茶番
「ところで殿下。わたくしはいつまでお二人を見上げていればよろしいのでしょう?いい加減首が疲れてまいりましたわ」
「うん?なんだ、いつもならすぐにでも上がってくるだろう」
「許しもなく呼ばれもしないのに、王太子殿下の隣りに侍るわけにはまいりませんもの」
「どういう意味だ」
「はじめに殿下がそのように計らったではありませんか。皆が平等である学び舎においてわたくしたちよりも上位の方である教師をあのように黙らせたのです。今この場は生徒ではなく王太子殿下としてあらせられるのでしょう。婚約者である前に一貴族の子女として弁えるのは当然のことかと」
「言ったはずだぞ、お前との婚約は」
聞いておいて気にするのはそこなのか。
内心呆れながら舞台へ上がる。
どうでもいいがこれは一体何の茶番なのだろう?
聴衆も飽きてきているのではないだろうか。
いましばらく付き合っていただく他ないのだけれど。
ひとまず間違いは一つずつ正していかなければならない。
「まだです」
「なんだと」
「まだ解消されてはおりません。婚約した時のことをお忘れですか。それから婚約というものの法的な効力のことを。国王王妃両陛下のお許しがなければ王族は婚約も、その解消も出来ません。ゆえに」
「書類上がどうだって、もうあなたとの婚約がなかったことにされるのは時間の問題じゃない!いい加減諦めなさいよ!」
「殿下、わかっておいでですか」
「何のことだ」
「解消はもちろん、新たな婚約を結ぶにも両陛下のお許しを得る必要があるのですよ」
「それがどうした。お前への気持ちがなくなったことを伝えれば父上も母上もきっとお認めになってくださるはずだ。今の俺の心のありかを訴えたならそれもな」
「サイモン様……!」
頬を染めて見つめ合う二人にまたため息が出そうになる。
駄目だわかってない。
「大変申し上げにくいのですが、いまのままですとまず解消は認められないかと思われます」
「どういうことだ。いくらお前が俺を愛していようと、もはや俺を引き留めることは出来ないぞ」
「ニーナさんには申し訳ないけれど、私たちはあい「そういうことではありません」ちょっと!」
「今現在わたくし以外に釣り合いのとれる者はおりません」
「何を言っている。アンがいるじゃないか」
「彼女は貴族ではありません。というのは、いずれかの家の養子にでもしてしまえば解決してしまうのでしょうね」
「なんだったらお前の妹にでもしてしまえばいいのではないか。家格に問題はないだろう」
「まぁ私が公爵家にですか!?」
素敵!と騒ぐ甘ったれた声をよそにざわりと観衆が沸く。
目の前の二人には見えていないのだろうか。聞こえていないのだろうか。
扇があってよかった。引きつった表情を隠すことが出来る。
人目があってよかった。多くの証人を得ることが出来る。
一人じゃなくてよかった。
「王太子殿下ァ。さすがにそれは無理な話じゃないですかねェ」
無様に激昂せずに立っていることが出来る。
「なんだ、ロブ。何が言いたい」
「王様と結婚するにあたって、そりゃァ家格には問題ねェでしょうけど。そもそもヴェルニーナ様が生粋の公爵令嬢ですからねェ」
ロブ・デュランド。
新たに現れた男はずかずかと壇上を進み、私の隣りにだらりと立つ。
私と殿下の一つ上で隣国からの留学生であるところの彼は、商業を主な生業とした一応貴族の出身である。
この国の優秀な経済事情を勉強しにやって来たとのことだ。
斜に構えたその様子もやや間延びしたしゃべり方も常態がこれであるせいか、殿下も特に気にした様子はない。
傍から見れば無礼極まりないが。
「ニーナがアンに変わるだけの話だろう。公爵家自体は弟がいるしな。ニーナの行く末が心配なら、俺が責任を持って紹介してやってもいいぞ。どうやらアンへの嫌がらせは誤解だったようだが、婚約を解消することに変わりはないからな」
どこまで、どこまでこの人は。
「何をおっしゃいますか殿下ァ。問題はヴェルニーナ様じゃなくて彼女ですよ。彼女が公爵家に入ってなんの得があるっていうンです?」
「王家との繋がりが出来る」
「やだなァ公爵家は元々王家に次ぐ地位にある大貴族じゃないですかァ。それも数代前には国王の妹君を奥さんに迎え入れてらっしゃいましたねェ。少なくともいまこの国ではこれ以上ないほど王家に近いお家ですよォ」
「それは……」
「で、でも!私と殿下との間にはあ「それにですねェ。それだったらそもそも婚約者を替える必要もないし、むしろヴェルニーナ様の方が公爵家の直系ですし、王妃様教育もばっちりだしィ。迎え入れる王家としても安心ですよねェ」
ますます彼女を迎え入れるメリットがありませんねェ。
糸のように細められたその奥で見た目の表情ほど笑っていない目が、喜びから一転うまく言葉の出ない二人を眺めている。
私から言わせてもらうならば殿下は順番を間違えたのだ。
彼女を妻として迎え入れようというのならばまず、彼女をそれにふさわしい淑女に仕立て上げなければならなかった。
それが婚約者候補として立てる最低条件だ。
そして私が持つ好条件以上のものを提示できてこそ両陛下の説得の場への入場が許されるだろう。
私への婚約破棄を宣言するその前に。
「では、こうしよう。ニーナをロブ、お前にやる」
「……は?」
「……ァ?」
「お前も確か隣国の結構上の方の貴族の子だったろう。ニーナとお前が結婚することによって我が国とお前の国により強固な繋がりが出来る!」
「さすがサイモン様です!ニーナさんのお嫁に行く先も決まって万々歳です!」
「……ちなみに、繋がりが出来る以外にはないんすか……」
「エイスワーズは外交面に強い。諸外国との外交交渉の多くを現当主が担っている。娘が嫁いだ先の家を悪いようにはしないだろう。商業を主に据えるお前の家にとって損はないはずだぞ」
どうだ!とばかりに笑いかけてくる目の前の人が、ほんの二、三歩先にいるその人が、見も知らぬ他人に見えて仕方がない。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、まさかここまで突き抜けているとは思わなかった。
王家の血をも入った家の娘を、書類上とはいえいまだ自分の婚約者であるはずの女を、6歳で婚約してから10年の間一番近くで過ごしてきたはずの人間を。
隣国の、しかも王族大貴族ならまだしも結構上の方程度の家の男に下げ渡そうというのか。
彼女を迎え入れたいがためだけに、邪魔な私を余所に出してしまおうと……?
これ以上はないと思っていた。思っていたのに。
まったく、
「お前はいったいどれだけこの子を馬鹿にすれば気が済むんだ?」
「馬鹿になどしていない。なんだ嬉しくはないのか?お前が以前からニーナの周りをうろついていたのは知っているぞ」
「きゃー!ロブさんったらもしかしてニーナさんに片おも「オレじゃない、この子の話だ。これが馬鹿にしていないというならなんなんだ。自分じゃよく知りもしない、調べもしていない隣国のそこらの貴族へたかだか王太子の独断で大貴族の娘を嫁がそうって?」ちょっと!さっきからなんで私を無視するのよ!?」
「うるさい黙れ。お前に発言を許可した覚えはない」
「なんっ!?」
ですって、とは彼女の言葉は続かなかった。
隣りの彼のひと睨みを受けたから。
何故気付かないのだろう。
間延びした語尾はもう影もないし、糸のようだった目はしっかり開かれている。
斜めにだらけた姿勢はピンと背筋が伸びて、ぐっと上がった目線から二人を見下ろしているというのに。
あぁ、そうか。
あの二人にはお互いしか見えていないのだ。
二人の世界に二人だけしか見えていなくて、周りのことなんてあってないようなものなのだ。
馬鹿にするとかしないとか、ただどうでもいいだけなのだろう。自分たちのこと以外。
けれど残念ながらこの茶番も、そろそろお開きだ。
「アンへの無礼は許さないぞロブ!」
「彼女は貴族ではない。本来なら我々と同じこの場に立つことすら許されない。生徒という立場はお前が最初に切り崩した。婚約者の座はいまはまだこの子のものだ。壇上から見降ろしまともに名乗りもせず謂われもない糾弾をし、まともな言葉も礼儀もわきまえることなく最初から今までこの子に無礼を働き続けるこの女は、この国において不敬罪に当たるのではないか?この場にいる全員が証人となってくれるはずだ。この子が何も言わないから皆黙っているだけのことだとわかっているのか」
言葉と視線の圧に圧されてたじろぐ殿下を眺めながら、浮いたり沈んだり忙しい人だなと思う。
苛立ちと屈辱を刺激されつつも何も言わなかったのは、それをすれば話がちっとも進まなくなるのが目に見えていたからではあるのだけれど。
「か、彼女はただ知らなくて……っ」
「無知は罪だ。知らないでは済まないこともある。ましてやお前がその女を迎え入れようとしている場所がどんな所なのかわかっているのか。少なくともヴェルニーナが10年かけて血肉としてきたものを、何分の一程の期間で身につけなければならないんだぞ。その覚悟と忍耐がお前とその女にはあるのか?」
一言返せば倍以上のものが返ってくる。
隣りの彼の物言いもだいぶ不敬なことに何も言い返してこない辺り、思考は完全に空転しているに違いない。
「お前は王の結婚について何か思い違いをしているようだが、ヴェルニーナはお前が求めたから婚約者になったのではないぞ。この子を求めたのは国だ。王であり王妃だ。二人の間に淡い想いがあったことは、この際幸か不幸かはわからんがな。まァゆえにお前が息子としてお前の父母にいくら訴えたところで、婚約解消の願いが叶ことはない。足りないお前を支えるためにこの子が適格だと選ばれた。求めに応えるために研鑽を積んできた婚約者に対して、お前はいったい何をした?」
「か、覚悟なら!覚悟ならあります!ちゃんと立派なサイモン様の奥さんになってみせます!」
「アン……!」
蛇のひと睨みからようやく立ち直ったらしいが、やはりどこかずれている。
奥さんと正妃では覚悟の度合いに相当差がありそうだ。とてもあやしい。
けれども、先程は問答無用で黙らせたはずの彼はそうかそうかと頷いていた。
これもまたあやしいが、それについて特に何か口に出すことはなかった。
殿下はといえば彼女の言葉にどうやら感極まっているようで。
ここまでの流れで他に考えるべき言葉があったはずなのだけれど、彼女の言葉は何をおいても一直線に届くようになっているのだろう。
その姿を見てまた隣りの彼はひとつ頷き、それから聞き覚えのある溜息をひとつこぼした。
どうやらこの茶番がいよいよクライマックスを迎えるようである。