第9話 任務前編、小さなトラブル
――月が雲に隠れて、また街は薄暗くなった。
彼――ジェードは隠れた月を見上げて、ぶるり、と身震いする。
――春でも、夜風はまだ冷たいみたいだ。
立ち寄った第三支部にて。
開いている窓の外を見ながら、彼は読んだ本の知識を必死に頭の中で回す。
パトロールの任務そのものは、いたって順調に進んでいた。
今までの所、特に異常はない。あえて言うならば泥酔してしまった街人の男性を一人、家まで送り届けてあげたぐらいの事だ。
男性の家はルートとは外れてしまっている為、あの腕輪を使ってスターチスと連絡を取る必要があったのだが……やっぱり、連絡には魔力が必要だったらしい。
結局、連絡はアゼリアの担当になった。
……どうやら、紅い石に魔力を通す事ができれば、腕輪が腕に付いている必要は無いようだ。
腕輪は相変わらず彼の右腕にはまっている。スターチス曰く、任務が終わるまで取れないらしい。
連絡をしてから、腕輪が爆発する事はなかった。
腕輪の紅い石が光を失っていたから、きっとスターチスが何か操作をしてくれたのだろう。
――緊急任務完了の連絡では、ちゃっかり光が戻っていたけれど。
彼は自らの腕輪に視線をやる。
紅い石は相変わらず鈍い光を放っていて、腕輪のデザインにもちゃんと合っている。傍から見たら、完全にアクセサリーにしか見えないだろう。
――これが連絡用だなんて……信じられないな。
「――はい、これで第三のスタンプはOKです。
次はこの地図のルート通りに、一番最初の警備隊本部へと向かってください」
「おう、ありがとな」
考え事をしているジェードの傍らで、第三のスタンプがどうやら押印されたらしい。
警備員の一人が、カクタスにスタンプカードを渡す。
スタンプカードには赤色のスタンプが押されている。スタンプには目の前の警備員の襟の紋章と、同じ模様があしらわれていた。
色とシンボルマークは、支部によって異なるらしい。
――そういえば、スターチスさんの服にも似たような紋章が付いていたような気がする。確か……
思いを巡らせてぼーっとするジェードの肩を、誰かが叩いた。
慌てて振り返ると、どうやらもう手続きが終わったらしいカクタスが後ろに立っている。
「おい、ジェード。もう行くぞ」
「あ……はい!」
「……さっきからぼーっとしてるけど、大丈夫か? 具合悪かったらさっさと言えよ?」
「全然、大丈夫です!」
「ならいいけどよ……」
どこか心配そうなカクタスと共に、彼は一礼して警備隊の第三支部を出る。
アゼリアとリンドウは、目の前の広場で待っていてくれていた。
「っと、二人共、終わったぞー」
カクタスが待っていた二人に声を掛ける。
リンドウはその声で気づいたのか、すぐこちらに駆け寄ってきた。
アゼリアも、カクタスとジェードに声を掛ける。
「おかえり。その様子だと……手続きはあっさり終わったみたいだな」
「……………大過は、なかった?」
「おう、後は最初の所に行けば終わりだ……ってリンドウ、大過って何だよ?」
リンドウの言い方に突っ込んだカクタスに、リンドウはだって、と言葉を続ける。
「……叱られてるかと、思った。また、けんかで。
…………遅かった、から」
「また……? カクタスさん、それって……」
「カクタス、そこは流石に自重――」
「はぁ!? 喧嘩!? いつものは喧嘩っつうより議論だろ!?」
リンドウの言葉の正誤を判断する為に彼はカクタスに尋ねたが、それと同時にアゼリアの呆れたような声が被る。
当然、カクタスは予想もしてない流れに声を荒げた。
「一応言っとくが、口論はしてねぇからな!?」
「……『口論は』なんだな」
「Shut upだ、アゼリア! ジェードも一緒に行ったのになんでそっちサイドなんだよ!?」
つか、後少しなんだからちゃちゃっと行くぞ!?
そう乱暴に続けて、カクタスはどんどん先に行ってしまう。
アゼリアは小さくため息を吐いて、カクタスを追いかけた。
パトロールでちゃちゃっとは無いだろうと言っていたが、カクタスには聞こえていないのだろう。
「………………ケンカしてないなら、いいんだけど……」
一方のリンドウは、言うタイミングを逃してしまったのだろうか。ぼそ、と小さく呟く。
「えっと……大丈夫ですよ、多分。きっと、カクタスさんにもリンドウさんが心配してるのは、伝わってると思いますし……それに」
「そこの二人、もう行くぞ~!」
ジェードが更に言葉を続けようとした所で、カクタスの声がジェードの言葉を遮った。
アゼリア達との距離が、いつの間にか開いている。
「……行きましょうか」
「…………」
ジェードの言葉に、リンドウは無言のまま、こく、と頷いた。
アゼリアとカクタスは待ってくれていたようで、二人が追い付いてからゆっくりと歩き出す。
しばらく歩くと、見慣れた大通りに出た。
たくさんの店が並んでいるが、今の時間になると閉まっている店ばかりだ。ほとんどの店が、『closed』の看板を下げている。
それに加えて、月が隠れたせいで――街並みは薄暗く、街灯の仄かな灯りだけが街を照らしていた。
幻想的ではあるが、街灯の光の届かない闇の部分は、彼らを飲み込みんでしまいそうだ。
彼は閉じた店を眺めながら、いつかまた来ようと心に決める。
――昼間は来れなくても、せめて夕方ぐらいなら大丈夫かな? 直射日光を浴びなければ大丈夫なはずだし、カクタスさんからもらった手袋もあるし……。そしたら、皆で遊びに来れるかもしれない。
……勿論、無理をしない範囲で、だけど。
そしたら、あの路地裏の奥のお店にも行ってみよ――って
「………………あれ?」
思わず、彼は呟いた。
ルートが記されている地図を見ながらだったからだろうか。その声に立ち止まったカクタスにがん、とジェードがぶつかる。
「いてっ」
「あっ、すみません……」
「別にいいけどよ……何かあったのか?」
「いや、今何か、あの路地の所に人が居たのが見えた気がして……」
「人影……か?」
アゼリアがそう言って、ジェードの指差す路地を見る。
暗くてよく見えないが、路地に人気はない。
「……………………足音は、してた」
「まじかよ、リンドウ。じゃあまだそこに――って、見えねぇ……」
「すみません……」
「ちなみに、何人だったか覚えてはいるか?」
「確か、三人……? ぐらいだったと……。あ、でも今は居ないみたいですね……。
た、多分見間違いなんで!」
アゼリアの問いに急に不安になったジェードは、そう言って、取り繕おうとする。
だが、アゼリアとカクタスは、何かを考えるようにしばらく沈黙していた。
「見間違いならいいけどよ……こんな時間にか?」
「……一応、報告はしておこう」
アゼリアの一言に、カクタスがおぅ、と簡単に返した。
ジェードは何故か申し訳なさそうに、すみません、と呟く。
「何で謝るんだよ」
「いや……何か申し訳なくて……」
「…………とりあえず、あった事は全て報告しておくか」
例の盗賊の件もあるようだし、とアゼリアは続ける。
一方のジェードは、『例の盗賊』というワードから情報を結び付ける事ができず、小さく首を傾げた。
――スターチスさんも言っていたけれど……『例の盗賊』って何の事だろう。
そういえば、全然聞けないままだったな……。
「あ、あの……例の盗賊って……」
ジェードは、恐る恐る切り出す。
アゼリアはジェードが知らなかった事にやっと気づいたのだろう。
『例の盗賊』についての情報を話し出す。
「……街で、人が数名行方不明になっている事件の事は、前にカクタスが話していただろう? その事件に関わっているのではと言われている盗賊の事だ」
「あぁ、あの……」
「正確には噂話程度だけどな。結構大規模だって話だから、ありえないとも言えない……只、まだ情報が足りないらしい。警戒だけはしとけって話だってよ」
カクタスがそう言って頭を掻く。
その情報はきっとスターチスさんからのものなのだろう、と彼は推測した。
一方のアゼリアはその情報を踏まえてだろうか、苦い顔をして何かを考えている。
「……それじゃあ、とりあえずまずは本部に戻って、スターチスさんに報告……ですか?」
「それが最善だろうな」
「だったら、さっさと行くぞ。……嫌な予感がする」
「あ、カクタスさんちょっと待っ――」
アゼリアの言葉を引き継ぐように苦々しく呟いて、カクタスは歩き出してしまう。
ジェードは慌ててカクタスに付いていこうとするが、ぐい、と服の裾を誰かに引っ張られた。
ジェードは後ろを振り返る。
「リンドウさん、どうかし――――」
リンドウかと思い発せられたジェードの言葉は、ぴたり、と凍ったように止まった。
前を歩いていたリンドウは何かあったのかと不思議そうにジェードの方を見る。
「…………どうした、の? ――あ」
「? ジェード、どうしたんだ?」
「今度は何があったんだよ……って」
振り返ったアゼリアとカクタスは、ジェードの服の裾を引っ張っているその人物を見た。
その人物――ジェードの見知らぬ少女は、泣きそうなその眼で彼を見上げる。
そして――ジェードに、助けを求めた。
「…………猫ちゃん、居なくなっちゃった……」
どこからどう見ても、そのいたいけな少女は――『迷子』だった。