幕引き
終幕への一歩を、まず私から。
「殿下」
「ん、あぁなんだ」
ぎゅっと彼女の手を握りながらうるさそうにこちらに向き直る。
「殿下の周りにロブ様にはお気を付けになるようにとおっしゃる方はおられませんでしたか」
「うん?いたがそれがどうした。なぁニーナ。こいつがこの国の民ではないからといって、差別をするのはよくないぞ?」
至極真面目な顔をして諭そうとしてくるが、誰もそんなことを言った覚えはない。
どうしてやたらと私を差別主義者に仕立て上げようとするのか。
「それは殿下のお考えですか」
「アンに相談したのだ。貴族が庶民を差別するように、国を違える者に対してもまた態度を隔するものだと。だがこの国を代表する者として、いずれ民を導く者としてそれではいけないと思っている。だから俺はロブにも学友として他の者たちと変わりなく接してきたつもりだ」
「何故わたくしに相談してくださらなかったのです」
「お前も言っていたじゃないか。ロブには近づかない方がいいと」
「サイモン様はそれを聞いてとても傷ついていらっしゃったわ。まさかあなたまでもがそんな些細なことで人を差別するような人間だったなんてって。私がそれをお慰めして差し上げたのよ」
「理由をお尋ねくださればきちんと説明いたしましたのに」
そうすれば少しは、結末も違っていたかもしれないのに。
「理由なんてどうせ綺麗事を並べ立てるだけのことでしょう?そんなもの聞く必要なんて」
「アンリエッタ・スピークス」
「な、なによ」
「少し口を閉じてはいただけませんか。先程あなたは殿下の妃になる覚悟があるとおっしゃいました。ならば少しは学習なさい。あなたの発言は許されていません」
「だって、私は!」
「万が一この先わたくしに替わって殿下の隣りにあなたが立つのだとしても、いまはただのアンリエッタ・スピークスです。公爵家令嬢たるわたくしと対等になれるなどと思い上がらないでくださいませ」
「ニーナ!」
「彼女は覚悟があると言ったのです。ならば言葉だけでなくそれを態度で示していただなくては。何度尋ねても家名すら答えられないままではいられないのですよ。それに殿下、あなたもです」
「何……?」
「殿下は今我が国がどのような情勢の中にいるのか、わかっていらっしゃいますか」
「それがいまなんの関係がある」
悔しそうにこちらを睨む彼女を腕にぶら下げたまま、怪訝そうな顔で殿下は私を見る。
たった一年前。その時には思考を丸投げして答えが目の前の皿に盛られるのを待つような、そんな人ではなかったはずなのに。
隣りの彼はもはや溜息を吐くこともなく、種明かしの時を待っている。
「我が国は今、属国の一つとして降るか一地方の領地として吸収されるかの選択を迫られています。隣国に」
ひと口に隣国とはいっても国土は我が国のゆうに五倍以上にして、その国土は小さな円を三日月が覆うかのように存在している。
三日月の口が空いている方は山になっていて、その山からは我が国の特産である上質な宝石が採掘される。
直接的に接している隣国といえばこの三日月の国の他になく、その三日月の国に囲まれていたことで他国からの侵略というものには縁がない。
そのためにこの国の軍事力はたいしたものがないのだが、隣国がいままでこの国を特にどうこうすることがなかったのは単にかの国の逆隣りに敵がいたからに他ならない。
これまで弱小国家はただ放っておかれていた。
それが晴れて向こう側の情勢が落ち着き、ではこちら側を片付けようかとなった。
三日月の国はある意味で金の泉をその国土によって抱え込んでいる。
そうそうに他国に奪われる心配もなければ、反逆される心配も多くはない。
かの国としてはわざわざ力でねじ伏せる必要もなく、国同士の話し合いで穏便に済ませてしまおうということらしかった。
そして勅使によってもたらされたのは、
『一地方の領地として三日月の国の国庫となれ』
という主旨の穏便とは言い難いものだった。
そこから国王と優秀な外交官たちとが交渉に交渉を重ねることでなんとか、
『属国の一つとして降りつつ王家は残す』
という選択肢をテーブルに乗せることに成功した。
それもこれもいつでも潰せる弱小国相手だからという強者の寛容さによるところが大きいのだが。
(献上品や関税の融通といった細々とした条件も同時に挙げられているが、この場は省略する)
さて、選択肢を増やせたのはいいがかの国は『どちらでもかまわない』というとてもゆるい状態。
かといってこちらには選ぶ権利すらない。
じりじりとした空気と時間が過ぎていく中、ひとつの提案がなされた。
“どちらを選んだとしても今は場を整えるのみ。両国の関係もメインは次代となりましょう。であれば、王太子殿下を一年ほどかけて見極めさせていただき、その血を残すに値するのかを決するというのはいかがですかな?”
つまり、
「あなたは試されていたのですよ、この一年間」
「なん……だと……?」
「ある程度の情報はそれなりの家の者であれば知っているはずです。おそらくここにいる幾人かの方々も。国の存亡にかかわる重要な機密ではありますが、その重要性ゆえに一部にとって隠しきれるものではありません。ましてやあなたは王太子。方法はどうあれ知らされないはずがない。誰かが……いいえ。殿下がきちんと向き合ってくださったなら、わたくしからお伝え申し上げることが出来たのに」
そんな……だって、まだ……。
ぶつぶつと彼女が呟くのが聞こえる。
殿下は……。
「父上も母上も……何も……」
「両陛下は見極めの条件の一つとして、この件に関してご自分からの一切の関与を認められておられません。ですが、あなたには何らかの形で報告がなされていたはずなのです。諌める方がいらっしゃったはずなのです」
「だが、事実俺はそれを知らなかった……!」
「知ろうとなさらなかったのでしょう?彼女と出会ってからのあなたは、他の誰の言葉も聞こうとなさらない。わたくしの送った書状も開封すらされていないのでしょう。あなたの耳が拾うのは、ただ彼女の言葉だけ」
そっと目を伏せた瞬間、パァンと乾いた音がして頬が熱くなる。
叩かれたのだと認識したのは、間近で手を抑える彼女を視界に入れてからのことだった。
とうとう殿下の腕人形はやめたらしい。
「勝手なこと言わないでよ!あなたに何がわかるの!サイモン様はね、苦しいって言ってたわ。あなたのそばにいると息苦しくてたまらないって。でも私の隣りでは息が楽にできるって。サイモン様を苦しめるあなたがわかったようなこと言わないで!」
「アン……!いいんだ俺が、俺が悪いんだ……っ」
メロドラマ再び。
変に言葉を省略するなと言っているのに本当に懲りない。
そこは"ニーナは何もかもが完璧すぎて、比べて自分が情けなくて……。そばにいると息苦しくてたまらない”だったはずだ。
叩かれた拍子に落ちた扇を拾いながらついでにまたため息。
まったく私の幸せはいくつ逃げて行くのだろう。
彼女が出てくるたびに話が脱線して頭が痛い。
「お返ししなくていいのか?」
「これ以上悲劇のヒロインになりきられても困ります」
「悲劇なァ。喜劇の間違いじゃないか?」
隣りの彼はくっと口元を歪めて手を取り合う二人を見やる。
もうひとつ、面倒で黙っていたことがある。
「なァおまえら、知ってるか。婚約者のある身でありながらそれ以外の異性と通じること、そうと知りながらそれを受け入れること。これを不貞行為というわけだがァ」
きょと、と二人の目がこちらに向く。
まさか。まさか知らないということはあるまい。
「我が国でそれを行うことは重罪だ。特に王族はな」
この国においても浮気は罪だ。ただし所得に応じた罰金と、浮気をした、という記録が残る程度の。
国王に関しては正妃と同時に側妃を迎える場合もあるので例外だが、王太子はこの限りではない。
罰金は免除されるが記録は残る。大変情けない話である。
これが結婚していたとなるとまた罪状が変わるのだが省略する。
「そ、そんな不貞行為だなんて私たちは!」
「俺たちは!俺とアンはただ愛し合っているだけなんだ!それの何が悪い!」
全部悪いです。
決定的な言葉はさんざん遮ってきたつもりだが、ここまでくればもう面倒くさくてたまらない。
「愛し合うのは結構だが、それはいまある婚約を解消してからの話だろう」
「だからこうして婚約解消の宣言を!」
「宣言だけでは意味がない。それ以前にこの一年お前らが犯してきた罪に変わりはない」
「書類など後でどうとでも……っ」
「改竄でもしてさらに罪を重ねる気かァ?」
「気持ちはもう決まってるんだから宣言をした時点で無効よ!」
「言ったはずだ、これは国の求めに応じて定められた婚約だと。個人の感情の入り込む余地はない」
「だいたいお前の国では重罪というが、ここはお前の国ではなく俺の国だ。その法で俺は裁けない!」
「残念だったな。近いうちに我が国となるンだよ。つまり我が国の法によって裁くことができる。お前らは撤回する気がないようだしなァ」
「なっ何を言っている!?」
「嘘よ!そんなはずは……っ」
いままでの話は右から左にでも流していたのだろうか。
ヒントはいくらでもあったというのに。
「殿下……いい加減不思議には思いませんか。不遜な態度のロブ様を誰もお咎めにならない」
「それは俺が黙らせたから……」
「いいえ。よその国の貴族に自国の王太子が侮られて黙っている程我々は憶病者ではありません」
「では何故……」
「わかりませんか。我が国と隣国の現状において、この時期に留学生を受け入れるなど不自然極まりないのです。しかしこうしてロブ様はいらっしゃる。気をつけろと忠告なされた方々はこの方が何者なのか気付いていたはずです」
「だったらそうとはっきり」
「殿下の資質を見極めてらっしゃったのは隣国の方々だけではありません」
「……え?」
「この一年にかかっていたのはこの国の存亡、国に生きる民たちの命運。誰もが他人事ではないのです。
見極めの時はもう終わったのですわ殿下」