第3話 邂逅
――どうやら、いろいろと話を聞いている間に少し時間が経ってしまっていたようだ。二人のカップはいつの間にか空になって、少し冷めてしまっている。
彼女はもう一度ティーポットを持ち上げて、お茶を淹れ直した。
「もう一杯いるか?」
「あ、ありがとうございます」
彼はお茶を受け取ろうとカップを持ち上げる。
ティーポットからカップにお茶が入ろうとした――その瞬間。
彼は、後ろからぽん、と誰かに肩を叩かれた。
「――!?」
急な出来事に驚いた彼は後ろを振り向く。
――勿論、カップの中のお茶がこぼれそうになるのを気にしながら。
「よう迷子、大丈夫そうか?」
彼の後ろに居たのは……背の高い青年だった。
所々跳ねた髪に、強気そうな目。彼とは明らかに違い、運動能力が高そうなタイプだ。
――とりあえず、僕の記憶の中にある範囲の知人じゃない。
そう考えながら、彼は何とかカップをテーブルに置いた。
迷子、と呼ばれた事もだが、その青年のフレンドリーな様子に彼は動揺する。
えっと……誰だろ、この人。思い出せないだけで、もしかして何かで一緒だった人なのかな。僕も見知った感じで話せばいいんだろうか、いやでももし知らない人だったら……。
「……カクタス。怯えてるぞ」
冷静なアゼリアの言葉に、青年はまじか、と苦笑した。そのまま、青年――カクタスは彼に手を差し伸べる。
「俺はカクタス・クォーツ、カクタスって呼んでくれ。こいつと同じギルドメンバーだ。よろしくな」
「ありがとうございます……」
彼はイスから立ち上がって、戸惑いながらもカクタスの手を取る。カクタスは彼の手をぎゅ、と握ると2、3回程軽く振った。
「あだ名にしても迷子は酷いと思うぞ。そもそも迷子とは限らない」
「そうか? でもあそこの事を少しでも知ってるんだったら、草原つっきろうとはしないはずだろ」
きっと仲間内なのだろう、親しげに話している二人を見ながら彼はひそかにほっとする。
この流れだと、どうやら知り合いじゃなかったみたいだ。でも、これから先知り合いだった人に会ったらどうしよう。ごまかした方がいいんだろうか。いや、でもごまかした結果めちゃくちゃな事になるのは目に見えてる。けどできれば平穏に過ごし――
「そういえば、まだ名前聞いていなかったな。何て言うんだ?」
「へ?」
カクタスの突然の一言に彼は固まった。
思ってもみなかった質問をされたせいで、彼の頭の中は真っ白だ。
どどどうしよう。僕の名前なんだったっけ? あぁやっぱ思い出せない。適当な名前を名乗る訳にもいかないし、かといってこのままごまかせるはずもないし――いっその事記憶喪失だって話してしまおうか、いや話すにしても気まずいよなぁ……どうしよう。
混乱し始めた彼の様子を見て、カクタスはどうしたのかと不思議そうにこちらを見ている。どうしようどうしようと彼が考えている間に、同じく何かを考えていたアゼリアが口を開いた。
「もしかして……覚えてないのか?」
「え……」
「名前――この場合、記憶と言った方がいいか」
アゼリアがティーカップを口に運ぶ。しばらく彼は言葉をつぐんだが、観念したように下を向いた。
「……実は、そうなんです」
「……やっぱりな」
「え?」
アゼリアの一言に、彼は別の意味で固まった。
え、やっぱり? どういう事だ? もしかして僕そんなに分かりやすかった?
「となると……また『あれ』か?」
「あぁ、おそらく」
「ったく、謎は深まるばかりってとこかよ……」
そうかとは思ったけどよ……。とカクタスはがしがしと頭を掻く。状況についていけない彼はぽかん、と口を開けるばかりだ。
「えっと、あの……『あれ』って……」
彼の問いに、カクタスは苦い顔のまま語り出した。
「あぁ。最近この街で起きてる事件――って言ったらいいんだろうな。何の脈絡もなく人が行方不明になって、しばらくするとふらりと戻ってくんだよ。
で、どうしたとか何があったとか聞かれても『覚えてない』の一点張りだ」
「そう、なんですか……」
「最初はその――行方不明になってる間の事だけしか覚えてない、って奴だけだったんだけどな。
最近になって記憶まるごと奪われちまってるって奴が出てきた。そのまんま行方不明になってる奴も多い。
でも、肝心の証言も何もないから、警備隊は頭を抱えてる。
――って所か」
「それで……僕もその事件に巻き込まれた、という事なんでしょうか」
「俺に聞くなよ、って言いたいところだけどな。多分、その可能性が高い」
ったく、何が起きてるんだ、この街で。
カクタスはそう付け足して、重い溜息を吐く。
「最近依頼も少ねぇし――ってそうだ、本来の目的を忘れるとこだった」
そういってカクタスはポケットから茶色の紙を取り出す。
そこに書かれている文字を読んで、彼は首を傾げた。
「夜間、警備依頼…?」
「あぁ、この日は何か別の用があって、人手が足りないらしくてよ、今日入ってきた。 アゼリア、どうだ? 参加するか? 四日ぐらい先の事だからまだ時間はあるが……」
「……考えてはおく」
「了解。前向きな返答を頼む、できれば明後日辺りまでにな」
そう言ってカクタスはキッチンの方へと向かっていく。
彼はしばらくその背中を見送っていたが、アゼリアの声が聞こえて彼女の方へと振り返った。
「まいったな。自分の周りでとなると、どこから説明すればいいのか……」
どうやら、彼女は何かの説明をしようとしているらしかった。必死に何かを考えている。
……申し訳なさとバツの悪さを感じるが、彼には遠慮している訳にもいかない。
実際に聞いた方が助かるのは確かだ。
「自分の事はともかく、流石にギルドとかの施設は覚えているだろう?」
「……いえ、全く……」
「…………そうか」
とりあえずそこからいこう。そう言ってアゼリアは彼の眼を見る。彼は同意を示すため、こくん、と小さく頷いた。
「ギルドは、何だろうな……何でも屋とでもいったらいいのか……。いや、そんな物騒な代物じゃない。 ……簡単に言えば、街の人達から依頼を受けて、それを解決する代わりに報酬をもらう……ってところか。まぁ……見た方が早い」
アゼリアは立ち上がって、近くにあるドアを開いてみせた。彼も後ろからひょこ、と覗き込む。
「ここがロビーだ。依頼を頼んだり、受けたりできる。後、ギルドメンバーは暇なときは大抵ここかさっきのお店に集まっている事が多い」
「結構、広いんですね……」
そこはまさしく『ロビー』だった。木造なのは変わらないが、表入口らしきドアがある。窓も大きめにとってあるのだろう、外からの光で十分に明るかった。
バーのようなカウンターがあるから、きっとそこで依頼を受けるのだろう。カウンターの上にはいくつかの書類がまとめてあって、羽ペンが立てて置いてある。
「……頼まれた依頼はここに貼ってある。見てみると分かるが、以来の種類は様々だ」
彼女が指を指した壁の一角に、額縁のような枠がかけてある。その中には大小さまざまな紙が貼られていて、それぞれに細かくその依頼の内容が書いてあった。彼はその内の何枚かをじっと見てみる。
「迷い猫の捜索に、街のゴミ掃除……あ、狼退治もある」
「……で、自分が受けようと思った依頼をカウンターに持っていって、マスターの承諾が得られればその依頼を受ける事ができる。
自分のレベルとかメンバーかどうかとか、いろいろ判定基準があるみたいだが、まぁ受けるだけならそんなに気を回さなくていいだろう。
いざとなったらマスターが忠告してくれるしな。
ちなみに報告して報酬をもらうのも大抵ここだ」
「あれ? ギルドメンバーじゃなくても受けれるんですか?」
予想外の言葉に、彼はアゼリアを振り返って尋ねる。彼はてっきりギルドメンバーしか依頼を受けられないと思い込んでいたのだ。
アゼリアは盲点を突かれたかのように一瞬だけ口をつぐむ。
「ギルドはあくまでも仲介役みたいな所もある。まぁ身分を証明するものが必要になる時もあるが――拒むって事はあまりないな」
そういう物なんだ……、と彼は納得したが、じゃあギルドメンバーって結局なんなんだ、と彼に新たな疑問が浮かぶ。
ギルドに何か登録して――優遇してもらってるとか? 会員制の組合……とかかもしれない。……もしかすると常連さんって感じもあるかも。でもそれじゃあ他のお客さんと区別する意味無いよな……。
彼が頭の中でとぐろを巻きそうなほど考えた所で、アゼリアがまた口を開いた。
「……ギルドメンバーっていうのは、ギルドで住み込んで働いている人の事を指す言葉だ。月にいくつかノルマがあるが、それさえこなせば寮にも入れるから、結構自由度は高い。
……まぁ、本業として依頼をこなす人、と思ってくれればいいと思う。」
「そうなんですか……」
意外とそのままなのか…と彼は唸る。
深く考えすぎずに、言葉の意味合いだけで推理しても結構合ってるのかもしれない。
「アゼリア! サンドウィッチできてるよ! 食べないのかい?」
店に続くドアから店長の声が聞こえる。アゼリアと彼が目を見合わせた瞬間、ぐぎゅう、と両方のお腹が鳴った。
「……説明は後にして……腹ごしらえといくか」
「はい」
苦笑しながらアゼリアはドアを開ける。
まだ見ぬサンドウィッチの味を期待しながら、彼は彼女について行った。
――窓の外で、風がさわさわと梢を撫でる。