第5話 決意
「――おい、大丈夫か?」
カクタスに声を掛けられて、彼はテーブルの上に突っ伏した顔を上げた。
しょげきっている彼の表情を見て、少しは申し訳なく思ったのだろう。カクタスは言葉を探し、しばらく口をつむぐ。
「……いや、そんな落ち込む事ないだろ。別に魔法が使えなくたって、魔法全く使わないジョブの奴だって、普通に居る事だし……」
「励ましは……いいです」
そっちじゃないので……と付け足されて、カクタスは重い溜息を吐いた。
――彼が左腕に包帯を巻いてもらってから、結構な時間が経っている。あの水の回復魔法のおかげで、腕の痛みはほとんど治まっていた。
自分がレブナントである事を(半ば強制的に)認めざるを得なくなった彼は、連れてかれたロビーでかなり落ち込んでいた。
魔法が使えない、というのも相まって、彼の落ち込みようはすごい。
カクタス曰く、レブナントは一度死んで身体から離れた魂を、生命力の代わりに魔力によって繋いでいるらしい。
よって魔法や魔術など、多く魔力を使う行為は『死』に繋がる、というのだ。
「逆に言えば、体がどんなに傷付こうとも、魔力があるんなら生きてる、って言えるんだけどな……」
ぼそっと呟かれた一言を、彼は聞けていたのかどうか。
無反応の彼を見て、カクタスは苛立ちを抑えきれずにがしがしと乱暴に髪を掻く。
「……どうだ?」
そんな内に、アゼリアが店からティーポットを持ってやってきた。カクタスは首を横に振ると、小さく溜息を吐く。
……彼に聞こえないように小さな声で、二人は会話を始めた。
「……あんなに落ち込むなら、最初から言っときゃよかったか……」
「私は少し冷静になってから打ち明けた方がいいかと思ったんだが……カクタス。一体どういう流れで話したんだ?」
「――まさか知らないとは思わなかったんだよ」
「共に配慮が足りなかった……か。さて、どう励ますべきだろう」
カクタスは頭冷やしてくる、とだけ言って、庭に出ていってしまった。
アゼリアは自分のカップにお茶を注いでから、黙って彼のカップにゆっくりとお茶を注ぐ。
「……飲んだらいい。少しは落ち着くだろう」
「……」
彼は黙って小さく頷く。そのまま、暖かい紅茶を口に運んだ。
温かいダージリンの香りに、ほぅと小さく息を吐いて、彼はアゼリアを見上げる。
「……すみません」
「いや、気にする事はない」
アゼリアも彼の向かいに座って、自分のカップに紅茶を注いでいた。アゼリアが紅茶を口を運ぶのを見て、彼は小さく呟く。
「……僕、本当にここにいてもいいんでしょうか」
……意外だったのか、それとも急だったからか。
アゼリアは少し目を丸くして、カップを静かにテーブルに置く。
彼の眼をしっかりと見て、彼女は口を開いた。
「……嫌なのか?」
「嫌じゃないです! むしろ嬉しいですし、ありがたいです……けど、僕なんかが――」
そう言って、彼は口をつぐむ。
……ギルドメンバーの勧誘は、とてもうれしかった。
けれど、きっと僕はここに居られない――いや、居てはいけないんだ。
そう思って、彼は震える拳を小さく結ぶ。
だってそうだろう。外にも出れないのに、依頼なんてこなせる訳が無いし、それに
「――――命の恩人に、これ以上迷惑をかける訳にはいかない」
思わず漏らした一言で、ロビーには一瞬の静寂が広がった。
視線を下して、彼は迷いながら言葉を続ける。
「だから、僕は――――」
「あぁもう! じれったいにも程がある!」
不意に聞こえたカクタスの大声に、彼はびくり、と肩を震わした。
いつの間に戻ってきていたのだろう。
彼が振り返るより前に、カクタスは彼に詰め寄る。
「今の――『僕なんかが』って、何だよ! 自分もまともに知らねぇ奴がそんな事言うな!」
「……だって」
「だってじゃない!」
カクタスの言葉を受けて、彼は戸惑う。だが、彼はその一方で、不思議な感覚が自分に宿っている事に気が付いていた。
――胸の奥がおかしい。何か――不愉快だ。
体の中にある糸が、焦げてるみたいな―――そんな感じがする。
「カクタス。いい加減に――」
「大体何だよさっきから! ウジウジウジウジ……正直言って落ち込みすぎだ!」
アゼリアの言葉を遮って、カクタスは更に畳み掛ける。
一方の彼は、少し呆然としながらも、先ほどの事に関して考え続けていた。
――何でそんなに怒るんだろう、カクタスさん。
確かに、少し落ち込み過ぎたかもしれない。けど、普通誰だって驚くし、落ちこみだってするだろう。
『人間じゃない』なんて、急に言われたら。
…………きっと、カクタスさんは分かってないんだ。
思ってる事、全部言う訳には―――
「言いたい事があるんならはっきり言えよ! 亀か何かかお前は!」
――丁度、彼の思考とカクタスの台詞が被る。
そして、彼の中の糸はぷつんと焼き切れた。
「……だったら、言わせてもらいます!」
思わず彼は立ち上がっていた。言いようのない感情の濁流が、彼の意識のストッパーをその熱で焼いていく。その濁流に流されるまま、彼は感情を思いっきりカクタスにぶつけた。
「そもそも、亀は歩くスピードが遅くても泳ぐのは速いんです! まず亀に謝ってください!」
「……へ?」
カクタスが拍子抜けたような声を出したのにも気付かず、彼はそのまま、猛烈な早口で叫ぶ。
「それに――何が分かるんですか、貴方に!
何もかも分からないまま放り出されて、混乱してる中自分が一度死んでるとか、魔族だとか言われて!
『自分の事をまともに知らない』とか言われても…………僕が一番知りたいですよ!
生前の僕がどんな奴か分からないですし……もし、昔の僕がとんでもない悪人だったらどうするんですか!? そもそも、どうして、僕なんかを助けてくれるような事を?
そんな事、言われたら……頼りたくもなっちゃうじゃないですか。
――頼る訳にもいかないのに!」
自分の今の心情を全部吐き出してから、彼は息切れしそうになっていた呼吸を整えた。
何故か眼頭が熱くなって、彼の視界が一瞬鈍る。
――あぁ、言ってしまった、全部。そうだ、これが僕の言いたい事なんだ。
例え、カクタスさんが更に怒っ―――
「……何だよ。言えるじゃねぇか」
「え?」
――――ってなかった。
カクタスの声のトーンが急に変わった。
カクタスは怒っているどころか――――むしろ、不敵に笑っている。
まるで、悪戯が成功した子供のように。
「……とりあえず、お前が極悪人って事は無いな」
「な、何を――」
「つーか、まず最初に言うのが文句じゃなくて亀のスピードに対する抗議ってとこが違う! 根本的にな!」
「な……」
冷静なツッコミに言葉を失った彼に、カクタスはまた溜息を吐いた。何も言えない彼に、カクタスはそのまま続ける。
「人っつうのは、そう簡単に変われねぇんだよ。そういうのは覚えてるかどうかっていうより、感覚的なもんだ。
……少なくとも、俺はそう思ってる。
そもそも、お前はぐだぐだ考えすぎなんだよ」
カクタスは呆れたような、諭すような声で彼に語りかける。
彼も先ほどのツッコミで少し冷静になったおかげで、その言葉をちゃんと受け止める事ができた。
そして、状況の把握も。
……じゃあ、カクタスさん何であんなこと言って――。
クルクルと頭の中で思考の歯車が回る。やがてその歯車は一つの答えにたどり着いて、すぐに彼は慌てて急ブレーキをかけた。
――――あれ、もしかして?
「……横槍を入れるようですまないが、私にも少し言わせてくれ」
今まで黙っていたアゼリアがそう言って立ち上がった。
アゼリアは驚愕している彼をちらりと見て、そのままカクタスの方へと歩いていくと、カクタスの額を思いっきり人差し指で弾く。
「っ!? いきなり何だよアゼリア!」
「……いきなりなのはカクタス、お前だ。
相手を説得する時ぐらい、口調が荒くなるのをどうにかしてくれ。はたから聞いていてひやひやしたぞ」
そう言って、アゼリアは重い溜息を吐いた。
カクタスは自分の眉間をさすりながら、不服そうに言い返す。
「……別にいいだろ、俺なりのやり方だ」
「そうやって、状況が悪化して大怪我したのを忘れたか?」
「はいはい。俺も言い過ぎたって」
「……それにしてもやり過ぎだ」
アゼリアはそう言って苦い顔をする。
一方の彼はぽかんと口を間抜けに開けて、半ば停止している思考をむりやり動かして考えていた。
……説得って……え? あれ?
それじゃあ、僕が言い返した時も―――
とある事に気が付いて、彼の思考は一瞬フリーズしかけた。
彼の背中を冷や汗が伝う、
え、じゃあちょっと待って。僕今さっき物凄くトンチンカンな事言った気がする……あ、でもあれはカクタスさんがあんな事言ったから……けど、あれは説得で……って、あれ? 僕、何て言ったんだっけ!?
…………ど、どうしよう!!
短絡しかけた意識を、彼は何とか取り戻した。
彼は混乱した頭で、どうしようかと必死に考える。
というか、もうちょっと冷静になれよ僕! カクタスさんが何の理由も無くあんな事を言う訳がないだろ!?
あぁもう少し考えればよかった! そもそもアゼリアさんと最初に会った時だってそうだ――いや、今はそっちじゃない。とりあえず――。
「おい、大丈夫か?」
「と、取り乱してしまってすみませんでした!!」
「はぁ!?」
固まっていた彼を心配したカクタスに、彼は思いっきり頭を下げる。
カクタスは急な事態に驚きを隠せないようで、ひそかに苦笑していたアゼリアと視線を交わした。
「…………まぁ、お前がテンパってるのはしょうがないけどよ……。
迷惑だとか何だとかごたごた考える前に、頼ってくれって」
そう言って、カクタスは苦く――笑う。
その笑みがどこか淡く、消えそうに見えて、彼は思わずはっとした。
……どうして? と彼の頭にちらりと疑問が覗く。
「……で、どうするんだ?」
「……え?」
カクタスにそう聞かれて、彼は何の事だか分からずに首を傾げた。横に居たアゼリアが溜息を吐いてから、カクタスの言葉を遮り、彼の言葉を継ぐ。
「……カクタス、やっぱり急だ。
ギルドメンバーの話なんだが……どうだ?」
アゼリアの言葉に、彼はしばらく逡巡する。
誘ってもらえるのは、確かに嬉しい。
けれど、僕に務まるだろうか。足を引っ張るだけだとしたら――
『迷惑だとか考える前に、頼ってくれって』
――彼の頭の中に、先ほどのカクタスの言葉が浮かぶ。
「……します」
「? 今なんて――」
彼の声は小さく、届かなかったようだ。二人が彼を見守る中、彼は小さく一呼吸する。
――今度は、ちゃんと聞こえるように。
「僕なんかでよければ、よろしくお願いします」
目の前のカクタスは、一瞬目を輝かせた。その勢いのまま何かを口にしようとして――何かに気付いたように口をつぐむ。
「…………だから、『僕なんか』って……」
「あ! いや今のは――」
「大丈夫だ。……分かっている」
アゼリアがそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
カクタスは彼に左手を差し伸べる。
「……こちらこそ、よろしくな」
「――!」
彼はカクタスの手をとった。
そのままぶんぶんと勢いよく手を振る彼に、カクタスとアゼリアは穏やかに笑う。
彼が続けて何かを言おうとした、その瞬間。
ぎぃ、と扉が開いた。