その後と裏側の話
数日後、正式に我が国が隣国の一部となることが国中に知らされた。
とはいえ大部分の国民にとってはいままで頂点としていたところのさらに上が出来ただけのことで、暮らしに影響が出るような大きな改革が行われなかったために特に混乱が生じたりはしなかった。
法律や細々した物事の共有化は一気に推し進められるものでもなく、これから徐々に浸透していくのだろう。
多くの国民は落ち着いたままこの国の終わりを迎えた。
これだけを聞くと国民が国に対してやけに冷めているようにも見えるが実はそうでもない。
国王夫妻は病院や孤児院、修道院といったところに対して手厚い援助を行ってきた慈善家でもあった。
人は皆等しく子供時代があり時に病み、そしていずれ老いて死ぬ。その時々をわずかであっても希望を持って過ごしたいものだ。
国の運営はもちろんだが、その時を援ける場にこそ手を差し伸べていきたいのだと在りし日の国王は語っていたのを覚えている。
実際にそれを叶えるだけの国庫の潤いを特産の宝石はもたらしていた。
そういう事情もあって国王夫妻は国民に広く快く迎えられていたのだが、今回の件でその処遇は王位を返上したのち修道院に入ることに決まった。
今後すべての生涯をそこで奉仕をして過ごすと夫妻自身が申し出られ、そしてそれは認められた。
それを聞きつけた少なくない数の国民がそれに殉じようとして修道院に駆け付けたというのだから、やはり愛されていたのだろうと思う。
国王自らが己の職務を全うするよう彼らを説得するという一幕を経て騒ぎは終息した。
さて、改めて三日月の国の一地方となったこの領地にも領主は必要であった。
なにしろ三日月の国は大きいのだ。中央が端々まで管理するには限界がある。
いくつかの領地に分けてそれぞれの領主に管理させ、さらにその領主を管理する体制にこちらも組み込まれることになった。
新たに出来た金庫の番に指名されたのは我がエイスワーズ公爵家。
もともとあった貴族の家々のいくつかは沈み、残った家も格が下がったり上がったりと色々あったのだが、その中でも我が公爵家が変わらず存在を隔しているのには理由がある。
ひとつは王家に次ぐ地位を得ていたこと。
もうひとつは結果として国王夫妻は修道院へ籠り王太子は幽閉と、王家は潰えたが、しかしその血は公爵家の中にも残っていること。
過去には数代前と言わず、幾度か王家と当家との間に婚姻は成されてきた。
その一族をなんの枷も付けずに置いておくわけにはいかず、かといって強引に抑え込むほどの何かを犯したわけでもなく。
それならばついでに現当主の外交手腕(宝石を輸出商品として流通させることに尽力したのも、属国として王家を残すというカードをテーブルに乗せたのも当主を筆頭にした外交員チームであった)を買い、領主として据えることで首輪をつけて飼い慣らそうというわけだ。
元自国なのだから事情に精通していることも大きい。
そして私はといえば、家を確実に抑えるための人質として三日月の国の王宮にいた。
肩書きは第三王子の婚約者、だ。
「まァそんなに構えることはないさ。第三王子なんてただの飾りだ。表の面倒事に引っ張り出されることは滅多にないし、野心さえ見せなければ周りも放っていてくれる。婚約者も然り」
「なんて、」
「適当な?適当であることを求められてンだからいいんだよ。次の王は一番上の兄上だ。万が一があっても二番目の兄上がいる。三番目にまで回ってくることはない。だからその妃も正妃ほどのものを求められることはないし、それに応えるためにガチガチになる必要もない」
「……」
「なんだったらお前は人質だからなァオレに心を開かず仮面夫婦になったって誰も何も言わないさ」
人質という立場が、第三王子の婚約者という肩書が、私の存在を護ってくれる。
なんて皮肉、とは思わない。わかっていてこの男の手を取った。
かつて国に求められた私と、国に求められることのない男。
出会いこそ偶然ではあったけれど、私はこの男を知っていた。
結果がこうやって落ちつくこともわかっていた。
ただ本来ここにいるのは私ではなく、彼女であるはずだった。
彼女をあそこへ追いやったことに後悔はない。私がこれまでの戦いに勝利した、それだけのことなのだ。
立場は違えども条件は同じ。あとは手持ちのカードをいかにうまく切るかどうかの差だ。
相手の正体をいち早く見破れたのも大きかったのかもしれない。
彼女と私が共通して持つもの、それはこの世界についての記憶、だ。
より正確に言うならば、この世界を舞台にした恋愛シュミレーションゲームをプレイした前世ともいうべき記憶を持っていること。
主人公であるアンリエッタと、恋愛対象であるサイモンを攻略する際の恋敵・悪役令嬢ヴェルニーナ。
彼らが繰り広げるはらはらドキドキの学園ラブストーリー。
アンリエッタはその記憶通りにサイモンを攻略しようとしていた。
対して私は、悪役令嬢という登場人物でありながらそうと言われるようなことは一切しなかった。
そのために顔を合わせる度に彼女は怪訝な顔をし、やがて行動を起こさない私に対して痺れを切らして自ら悪役に仕立てるべく画策し始めた。
そうする過程で彼女もまた記憶持ちなのだと理解したが、逆に私も同じ記憶を持っているとは思いもしなかったようだ。
もしも彼女が私の”知っているアンリエッタ”であったなら、他にもっとやりようがあったのかもしれない。
あの時の言葉通り、婚約者の座を譲ることだって。
残念ながら彼女は私の知らないアンリエッタであり、私の破滅を願う敵だった。
私を予定通り悪役に仕立て上げようと画策する彼女とそれを回避する私。
彼女はあくまでシナリオ通りにこだわった。
おかげでイベントのタイミングはわかっているのだから、それを失敗に持ち込むことなんて容易い。
彼女がサイモンと二人きりで会う秘密の場所を知っていた。
彼女がサイモンの心をその手に転がり落とす、魔法の呪文を知っていた。
二人の絆が深まるアクシデントの存在を知っていた。
サイモンの、心の闇を知っていた。
知っていて私はただ見守った。
そしてあの日、婚約破棄が宣言されることも私は知っていた。
物語のクライマックス。
主人公につらく当たる悪役令嬢の罪が暴かれ破滅を言い渡される。
悪役令嬢の退場。
晴れて邪魔する者のいなくなった二人の恋は、周囲に祝福されて実を結ぶのだ。
王宮の一室で仲睦まじく語らう二人の絵。
暗転。
画面に浮かび上がる『どうぞ素敵な夢を』の文字。
彼女が夢見ていた結末はこうであったに違いない。
物語の中のヴェルニーナは確かに賢く完ぺきな淑女だった。
反面束縛が激しく苛烈で、恋敵を陥れるためなら罪を犯すことにためらいのない人物だった。
そのために物語の最後では生涯幽閉などという結末を迎えてしまうのだ。
しかし実際はいくら画策しようとも私はそれら悪だくみをすべて退けてきたし、自分から罪に手を染めるなんていうことはなかった。
おかげであの時彼女が振りかざした私の罪(と言えるのかも微妙だけれど)は決定打に乏しく、あとはもうただ感情に任せて主張を繰り返すしかなかったのだろう。
悪役令嬢が犯すはずだった罪は、シナリオ通りにこだわった彼女の罪の証として私の手の中にある。
あの場で暴かなかったのは私の中にまだ少し生きていたサイモンへの想いだ。
いずれ二人きりの塔の中で真実を知る時が来るのかもしれないが、それはもう私には手の出しようがない。
結果として彼女の望む悪役令嬢の断罪は失敗し、二人の恋の成就は成らなかった。
『どうぞ素敵な夢を』は物語を終えた際の〆に表示されるメッセージである。
“夢(物語)のその先はあなたの中で"というような意味が込められているらしいのだが、果たして彼女は私が込めたメッセージを正しく受け取ってくれただろうか。
さて、彼女が予想し得なかったであろうことが一つ。
ロバート王子の存在である。
彼はゲームにおいては隠しキャラであった。
存在自体はどうやら知っている様子だったので、彼女にも攻略した記憶はあるのかもしれない。
ただ彼が彼女の前ではゲームの中での様な態度を一切取らなかったので、気づくことはなかったようだが。
このゲームにおけるいわゆるメインヒーローに位置するのが王太子サイモンだ。
そして彼のサブストーリまで含めてすべてをコンプリートするとその後のストーリーが解放される。
めでたく婚約を果たした二人が平穏な日々を送っている学園に、隣国から留学生がやってくる。
彼は何かと主人公にちょっかいをかけてくるのだが、ある時主人公は彼の淋しい心に触れ……。
しかし彼の正体は隣国のスパイであることがわかり!?
国がなくなるかもしれないなんてそんな……私はどうしたらいいの……?
主人公は果たして真実の愛を貫くのか、それとも危ない恋に身を委ねてしまうのか?
というようなだいたいそんな感じのストーリーなのだが。
お察しの通り隣国からの留学生兼スパイの正体はロバート王子である。
主人公が真実の愛を貫いたなら属国の一つとなりながらも王家は残り、逆に危険な恋に身を委ねたなら隣国の一部となり国としては滅ぶことになる。
真実の愛を選ぶか危険な恋を選ぶのかで国の行く末が左右されるわけだ。
ここまでくればおわかりかと思うが、何故かメインのストーリーとその後のストーリーがこの一年で同時に進行していた。
時間軸が狂った理由はわからないが、私や彼女がこの世界に存在している以上そういうこともあるのだろう。と思うことにしている。
しかも国の行く末を決定する選択権はどういうわけか私の手にあった。
気付いた時には当然ながら悩んだ。
その頃にはもうサイモンは彼女に夢中で、私のことなんて気にもかけていなかった。
周りの声に耳をかさず、通っていた宰相室からも兵の鍛錬場からも足が遠のき。
そういう情報ばかりが私に届く。
届けてくるのはロバート王子だ。
「もういいんじゃないか」
と、彼が言う。
何度も会いに行った。その度に追い返された。
会えないならと手紙を書いた。返事は来ない。
「まだがんばるのか?」
「なんのために?」
「誰のために?」
誰のために。
国に、陛下にお妃さまに求められたから、期待に応えられるよう努力してきた。
それは苦ではない。出来ることが一つ増える度、私が私に自信を持てたから。
たいそうな理由なんてなかった。
最初はただサイモンがすごいと喜んでくれたから。それだけだった、はず。
彼女が私の知るアンリエッタだったらよかった。
あの子は努力家でみんなに優しくて誰かのために怒れる人で、失敗なんて笑い飛ばして奮起させるために自分が嫌われても相手を叱り飛ばせるような人だった。
けれど彼女は違った。
ぐずぐずに甘やかして楽な方へ一緒に流れて行ってしまう。
まるで真綿でじわじわと……自分の呼吸まで細くなっていくことにも気付かずに。
はじめは確かに恋だった。とても幼いものではあったけれど。
やがて家族に対するもののようにそれは変化していって、ただサイモンが幸せならそれでもいいかなと思うようになった。
「それはきっと恋から愛に形が変わっただけだ。気持ちがなくなったわけじゃない」
彼が言う。
近頃のサイモンは学校ですら私を避ける。冷めた目で見る。
彼女に楽しそうに話しかけるその唇は、私の名前を呼ぶことはない。
あからさまな態度を周りがどう見ているかなんて気付きもしない。
私が頑張ることに見返りが欲しかったわけじゃない。
嘘。
一緒にがんばる人がいたから頑張れた。
一緒に喜んでくれる人がいたから苦しくなかった。
「もういいんじゃないか」
と、彼が言う、
愛は愛情を注がれなければ枯れることもあるのだ。
だけどまだ少し残っているいまのうちにこの戦いを終わらせよう。
私は彼の手を取った。