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ギルドinバーミィーシティ ~翡翠~  作者: 星見つむぎ
第1章 『青年』 in バーミィーシティ
8/23

第7話 過去に繋がるもの



 ――あの日から、何日かが経った。



「えっと、『R』、『R』の欄……っと」



 カーテン越しに、橙の光が仄かにロビーを照らしている。

 その穏やかな光に寄り掛かるように、彼は椅子に座って分厚い本をそっと捲っていた。

 古びて黄色になってしまった紙が、ぱらぱらと音を立てる。

 その藍色の表紙には『魔物・魔族百科事典』と、彼の見慣れない字体で書いてあった。


 静寂が部屋に満ちていく。

 まるで、彼が初めて目覚めた時のように、静かで――暖かい。

 窓の外の林檎のような太陽は、もうそろそろで空の向こうに沈みそうだった。



「あっという間、だったなぁ……」



 壁に掛けてある時計を見て、ふと、彼は何かを思い出すように目を閉じる。





 ――ギルドマスターに入隊の意志を告げてから、丁度四日目。

 つまり、『夜間警備依頼』兼ギルドメンバー入隊試験の日。

 それが、今日である。



 ……彼にとって、この数日間はあっという間の出来事だった。

 忙しい日々、だが、彼にとっては充実した日々とも言えるだろう。

 


 ――勿論、彼にしたって、ずっとアゼリア達から話を聞いていた訳ではない。

 カクタスとアゼリアのどちらか、あるいは両方が居る時には、彼はこの街やこの世界の事を聞いていた。

 だが――その二人の両方が依頼をこなさなければならない時間が、どうしてもできてしまうのだ。


 流石に、彼だって二人の仕事の邪魔をする訳にはいかない。

 けれど、そうすると彼はする事が無くなってしまう。

 それに加え、調べておきたい事もあって――結局、彼は、マスターに頼んで何冊かの本を借りていた。

 ……今は、それも最後の一冊になってしまっているが。



 結論から言うと――この数日間、本を読んだり、カクタスやアゼリア達と話す事によって、彼はいろいろな知識――いや、自分の思い違いを知る事ができた。


 まず、『火に触ると熱い』、『月は一つ』、『水は高い所から低い所に流れる』――等、彼が知っている基本的な知識は、だいたい(・・・・)がこの世界に適用されるという事。

 彼が知識だけを知っていて、実態を忘れてしまっている事が多々ある事。(通貨の単位なんて、彼には見慣れない物ばかりだった)


 そして一番重大だったのは――彼の記憶から、不自然に、魔法と魔術に関わる事が全て抜け落ちている事だった。



「……トラウマ、か」



 彼は呟いて、部屋の天井を仰ぐ。

 天井ではない何かを、透かして見ようとするかのように。



 ――事は、二日前にさかのぼる。



 下に降りてきた彼が、ロビーでカクタスと話していた時だった。

 カクタスが急に言葉を止め――ぽつり、と呟いたのだ。



「――トラウマじゃねぇのか?」



 その唐突な言葉に、当然、彼は首を傾げた。


 え、どうしたんだろう、カクタスさん。

 確か……カクタスさんは今まで、ギルドメンバーの人達の紹介をしていたはずだ。

 話の流れからして、急すぎる。メンバーの話、じゃないはずだけど……。



「何のトラウマ……ですか?」



 両目にクエスチョンマークを浮かべつつ発せられた彼の言葉に、カクタスは自分が独り言を言っていたのに今頃気が付いたのだろう。

 一瞬だけ目を丸くして、あぁ……とカクタスは言葉を濁す。



「……いや、な。お前の忘れた部分が、極端すぎんだよ」

「極……端?」



 忘れた部分が……? と彼は今度は別の意味で首を傾げた。

 カクタスはそれを見て、どういえばいいかと頭を掻く。



「えっと、つまり――魔術とか、魔法とか、そういうのは忘れてんのに、何で魔物の事だけ知ってたんだ? って話だ。

 ほら、レブナントって何だか、お前ある程度は理解してただろ?」



 あぁ、と彼は思い出す。


 あの時、レブナントだとカミングアウトされた時。

 確かに、彼は『レブナント』が生きている死体だと、理解していた。



「はい。確か、あの時はもう――」

「それがおかしいんだよ」



 そう言って、カクタスは持っていたカップを雑に置く。

 カップが割れないかひやひやしている彼に気付かずに、カクタスは話を再開させた。



「『物語の中だけの話かと思ってた』って言うのもなぁ……その割には、魔族と魔物で分かれてんのも知らねぇし。確か、魔法と魔術の時も――お前の頭ん中、一体どうなってんだ?」

「その点は、僕に訊かれましても……」



 そう言ってから、彼は先日の事を思い出す。



 前日のカクタスの話では、魔術と魔法というのは元は同じ括りだったらしい。

 よって、魔術と魔法には共通のレベルの概念があり、そのレベルの高い、殺傷力の高いものを魔術。

 逆にレベルの低い、軽度のものを魔法と呼ぶ……らしい。


 魔術、魔法の基本とされているその概念ですら、彼は覚えていなかったのだ。

 そもそも――忘れているという事すら、忘れていた。



 自分の頭の中……見れるなら真っ先に僕が見たいですよ……。

 


 そう思いつつ、彼は小さくため息を吐く。

 一方カクタスは、彼の困ったような返事に、だよなぁとだけ返して、天井を仰ぎ見た。

 何かを考えているのかもしれない。

 しばらくの沈黙の間、彼はそっと自分のカップの紅茶を飲んでいた。



「流石に、昨日教えたのは覚えてるよな」

「え!? あ、はい……多分」

「おいおいおい、大丈夫かよ」



 急な質問に、彼は若干声を裏返す。

 その様子に、カクタスは若干呆れたようにそう答えてから――何かを思いついたように目を光らせた。

 嫌な予感のする彼に、カクタスは若干笑みを浮かべつつ問いかける。



「……よし。魔法と魔術の種類、言ってみろ」



 やっぱり、そうくると思った。

 そう心の中で呟いて、彼は必死に記憶を手繰り寄せる。


 今までも何度か、カクタスは彼に物事を教える間に、覚えているかの質問を挟んできている。

 別に学習チェックが嫌な訳ではないが――正直言って、あっているかどうかはらはらするので好きという訳では無い。



 それに――彼は回答を迷う際に、ふと思ってしまうのだ。

 『また』忘れているのではないか、と。



 自分の『記憶』への糸が、本当は間違った記憶なのではないか。

 今手繰っているこの糸が、どこにもつながっていないのでは、と。



 その時感じる恐怖だけは――優柔不断な彼が、はっきりと、目下一番苦手だと断言できる感情だった。



 何でだろう。

 やっぱり、少しだけ、怖いんだよなぁ……。



 そう思いつつ、彼は指を立てる。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

 そしてまた手を握り直して、指を立てる。

 一つ、二つ、三つ――そして迷いつつ、四つ。



 それらを何も言わず、見守るかのように見ていたカクタスに対して、彼はやっと口を開いた。

 どこか、おずおずと、自信無さげに。



「えっと……確か正規に認められてるのが、『炎』と『水』。

 それから『氷』、『風』、『地』で……。

 まだ未発見なのが、『雷』、『毒』、『草』。他に属性魔力族元素がない――つまり基本魔力族元素だけとされているのが『無』……ですよね。

 魔力族元素は魔力をエネルギーにして、魔法や魔術を発動させる……いわば火薬みたいなもの」

「おう、それで合って――」


「で、魔力族元素素には二種類あって、基本魔力族元素と属性魔力族元素。

 属性魔力族元素の種類は発見済みで今の四種類。理論上あるとされているのが他に数種類ずつ」

「お、おい……?」


「発見当初、基本魔力族元素と属性魔力族元素はそれぞれが独立した存在だと思われていた。

 しかし、それは間違いで……基本魔力族元素は魔力を受け取る事で任意の属性へと変化する事実が発覚し、それはすぐさま証明された」

「おい、もう大丈――」


「で、魔力を受け変化した属性魔力族元素は、純粋に存在する属性魔力族元素よりも力が少なく……それによって、その属性魔力族元素が自然に存在する場所で魔法・魔術を使う時の方が威力が高い。

 それで、基本魔力族元素には―――」

「おい、もういいって!!!」



 カクタスの慌てたような声に、彼は説明を止めてきょとん、とカクタスを見た。

 きっと、彼に今までのカクタスの声は届いていなかったのだろう。

 彼を見てその事を察したカクタスは、またがしがしと頭を掻いて――ぼそ、と小さく呟く。



「お前……何かすげぇな」

「えっ、もしかして、間違ってますか!?」



 また、何か間違ってしまったのだろうか――。

 その不安が焦りへと変わって、彼は若干裏返りそうになった声でカクタスに問いかけた。

 そうじゃない、とカクタスは返してから、重いため息を吐いて――やっと、言葉を探し当てたかのように口を開く。



「……すまん、正直ここまで正確に覚えてるとは思わなかった」

「え……?」

「よーするに、全正解。

 まったく、一回・・言っただけで、何でここまで覚えてんだよ……」



 お前って――いろいろと、規格外だな。


 そう呟いて、カクタスは頭を掻く。

 説明しようと思ってた事、全部先に言われちまった――と。



「てか、アゼリアにでも聞いたのか? 魔力族元素とか、まだ話してないだろ?」

「あ、いやその――本で、読みまして。マスターさんに、借りた本で」

「マスターに? ……それ、今、持ってるか?」

「は、はい!」



 彼は膝に置いていた分厚い本をカクタスに差し出す。カクタスはその本の表紙にちらっと目を走らせて―― 一気に目を丸くした。

 そのまま、カクタスはカウンターに居るマスターに向かって叫ぶ。



「おい!? マスター! 何で初心者にこんな専門的マニアックなの渡すんだよ!?」

「んー? 誰に何を渡したって~!?」

「だーかーら、あ……そう! 迷子に! 本!!」



 カウンターで一般依頼の処理をしていたマスターは、どうやらこちらを見る余裕も無いらしい。

 カクタスと話していても、かりかり、とペンが紙に走る音が絶えなかった。

 さっきまで人がたくさん来ていたもんなぁ……と思い出して苦笑している彼を置いて、カクタスは声を張り上げてマスターと会話している。



「まさか、もう読み終わったのかー?」

「…………え?」

「その本ー! 結構ページ数あっただろ~?」



 マスターが、大声で急に彼に話題を振った。



「は、はい! 一応……」

「えっ、お前まじか!?」



 慌てて返事をする彼に、カクタスは驚いたような声をあげる。

 それに、今度は彼の方が何か変な事を言ったかと目を丸くする番だった。



「俺でも読むのに二週間近くかかったのに……一体いつ読んだんだよ? まさか徹夜とかしてねぇだろうな?」

「あ……それは」

「そうは言ってもカクタス、お前結構遅めな方だろ? しかも日を開けて読んでるから進まな……」

「うるせぇ! マスター!! 俺はじっくり読む派なんだよ!」



 彼が言葉を言う前に、カクタスとマスターの二人でどんどん会話が進んで行ってしまう。

 結局、彼は二人の会話の聞き役に徹していた。



「てか! そんなこと言うんならマスターだって……」

「何だ。またケンカしてるのか」



 からんからん、とドアのベルが鳴る。

 どうやら、アゼリアが任務から帰ってきたようだ。彼女の武器の、二振りのショートソードが背中に背負われている。



「あ、アゼリアさん! おかえりなさい!」

「おぉ、アゼリア。ご苦労さんだな~」

「二人共話聞けよ!! ったく……早かったな」

「あぁ、ただいま。今回は早めに済んだんだ。

 ところで、何でこの本がここにあるんだ? 懐かしいが……」

「そうだった。聞いてくれよ。さっきこいつに問題出したら、まるでカラクリ人形みたいで――」



 アゼリアも会話に加わって、また、ロビーが賑やかになっていく。



 暖かくて、穏やかな日常、そう言えばいいのだろうか。

 そう思った彼の心は、何故か綿のような安心感に包まれていて。



 ――その時、確かにロビーは温かい空気に満ちていた。





「……い、おい! おいこら起きろ迷子!」



 誰かが自分の事を呼ぶ声が聞こえて、彼は追憶から現実に戻ってきた。

 慌てて顔を上げると、声の主――カクタスが目の前に立っている。



「あ、カクタスさん……」

「はぁ……たく、ぼーっとするのはいいけどよ……。返事ぐらいしてくれ、一瞬、本当に人形にでもなっちまったかと」

「そんな生気無いですか僕……というかっ、時間は!?」

「んな慌てんな。

 大丈夫。予定より早ぇぐらいだ」



 そう言ってカクタスが壁の時計を指差す。

 ――確かに、時計の針は集合時間の十分前を指していた。



 よかった……ぼーっとして間に合わないなんて事にならなくて。

 彼はそう思って脱力する。



「てか、何読んでんだよ。随分読み込んでて……って、あぁ」



 ほっとしている彼を横目に、カクタスは彼の手元へと視線を落としていた。

 そこにあった本を見てから――カクタスは納得したように小さく頷く。

 

 そこに書かれていた文字が、『Revenantレブナント』だったからだ。



「調べてたのか」

「えぇ、流石に自分の事ですし……それに、ちょっと気になったんで」

 

 調べとかないと、いざという時に大変ですから……。

 そう、彼は苦く笑いながら続ける。



「レブナントって、魔力が無くなって魂が離れても、肉体は死なないんですね。

 ゾンビになっちゃうって、ここに書いてありました」

「あぁ……だから、気を付けろよ! 本当に笑いごとじゃないんだからな!!」

「はーい。分かってます」



 彼の答えに、カクタスは心配そうにため息を吐いて、そんな軽く返事するようなもんか? と呟いた。



 レブナントの魂が離れゾンビになると、『理性』が無くなる、と言われている。

 『肉体』の方が死なないように、その命を保つ魔力を奪う為に、人間を襲うようになる――というのが、本にも書いてあった。

 一度完全にゾンビとなってから、離れた魂を結びつける方法、つまりレブナントに戻る方法は――見つかっていない、らしい。



 本当に、分かってんのかよ……そう言いたげに、はぁ、とカクタスは二度目のため息を吐く。

 一方の彼は、そんなカクタスの心も知らずに、アゼリアの姿を探してロビーを見回していた。



「あ、そうだ忘れてた。ほら、これ使え」

「え、あ、はい!」



 彼は振り返りざま、カクタスから投げられた袋を受け取った。

 予想もしなかった袋の重さに、彼は一瞬袋を落としそうになってしまう。

 


 ……? 重い?

 それに、かなり大きい袋だし、一体何が入って……?



 そのまま首を傾げる彼は、開けてみろとカクタスに促されて、ナップザックのようになっている袋の口の紐をひゅるひゅるとほどいた。

 袋の口から、少しだけ中身が見えてくる。



「えっと……ロンググローブと、地図と、それから……剣?」



 彼は、思わず疑問形で言葉を発していた。



 肘も隠れるほど長い手袋と、丸まった地図。

 その脇に入っているのが、確かに―― 一振りの、剣だったからだ。


 

 彼は思わず、その剣を袋から取り出した。


 柄の部分が握りやすそうな木でできていて、鞘の部分には不思議な文字が描かれている。

 いざ持ってみると、不思議と彼の手になじんで……しかも、彼が想像していたよりも軽かった。

 

 これなら、彼でも扱いやすいだろう。



「やるよ、それ。昔使ってたやつだから年期は入ってるけどな。

 ……新しいのの方がいいか?」

「い、いえっ! というか、むしろ……いいんですか?」



 年季が入っているといっても、そんな風にはとても思えない。

 柄の部分に目立った傷が付いている訳じゃないし、しっかりと鞘に収まっている。

 それに――昔使っていたなら、大切な物なんじゃ……。


 そう告げようとした彼より前に、カクタスが口を開いた。



「俺が言ってんだからいいに決まってる。

 てか、お前一応、ジョブは戦士に決めたんだろ? だったら剣無くてどうすんだよ」

「は、はい……でも」

「いいから受け取っとけ。

 使ってもらえる奴に使ってもらった方が、いいだろ」



 俺、武器取ってくる。

 すぐにそう言ってカクタスは階段の方へと行ってしまった。


 彼は半ば呆然としながら、袋から取り出した剣をずっと握っているばかりだ。



「……行っちゃった」



 彼の呟きは、ぽつり、とロビーに響いて、消える。

 窓の外は夜の帳が降りている。

 だからだろうか、ロビーに人は全くいなかった。

 

 清らかな静寂が、彼を包む。


 隣の店の人達の声が、やけに遠くに聞こえた。

 丁度ディナータイムだから、そちらは人がたくさんいるのだろう。



 ……彼は、袋の中に剣を戻して、紐を結び直した。

 そのまま、ナップザックのようにその袋を背負う。

 ジョブの話を、思い出しながら。



 この前、アゼリアからジョブの話を詳しく聞いた時、彼とカクタスとアゼリアの三人で、彼がどのジョブがいいか話をした事があった。

 その時、彼は自ら、『戦士』がいいと言ったのだ。

 

 ――魔術も魔法も使えない彼には、魔術師や魔法使いのジョブにはつけない。かといって物凄く重い武器を持って振り回せるほど筋力も無いし、足が速い訳でもない。

 確か、そういった理由を伝えたはずだ。


 二人からは『弓使い』でもいいんじゃないか、という話も出たが――使いこなせる気がしないという理由で没になった。

 下手すると、味方に当たりそうで……そう彼が言ったのが決め手となったのだろう。



 マスターさんの本棚に、たくさん指南書が置いてあったからなぁ……。



 そう思いだして、彼は苦笑する。



 そういえば、弓使い(ギルドメンバーではない)の子が、魔法の矢を暴発させて、あやうく二階を貫通する所だったって、マスターさん言ってたな……。



 彼は、矢の跡を探すため天井に目を走らせて――ふいに、ぶらさがっている照明に気が付いた。



 ――照明は、確か魔力を溜めて光る鉱石で出来ているんだっけ。

 本に書いてあったし、今僕が寝泊まりしている部屋のランプも、その仕組みだった気がする。

 街だと、夜、灯りはどうしているんだろう。窓の外は暗そうだし……。この――光石があるとは言っても、暗い所は暗いよなぁ……。



 そんな事を思いつつ、彼が天井を見上げていると――ぎぃ、とドアの開く音がした。

 すぐさま、彼は扉の方へと振り返る。



「あ、アゼリアさん!」

「ん……あぁ、こんばんは」



 扉を開けた人物――アゼリアは彼に気付いて、彼の元へと来てくれた。

 きっと、もう準備は整っているのだろう。

 彼女はその美しい髪を一つに束ねていて、背中にはこの前の双剣を背負っている。

 いつもより、動きやすそうな服装だ。



「まだ、カクタスとリンドウは来ていないのか……」



 そう言って、アゼリアはロビーを見渡す。

 だが、今ロビーに居るのはアゼリアと彼の二人だけだ。



「えっと、カクタスさんは武器を取りに行っているみたいです……って、リンドウ……さん?」



 普通に会話を進めようとしてから、聞きなれない名前が聞こえた事に気がついて――彼は首を傾げた。

 今回の任務に一緒に行く人なのだろうか……と考え始めた彼の様子に、アゼリアは気づいたらしい。



「言って無かったか? ギルドメンバーの一人で、一応重戦士の少年なんだが……あの、黒髪の……」

「あ、そういえばカクタスさんが言っていたような……」



 そうだ。

 カクタスさんが『トラウマ』って言うちょっと前に、確かそんな人が居るって聞いたような気がする。

 東の島国の服を着た、少し不思議な人だ、と。


 そっか、名前、リンドウさんって言うのか……。



「確か……東の方の、島国出身の方でしたよね……! 今回の任務、ご一緒ですか?」

「あぁ、そうだ。

 まいったな、連絡がいって無かったか……」



 アゼリアが頭に手を当てる。

 彼はその様子を見て、慌ててアゼリアにフォローを入れるべく口を開いた。



「あ、僕は大丈夫です! その――リンドウさんがご迷惑じゃなければ!」

「そうか……そう言ってくれると助かる。

 リンドウは多分お前の事を知っていると思うから、その点は大丈夫だな。カクタスには――まぁ、知らせがいっていないようなら、後で話せばいいとして……」



 アゼリアが何かを考え始めた所で、トン、トントンとノックの音がして、二人は一気にドアの方へと振り返った。

 階段に続くドアの方から、また、トントン、とノックの音が繰り返される。



「あ、カクタスさん? アゼリアさん来て――」



 彼の声を遮るように、がちゃ、がちゃ、がちゃがちゃと、ドアノブが空回りする音がロビーに響いた。

 更に、どん、とドアが何かに引っかかる音もする。



 あ、あれ……? 

 カクタスさん……じゃない?



 そう思った所で、彼の背中に急に悪寒が走った。



 ぶるり、と急に体を震わせた彼の様子に、アゼリアがどうした? と聞いてくるが、その問いに答えを返す事すらできない。


 それほど、彼は扉の向こうに居る人物を、警戒していたのだ。

 彼が気づいていない、無意識のもっと奥の所で。



 ――何だ、この感覚。

 何か――怖い……?



 戸惑う彼らをそのままに、がちゃり、とまたドアノブが回った。

 それに比例するように、彼の身体を縛る糸のような感覚が、きりきりと張り詰めていく。



 扉の向こうに、誰が――いや、何が、いるんだ……?



 彼がそう思った直後に、ギィッ、と扉が一気に開いた。

 彼は下を向いてから――ちらり、と扉の向こうに居る人物を見て――思わず声をあげる。



「………………あ」



 そこに居たのは――まさしく、今話題になっていた少年だった。

 


 本で見た、かの島国の服装がやけに似合っている。

 背は彼より少し小さい位だろうに、彼よりも凛として見えるのは何故だろうか。

 幼く見えるその表情の中に、冷ややかな何かが見え隠れしている。


 そう、今の彼には見えた。


 

 一歩踏み出したその少年の黒い髪(・・・)が、ふわり、と風をはらむ。



「あぁ、リンドウ。丁度良かった。今、お前の事を話していて――」

「…………」



 黒髪の少年――リンドウは、無言のまま、アゼリアにこくり、とだけ頷いた。

 そのまま、只歩みを進めて――彼の目の前で、ぴたりと足を止める。



 ――重い沈黙が、彼の両肩にずしんとのしかかってきた。



「え、えっと……は、初めまして……? あ、あの数日前にアゼリアさんに助けてもらって、で……」

「…………知ってる」

「あ、はい。すみません……」



 冷静……というより沈黙を保っているリンドウに対して、彼は緊張の糸の張りを強めていく。

 その二人の緊張の差は――他からしたら、滑稽にも見えただろう。



「……………………君は、不思議だね」

「え?」



 重苦しい沈黙を裂いた、唐突な一言に、彼は思わずリンドウの顔を見た。

 そして――――目が、あってしまう。



 彼には見覚えの無い、落ち着きを持った瞳。

 冷ややかに見えたその奥から温かい何かを感じて、彼ははっとした。



 緊張の糸が、するするとほぐれていく。



「……君の目、綺麗。ちゃんと、生きてる」

「あ、あの……?」

「……うん。君なら、大丈夫」



 大丈夫だよ。

 リンドウがそう呟いた途端、彼の緊張が一気に抜けた。

 思わず床に座り込んだ彼に合わせて、リンドウもしゃがみこむ。



「……こんばんは。

 ぼくは、リンドウ。これから、よろしく」

「あ、よ、よろしくお願いします……」



 思わずおじきをする彼に合わせて、リンドウもおじきをする。

 ずっと、只黙って二人の様子を見守っていたアゼリアが彼に手を差し出して、彼はやっと立ち上がった。

 すると、リンドウも立ち上がる。



「リンドウ……こいつがあの……記憶喪失の」

「……うん、知ってるよ。

 ぼく、聞いた。鷹先生に」

「それなら話は早いな。準備は……」

「大丈夫」

「そうか。後はカクタスを待つだけ、と……」



 アゼリアが、そう言ってドアの方をちらり、と見る。

 多分、考えている事は他の二人も同じだろう。



「カクタス、遅いな……」

「そうですね……。

 リンドウさん、カクタスさん見てませんか?」



 彼の問いに、リンドウはふるふると首を振って答える。

 ぼくは三階に居た。けど、見てないよ、と。



「…………カクタス、どうかしたの?」

「『武器を取ってくる』と言っていたらしいが……」

「? あそこに、あるよ。ブキ」

「え……?」



 あそこ、とリンドウが指差した壁際には、大きな槍と布にくるまれた細長い何かが置いてあった。

 じっとそれを見て、アゼリアは、はぁ、と小さくため息を吐く。

 さて、呼びに行くべきか……? と、彼女は呟いた。



「え、あ、あれ二つともカクタスさんの武器なんですか!?」

「いや、一つはリンドウのだ」

「うん……ぼくの」

「あ、じゃあ僕取ってきます!」

「え、ちょっと待て……!」



 彼は呼び止めようとするアゼリアに気が付かず、すぐに二つの武器の所へと駆け寄る。

 二本の細長いそれらを持つと、ずしり、とかなりの重さが彼の両腕にかかってきた。



 ……こんな重いのを、カクタスさんとリンドウさんは振り回しているんだ……。

 流石だなぁ……。



 ふらつきながらも彼は武器を二人の元にまで運んでいく。

 そのまま、彼は大きなの方をリンドウに渡した。



「はい、リンドウさん。 えーっと、もう一つの方はテーブルの上に……」

「………………?」



 渡されたリンドウは無表情のまま頭の上にハテナマークを浮かべる。

 それに気づかないまま、彼はテーブルに布にくるまれた細長い物を横たえた。



 確か、カクタスさんは魔術師だって言ってたよな。これは杖だろうし……うん、多分。

 まさか、槍よりもこの――杖? の方が重いなんて思わなかったけれど。



 そう思いながら、彼は振り返る。



「アゼリアさん、僕カクタスさん呼んできましょうか?」

「あー……いや、いい」

「?」



 何か言いたげなアゼリアに首を傾げた所で、がちゃ、とまたドアが開く。

 乱暴に開けられたドアは、そのまま壁にバタン、と叩きつけられた。

 

 扉を開けた人物――カクタスは、そのまま苛立ったように叫ぶ。



「ああっ! ったく何で俺の武器がねぇんだよ!!」

「……カクタス?」



 カクタスの声を聴いて、リンドウが振り返った。

 その姿を見てから、カクタスはがしがしと頭を掻く。



「ってか、もうリンドウ来てんのか。あー……やべぇな。俺以外全員集合してるじゃねぇか」

「カクタス、知っていたのか? リンドウが今回の任務に参加する事」

「ん、あぁさっきマスターに聞いた。てか、アゼリア、俺の武器――って、ん?」



 カクタスが返答の途中で、何かに気付いたように言葉を止める。

 そのままリンドウの方へと視線を動かして――カクタスはあぁ! と声を荒げた。



「俺の、何でリンドウが持ってんだよ!?」

「あ、いや今さっきまでそこに置いてあ―――って、あれ?」

「…………はい、カクタス。これ」

「あぁロビーに置きっぱにしてたのか……サンキュな、リンドウ」



 リンドウがカクタスにあのを渡す。

 一方の彼は言葉を止めた状態のまま、先ほどのカクタスの言葉を思い返していた。


 今、カクタスさん、『杖』って――――。


「か、カクタスさん魔術師ですよね!?」

「はぁ? 何だよ今更」

「え、だってそれ……槍……」



 混乱しながら、カクタスの持っている杖――というか槍にしかみえない武器を指差す彼の肩を、アゼリアがぽん、と優しく叩く。



「……気持ちは分かる。だが、いろいろとあって―― 一応、カクタスはあの槍を杖に使ってるんだ」

「槍じゃねぇって、杖だろ杖!」

「……カクタス。私の知っている杖は先にそんな物騒な刃物は付いていないはずなんだが」

「長さ的に杖だ! 槍はもっと長いだろ!!」

「…………だったらその刃は何なんだ」



 そんな言葉を皮切りに、アゼリアとカクタスは槍と杖の違いについて論争し始める。

 ついていけない彼はぽかん、と二人の話を聞いていたが、服の袖をつんつんと引っ張られて、半ば唖然としながら後ろを振り向いた。

 リンドウが、じっと彼の事を見上げている。



「リンドウさん、どうしました?」

「………………依頼承諾書、書かなくて、いいの?」

「そういえばまだリンドウのとこ、書いてねぇな。今書かないと――って、あ」



 論争を中止したカクタスが、一枚の紙を取り出した所で――ぴたり、と動きを止めた。

 どうしたのかと顔を見合わせる三人に、カクタスは重大な事を告げる。



「……一つ、忘れてたみてぇだ。

 こいつ――迷子の名前。どうするよ」



 あ、と彼含めその場の全員が思った。



 承諾書の名前のスペース、アゼリアとカクタスの名前が書いてある欄の下に、空白の欄が二つある。

 その内の一つはリンドウ。そして、もう一つは――きっと、彼の分のスペースなのだろう。

 ジョブや武器の欄も真っ白だ。



「……どうする? 何か思い当たる節とか……あるか?」

「い、いや……未だに、何も」



 何も思い出せていません。

 そう続けようとしたはずの彼の言葉は、喉の所で詰まって、声にならなかった。


 何も言わない彼を見て、アゼリアが口を開く。



「……あだ名(ニックネーム)でも、付けるか」

「え、でも……大丈夫なんですか?」

「事情が事情だし、大丈夫だろ。問題は――何て付けるかだな」



 カクタスがそう言って、う~ん、と腕を組んだ。アゼリアもリンドウも必死に考えているようだ。

 彼を置いて、気まずい沈黙がロビーに広がっていく。



「……あの……僕、リンドウさんの武器取ってきますね!」

「おい!?」



 当の本人が逃げてどうするんだよ!? 

 そう言うカクタスの声を背中に聞きつつ、彼はリンドウの武器を取ろうとテーブルへと駆け寄る。

 存外な重さを感じながら、彼はそれを持ち上げると、慌てて戻ろうとした。


 ……だが、それがいけなかったのだろう。



「う、うわっ!?」



 何かに躓いて、彼の視界はあっと言う間に前にスクロールした。

 当然、彼には防御の姿勢など取れるはずもなく――べしゃ、と顔面から床に衝突する。


 一瞬の衝撃の後、じんじんと彼の額は痺れだした。



「おい、今の音どうし――どうした!?」



 カクタスの慌てたような声が聞こえて、彼は顔を上げた。

 目の前に、アゼリアの心配そうな顔が見える。



「大丈夫か? もしかして、魔力の低下でも――」

「い……いや! 大丈夫です! ちょっと転んじゃって……」

「おいおい、任務が始まってすらいないってのに、大丈夫かよ?」



 そう言いながらも、カクタスは彼に手を差し伸べた。

 リンドウはかがんで、彼の顔を覗き込む。



「…………具合、わるい?」

「大丈夫です! 本当にちょっとだけなんで――あ、リンドウさん、武器……大丈夫だと思うんですけど……」



 そう言って、彼は大事に抱えていた武器をリンドウに渡す。

 ありがとう、というリンドウの言葉を耳に、彼はやっとの事で立ち上がる――と、カタン、と音がした。



「あ、お前。今何か落としたぞ?」

「え?」



 カクタスが拾い上げたのは、組まれた紐の中にある小さな石だった。


 ほのかな光を含んだ薄緑の石は、カクタスの掌で、ころん、と転がる。

 その紐の先は長く二本に分かれていて――どうやら、ほどけてしまったようだ。



「え、僕……そんなの付けてました?」

「あぁ……ずっと首にかけているから、何の紐かと思っていたんだが……ペンダントの紐だったのか」



 そっと、アゼリアも覗き込んでくる。

 リンドウもそれに続いて、ひょこり、と背伸びをして覗き込んだ。

 そして――アゼリアが、気付く。



「……ん。これ、翡翠じゃないか? 守り石か?」

「…………ほんとだ」



 リンドウが頷く。

 その目は、目の前の興味にきらきらと輝いて見えた。



「え、え? 翡翠……? それに守り石って……」



 翡翠は――確か、鉱石の一種だったはず。でも、守り石って……何だっけ。

 困惑する彼に、カクタスは続ける。



「魔除けみてぇなもんだよ。

 ……誰かが、お前に持たせたんだろうな」

「それじゃあ……」



 彼は、じっとその石を見つめた。



 ――これが、印なのか。

 僕の過去に繋がる、印。

 ……糸。



「アゼリア、その顔は……決まったみてぇだな」



 カクタスの言葉に、アゼリアは頷いた。

 三人の視線が、アゼリアに集まる。


 ――そして、彼女はゆっくりと口を開いた。



「――翡翠(ジェード)

 名前、ジェードなんてどうだ?」



 ジェード。



 無言のまま、彼は復唱する。

 その響きは、じんわりと彼の中で広がっていった。


 まるで、元からそうであったように。



 ジェード。ジェード。

 うん、僕は……



「僕は、ジェード……」

「……どうだ?」



 カクタスが彼に問う。

 まるで、答えを確信しているかのように。



 彼は、ゆっくりと息を吸い込んで――――まっすぐに、告げた。



「僕……この名前が、いいです!」





 窓の外から、穏やかな月の光が差し込んでくる。

 きらり、と彼――ジェードの、翡翠色をした瞳が輝いた。




読んでくださって、ありがとうございます。

前回の投稿から少し間が開いてしまいました……。


今回は、やっと主人公の名前(呼称)を書く事ができました……!

これで会話のテンポが上がって、執筆ペースもぐっと上が……ると、いいのですが……。


ルビの表記を、一部訂正させて頂きました。(4/28)

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