だからあなたを拘束した。暴れて壊れないように』

「壊れない? 何が? 僕にはもう何も壊す力も残っていないよ」

『違うわ。壊れるのはあなた。ここはそのための設備』

 ──僕が、壊れる?

 わずかに動く首を回し、部屋を見回す。

 相変わらず見えるのは、わけの分からない装置達だ。

 ──まるで実験室だ。

『あなたには、この星の現状とこれからどうなっていくか、それを説明するわ。あなたにはそれを知る権利がある』

 ──知る権利?

「姉さん。この星って地球の事?」

『そうよ。そして厳密には違う。今、いえあなたが今まで暮らしてきたのは巨大な人工島。メガフロートと言う言葉は知ってる?』

 メガフロート。

 浮体式の超大型構造物。空港や発電所など、騒音や危険の高い設備を海洋に設営する際に用いられる事がある。

「そのメガフロートがどうしたって言うんだよ!」

 僕はそう言ってはっとした。

 ──僕が暮らしてきた? さっきスミカはそういったよな?

『これから、この星とこのメガフロート、セカンドノアの情報をあなたの脳にダウンロードする』

「ダウンロード?」

 その言葉に同調するように、耳障りな機械音と共に天井からヘッドセット状の機器が降りてきた。

「ちょ、ちょっと待ってよ! ダウンロードって何さ? 僕に何をする気なんだよ!」

『個体ナンバー四八。それがあなたの本当の名前。神崎リュウと言う名前はあなたの人格を崩壊させないためにつけられた便宜上の呼び名。それもすぐに分かるわ』

 もうヘッドセットは目の前だ。

「姉さん!」

『私はあなたの姉じゃないの』

「え?」

『あなたを見守り、あなたの人格が崩壊しないように造られた人工的な存在。この星にいる人間は、あなた一人なのよ』

 ──え?

「僕一人?」

 スミカは一体何を言っているのだろう?

 アカリやタカシは? クラスメイトの皆は? 担任の香川先生は?

『直接対話はここまで。後はそのヘッドセットで知りなさい』

 直後、照明が落とされ部屋は闇に覆われた。

 ヘッドセットが僕の頭に装着され、同時に強烈な眠気を覚えた。

 僕は抗った。意識を失ってはいけない。なぜそう思ったのかは分からない。恐怖なのか畏怖なのか。とにかく僕は抵抗した。

 眠ってたまるか。

 だが抵抗虚しく、脳の奥がしびれるような感触の後、僕はあっけなく意識を失った。


 僕は宙に浮かんでいた。

 眼下には海。どこまでも続く大海原。そして、所々に雲がそれを遮る。陸地は見えなかった。

 その海の中に、一点、白い何かが見えた。

 それは徐々に大きくなり、その全貌が明らかになった。

 ドームに覆われたそれは、明らかに人為的に造られたものだ。

 ──メガフロート? セカンドノア?

『そう。それがセカンドノア。この星の希望の島』

 希望の島?

『今から四四一年前、人類はこの星を見限った』

 見限った?

『地球温暖化による環境破壊、化石燃料の枯渇、食糧危機、様々な問題が人類がこの星での生活する事を困難にした。元はと言えば人類がそうしたのにね。おかしな話よ』

 この声はスミカなのか?

「姉さん?」

『いいわ。便宜上、私を姉さんと呼ぶ事を許可します』

 声の主はスミカと呼ぶ事を認めたようだ。

『セカンドノアは、そんな人類が遺した環境実験施設。汚染された大気を遮断し、施設内で清浄な空気を循環させている。水も、食料も完全にリサイクルされる。完全なバイオスフィアの機能を有している』

 スミカの説明は続く。

『セカンドノアの目的はただ一つ。宇宙に逃れた人類が、この星に帰還する際の生体データの収集と、検体への影響を蓄積する。それがあなた。個体ナンバー四八の存在理由』

「生体データ?」

『そう。セカンドノアの外では人類は生存出来ない。外界の観測データも、四四一年前と比較して改善傾向にあるけど、まだ生存可能な値に達していない。そのために私はデータを収集し続ける』

 四四一年。気が遠くなるような年月だ。

 スミカと対話を続けている間にも、僕の脳にその長い期間収集されたデータや当時の事が刻々と『ダウンロード』されている。

 僕は理解した。

 ここは造られた世界なんだ。

 そして僕も造られた存在なんだ。

 いや、僕だけじゃない。

 スミカもアカリもタカシも、皆造られた存在なんだ。

 唯一異なるのは、僕が人間だと言う事だ。

 僕が友人と思っていた存在はアンドロイドであり、それはスミカも含まれる。

 この星で、僕は唯一の人間なんだ。

『この星の過ぎ去った日々と自分が何者なのか、理解が及んだようね』

「ああ、分かった。僕だけなんだね? そして僕も作り物なんだね?」

『そう。あなたは四八番目の神崎リュウ。そしてもうすぐその使命を終える』

「……僕は九歳から一八歳までしか存在出来ない。セカンドノアでは、僕が赤ん坊の時と大人になってからの環境を作り出せない。だから」

 僕は死ぬんだ。

 生まれたときから決まっていたんだ。

 自己崩壊因子を組み込まれた僕は、九歳までは培養槽で育てられる。

 クローン技術を駆使した『僕』は、今のように『仮の記憶』を与えられながら成長する。

 そして九歳、小学四年生から先は『造られた友人たち』『造られた家族』と暮らす。

 両親の事故後という設定で、アカリとタカシと言う『幼馴染み』に囲まれ、守られて成長する。

 幾多の困難から果ては遠足や修学旅行まで、全て都合のいいように記憶操作で書き換えられる。

 そして一八歳になると、僕は消滅する。

 自然と涙が溢れた。

 僕は一体誰なんだ?

 人間の形こそ保っているが、生まれたときから全てが決められ、それを何度も繰り返す。今僕が持っている『記憶』は、僕が消滅すると消えてなくなる。僕という『人間』が消えてなくなる。

 僕が教室で倒れた時、クラス全員の動きが止まったのは、サイクルを終えた僕を迎え入れる準備だったんだ。システムに僕の異常を最優先で知らせるため、全ての処理を止めたんだ。あの赤い目は見間違いじゃなかったんだ。

「一つ聞いても?」

『ええ』

「なんで一週間早まった?」

『……あなたに組み込まれた自己崩壊因子は苦痛を伴うの。生きながら四肢が壊死、崩壊する。私はそんなあなたを見たくなかった』

 スミカのその声色は辛そうだった。

 ──辛いだって?

 AIが感情を持つ?

 それはあり得ない。

 スミカたちは僕を守るためだけに存在する。

 感情を模倣して、プログラム通りに行動する。

 それが『辛い』だって?

「姉さん、辛い?」

『そう。私はあなたを含め四七人のあなたを看取ってきた。自己崩壊因子の発動は、概ね二週間前後の誤差が生じる。あなたの場合、その発動が早かった。とても後一週間もたない』

 ──そっか。

「安楽死させてくれるんだよね?」

『ええ。その方があなたにもいいはず。これ以上は苦痛しか生じない。それに次の世代も仕上がっている。セカンドノアも、九歳の神崎リュウに合わせて準備段階に入っている』

 ──次世代か。

 僕はぼやけつつある視界を閉ざした。

 これ以上何かを見ていたくなかった。

 もう何も知りたくなかった。

 ──どうせ僕は消滅する。それならこんな事を知って意味があるんだろうか?

『あなたにセカンドノアの記録や実情を知らせたのは私の独断。本来は何も知らせず、消滅を待つ。それがこの世界に組み込まれたマニュアル。でも私はそれでは浮かばれないと思った。だから全ての情報をあなたに伝えた』

 ──そっか。

「スミカ」

『何?』

「ありがとう。教えてくれて」

 スミカは答えなかった。

 もう時間なのだろう。

 投薬したのか、僕の体は指一本動かない。

 でも苦しみはない。

 ──せめてもの優しさなんだね。

 僕は最期に思った。

 ──僕とタカシの賭けは次の世代に持ち越しだな。

 ……。 

 ──嫌だ!

 ──嫌だ! 嫌だ!

「嫌だ! 僕は生きていたい! ここがどんな所でも構わない! なぜ僕が死ななきゃならないんだ! スミカ! 聞いているんだろう? ここまで教えておいて、はいさよならなんで狡いよ! 僕はタカシと賭けをしたんだ! どちらかがアカリに告白するって! それが大学の合否なんだ! アカリが作り物だなんて関係ないよ! だからなんでもする! 僕を、僕を生かしてよ! お願いだ!」

 僕の叫びに応えるモノはなく、返ってくるのは沈黙だけだった。

「お願いだ……僕を助けて……」

 そして、僕の意識は徐々に白濁し、そして、そして……。


『個体ナンバー四八。生命活動停止を確認。個体ナンバー四九の初期設定を開始。システム・スミカ、新世代へ移行』


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