魔術と喧嘩と悪役令嬢
今回、少し長めです。
カリカリと鉛筆を走らせる音だけが響く、午前の静かな教室。
そこにいる生徒たちは皆、一様に顔をうつむかせ、答案用紙にに答えを書き込んでいた。
問題用紙をじっくりと眺めていたかと思えば、時々顔を上げては黒板の上にかけられた時計を睨みつける。
今まさに、彼らは「テスト」という名の大敵と戦いを繰り広げていた。
そう。今日は生徒たちにとって、憂鬱な日々とも言える、テストの日なのだ。
そんな彼らの間を歩くのは試験監督の先生。
若い男性教師はカンニングしている者がいないか、終始目を光らせている。
時計を見ようとして、彼と目が合うと、何もしていないのに後ろめたくなるのは何故だろうか?
今もまた目が合いそうになって、私はスッと視線を己の答案用紙へと下げる。
そこにはもう三度も見直した答えが書き込まれていた。
おそらく、間違ってはいないと思うが、どうだろうか。
お嬢様の侍女として、恥ずかしくないようにしたつもりだが、なかなかに今回のテストには自信がある。
残り時間がまだ後、五分も余ってしまった。
私はその後五分を最後の見直しに費やす。
書いた答えに変更はない。
これで間違っていたら、よっぽどだ。
「そこまで」
カーン、カーンという美しい鐘の音と共に、先生からの制止の声をかけられた。
生徒たちは答案用紙に自分の名前が記入されているかを確認してから、紙を裏返す。
最後の抵抗を図っていた者たちもいたが、それも呆気なく最後尾の生徒に奪われると、強制終了させられてしまった。
静かだった教室はガヤガヤと次第に騒がしくなる。
「あそこの答え、わかりました?」
「あっ、その問題ですね。こうではないですか?」
「えっ、僕はこう思ったんだが」
「まさか。わたしは全くわかりませんでした」
それぞれがそれぞれの感想を漏らす中、私は次のテストの教科を思い出していた。
今日はテスト期間の最終日。
パティ先生の歴史が終わった今、残すところあと一つのみである。
それも、座学ではなく実技教科。件の魔術試験だ。
私は思わずはぁとため息をつく。
もちろん、クレア様との会話を思い出したから、というのもある。
あれから、結局お嬢様との仲を改善できていない、というのもある。
けれど、今のため息には別の理由があった。
それは目の前の、魔術試験のことである。
私もお嬢様がとっている以上、その授業には参加しているし、当然の受験の義務はあるわけだが、いかんせんこのテストは苦手なのだ。
私の魔法の使い方は基本、実用性に特化している。
だから、美しく見せるという、芸術的な方法は私の性には合わないのだ。
「さてさて、でも受けないなんてことは無理ですからね」
とはいえ、文句を言っていては仕方がない。
元々、私の生徒扱いは成績が優秀だからこそ認められていることである。
それなりの結果を出さなければ、学園にも申し訳ない。
生徒たちがぞろぞろと「魔術鍛錬場」へと向かう中、私は気を引き締めるようにして頬を叩いた。
席を立つと、ぞろぞろと続く生徒たちのあとを追う。
とにかく対策は練ってきたわけだし、並の評価くらいはもらえるに違いない。
そう、身構える必要はないだろう。
変に気負いすぎて、失敗したら元も子もないし、気楽に行かねば。
因みに魔術鍛錬場は剣術稽古場とは校舎を挟んで、向こう側にある。
剣術の受講者数が少ないのに対し、魔術はほとんどの生徒が選択しているため、その敷地は稽古場と比べても一回り、ふた回り大きい。
端っこの方には的があったり、魔力の測定器があったりと、結構いろんなものが溢れている。
今はテストのためか、鍛錬場は大きく五つ程に薄い結界で仕切られていた。
おそらく、結界の中でその魔術を披露する、ということなのだろう。
結界にはそれぞれ魔術の先生が一人ずつ待ち構えていた。
結界を破られないようにする為か、彼らは右手を結界を維持する水晶の上に置き、もしもの為にもキチンと備えている。
流石は王都の貴族が集う学園だ。安全性もバッチリだ。
「来ましたねぇ」
私が感心しきって周囲を見渡していると、聞き覚えのある声がした。
嗄れた何とも不気味な声。
一部の令嬢方は未だになれないのか、突然聞こえた声に軽くヒッと悲鳴をあげる。
まぁ、彼女たちの気持ちも分からなくはない。
何と言っても私たちの魔術の教師、ディエン先生はその姿格好がいかにも怪しげだからだ。
まず一番に目を引くのはボロボロに擦り切れた紫色のフード付きローブ。
ついで、その中からヌッと伸びる枯れ枝の如き角ばった手足。
色は白く、人間味を感じさせない。
おまけに、嗄れた声とフードと奥から覗く灰色の瞳とくれば、これはもう夜中にでる「アレ」しか連想できないだろう。
私も初めてディエン先生を見たときは顔を引きつらせてしまったものだ。
教師として紹介されたから良かったものの、ある日突然背後に現れていたら、問答無用で叩き切っていたに違いない。
ディエン先生は未だビビる私たちを見て、ヒヒッと笑った。
お嬢様とその取り巻きーーといっても、ユリー様とクレア様だけだがーー以外の令嬢たちは更に怯える。
これで彼自身に悪意がないのだから、とことん厄介だ。
そのほか、校舎裏で何かを惨殺していたとか、夜中に一人歩き回る影を見たなどの逸話はあるが、それを語り始めると本当に「アレ」にしか見えなくなるので、今は思い出さないでおく。
「ではでは、揃ったことですし、試験を始めましょうか」
なんて、私が随分と失礼なことを考えていると、試験が始まるようだ。
適当に五つの班に分かれるように言い渡され、私はさりげなくお嬢様の班に紛れ込む。
お嬢様はしっかり気づいているようで、チラリとこちらに視線を向けてきたが何も言わなかった。
むしろ、私がこうすることを分かっていたかのような反応だ。
露骨に突き放されないことだけが救いだが、話しかける勇気もわかず、私はその場で息を殺し続けた。
「これはなんともまぁ、面白いメンバーですね」
しばらく待つと、班の人数調整も終わり、私たちの班の試験官はディエン先生になった。
彼は班の面子をグルリと見回してから、ニシシと興味深そうに笑う。
お嬢様とお嬢様の取り巻きに加え、私やクラスの中でも強烈な個性を持つものたちが数名。
他のクラスの面々も騎士シャインなど、学園でも名だたる者ばかりである。
ディエン先生がそう言うのも頷ける話だ。
また、今回は魔術の人数は多い為、学年ごとに別れてテストは行われているが、これで他学年も混同させていたならば、殿下なども同じ班だっただろうし、それはもう混沌を極めていたに違いない。
ディエン先生の背後にはこれまた奇遇なことに、アックス様がいらっしゃった。
あまり人には知られてはいないことだが、この間も確認したようにアックス様は五つも適正を持つ魔術の天才だし、今回はディエン先生の助手でも務めることになったのかもしれない。
私はアックス様と目が合うと、ニコリと微笑んだ。
アックス様も手を振り返してくる。
ちょっと冗談のつもりで、「次期王家筆頭魔導師候補様も頑張ってください」と口の動きだけで伝えてみれば、盛大に顔を引きつらせて、人差し指を口に当てていたが。
今の一連の流れを万が一にでもアックス様を刺そうとしている令嬢に見られては大変なので、やり取りしたのはそれだけのみ。
あとは試験へと集中しようと前を向いた。
アックス様から非難の声が聞こえた気もしなくはなかったが、気にしない。
「では、試験を始めましょうか」
その先生の声を皮切りに試験は始まった。
生徒の名前が次々に呼ばれ、生徒たちは班のメンバーと先生の前でそれぞれの技を披露していく。
氷で彫像を作る者、水で魚を作って宙で泳がせる者、枯れた木に次々と花を咲かせてゆく者……。
どの技もそれなりに難易度が高く、美しいと感じるものばかりだった。
流石のメンバーの濃さと言うべきか、個々の個性がよく演技に現れている。
中でも、騎士シャインの技は圧巻だった。
彼は雷と炎の魔法の適正を持っていたのだが、雷を剣に纏わせ、炎の魔法で作った敵をなぎ倒す様は迫力があって、非常に面白かった。
多くの火と雷が飛び散る様は目に鮮やかで、見るものを興奮させる。
結界を操作していたアックス様は大変だったようだが、先生の評価も高いようで、しきりに感心した様子を見せていた。
また、終わったあとには無邪気で快活な笑みをニッと浮かべるものだから、令嬢たちの歓声が凄いことすごいこと。
流石は殿下に次ぐ人気の持ち主だ。
体格も良く、男らしい彼は将来を期待される騎士ナンバーワンなのだ。
それから、クレア様の演技も見ものだ。
クレア様は珍しい光の適正を持っていらっしゃるようで、 なんでも光の加減を調節すると服の色が変わるというなんとも不思議な現象を引き起こしていた。
原理はよくわからなかったが、見ていて、次々と服の色や形まで変わっていく様は美しかった。
多くの令嬢は感嘆のため息を漏らし、男子生徒も呆然とクレア様に魅入っていた。
そして、私の番。
私は美しいかどうか、あまり自信はなかったものの風魔法で空を飛ぶ、ということをやってみた。
熊の魔物と戦闘した時、自分の体を風で吹き飛ばしたことを思い出して、編み出した技術である。
まずは、みんなが見守る中、一礼。
お嬢様に仕えてきた中で洗練されたその動きには我ながら自信があった。
スッと自分に視線が集まるのを感じる。
私は顔を上げると、靴の裏から風の魔力をそっと吹き出させた。
この辺の出力の調整が一番難しかったのだが、長い試行錯誤のうちに無事良い加減をつかめた。
身体が柔らかい動きでふわりと持ち上がる。
そして、そのまま上昇。
一定の高さまで辿り着いた後、今度は背中から魔力を属性を付けないまま、身体の内から絞り出す。
心の中で思い描くのは妖精を思わせる虹色の羽根。
魔力はイメージ通りに顕著し、私の背には羽根が生えた。
いわば、魔力で作った擬似的なものだが、視覚的には十分。
私は仕上げに、胸の前で組んでいた手をそっと大きく開いた。
手の中に仕込ませておいた、キラキラと光る鉱物の粉が宙を舞い、私の周りを取り囲む。
「銀の妖精」
そう呼ばれていることを逆手に取った、この演出が私の演技だった。
だが、自信のほどは、と聞かれると微妙というしかない。
だって、この演技は私の容姿がメインになってしまうものだったからだ。
アックス様にはかつて、美しい、と絶賛された私の容姿だが、あの人の言葉はちょっと信用ならない。
自他共に女たらしと認める彼は、非常にお世辞が上手いのだ。
私は一抹の不安を抱きながら、ゆっくりと降下した。
そして、着地。すると、地上は静寂に包まれていた。
私は思わず首をかしげる。
まさか失敗、だろうか。
異常な沈黙に私の不安が大きくなる。
誰も何も言わないまま、私をじっと見つめているのだ。
それは、さっきから興奮しっぱなしでキーキーはしゃいでいた先生ですら。
こんな状況、何かやらかしてしまったとしか思えない。
どうしよう。
お嬢様に恥をかかせただろうか。この後、どうすればいいのだろう。
とりあえず、謝罪? いや、いったい何に。
それが分からぬまま、心のこもった謝罪などできようはずもない。
というか、まずこの状況はなんだ。
私は無表情を保ったまま、頭の中を混乱させた。
色々な心配が駆け巡り、最終的に何をしたらいいのやら分からなくなって、固まってしまう。
そんな私に、先生がゆっくりとした歩調で近づいてくるものだから、心臓はばくばくだ。
「リオ君、でしたね」
「……はい」
もう、どうにでもなれ。
半ばヤケクソな気持ちで、私は頷いた。
先生は相変わらずジッとこちらを見つめている。
灰色の瞳は何かを見透かしているようで、落ち着かない気分にさせられる。
本当に心臓に悪い。
「さっきの、演技ですが」
それからまた、一拍のタメ。
ディエン先生は私から一度視線を外すと、ためらうようにして下を向く。
かと思うと、ガバリと勢いよく頭を上げた。
その勢いで一度も外されたことのないフードが外れ、先生のボサボサの白髪が露わになる。
私が唐突の出来事に驚いて、一歩下がると、先生は私の手をヒシと掴んだ。
物凄い握力である。
「先生?」
「風の魔力で人体を空に浮かべるなど、一体どうやったのです?」
「へ?」
「風で空を飛ぶなど、どの学者も成功したことのない、前代未聞の魔法! それを一体どうやって? それに、あの虹色の羽根は一体どんな魔法を? 幻影だと思いましたが、違うのですよね? それから、あの美しい演技はどうやって……」
「ええっ、と。ちょっ……待ってください! 一体これは」
今まで沈黙を保っていたかと思いきや、いきなりの質問攻め。
先生のいつもは何を考えているかもわからない目が今、ギラギラと強い意志の炎を燃やしている。
手にかかる圧力は手の骨を折らんばかりに強くなるし、鼻息が荒く、質問が聞き取りづらい。
興奮しているのだ、ということはすぐに分かったが、あまりの勢いにどうしたらいいのか戸惑うばかり。
助けを求めようと、周囲を見回してみれば、そこにも目をキラキラと光らせる生徒たちがズラリ。
アックス様やお嬢様でさえ、ポカンとしていた。
もう、訳がわからない。
「ちょっと、先生落ち着いてください。まず、手を離してください。痛い、痛いですっ!」
「ああ、すみません。つい、興奮してしまって。それで、質問なんですが……」
「だから、それも待ってください。状況が把握できません。一体、この反応は何なんですか! 私、そんな何か特別なことをしたつもりじゃ」
「特別なことをしたつもりがない? そんな、馬鹿な!」
私が質問してこようとする先生を制する言葉に、先生が更に反応する。
先生は私を信じられないといった様子で見ると、「いいですか」と先生然として人差し指を立てた。
少しは落ち着いてくれたようなので、ホッとしてその話に耳を傾ける。
けれど、先生の話は突拍子もないものだった。
「いいですか。風魔法で空を飛ぶ、というのはこの世界の研究者たちがこぞって開発しようとしている魔法の一種です。それは数百年以上もの間、研究され続けていましたが、未だ人体そのものを上手く浮かせられた人はほとんどいないのです。それは、天才と呼ばれた研究者たちでさえ、です。私も幸いにして風魔法の適正者だった為、今まで何度か試してみましたが、上手くいった試しがありませんでした。それを、一介の生徒が今目の前であっさりこなしてしまった。これがどれほど大変なことか、わかりますね」
「はっ、はぁ。つまり、ここ数百年誰にも出来なかったことを、私はさらっとこなしてしまったと。それで、みんなは驚いている訳ですね」
「ええ。もちろん、あなたのようにこのことを知らず、純粋に素晴らしさに驚いた者もいるでしょうが、そういうことです。私の気持ち、わかりましたか?」
「よく、わかりました」
つまり、私は良い意味か悪い意味かはわからないが、やらかしてしまったと、そういう訳だ。
自分のことながら、頭が痛くなる。
これがわかっていたら、この魔法を選ばなかっただろうに。
もちろん、面倒臭いことになるのが目に見えているからだ。
もし魔術研究所から人が来る、なんてことになればたまったもんじゃない。
私はただお嬢様と平凡な日々を送りたいだけなのだ。
「で、質問良いですか?」
「ああ、もちろんダメです」
「……ああ、そうですか。って、ええっ! 世紀の大発見ですよ? これがわかれば今の魔道技術は十年は進歩、いえ、百年は進歩するはずです。そこをどうか!」
「何度頼まれようが無駄です。第一、大切なのは魔力の出力をいかにコントロールするかの感覚なので、教えられるものではありませんし」
こんなものは私としても、生み出せたのは偶然にすぎない。
だから、人に教えろと言われたって自分と体重とか体格が違えばそこはどんどん変わってくる。
他人の魔力の質だってわからないし、教えられるものだとは思えない。
私はひたすらに「たまたま」であったことを強調した。
だが、ディエン先生に諦める気配は微塵もなく、尚も頭を下げ続けるもんだから、私もどう扱って良いものやらわからなかった。
周りも同じようなもので、助けてくれるような人はやっぱりいない。
あのアックス様だって、熱心にメモを取っているくらいなのだ。
こうなれば、取れるのはたった一つの手段のみ。
問題の先延ばしにしかならないが、今はそれでも早くこの場を抜け出したかった。
それはつまり。
「逃げるが、勝ち。ですね」
私は、染み付いた動きでサッと駆け出した。
足音を消し、存在感を透過して。
その場にいた者はその変化に気づかないまま、数秒間はそのままでいた。
目の前にいたディエン先生でさえ、ぼうっとしたまま。
誰も、私がその場から逃げたことにはしばらく気付けないのだ。
我ながら気配を消すのは上手いものだ。
「あれ?」
そんな声が聞こえたのは、すでに魔道鍛錬場を抜け出した後。
ざわめきが背中を追ってくるのを感じたが、私はそれを振り切るようにして走った。
目指すのは剣術の稽古場。
あそこなら、授業以外で人が来ることはないし、しばらくやり過ごせるはずだ。
辿り着いてみれば、予想通りそこにはただ穏やかな夏の光景があるだけだった。
強い日差しは広い稽古場全体に照りつけ、陽炎を浮かび上がらせている。
木々の隙間からは乾ききった熱風が流れ、私の首筋からは汗が滴り落ちた。
「いや、まさか、ね。本当に散々です」
私は木の根元にストンと腰を下ろした。
先ほどの先生と生徒たちの興奮した様子を思い出しながら、深く大きなため息をつく。
まさか、あんなことになるとは思っていなかっただけに本当に散々だ。
手で顔を仰ぎながら、木にもたれた。
だが、近づいてくる一つの気配を捉えて、私はすぐに気持ちを持ち直す。
それはここに来てくれるとは想像もしなかった人の気配。
校舎の暗がりの奥から目に焼きつくような赤がチラリ、と覗いていた。
しかし、そこでためらっているのか中々動こうとしない。
私も数瞬、迷ってから、口を開き、その人物に向かって呼びかけた。
「お嬢様?」
びくり、と赤い髪がうねった。
どうやら、ちゃんと当たっていたらしい。
まぁ、もちろんこの方の気配を感じ違えるということはないが、それでもその反応に私の中の不安が確信に変わった。
やっぱり、お嬢様だ。
「リオ」
嬢様は観念したように、その姿を現した。
オレンジ色の瞳が久々に私の視線とぶつかり合う。
お嬢様は気まずそうにその場に留まりながらも、今日こそは私から目線を外すことはしなかった。
少し前にはそれが当たり前だったのに、こんな簡単なことも出来なくなって、早一ヶ月半。
望んでいたはずの対峙は私を不思議な気持ちにさせた。
暖かく、愛おしくて、むずかゆい。そんな感じだ。
「お嬢様、私……」
「わかっているわ」
お嬢様は何かを言おうとした私の言葉を遮った。
そして、頷く。まるで、何もかもわかっていると言わんばかりに。
私も、お嬢様も。自分の意思を折ることは出来ない。
つまりは、そういうことだったのだろう。
私はやっぱり、お嬢様に嫌われてもいいなんて割り切れなかった。
「リオ、今日は何も言わなくて良い。何も言えないのは私も同じだから。ただ、ね」
「ただ?」
「私は思いを伝えたい。それだけのことだから」
「思い、ですか」
「ええ。だから、どうか見てちょうだい」
お嬢様はそう言って、パチリと指を鳴らした。
途端、周囲にお嬢様の魔力が溢れ出した。
その色は虹色。私が羽を思い描いた時と同じ色をしていた。
それは私とお嬢様を取り囲むようにして渦巻く。
そうすると、まるで私たちは違う空間にたった二人だけでいるようだった。
「これは」
「リオ、よそ見はしないで」
「……ッ!」
私が周囲をキョロキョロと見回していると、お嬢様から鋭い声が飛んだ。
同時に膨れ上がった魔力の渦から、何かが私に向けて飛んでくる。
私はそれを素早く察知して、その場から飛び退いた。
さっきまで私のいた場所には飛んできたそれがぶつかり、地面に黒い焦げ跡を残す。
飛んできたのは鳥の形をした火の弾丸。
つまり、お嬢様の魔法だった。
私はぎょっとして、お嬢様に呼びかけた。
「お嬢様、これは一体どういうことです?」
「どうもこうもないわ。見た通りよ」
そんな会話を交わしている間にも、火の鳥は次々と凄まじい速度を持って、飛来する。
四方八方から襲い来るそれは、学園でも指折りの強い魔力を持つお嬢様の全力の攻撃。
当たれば私とて、無傷ではいられない。
私の隙を突くかのような攻撃に、私も紙一重で避けるしかなかった。
まさか、お嬢様から幾ら何でも攻撃されるとは思っていなかっただけに、内心では相当なショックを受けていたが、今はそれを気にしていられるほどの余裕がない。
本気になれば、大分余裕を持つこともできるはずだが、お嬢様の前であれはしたくない。
取り敢えず、今の指針としては、この攻撃を止めることが先決だろう。
私はそうと決めると、火の中をくぐり抜け、お嬢様に接近しようと地面を蹴った。
お嬢様は次々と鳥を生み出し、私の足を止めようとする。
だが、私はジグザグに動きながら気配を薄くすることで、それをかわし続けた。
徐々にお嬢様との距離が狭まる。しかし。
「何年一緒にいると思っているの?」
そうお嬢様の声がして、次の瞬間、予想だにしなかった方向から炎が噴き出した。
私の行く方向を読んでいたかのように、炎の壁が目の前に立ちはだかる。
横に飛び退けば、さらにその先からも炎が。
気がつけば、炎に完全包囲されていた。
「……お嬢様」
「あら。あなたの力はそんなもの? 私を守るだとか抜かしておいて、その相手に負けるなんて、まさかそんなわけないわよね」
「わかりません。今、私にはこんなことする意味がわかりません。やめてください、こんなこと。無意味でしかありません」
「それは降参、ということかしら」
「いいえ。結果がわかりきっているから申しているのです。今すぐおやめください」
私はできるだけ、厳しめの声でそれを告げた。
確かに、お嬢様は強い。
その地位には必要ではないほど。
いや、この国の騎士でさえ負かすことが出来るほどに。
だが、私は別だ。ずっとこういうことが当たり前の世界で生きてきた。
お嬢様の見たことない世界もたくさん見てきたのだ。
だから、負けるはずがない。
そんな世界で地位を築いたこともあったくらいなのだから、ここで負ける可能性なんてゼロに等しかった。
逆に負けるなど、相手がいくらお嬢様でも私の矜持が許さない。
だから、こんな汚い姿をお嬢様だけには見て欲しくなかった。
これ以上やれば、私がいつ本気になってしまうかなど、わからない。
そんな私を見て失望されたら、それこそ私には耐えられなかった。
しかし、お嬢様はいくら言い募ろうが、首を縦に振ろうとはしなかった。
むしろ、私が降参を勧めたことで、より一層厳しい眼差しになる。
お嬢様はポツリ、とつぶやいた。
「そんなの、わからないじゃない」
「……お嬢様?」
お嬢様の様子がおかしい。
そう思って、呼びかけてみると、お嬢様はキッと私を鋭く睨みつけてきた。
そう。まるであの日のように。
「あなたが負けないなんて、死なない確証なんて。どこにもありゃしないのに、そんなのわかるわけがないじゃない!」
お嬢様が叫んだ。
途端、私を取り巻く炎の壁が私に急接近してきた。
四方を囲まれては、逃げ場はどこにもない。
まさに絶体絶命の状況だった。
それだけではない。
お嬢様は何を血迷ったか、自分に向けて火の鳥を放ったのだ。
何十もの火の弾丸がお嬢様を食いつくさんと襲いかかる。
なのに、お嬢様は一歩もそこから動こうとはしない。
「お嬢様!」
これはまずい。
そう判断した私に選択の余地はなかった。
お嬢様が死ぬより、傷付くよりもはるかに良い選択。
つまり、私が本気を出すことだ。
「くそッ!」
私は口汚い言葉で自分を叱咤すると、魔力全開の状態で身体に風を纏わせた。
そのまま、炎の壁の中へと飛び込み、お嬢様への元へ直線距離で突っ切る。
間に合え、ただそれだけを念じながら風でさらに前へと走る。
あと少し。
熊の魔物にお嬢様が襲われたときのことが脳裏にフラッシュバックした。
傷つき倒れこむお嬢様。
もう、あんな悔しい思いは、死ぬほど心配したあの時の思いは、もうしたくない。
「絶対に、させるかっ!」
指の先がお嬢様に触れ、火が間近に迫る。
私はお嬢様を抱きすくめ、火の雨の向こう側へと転がった。
ゴロゴロと勢いのままに転がる中、背後でジュワッという音がする。
私は目を閉じて、お嬢様を抱きしめ続けた。
そして、数秒して悟る。ああ、良かった。今度は間に合ったのだ、と。
「リオ」
そっと目を開けると、こちらを心配するように見つめるお嬢様と至近距離で目があった。
オレンジ色の瞳につい最近までの冷たい無表情な感情はない。
というより、今までで一番感情の変化が見える。
私はそこにいるお嬢様に怪我がないことを確かめると、ほっと息をついた。
しかしそれと同時に、なんでこんな危険なことを、という怒りがムクムクと湧き上がってくる。
気がつけば、興奮した勢いをそのままに、私はお嬢様に向けて怒鳴っていた。
それも、とんでもなく汚い言葉で。
「バカッ! お前、何をしたかわかっているのか? 僕がどれだけ、死ぬ気で心配したことか! あんな気の狂ったこと、してんじゃねぇ!」
「ごめん、なさい。私」
「だいたいっ、突然攻撃してくるってなんなんだよ! 僕がそんなに憎いのか? だったら、口で言えよ。死ぬかと思ったぞ!」
「反省、しているわ」
お嬢様は目に見えて落ち込む。
それはいつもそばにいた私でなくともわかる、明らかな変化で、私も思わずハッと黙り込んだ。
驚きのあまり、同時に我にかえることにもなり、昔の口調に戻ってしまったことに今更ながら気がつく。
私は咄嗟に口元を押さえた。
それから、十センチもない距離にいたことを思い出して、素早く距離を取る。
私、今……何を。
自分でも驚き、数秒間呆然としてしまった。
まさか、こんな姿をお嬢様に見せてしまうなんて。
その上、随分と暴言まで吐いてしまった。
そんなの信じられないほどの失態だ。
私は大慌てで頭を下げた。
「申し訳ありません。私、今とんでもないことを」
「いえ、事実よ。少し、驚いたけど」
「あっ、あれは」
最早、混乱状態でどうすればいいのかわからない。
私はその場に座り込みながら、目線をお嬢様から離した。
口元に当てたままの手から顔の温度が上がるのを感じる。
脳内を埋め尽くすのは「ああ、やってしまった」という言葉ばかり。
状況に頭が付いて行かずに目眩がした。
ああ。これから、どうしていけばいいのだろう。
だが、お嬢様はそんなやらかしてしまった私を叱ることはしなかった。
むしろ、分かっていたと言わんばかりにいつもより優しげな顔つきに変わる。
お嬢様の気持ちも落ち着いてきたのか、先ほどまでの大きな変化ではないがそれでも十分にわかるほどの変化だ。
お嬢様は距離をとった私に再度、近づいてきた。
そして、白い手を私の頬にそっと当てた。
私は激しく動揺していただけに、びくりと大きく震えてしまう。
お嬢様は声と口の動き、それから僅かに目尻を動かしただけで笑って見せた。
「やはり、本当のあなたは少し、違うのね」
「お見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしていないわ。むしろ、嬉しい。違う一面を知れて」
お嬢様はそう言ってくれるが、私としては恐縮するばかりである。
「僕」とか、「バカ」とか、「お前」とか。
本当、普通の貴族が相手なら物理的に首が飛んでいたであろう無礼だ。
穴があったら入りたいとは、まさにこのこと。
この場から消えていなくなってしまいたい。
「でもね。一番はそこじゃないのよ」
途方に暮れる私に、お嬢様は「人形の悪役令嬢」っぽい笑みを深めた。
それは幾分かいつもより感情がこもったものだ。
お嬢様はほら、どうだ言わんばかりに言い放つ。
「今回、結果として、私もあなたも死ななかった。あなたは私を死なせることはなかったし、あなた自身も死ぬこともなかった。そうでしょ?」
「あくまでも結果論ですが……そうですね」
私はここでようやく、お嬢様の攻撃の意図を察した。
それと、攻撃の直前に放っていた言葉の意味も。そう、つまりは。
「お嬢様は、私たちの喧嘩の原因を『必要のない』ことだと証明して見せたわけですか」
「ええ。だいぶ強引になってしまったけど。こうなった今なら、あの喧嘩も馬鹿馬鹿しいと思わない? 守る、守らないだなんて、柄でもない。所詮、くだらないことだったのよ」
だいぶ遠回りもしたし、長い喧嘩だったものの、所詮はそんなもの。
そう言い切ってしまうお嬢様は、深いため息をつく。
大雑把で穴だらけの理論だが、まぁ間違ってもいないのが現状だ。
そういえば、これがお嬢様クオリティである。
私もなんだ、こんな簡単なことかと無礼すら忘れて、あきれ返った。
私は結局のところ、ずっとあの魔物に襲われ、お嬢様に傷をつけてしまったことを引きずってしまっていたのだ。
だから、やけにお嬢様を守ることに固執した。
それ故、お嬢様と意地をはりあってしまった。
喧嘩の理由はそういうことだった。
さらに、お嬢様の言葉は続く。
「私もね。あなたが死んでしまうことが正直、怖かったの。それこそ、あなたが負けないという確証なんてないから。あなたが私から離れれないように、私もあなたに依存していたことはわかっていたから、私はそれを危惧していたの」
「また、失うかもしれない、と」
「そうよ」
結局、あの頃と何にも変わっていないのよ。お嬢様はそう言った。
私はお嬢様と出会った頃を思い出して、なるほどと頷く。
確かに、お嬢様は覚えていないであろうが、初めて会った時は誰かが傷つくことを極端に恐れていた。
そして、おそらく魔物と戦って、私が傷ついた、ついこのあいだも。
私の手には現在、既にほとんど傷はない。
しかし、お嬢様は私の腕を確かめるようにして抱き寄せた。
一方、お嬢様の背中の傷は今もまだ完全には治っておらず、首元から包帯が見える。
日常生活には支障はない程度にはなったが、傷跡になってしまった。
「リオ」
お嬢様が私に呼びかける。
私は少し背の低いお嬢様を見下ろした。
そして、答える。
「何ですか?」
「居なく、ならないでね」
「……」
嫌な、予感がした。
それはお嬢様もきっと同じだったのだろう。
私に答えを縋るように、ギュッと腕を掴む手に力を込めてくる。
私は暫し、黙り込んだ。
それから、ほんの少しだけ嘘を吐く。
「あなたに、必要とされる限りは」
一緒にいましょう。
お嬢様は未だ、不安そうだったが、最後にはコクリと頷いた。
私はそれに罪悪感を覚えながら、この少女の幼き日を思い返していた。
次回から、主人公とお嬢様の過去編です。




