第二話 星界の日常
1
シェルターから戻った僕は、家の惨状を見てうんざりした。
先の戦闘で、固定していなかった小物やコップが部屋中に浮遊していたからだ。
──これ片付けてたら遅刻確実だよな。
その矢先に、玄関から来客を告げる電子音が鳴った。
「誰だよ、こんな時に……」
僕はとりあえず目の前で浮遊しているコップを壁に吸着させ、電動ドアを開けた。
「こら! リュウ!」
そこには僕の姉、スミカが柳眉が逆立てていた。どうやら怒っているらしい。
「や、やぁ姉さんおはよう。どうしたのさ、こんな朝から」
「何がおはようよ! やぁ、じゃないわよ! あんた、今朝の緊急警報の時、別区画のシェルターに行ったでしょう? バカじゃないの?」
──バカ?
朝からいきなりのけんか腰。
こっちは早朝から警報に叩き起こされ、シェルターに緊急避難し、それなりに心身共に疲弊し、さらに部屋の惨状を見てうんざりしていた。
それを頭ごなしにバカ呼ばわりされてはたまらない。
僕はインナスーツのまま、スミカへの抗議を開始した。
「バカはないだろ? あれは仕方なかったんだよ。僕達が入るはずのシェルターがもう満員で入れなかった。だから隣のシェルターまで移動したんだ」
「あんたね、その移動中に攻撃受けたらどうするつもりだったのよ!」
「それは分かるけどさ」
スミカの言いたい事は分かる。あの時のわずかな時間、僕は『ルール』を破り、自分とアカリとタカシの生命を危険に晒した。
「今朝のは、敵部隊の規模が小さかったから……偵察目的だとは思うけど、もし大部隊だったらと思うと……」
スミカは両手で顔を覆った。
──しまったな……。
こんなところをアカリやタカシに見られたら何と言われるか。
どうせ僕が一方的に悪者にされる。
「姉さん、ここじゃなんだから談話室に行こう」
僕はシェルターの前に設置してある談話スペースにスミカを促した。
スミカは小さく頷いた。
2
「だからさ、今朝の件は仕方なかったんだよ」
僕は、まだぐしぐし言ってるスミカを宥めるように言葉をかけた。
僕より二つ年上で小柄な姉は、このコロニー運営局の管制室でオペレータをしている。
そのため、コロニー運営に関するルールについては、とにかくうるさい。
今だってこんな朝も早くに制服を着用し、長い黒髪を後ろに束ねている。気密ヘルメット等、緊急用の装具着用の邪魔にならないようにするためだ。
「僕達が割り当てられていたシェルターはもう満員で通路にまで人が溢れていたんだ。あそこで待つより安全だと思ったんだよ」
「……でも規則は規則だし」
「そんなの守ってる人いないよ」
スミカは柳眉を逆立てた。
「そんな事言ったら本当に危険が迫ったとき誰も助からない。ここはそう言う場所なのよ? 分かってるの?」
もちろん僕だって、スミカの言いたい事は理解している。
緊急時、居住区は各施設のブロックに覆われ、その外郭に守られるとは言え万全ではない。先の戦闘行為のような小規模なものなら自衛隊が組織した防衛部隊で蹴散らすだろうが、自衛隊の戦闘能力を超えた大部隊、あるいは破壊力の高い兵器を投入されれば、その『安全性』は担保出来ない。
そうなれば、僕達の唯一の頼みの綱は『シェルター』しかない。
僕は通路の外壁に触れた。
金属の冷たさと、その数メートル先にある虚無の空間。
その先は何も縋るものがない死の世界だ。ここは逃げ場などどこにもない、棺桶のような世界だ。
「分かってるよ。僕達が生きているこの世界は、自分を守るには自分で行動するしかない。一瞬の判断が生死を隔てる。だからその判断ミスを犯さないために厳格な『ルール』がある」
「そこまで分かってて、何で……」
「厳格すぎる『ルール』は時として弊害を生むんだ。今朝のシェルターの混乱の件がいい例だよ」
「リュウ……」
スミカは現場を知っている。知っているからこそ、僕が言った事は理解しているはずだ。立場上それを認められないだけだ。
「だから僕はあの進路を選択したんだ。こんな危険の塊みたいな宇宙空間で毎日リスクを背負って生活する、その根本を変えたいと思って」
僕は高校卒業後、ある特殊な進路を選択しようとしていた。
今の時点で高卒が選択する進路は、兵役に就くか、工場で兵器開発に携わるか、大学に行って士官になるか。戦争絡みの選択肢しかない。
でも僕は選んだ進路は違う。
『地球帰還計画』──今の戦争の火種になっている計画だ。
この計画を基礎研究から積み上げている研究機関がある。
僕は、その研究機関を進路に定めている。
「この世界をより良くする研究をするために希望した進路だしね。もちろん、そこに行ければだけどね」
僕は努めて明るくそう言った。
「後一ヶ月もすれば結果が分かる。そうすれば」
「その進路も心配なのよ……」
スミカはとことん心配した。
その研究機関は、来たるべき『帰還の時』に向け、地球の汚染具合や自然環境の調査・研究をする。もちろん今人類が住処としている様々なコロニーの生存環境の改善も含まれる。
この『僕達が住む世界』にとって、意義のある研究だと思う。
だがスミカは、それを心配の種にしている。
理由は一点。
その研究機関は月面にあり、そこで研究をするには月面に滞在しなくてはならない。
「コロニーの生存環境の研究なら、わざわざ月に行かなくてもこのコロニーで出来るんじゃかないかと思うのよ」
「いや、姉さん。研究の規模や施設の充実度が段違いなんだよ」
元は国連の一組織だったらしいが、今では月面の採掘、資材運搬、素材の開発と技術的な側面が大きく、宇宙に暮らす者にとってなくてはならない組織になっていた。
スミカは僕がそこに行こうとしている事を、常日頃から反対していた。
──まぁ、滅多に会えなくなるからなぁ。
その研究機関は、選ばれた人だけが許される特殊な場所だ。
そしてそれを選ぶのは大学や国家や政府ではない。その月面基地の研究者たちが選ぶのだ──その人物が必要かどうかを。仲間として共に研究するに足るかどうかを。
つまり、学歴や資格、年齢や性別は選考段階の障害とならない。ただ情熱があればいい。
だがそこへ行くという事は、ある意味母国を捨てる事と同義だ。ましてや今は戦時中だ。自国の利益に直結しない研究を主とするその機関は、成果はともかくあまりいい評判を聞かない。
国家間の争いに荷担せず、人類の行く末をテーマとし研究を続ける。
そこにあるのはきっと『未来』だ。先の戦闘で体験した『現実』ではない。
「リュウは昔から地球にしか目を向けてないけど……今私たちが住んでいるのは地球じゃないのよ?」
そう。ここは母なる大地ではない。金属に鎧われた閉鎖空間だ。
「それは分かってるよ。でもさ、ここに留まるのも月面に行くのも、結局同じ宇宙空間なんだよ」
それは安全面でもそうだ。かつて人類が住んでいた母なる大地、地球に比べたら、コロニーや月面なんてのはてんで勝負にならない。
だがその大地は汚染され、もはや人類の居場所はない。
だから僕達人類は『宇宙』に追いやられた。
それは日本だけではなく、他の国も同様だ。今地球周回軌道上にいる人類全ては自らの手で母なる大地を傷つけ、その報いを受けている。
その上資源も人もいない虚無の空間で、何の得にもならない戦闘行為を続けている。一部の人間は得するかも知れないが、僕を含め大多数はきっと迷惑を被っていると感じているに違いない。
──人類はどこまでも愚かだ。
そんな状況下では、自分を守れるのは自分だけだ。
スミカがシェルターの件でうるさく言う理由は理解出来る。でも僕だって何も考えずに取った行動じゃない。
「あ、ここにいた!」
やけに弾んだ声がした。
談話室でスミカと話し込んでいる声が聞こえたのか、アカリとタカシが学校の制服姿でやってきた。
「何やってんだ? あ! スミカさん! おはようございます!」
コロニー運営局の制服姿のスミカを見て、タカシが泡を食って敬礼した。
──いやスミカは軍属じゃないから。敬礼とかおかしいって。
と目を離した隙に、アカリがスミカにすり寄っていた。
「スミカさん聞いて聞いて。今日、リュウが……」
「な、僕が何をしたってんだよ?」
「あんたに言ってない。私はスミカさんと話してんの!」
邪険にされた。もうどうでもいいやと思った。
「私はちゃんと自分たちが割り当てられたシェルターに行こうとしたの。でも満員で入れなかった。で、リュウはどうしたと思います?」
うう。
さっきの話が蒸し返される。
「今その話をしてたのよ」
「そうなんですか?」
アカリは、目を丸くした。
──なぜ驚く?
僕とスミカだよ? タイミング的にどんな話題だと思ったんだ?
「それでスミカさんはどう思います?」
──それを堅物の姉に聞いても、答えなんか分かりきってるって。
「リュウの判断は間違い。そこは『割り当てられた』のシェルターに移動するよう、溢れた人や勝手に入っている人を説得すべきだわ」
──ほら、やっぱり……。
半ば諦め顔で視線をアカリに向けると、アカリが勝ち誇った顔で僕を見ていた。
どうよ。私は正しかったじゃん。
アカリの目が雄弁にそう語っていた。
「でもさ」
僕は抵抗を試みる。一方的に『ルール』を順守する前提では、緊急時に臨機応変に対応出来ない。それでは生存率が下がってしまう。
という事で、僕は持論を展開した。
「その『説得』の不確実性が抜けているよ。有事において、人は目の前の『安心』を優先しようとする。今回のシェルター騒動がいい例だよ。移動まで一〇分かかる距離に自分に『割り当てられたシェルター』。その一〇分で敵に攻撃されたら? その『ルール』に縛れたために命を落とす可能性だってある」
「でも、それじゃ『ルール』はなんのためにあんのよ。守らなくちゃ『ルール』と言えない」
「その通りだよ。『ルール』は守られなければならない。でも、一分一秒が惜しい時、人はそんな事を気にする余裕はない。違うかな?」
アカリは押し黙った。
あの日あの時、敵の攻撃が居住区に届いていたら、自分たちや通路に溢れていた人たちは命を落としていたかも知れない。
僕は警報が鳴って、敵部隊がこのコロニーを有効射程距離に捉えるまで、約五分の余裕があると予想した。もちろん、早期警戒システムが欺かれていなければの話だが。
だから隣のシェルターへ移動した。急げば五分で到達出来る距離だったからだ。
でもそれは賭けだ。
そのシェルターも満員だったら、また次のシェルターへ異動しなくてはならない。
そのリスクをどう回避するか。もし『ルール』をどうこう言うのなら、それを守るための仕組みを議論すべきだ。
「いい機会だからね。ちょうど姉さんがいる。一つ提案が」
「……何よ」
スミカが警戒心丸出しで応じた。
「シェルターの空き状況をモニター出来ないかな」
「え?」
「シェルターが複数あって、居住区単位に割り当てられていることが問題なんだ。避難者はその時その状況で『ルール』に従って避難するけど、その『ルール』には人間が持つ冷静さが加味されていない。だから今朝みたいな混乱を招く。そう思わない?」
「リュウ、でもそれは……」
「まぁ聞いてよ」
僕は手の平でスミカを制した。
「シェルターの空き状況をモニター出来るなら、その混乱を最小限に留める事が出来る」
可能なはずだ。シェルターには運営局との直結回線がある。状況をお互い共有している。そのシステムにちょっと手を加えればいい。
「これ」
僕は腕につけたスマートデバイスを操作し、あるアプリを起動した。
「運営局の公式アプリ?」
スミカが訝しげな表情を作った。
「そう。これにシェルターの空き状況を表示させる。自分の現在位置もね。どちらもこのコロニー内なら取得可能な情報だし、別にこのアプリじゃなくても、居住ユニットの端末に実装させてもいい。どちらも必要な情報は既にあるし、そんなに手間はかからないと思うけど?」
その場にいた、スミカ、アカリ、タカシは押し黙った。
あれ? 僕はそんなに変な事を言ったかな?
「確かに今の『ルール』だと各自の判断での避難になるから、訓練はともかく、今朝みたいな実際の有事の際は混乱するのよね。実はこれ、運営局でも議題に上がる事があって、私も気になってた」
意外にも、スミカが僕の『提案』に賛同の意を示した。
「姉さんがそんな素直な反応するとは思わなかった」
僕は素直で率直な感想を述べた。
「私も賛成、かな。シェルターに避難する度におっさんとケンカするのも面倒だし。それがなくなるなら。うん。いいんじゃない?」
おお。アカリまでもが賛同している。
結構いい線いってるのかな?
「まぁ俺はどうでも。ついでに言えば、その情報をスマートデバイスや居住ユニットだけじゃなく、通路に立体表示してくれれば、もっと混乱は防げる。ま、これは予算次第かな? スミカさん?」
タカシはそう言って左腕の裾を捲り、腕時計型のスマートデバイスのアプリきを起動した。
タカシの現在位置が、ポンという電子音と共に四角い枠を伴い空間に投影された。
「このアプリと、コロニー運営局の公式アプリを組み合わせればいいんじゃないすか?」
「そうね。ちょっと先輩に掛け合ってみるわ。案外、上に通るかも」
上司と言わず先輩と言うところが、一介の新人オペレータである事を如実に表している。
まぁ、これは仕方がない。高卒でコロニー運営局に入っただけでもすごい事のなのだ。戦時中と言う事情もあるだろうけれども。
「? 何か言った?」
スミカが鋭く僕の心中のつぶやきに突っ込んだ。
「いえいえ、何も……」
僕はポーカーフェイスを貫いた。だがこの姉は、わずかな表情の変化で僕の考えを読み取る。高卒でコロニー運営局に入ったのは伊達ではないのだ。
「あー今、何か私の事バカにしてたでしょ?」
「してませんて」
「どうだか」
どうにも終わりそうもない論争が始まろうとしていた。
「あ、もうこんな時間!」
アカリが機転を利かせてくれた。
というか確かに時間がない。アカリとタカシは既に登校準備が済んでいるが、僕はまだインナーウェアのままだ。
「大急ぎで着替えないと。姉さん、この件」
「あー分かった、分かった。ちゃんと上に伝えるから」
話はここまでだった。
なんとかスミカの機嫌も回復(?)し、まずは一安心だ。
後は僕が遅刻するかどうか。それが問題だった。
「五分待つ。それ過ぎたら置いていく」
アカリが無情な台詞を吐いた。
──それって僕のせい?
何となく釈然としない僕だった。
3
教室に入るなり、アカリが僕の背中を叩いた。
「間に合って良かったじゃん!」
五分間をフルに使って身支度を整えた僕は、アカリとタカシ共々、ギリギリ遅刻は免れた。
それはいい。
問題は今日のお昼弁当がない事だ。さすがにそこまで手が回らなかった。
「購買でパン買うにしても、激戦だからなー。まぁ頑張れ。応援はする」
タカシの台詞も無情だった。
どうにも今日はそんな日らしい。
そこで予鈴が鳴った。
僕は大きくため息をついた。
──まぁ遅刻しなかっただけでも由とするか。
ところが。
五分過ぎ、一〇分が過ぎた。それでも担任の香川先生が現れない。
それどころか、隣のクラスから喧噪のような声が聞こえてきた。
「何かあったのかな?」
隣に座るアカリは、不安げに僕に向き直った。
「さぁ……なんだろうね」
ここに座っている限り、何があったのかを知る術はい。
僕は席を立ち、教室を出ようとした。
何があったのか知るためと、あわよくば購買でパンを買おうと思ったからだ。
ところが。
「全員、席に戻れ!」
良く通る声がした。担任の香川先生だ。
その声に応じ、廊下に出て騒いでいた生徒が自分の教室に戻り始めた。これでは購買に行けないし、何があったのか結局分からずじまいだ。
──いや。
僕は何となく、香川先生のちょっと緊迫した表情から最悪の事態を察した。
──もしかして……。
「神崎! 早く席に戻れ!」
香川先生は小柄なのだが声がでかい。しかも僕より頭一つ小さいくらいだ。
女性にして体育教師でもある香川先生は柔道を嗜み、『指導』と称して道場で生徒をぶん投げる。
そんな香川先生は常に冷静で、常に自然体だ。
だが今は違う。
だから僕はこう言った。
「香川先生。それはクラスメイトですか?」
香川先生は僕を睨み付けた。
気合いだけで僕を投げ飛ばしそうな、圧倒的な雰囲気を纏っていた。
それで僕は確信した。
今朝の攻撃。一回だけ重い音が響いた。『そこ』にいたんだ。
「……神崎。いいから席に戻れ。説明はそれからだ」
「分かりました」
僕は空席が目立つ教室を見回しつつ自席に着いた。
そのほとんどは今朝の襲撃の影響による遅刻だ。だがそうではない者もいる。
「……ね、何だったの?」
すかさずアカリがひそひそ声で僕を問い質した。
「今、香川先生から説明される。いいかい? 取り乱しちゃだめだ。落ち着いて聞くんだ」
「え? それはどう言う事?」
僕はその問いに答えず、緊張感と焦燥感をない交ぜにしたような表情をした香川先生を見た。
視線が合ったが、香川先生が先に目を逸らした。
「悲しい知らせがある」
ざわっと、教室の中をある感情が支配した。
それは沈黙ではない。
談笑でもない。
不安だ。
不安と言う感情が、香川先生の一言で教室を一瞬で支配したのだ。
「今朝の敵部隊の攻撃の影響で、コロニー内の交通機関に一部遅れが出ている。今ここにいない者のほとんどはその影響だ。だが」
香川先生はここで言葉を切った。
「……だが、須藤は違う。皆、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
先生は、厳粛な面持ちで教室を見回した。
教室がしん、と静まりかえった。全員が気づいた瞬間だ。
「須藤が避難したシェルターな、敵部隊の直撃を受けた」
香川先生は、それだけ言うと目を伏せた。
徐々に浸透する事実。
嗚咽が聞こえてくる。
疑問が聞こえてくる。
なぜあいつが、と悲しみが呟かれる。
僕は目を伏せ、そして窓から見える漆黒の宇宙を見た。
──どれだけの人間がここにいるのか。
虚無の空間に散った、僕のクラスメイトやその他の人々。
だが僕に見えるのはただの虚空だ。その姿を捉える事は出来ない。
「リュウ」
掛けられた声に振り向くと、涙を流したアカリがいた。
「私、私、須藤君に数学のノート貸したままなの」
アカリはそう言うと、泣きながら笑った。
「困るよね? これじゃ私が困る」
「そうだね。数学の授業の時困るよね」
「うん……」
アカリが机の下から手を伸ばしてきた。
そして僕の手にそっと重ねる。
その手は震えていた。
「いつ私たちの番になるのか分からない。今日だってもしかしたら」
「大丈夫だよ。アカリは僕が守る。タカシだっている。心配ないよ」
僕は優しくアカリの震える手をきつく握りしめた。
4
その日は休校になった。
レーダーから敵部隊の影が消えないらしい。
『今日は連中しつこいのよ。だから運営局を通じて緊急措置を発動したわ』
スミカはそんな連絡をよこした。
「姉さんはどうすんのさ」
『私はこのまま監視業務。警戒が解除されるまでは交替制で警戒にあたる。どれだけの期間になるか分からないから、リュウは適当にご飯食べてて。あ、それと寝坊はしないように』
一言余計だ。
でもスミカらしいと思った。
「分かったよ姉さん。家は僕に任せて仕事に集中して」
『ああ……それと、須藤君。大変だったでしょう?』
「うん……まぁ、いざ目の当たりにするとショックが大きいよ。アカリが相当堪えてた」
『リュウは大丈夫?』
「僕は大丈夫。でも、シェルターでも防げないんだと思ったら、もう安全な場所なんてないよね」
僕は率直な意見のつもりだった。
『……ここだけの話にして欲しいんだけど』
スミカが通話口の先で小声になった。
「え?」
『須藤君が避難するはずだったシェルターね、満員で須藤君が入れなかった。そこに敵の攻撃、というかこちらの迎撃システムに打ち抜かれて制御不能になった敵機体が突っ込んできた。不幸な事故だったの』
──何だって?
『それでシェルターの運用について、その脆弱性が明らかになって。緊急会議の末、今朝リュウが言ってた、シェルターをモニタして空き状況を把握する案が採択されたわ』
「マスコミは?」
状況は目撃者がいたかどうか。もしくは生存者か。
『マスコミは本当の原因には気づいてないわ。目撃者がいなかったから……』
──全員、死亡したのか。
「ならなぜ『本当の事故原因』の事が運営局で把握できたんだよ」
『運営局には各シェルター状況をモニタするシステムがあるの知ってるでしょう? それと運営局の事故調査委員との照合で明らかになったの』
なんて事だ。
僕は今朝の光景を思い出していた。
シェルターに入りきれず、通路に溢れた人たち。
あのシェルターだけではなく、他のシェルターでも同じ事が起きていたんだ。
一つ間違えば、僕達がそうなっていたかも知れない。
僕は須藤に心の中で謝った。
僕がもっと早くこの問題に気づいていれば、防げた事故だった。
──僕のせいだ。
いや。
それはきっと違う。
でも、そう思わなければならないほど事態は逼迫していた。
──この壁の向こうは、死の世界なんだ。
僕は自室と宇宙とを隔てる壁に手を押し当てた。
ひんやりとした冷たい感触。
そして小さな窓から見える、青い星。
──あそこに人類が戻る事が出来たなら。
もう人は死ななくて済むのだろうか?
それとも、新たな火種を見つけて諍い合うだろうか?
──可能性は五分五分か。もっと悪いか。
でも、それに賭けてみたい。
人が死に、戦争は続く。
いつか人類は気づくだろう。
隣人を殺める事の無意味さを。
そして『地球への帰還』がその先にある事を。